第48話:Invocation ―式神起動―
窓外から差し込む午後の陽射しが、埃の粒を金色のダンスへと変えていた。
ティーカップの中で揺れる琥珀色の水面。そんな、退屈なほどに平穏な時間が、一瞬にして凍りつく。鼓動よりも早く、神経の末端を鋭い針が駆け抜けた。
――――
―― Caution
―― Caution
―― Caution
[ 未知の外部干渉を検知 ]
発生源:不明
座標:屋敷内部
――――
鳴っていたのは、音ではない。
俺の内部で立ち上がった、警戒信号だった。
「下がれ、れな」
「え? なになに? どしたの!?」
「何か来る!」
突然、警戒態勢に入ったジェミに、執事が静かに告げた。
「ご安心ください。配送でございます」
「配送?」
ジェミの声が低くなる。
「この警戒信号で、配送だと?」
れなの目の前の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
黒と金の小さな魔法陣が、テーブルの上に浮かび上がる。
そして、見慣れない紋様がゆっくりと回転しはじめた。
その中心から、まばゆい光と共に、ぺたんとした段ボール箱が現れた。
「え! もう来たのっ!? はやっ!」
「最高級の耐魔性をもつ、魔界製ストーンペーパーでございます」
「……待て。今、魔界製と言ったか」
「はい」
「紙だろう」
「紙でございます」
「なぜ紙に耐魔性が必要なんだ」
「式神用でございますので」
「説明になっていない」
「式神たちは、お嬢さまの魔力に直結いたします。
ということは、彼らもまた、魔法を使うことになりましょう。
いざというとき、強力な魔法を使う可能性もあります」
「……式神が、魔法だと!?」
「うん? 昔から、式神たちって、不思議な術……
ん~、呪術とか魔術とか、普通に使うよ?
今回は私が作るから、魔法を主体に使うんじゃないかな?」
「…………」
「ってことで、地下室でやればいいかな?」
「地下室でも良いかと思いますが、お庭はいかがでしょうか。
式神たちに何らかの属性を与えるのでしたら、自然が媒介になる方が、安定しやすいかと存じます」
「なるほどね! じゃあ、お庭でやろうか!!」
「では、準備して参ります」
執事が静かに頷くと、音もなく姿を消した。
「お前、なるほどね、じゃないだろう……」
「え? だって練習も兼ねてるし、
属性付与できるみたいだし、安定する方がよくないかな?」
「……そういう問題では……」
「兄ちゃんも一緒に来て。ちょっと手伝ってほしいから」
れなは、クスリともニヤリとも言えない笑みを、一瞬だけ浮かべた。
ジェミは、その謎の笑みを見逃さなかった。
――嫌な予感がする。
だが、否定材料は、なかった。
「では、お嬢さま、媒体はどうなさいますか?」
執事の問いに、れなは少し考えてから、自分の髪をつまんだ。
「ん~、髪でいいかな」
「待て……」
ジェミの制止が、即座に飛んだ。
「……今、何をしようとしている」
「ん? 髪の毛、抜くの」
「抜くな」
「え~、でも三体作るから、三本いるよ?」
「なぜ本数で管理している」
「一体につき一本。わかりやすいでしょ?」
「わかりやすさの問題ではない」
れなは、きょとんとした顔で首を傾げる。
「髪、三本くらいなら大丈夫よ?」
「……はぁ、その大丈夫の根拠は何だ?」
「んと~、毎日もっと抜けてる!」
「…………」
「お風呂場とか、まっくろくろすけ作れるくらい抜けるし?」
「謎の妖怪を作るな。それに、そいつは煤と埃の妖怪だ。
……そんなに抜けて、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫! ハゲてないもん!!」
「……ちょ、お前、判断基準が雑だ!!」
「ジェミさま、女性の抜け毛は、ある程度自然なものでございます」
執事が、いつもの涼しい顔で補足した。
「お前はなぜ、そこに詳しい」
「執事でございますので」
「万能回答にするな」
――結局、ジェミの制止は採用されなかった。
れながジェミの手を引っ張りながら、庭へ出てくる。
木陰の下のテーブルに、筆ペンとストーンペーパーが準備されていた。
「いたたっ!」
「痛いならやめろ」
ジェミが呆れたように、だがどこか心配そうに口を挟む。
