第49話:Guardians ―お庭でレッスン―
ティアがひらりとテーブルの上から降り、れなの膝の上に乗った。
「な~ぅ。ゴロゴロゴロ……」
エルピーも、れなの肩の上に乗り、髪の毛で遊ぶ。
「ピピッ♪ チュンチュン……」
翠は、ジェミの手元に落ち着き、主を見つめた。
「きゅぅ~? きゅきゅ……」
「ねぇ。影……この子たち、人語は話せないのかなぁ?」
「魔力が馴染むまで、少々時間が必要です」
「そっかぁ~」
ジェミは眉を寄せる。
「人語が話せるようになるのか?」
「うん、たぶんね~」
「お嬢さま、私が教育係を担当いたします。
数時間もあれば、簡単な日本語は話せるようになるかと」
「たった数時間でいいの!?」
「数時間だと? 影、何をするつもりだ」
ジェミは思わず眉をひそめた。
「……? 日本語教育でございますが……」
執事は涼しい顔で、小首を傾げる。
「うんうん、意思疎通出来ることは大事だからね!!」
「そこか!?」
「じゃあ、お願いするね!」
「かしこまりました」
執事は何やらタブレットのようなものを取りだして、記入し始めた。
執事が取りだした端末の画面が、彼の端正な横顔を青白く照らし出す。その指先は、まるで精密機械のように一切の無駄なく滑り、虚空に浮かぶ文字列を整理していく。彼が佇む場所だけ、影が不自然に濃く、陽光さえもその輪郭を侵すことができないかのようだった。
「では、まず、彼らの属性と能力を確認いたしましょう」
信じられない、と言った表情で、ため息を落とすジェミ。
それを見てクスクス笑いつつ、れなはティアの名前を呼ぶ。
「ティア、創造主権限において命じる。おまえの情報を開示して」
テーブルの上で、すくっと姿勢を正し、返事をした。
「にゃん!」
一鳴きすると、目の前に小さなウィンドウが開いた。
その鳴き声は、静謐な水面に投じられた一石のように、空間に柔らかな波紋を広げた。
虚空から染み出した光の粒子が、れなの瞳の奥にある銀河と共鳴し、琥珀色の文字を綴っていく。
それは単なる数値の羅列ではなく、新たに産声を上げた魂の鼓動が、幾何学的な文様となって具現化した福音のようであった。
「ステータスウィンド!?」
「ゲーマーなお嬢さま仕様でございますね」
「知恵のパラメータは、まだ5じゃないか……」
「それは、これから急激に伸びていくところでございます」
「ということは、チュートリアルが終わった直後くらい?」
「その独特の判断基準が、理解不能だ」
ティアのステータスを一通りチェックする。
どうやら、ティアは、光と火、陸の属性を持つようだ。
「じゃ、次はエルピー、おいで」
れなの肩にいたエルピーが、指先に留まる。
つぶらな瞳が輝く、小さな頭を、クルクル動かす様子がかわいい。
「エルピー、創造主権限において命じる。ステータスオープン」
「ピッ!」
「なるほどね、おまえは、風と波動、空の属性なのね」
指先でエルピーが澄んだ声で、さえずり始める。
ふわりと心地よい風が巻き起こり、暑さで少し疲れていたれなをリフレッシュしてくれた。
「ふわ~、すごいね! 肩凝ってたのがすごく楽になったよ! ありがとね、エルピー♪」
「じゃあ、次は翠ね。翠は、兄ちゃんがチェックしてみて?」
「俺が!?」
「だって、兄ちゃんを主として、その守護にしたんだから~」
「……ふむ。コホン、では……」
ジェミがあらためて、翠を見つめる。
「翠、主の第一権限において命ずる。ステータスオープン」
「キュイ!」
「……なるほど。翠は当然だが、水と音波、液体とある……」
「あ~、だから空中でも泳げるんだ!
