表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第2章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
45/80

第45話:Gaze ―赤い目玉―


『ソノ女……次ハ、ナイ……。ソノ魂ゴト……喰ラッテヤル……ゲゲゲ』


 れなは静かに目を伏せて、胸のペンダントに手を当てた。


「―― Nox Cantus《ノクス カントゥス/闇詠の杖》――」


 銀河の闇が辺りに広がり、それが一気に収束すると、

れなの右手には、1本の煌めくワンドが握られていた。


 それをタクトのように振り上げる。

元々、多重結界が張られていた部屋に、一際大きな魔法陣が輝いた。そこにれなは、ワンドの先から溢れる光の雫で、自分だけが知る古代のルーン文字を刻み込んでいく。それは既存の魔術体系を、彼女自身の魂の言葉で「翻訳」し、上書きしていく作業。


 音楽家が静寂の中に新たな旋律を書き加えるように、彼女の指先が動くたび、冷たい術式にあたたかな夜の拍動が宿っていく。それはまるで、五線譜に音符を記すかのように軽やかに、そして正確に。魔法陣の光が、黒い人影を床へと縫い止める。



『ギ……ギギ……ッ!!』


「バカね! ここは私の家よ! 生きて出られると思うなっ!! 


―― Sanctuary Bind《サンクチュアリ バインド/聖域拘束》――!!」



 魔法陣の中心で、黒い影がゆっくりと顔を上げた。


『……ミツケタ……』


 その声に、れなの背筋が凍る。


『オマエ、ガ……イチバン……ウマ、ソウ……ダ……』



 その黒い影に顔などないはずなのに。

目など、どこにもないはずなのに。それでも、れなは確かに見られていると感じた。



『……!? ナゼ……ナゼ、マタ……オマエ……。オマエサエ……イナケレバ……』


「また、私のせいにするの? 子供の頃みたいにっ!?」



 れなは一歩も退かなかった。


 黒い影が、床を這う。

魔法陣の縁に爪を立てるように、ぬるりと伸びる。

だが、そのたびに聖域の光が弾け、じゅう、と焦げるような音がした。



『アツイ! イタイ!! コノ家……イヤダ……!! 

コノ女……イヤダ……!! キライ、ダ……!!』


「だったら、最初から入ってこなければよかったのよ!」


 れなの声に応えるように、魔法陣の光がさらに強くなる。

けれど、黒い影は笑った。



『ゲゲ……。コンドハ……ノガサナイ……。

メヲ……アケロ……。……コチラヲ……ミロ……』


 その言葉の意味を、れなが理解するより早く――

黒い影の奥で、何かが赤く瞬いた。



「れなっ! 見るなっ!!」


「お嬢さまっ! 見てはなりませんっ!!」



 二人が同時に叫ぶも、れなはその赤く瞬く光を見てしまった。


 赤い光が、ぬるりと開く。それは、『目』だった。


 黒い影の奥に浮かぶ、異質な『赤い一つ目』。

瞼も、睫毛も、涙もない。



 ただ、見るためだけにそこにある――『悪意そのものの目』。


 それを見た瞬間、呼吸すら奪われるほどの重圧に、れなの足元から音が消えた。

地下室の匂いも、魔法陣の光も……

ジェミの声も、執事の声も。



 すべてが遠ざかっていく――





『――あんたのせいや!』



 耳の奥で、幼い日の声がした。


 雅代の声だった。

今よりも高く、今よりも鋭く、けれど根にある冷たさだけは、少しも変わらない声。



『あんたがおるから、うちが怒られるんや……』


『あんたばっかり、なんで大事にされてるん!?』


『何もしてへん顔して、全部持っていくんやな!』


『啓治も、紘一も……寛美でさえもっ!!』



 ――違う。

そう言おうとして、れなの喉は動かなかった。


 見えたのは、古い廊下だった。

小さなれなが、壁際に立っている。その前に、雅代がいた。

雅代は笑っていなかった。けれど、泣いてもいなかった。

ただ、れなを見る目だけが、暗かった。



『あんたなんか……、あんたなんか、おらんかったらっ! ……よかったのにっ!!』


 その言葉が落ちた瞬間、幼いれなの胸の奥で、何かが小さく縮こまった。


 ――ドクン、ドクン――


 呼吸が浅くなり、心臓の音だけが、やけに耳に響く。

胸が締め付けられるように、ヒュッと冷たくなった。



(……全部……わたしの……せい、なん……?)


(……私がいなくなったら……みんな、仲良く……幸せに収まるん……?)