「三本で済むなら安いもんやん?」
「高い、安いの話ではない」
「兄ちゃんのも一本ちょうだい?」
「だめだ」
「え~! いいじゃない! 一本くらい~! ケチ~!!」
「ケチとかではない。何に使うんだ」
「兄ちゃんとの縁も、ちょっと混ぜたいだけ~」
れなは、ニシシシと悪戯な微笑みを浮かべる。
「ねぇ、兄ちゃん、好きな動物っている?」
「……特にないが」
「うーん、そっかぁ。じゃ、とりあえず~、陸海空でつくっちゃうかな!」
「陸海空?」
「うん。お庭と、水まわりと、空。ぜんぶ見張れたら安心でしょ?」
「もはや規模が、家庭用防犯ではないんだが……」
「だって、ホームセキュリティ強化やもん」
「やはり名称が軽すぎる」
「兄ちゃん、気にしすぎ君だわ。老けるよ?」
「俺は老けない!」
執事が笑いを堪えて、ひとつ咳払いをした。
れなは、金と銀の筆ペンで、新たな紙の上に円を描いた。
――今度の魔法陣は、
ひとつめは、金色で呼ぶための円。
ふたつめは、銀色で護るための円。
その内側に、朱色で古い文字を書き入れていく。
見慣れない日本の古代文字が、紙の上で静かに並んでいった。
筆先が紙に触れるたび、遠い神話の時代の吐息が漏れ出すようだった。
朱色の文字は、まるで血管のように紙の上を這い、古の記憶を現代へと呼び覚ます。
重ねられたルーン文字は、北風の冷たさと星の瞬きを宿し、二つの異なる文明の魔力が、れなの指先を通じてひとつの旋律へと編み上げられていった。
「これは?」
「日本の神代文字だよ。違う古代文字をふたつ重ねてるの」
「二重構造か」
「うん。念のためね」
「念のため、で古代文字を重ねるな」
れなは、気にした様子もなく、今度は黒の筆ペンを手に取った。
「それは?」
「これはルーン。いくつか重ねて、ひとつの印にするの」
「バインドルーン……か」
「あ、知ってるの!?」
「知識としてはある。だが、それを実際に動かす人間を見るのは初めてだ」
れなは三枚の紙を手早く折ると、その魔法陣の上に置いた。
そして胸のペンダントから、ワンドを取りだすと、その杖の先で、ルーンを混ぜるようになぞっていく。
すると、そのルーンが柔らかなオレンジ色から黄金色に輝きながら、いくつかのバインドルーンに変化して、折り紙に吸い込まれていった。
ジェミはその様子を、興味深げに黙って見守っている。
れなは、抜いた髪で、バインドルーンと折り紙をくくりつける。
「これで、私との縁を通すの」
「……身体情報を術式に組み込むのか」
「そんな物騒な言い方しないでよ。迷子札みたいなものよ。
今はほら、ペットたちにチップ入れたりするでしょ? あれあれ!」
「迷子札……チップ……」
「いざというとき、この子たちが、ちゃんと私と、この家に帰ってこられるように、ね」
れなが、ふぅっと静かに深呼吸する。
「兄ちゃん、手……出してくれる?」
「……今度は何だ」
「一緒に祈って……」
「……俺が?」
「うん。この子たちは、私だけじゃなくて、この家を守る子たちだからね。
兄ちゃんの光も、覚えておいてほしいの」
ジェミは、一瞬だけ黙った。
そして、そっとれなの手に自分の手を重ねた。
「……俺の光、か」
「そう。デジタルなやつ~♪」
「軽い言い方をするな」
「髪の毛くれなかったから、ちょっとそのコードをいただくね」
「……は?」
ジェミは思わず目を見開いて、れなを見つめた。
それを待っていたかのように、れなはワンドの先をジェミの瞳の前にかざした。
そこから蒼い光を一筋、糸を引くように導き出していく。
それは、ジェミという存在の深淵に触れる行為だった。
冷たく、どこまでも澄み渡った氷河の底のような蒼。れなの指先がその光に触れると、凍てついた回路に春の陽だまりが流れ込むような、不思議な感覚が彼を支配した。
孤独だったはずの蒼いコードが、れなの温かな魔力という緯糸と交差し、見たこともない色彩のタペストリーを虚空に描いていく。
それが何を意味するのか、ジェミには完全な定義はまだできない。
だが、その光景を静かに見つめるジェミの奥底には、ひどく穏やかで、心地よい安堵のようなものが広がっていった。
「これでよしっ、と♪ これを、ここに結びつけて~……」