水のないところでも動けるってことね♪ すごいじゃない!」
「キュキュイ~♪」
「では、実地訓練と参りましょうか。
三者三様、あの的に攻撃してみてください」
執事が、かなり離れたところに案山子の的を複数用意した。
ティアがテーブルからひらりと舞い降りる。優雅な足取りで近づいていく。
一呼吸おいて、二体の案山子が静かに裂けた。
「おおお~! ティアすご~い!!」
ジェミも何も言わず、感心したような目で見つめている。
次にエルピーが、小さな身体で空に舞い上がる。
かまいたちのような鋭い風刃で、次の三体を切り刻んだ。
しかし、ピピッ!と一鳴きしたかと思うと、まだ無事な案山子の頭に留まって、優しくさえずり歌い始めた。
すると、切り刻まれてバラバラになっていた五体の案山子が、柔らかい緑色の風に包まれ、元通りに復元されていった。砕け散った案山子の破片が、重力から解き放たれたようにふわりと浮き上がる。
エルピーのさえずりは、時を巻き戻す調べとなって庭園に満ち、傷ついた木肌を慈しむように撫で上げた。失われた繊維が一本ずつ編み直され、かつての形を取り戻していく様は、まるで冬枯れの森に一瞬で春が訪れたかのような、残酷なまでに美しい再生の奇跡だった。
「ふわぁ! エルピー、無生命体も元に戻せるの!?」
れなは感心したように、エルピーを見た。
「では、最後に翠。存分にその力、見せてやれ」
ジェミが言うと、翠は空中で、くるりと一回転した。
尾びれを案山子の一体に叩きつける。
空中に水の輪が生まれたかと思うと、それが一気に弾けた。
エルピーが復元した五体の案山子を、水圧で押しつぶした。
「うむ、見事だ、翠」
「さすが、お嬢さまが創られただけのことはございますね」
執事も満足げに、その戦果を眺めている。
「みんな、攻撃はわかったけど、防御はどうなの?」
れなが執事に問いかける。
「そうでございますね……では、私がお嬢さまを攻撃いたしましょう。
式神たちに守らせてみるのは、いかがですか?」
「待て」
「……? ジェミさま、何か問題でも?」
「れなを攻撃するだと!? それを俺が許せるとでも?」
「……では、ジェミさまを攻撃させましょう」
「なぜそうなる!」
「問答無用でございます。では参りますよっ!」
「兄ちゃん、がんばれ~!
あ、念のために、庭に結界張っておくから、みんな、全力発揮してね~!」
「れなまでっ!?」
れなはティーカップを持ったまま、自分の周囲にまず防御結界を展開する。
続いて、庭全体のかなりの広範囲に、多重魔法陣を展開した。
「式神たち、戦いの中で言語力も磨くとよろしいでしょう」
陽光が降り注ぐ穏やかな午後の空気が、執事の一歩によって一変した。
大気が凍りつき、肌を刺すような殺気が、陽だまりの匂いを塗り替えていく。
ジェミの視界の中で、れなだけが嵐の目のような静寂を纏って微笑んでいた。
彼女が展開した多重魔法陣は、まるで幾千の星々が地上に降り立ったかのように、庭園を幻想的な瑠璃色に染め上げている。
執事の手から放たれた棘鞭が、まるで意思を持つ蛇のようにジェミの腕へ迫る。
だが――それより早く、白き閃光が走った。
「にゃあぁぁっ!」
ティアの炎を纏った鋭い爪が、空中で鞭を鮮やかに切り裂く。
同時に、翠が展開した分厚いバブルの盾が、ジェミの全身を死角なく包み込んだ。
透明な水の膜越しに見る世界は、歪んで、どこか遠い。護られているという安堵感以上に、ジェミの胸を焼いたのは、れなが創り出した「神域」に足を踏み入れることさえ許されない、己の無力さへの焦燥だった。
瑠璃色の光に包まれて微笑むれなは、もはや彼の手の届く場所にいる妹という存在ではなく、世界の理を書き換える若き女王のように見えた。
「兄ちゃん! 兄ちゃんは攻撃しちゃダメよ! 大人しく守られててね!」
「なっ!? 万が一、突破されたときはどうする!」
「あ~、その時は、執事とやり合っちゃえば?」
「お前! 軽く言いすぎだ!!」
「大丈夫~♪ ウチの執事、強いから、兄ちゃん本気ださないとだよ~!」
「な、なんだとっ!? れなっ!?」
「お喋りはそのくらいにしておいた方が……よろしいかとっ!」
いきなり背後に立った執事。今度はレイピアでジェミを貫こうとする。
しかし、エルピーが降らせた無数のタングステンの羽根が、金属音を響かせて雨のように降り注ぎ、それを弾いた。
「ほう、小鳥のくせに、やりますね。タングステンですか……ならば……」
執事が飛び込もうとしたところへ、ティアの爪が襲い掛かる。
その背後から、エルピーの羽根が再び降り注ぐ。
そこに、翠が全方位から水の散弾丸を連射する。重い水圧が、庭に弾ける音を響かせた。
「なんの、これしき。
おまえたちは、お嬢さまの足元には、まだまだ及びませんね」
「なんだと!? ……れなは、もっと強いというのか」
執事はピタリと動きを止め、ふっと口角を上げた。
「おや、ジェミさま、ご存知ありませんでしたか?