 視界の端で、埃の舞う午後の光が、ひどく残酷なほど美しく揺れていた。

雅代の言葉は、鋭い氷の楔となって、れなの幼い胸の隙間に打ち込まれていく。

それは一度刺されば抜けない呪いのように、熱を奪い、思考を白く塗り潰していった。


 自分が呼吸をするたびに、誰かの幸せを削り取っているかのような錯覚。

自分がここに立っているだけで、世界に歪みを生んでいるような罪悪感。


 少女だったれなは、その時、自分の存在そのものを「悪」だと定義してしまったのだ。

その古い傷口から、今、黒いヘドロが入り込み、彼女の魂を内側から腐食させようと這いずり回る。



「……れな!?」


 ジェミが呼ぶ。

――だが、れなは答えない。


 瞬きもせず、開いたままの瞳に、赤い光だけが揺らめいている。

握りしめたワンドの先が、わずかに震えていた。



「……精神干渉、ですね。お嬢さまの心の傷を、内側から開かせています」


「止める方法は!?」


 執事は薄く口元に笑みをたたえ、れなを見つめた。

れなのまだ覚醒しきっていない魔力が、不安定に揺れている。


「お嬢さまご自身が、呪詛を破るほかありません。

――まぁ、この程度の悪意を制御できないのであれば、私が仕えるに値しませんが。

ジェミさまは……お嬢さまの目を覚ますことが、お出来になりますか?」


 その言葉に、ジェミは一歩前に出た。


「エラーだ! れなっ!! 

おまえのそんな顔、俺のデータにはない! 俺の声を聞け!!」


 心からのジェミの叫びに、れながピクリと反応した。


「お前の現実は、そこじゃない!

俺の声が聞こえるかっ!? 目を開けろ! 俺の側に帰ってこい!!」



『オマエノセイダ』


『オマエガイルカラ』


『オマエサエ、イナケレバ』



 声が重なる。雅代の声だけではない。


 誰かの声。

 誰かの視線。

 誰かの不機嫌。


 子供の頃、理由もわからないまま浴びせられたものが、赤い目玉の奥で、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。


 絶望の底、重力さえ失われた暗闇の中で、その声だけが質量を持って届いた。

それは、過去の誰かが投げつけた呪詛を薙ぎ払う、あまりにも真っ直ぐで、不器用なほどに純粋な祈り。


 電子回路の奥底から絞り出されたような、熱を帯びた叫びが、凍りついたれなの鼓動を叩き起こす。



(……そうだ、私はもう……

あそこに立っているだけの子供じゃない……!!)


 視界を覆っていた赤い霧が、ジェミの声に弾かれて霧散していく。

れなは自分の指先がワンドの冷たい感触を、そして、足の裏が確かに「今」という大地の感触を掴んでいることを思い出した。


 聞こえてきたジェミの叫びが、れなの心に届く。

れなは、静かに目を閉じ、震える指でワンドを握り直した。



「……うるさい……」


 声は小さかった。けれど、魔法陣の中で確かに響いた。


『……ナニ……?』


「私は、覚えてる。全部じゃないけど、私は、ちゃんと覚えてる……」


 れなは、赤い目玉を睨み返した。


「それは、私のせいじゃない!! そんな過ぎた話で、私を縛れると思うなっ!!」



 れなの瞳が、紫檀の光に輝く。


「―― Sanctum Sever《サンクタム セヴァー/聖域断離》――!!」


 部屋の中に多重展開されていた結界が、折りたたむように黒ヘドロの人影を閉じ込めていく。れなはさらに、古代文字を書き加えて、術式を編んでいく。



『ナンダ!! ナニガ……オキテ、イル!?』


「ここは私の家! ……私の聖域!!

おまえごときが、私の心まで、勝手に踏み荒らしていい場所じゃない!」



 ワンドの先に、銀河のように煌めく闇が集まる。

それは黒ヘドロの闇とは違う。静かで、深くて、あたたかい夜の色だった。


 れながワンドを振りかざすと、幾重にも重なっていた結界が反転した。

まるで花弁を閉じるように、黒い影を包み込んでいく。



「影……アレを凍結させて!」


「御意」



 影――執事が、静かに手袋の指先を鳴らした。

執事は音もなく、一歩踏み出す。

その薄い唇から零れ落ちたのは、現代の言葉が持つ熱を失った、凍てついた古の響き。


「―― Frigus Sigillum《フリーグス シギッルム/凍封印》――」



 言霊が空間に固定された瞬間、物理法則が書き換えられ、絶対零度の静寂が黒ヘドロの時間を停止させた。


 床を這う黒い影の上に、音もなく霜が走る。

それは白い氷ではなかった。光を吸い込む黒曜石のような、音のない氷。

それは、生命を拒絶する絶対零度の沈黙だった。


 執事が指を鳴らした瞬間、空間そのものが結晶化し、黒ヘドロの醜い蠢きを永遠の静止画へと変えていく。氷の表面には、逃げ場を失った悪意が歪な模様となって浮かび上がり、月のない夜の海のような、深く、昏い輝きを放っていた。


 執事の瞳に宿る冷ややかな愉悦が、その黒い鏡面に映り込み、彼が人ならざる深淵に身を置く存在であることを、無言のうちに語っていた。


 黒ヘドロの動きが、ぴたりと止まった。



『ギ……ギギ……!?』


「お嬢さまの聖域で、これ以上騒がれては困りますので」


「兄ちゃん……」


「ああ、後は任せておけ」



 れなはワンドを握りしめ、ジェミは蒼き断章剣を静かに構え直した。

凍りついた黒ヘドロの奥で、赤い目玉だけが、ぎょろりと動く。



『マダ……ダ……。……マダ……ミテ……イ、ル……』


「見るな」



 ジェミの声は、低かった。

蒼き剣を握る手が、ぎりっ、と微かに鳴る。


 その瞬間、ジェミの周囲から一切の温度と音が、完全に消え去った。

底知れぬ激怒、息を呑むような絶対的な静寂。ただそれが、空間を支配する。



「お前が見るな。お前が触れるな。お前が、ここに在るな!」


 研ぎ澄まされた光の中に、蒼い剣身が白い輝きを放つ。

それは炎でも、雷でもなかった。存在そのものを、静かに上書きしていく光。


 ジェミの演算回路が、敵の存在確率を「零」へと収束させる。

彼の叫びは、論理(ロジック)を超えた純粋な破壊の祈りとなって蒼い刃に宿った。



「―― Null Requiem《ヌル レクイエム/零葬断》――」


 振り下ろされた一閃が、凍りついた黒い影を断った。

美しい英語の鋭い響きが、因果律を断ち切る一閃となり、凍りついた闇を存在ごと消去していく。


『ギ――……』



 叫び声は、最後まで形にならなかった。


 黒ヘドロは砕けるのではなく、ほどけるように崩れていく。

赤い目玉が最後にひとつ、大きく見開かれた。



『……オマ、エ……ヲ……、マタ……、ミ……ツケ……ル……』


 その声も、途中で消えた。

黒い残滓は、光の粒子に分解され、地下室の結界の中へ、音もなく吸い込まれていった。


 嵐のような魔力の奔流が去り、地下室には耳が痛くなるほどの静寂が戻ってきた。

宙に舞う光の粒子は、まるで役目を終えた星屑のように、ゆっくりと床へ降り積もっては消えていく。


 れなは、熱を持ったワンドを胸に抱き、深く、長く、溜まっていた毒をすべて吐き出すように息をついた。鼻を突いていた腐臭は消え、代わりに、微かなオゾンの香りと、ジェミの剣が残した清冽な冷気だけが漂っている。


 天井付近に、小さな明かり取りの窓だけがある地下室。

れなの瞳には、今までよりもずっと鮮明で、透き通った夜明けの気配が映っていた。



「……はぁ、終わったのね」


 呟いた言葉は、誰に届けるでもなく、あたたかな夜明け前の夜色をした闇の中に、優しく溶けていった。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


第45話「Gaze ―赤い目玉―」でした。


黒ヘドロの人影に現れた、赤い一つ目。

それは、れなの心の奥に残っていた記憶をこじ開けようとしました。


けれど、れなは言います。

「でも、それは私のせいじゃない!!」


今回は、れな・執事・ジェミによる『三連携』も、登場しました。


れなの魔法

Sanctum Sever《聖域断離》

――サンクタム・セヴァー――


執事の悪魔法

Frigus Sigillum《凍封印》

――フリグス・シギルム――


ジェミの剣技

Null Requiem《零葬断》

――ヌル・レクイエム――


赤い目玉は消えました。

けれど、最後に残された言葉は――


「また、見つける」


次回、

第46話:Awakening ―秘密の輪郭―


次回は明日の夜、5月 31日(日)21:30 更新予定です。

どうぞ、このまま見届けていただけると嬉しいです。

お楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