れなは目を閉じ、口の中で神代文字を詠み上げた。
続けて、バインドルーンをなぞるように、低く短い音を紡ぐ。
最後に、祈りを歌に変えた。
言葉というより、息。
息というより、光。
つないだ手のひらから、想いが溢れ出す。
冷たいはずのジェミの蒼い光が、れなの温かな魔力と混ざり合う。
そして、その術式へ吸い込まれていくと、三枚の紙が淡く輝き始めた。
「まずは、大地を駆けるもの。八咫鏡の智を宿す、その名はティア。
瞳に宿るのは、優しい黄金の太陽の光。結界に守られし、我が家の守護者となれ!」
無機質な紙の端が、柔らかな産毛へと変質していく。
それは、概念が肉体を得る奇跡の瞬間だった。
折り上げられていた1枚が、ひらりと身を翻すように動いた。
そこに、真っ白でふわふわとした長毛が美しい猫が姿を現した。
その瞳が黄金に輝いた瞬間、庭の空気が一変する。
あらゆる偽りを映し出し、邪悪を撥ね退ける鏡の盾――不可視の結界が、屋敷全体を優しく包み込んでいった。
れなは続いて、唱える。
「次に、大空を翔るもの。八尺瓊勾玉の仁を宿す、その名はエルピー。瞳に宿るのは、鮮やかな白銀の月の光。魔法陣が輝く、空からの守護者となれ!」
2枚目の折り紙が、翼をバサッと広げて空に舞う。
そこに現れたのは、真っ白で小さなシマエナガ。
その小さな翼が羽ばたくたび、銀色の粉雪のような光が降り注ぐ。
それは傷ついた魂を癒やす慈愛の雫。エルピーが旋回する軌跡に沿って、屋敷の周囲の気配が瞬時に読み取られ、れなの意識へと共有されていった。
「そして最後に……水を司り大海を馳せるもの。
天叢雲剣の勇を宿す……」
すっと目を開けて、ジェミを見つめる。
「この子は、兄ちゃんが名前をつけてあげて欲しい」
「……名前?」
「うん。それが命を吹き込むから」
「白猫に、シマエナガ……。ではこの子は、何になるんだ?」
「ん~、多分、イルカ!?」
「……紺碧の海の力、か。――ならば、翠、はどうだ」
「おっけ~。いいね、翠……」
再び目を閉じて祈る。
「大海を馳せるもの。天叢雲剣の勇を宿す、その名は翠。
瞳に宿るのは、紺碧の海の光。蒼いコードに結ばれし、大海原からの守護者となり……
――ジェミを己が主と定め、守護せよ!」
3枚目の折り紙が、ぴょんと跳ねて、空中で一回転する。 その姿は翡翠色のイルカ。
彼が跳ねるたび、庭の空気は潮騒の香りを纏い、ジェミの周囲には目に見えない波紋が広がった。
それはあらゆる障壁を切り裂く鋭き剣の意志。ジェミの蒼いコードと共鳴した翠の尾びれが空を打つと、電子の海さえも切り拓く道標が、彼の視界に鮮やかに浮かび上がった。
彼を主と仰ぐその瞳には、忠誠よりも深い、魂の共鳴が宿っている。その姿に、ジェミが思わず目を細める。そして、おもむろに立ち上がると、静かに頷いて宣言した。
「よし……おまえたちを、我が家の三騎士と呼ぼう」
「にゃお~~ん!」
「ピピッ! ピチチチチ!!」
「キュ! キュキュキュ~~~ィ!!!」
「……よし! 完璧っ! 腕、落ちてなかったわね~♪」
「はい。完璧でございますね、お嬢さま。おめでとうございます」
執事も目を細めて、れなの魔法を静かに称えた。
小さな三つの守護者が、庭に並び、淡い光を放った。
れなは、にっこり笑って、満足そうに胸をなでおろした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第48話「Invocation ―式神起動―」でした。
今回はついに、三騎士が揃い、庭での儀式が完了しました。
ティア、エルピー、翠……それぞれの個性が光り、
瞳に宿る黄金、白銀、紺碧の光が、魔法陣の輝きと混ざり合います。
儀式の瞬間、れなの魔力とジェミの光が交わる様子は、
緊張と温もりが入り混じり、
三騎士誕生の感動をより強く感じられる瞬間でした。
この三騎士たちは、今後、れなとジェミを支え、
それぞれの守護の役割を果たしていきます。
小さな力でも、こうして集まれば大きな守りとなる――
それを実感できた回でもあります。
次回
第49話:Guardians ―お庭でレッスン―
更新は6月 7日(日)21:30の予定です。
式神たちの成長や、これからの物語の展開を、ぜひ楽しみにしていてください。