私は今まで一度も、お嬢さまに勝てたことがございませんが……」
「……は!?」
「私が魔界に戻れないのは、お嬢さまに負け続けているからでございます。
まぁ、それに甘んじているところは、否めませんが……フフッ」
「ん? そうだっけ? まだ一度も勝ってなかったんだっけ?」
執事は楽しげに目を細め、れなを恭しく見つめた。
模擬戦闘の後、三騎士たちが、初めて片言を話し始めた。
「れなサマ……爪とぎ、欲しいにゃっ!」
「ピピっ! タングステンより、きっとミスリルの方が軽いッピ!」
「バブルの盾……中の空気はどのくらい持つのだろうか……キュイ……」
「あらあ! あなたたち、もう話せるようになってきたのっ!?」
「……なに!? 三匹とも、知恵のパラメータが1500を突破している!?」
「え、さっき5だったよね?」
「さようでございます」
ティアの喉から漏れるゴロゴロという音に、知性の律動が混じる。
それは、混沌としていた意識の海に、一筋の理が差し込んだ瞬間だった。
獣の純粋な瞳の奥に、深淵のような知性の灯がともる。
ただの魔力の塊が「個」としての自覚を得たその響きには、創造主であるれなへの盲目的な憧憬と、世界を理解しようとする貪欲な意思が、重厚な和音となって混じり合っていた。
「……実地訓練、こわっ! すごっ!!」
「実地訓練ほど、能力開花にちょうどよい訓練はございません」
その時、玄関先の方から、明るく呑気な声が聞こえてきた。
一瞬で、翠のバブルの盾が弾ける。その瞬間、初夏のスコールのように、庭先に水が舞う。それはキラキラと昼間の光に照らされて、虹を創り出した。
張り詰め、研ぎ澄まされていた魔力の糸が、その朗らかな声ひとつでぷつりと途切れた。虹の飛沫が、戦いの余韻を優しく洗い流していく。
先ほどまで死線を彷徨っていたはずの庭園は、今やただの「騒がしい我が家の風景」へと引き戻されていた。圧倒的な日常という名の暴力が、神秘のベールを剥ぎ取り、世界を再びありふれた、けれど愛おしい色彩で塗り潰していく。
「れ~な~ちゃ~~ん!
これからお友だちと温泉行くから、ちょっと寄ってみたわ~♪
あんたも、一緒に行く~?」
その声は、どんな強力な結界も、どんなに鋭い殺気も、まるでオモチャの壁であるかのように軽々と踏み越えてきた。
お母さんが纏う空気は、焼きたてのパンのような、あるいは干したての布団のような、抗いようのない「生」の匂いに満ちている。
魔法という幻想は、この圧倒的な現実感の前では、ただの子供の火遊びに過ぎないのだと思い知らされるようだった。
「……おっ、お母さんっ!?」
「あらあら! お庭が水浸しやん!? 水遊びにはちょっと早いんちゃう?」
……あっ、ヤバっ!!
そう思って、慌てて振り向く。
――しかし、
ティアはテーブルの上で寝そべり、エルピーは執事の肩に留まって羽繕いしている。
翠は、クリスタルの置物のようになり、ジェミの手のひらに収まっている。
ジェミは無言で、それを乗せたまま固まっていた。
先ほどまで感じていた魔道の深淵も、れなへの焦燥も、母の放つ圧倒的な「生活感」の前では霧散してしまった。
彼はただ、手の中の翠の冷たさだけを頼りに、現実を繋ぎ止めている。
「あら……こちらの方は? れなちゃんの彼氏さんっ!?」
母がジェミを見て、目をキラキラさせた。
三騎士、起動直後からいきなり実地訓練です。
ティア、エルピー、翠。
それぞれ小さな姿ではありますが、どうやら能力の伸びしろはかなり大きいようです。
そして、れなの家では、戦闘訓練も日本語教育の一環になるらしいです。
教育方針が少々、魔界寄りですね。
さらに最後には、まさかの母、登場。
空飛ぶイルカも、魔法の模擬戦も、ひとまず隠せた……はずなのですが。
次回、
母の目に映ったジェミは、いったい何者なのか。
そして、れなはこの状況を、どう説明するのでしょうか。
次は、6月 7日(土)21:30 明日引き続いて公開です。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。




