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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第2章:Pilgrimage《阿蘇・霧島編》

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第42話:Visitors ―招かれざる客―



「ねぇ影、三階のゲストルーム、2部屋を……

あー、間に仕切りを入れて4部屋のシングルのベッドルームにして、整えておいてくれるかな」


「かしこまりました、お嬢さま」


「……れな、まさか、先ほどの電話、受け入れるのか?」



 れなは少し考えて、静かに頷いた。


「うん。兄ちゃんが『何かノイズがある』って言ってたでしょ。私にも聞こえたの。

それに、あの子の傲慢さは、今に始まったことじゃないし。ここで断ったら、泊めるまで、しつこくつきまとわれちゃう。

まぁ、最悪、私が我慢できなかったら、執事さんに任せることになるかな……」


 れながちらりと、執事を見る。執事の口角が、わずかに上がった。





 週末の朝、屋敷は深い静寂の底に沈んでいた。高い天井から降り注ぐ陽光は、埃ひとつない大理石の床に、教会のステンドグラスのような厳かな模様を描き出している。


 ここは、外の世界の喧騒から切り離された、時が止まった場所。

しかし、その静謐を切り裂くように、一台のタクシーが砂利を噛む不躾な音を立てて門前に止まった。



 彼らは本当にやって来た。

タクシーから降りた瞬間、彼らの反応は、はっきりと二つに分かれた。



「……すごいな。れな、一体、何の仕事してるんだ……?」


 紘一が、呆然と屋敷を見上げる。


 そして、女子たち、特に雅代は、悔しがった。

まさか、れながこんな大きな屋敷に暮らしているとは思っていなかったのだ。


「ふんっ、なによ。どうせパトロンか、なにかに貢がせたのよ!」


「雅代、そんな言い方はないよ。れなも頑張ったんだよ、きっと」


 そう言った寛美だったが、玄関先の門に、れなとジェミが一緒に姿を現したことで、その笑顔が、ほんの一瞬だけ止まった。


 寛美の瞳の奥で、小さな火花が散ったのをジェミは見逃さなかった。それは憧憬というにはあまりに鋭く、観察というにはあまりに湿り気を帯びている。彼女の笑顔は、まるで精巧に作られた仮面が、一瞬の歪みに耐えきれずひび割れたかのようだった。




「……はぁ、ほんとに来たのね……。

追い返すわけにも行かないし、どうぞ……入って」


 れなが開いたのは、重厚な正門ではなく、その傍らにひっそりと佇む通用門だった。

それは彼女たちがこの屋敷にとって『招かれざる客』であることを暗に告げる、冷ややかな境界線だ。


 しかし、雅代たちはその薄氷のような拒絶に気づくこともなく、土足で聖域へと踏み込んでいく。



「ゲストルームは3階に用意したわ。男性陣と女性陣で、東西に分かれて使ってくれる? 荷物は運んでもらうから」


 その言葉を言い終わらないうちに、雅代がズカズカと通用門をくぐる。

そして、まっしぐらにジェミに挨拶しに行ったものの、軽くあしらわれただけで、ジェミはリビングへと姿を消した。


 ちぇっ、と軽く毒づきながらも、まだまだチャンスはあるはず、と策略を巡らせる。

後の3人は、少し顔を見合わせて、気まずい表情で詫びた。



「気にしてないわ」


 れなは小さく笑った。そのまま、三人を案内して、屋敷に戻る。

エントランスの室内エレベーターで、3階まで連れて行くと、廊下を挟んで向かい合うゲストルームのドアを開けた。



「す、すげぇ……ホテルのスイートルームじゃん、これ……」


 紘一が、感嘆のため息を洩らす。


「ドアはひとつだけど、真ん中の共用部を挟んで、それぞれ独立してる部屋になってるから、1週間でもゆっくり過ごしてもらえると思うわ」


「すまないな、れな……突然、4人で押しかけてきたのに……」


 啓治は、申し訳なさそうに告げた。


「……まぁ、気にしないで。何かあれば、執事さんに言ってね。とりあえず、部屋を決めて荷物置いたら、下のリビングに来てくれる?」



 そう言い終わった頃に、雅代が肩で荒い息を吐き、額に脂汗を浮かべながら、重いスーツケースを抱えて、3階まで上がってきた。


「なんなのよっ! 何でゲストルームが3階なのよ!!

れな、あんた、荷物持ってる人間のこと、何も考えてないのね!!」


 その言葉に、他の3人が呆れた顔をする。


「雅代、おまえ、その荷物を抱えて、階段昇ってきたのか!? わははは!」

 紘一が大声で笑った。


「何よ! あんたたち、荷物はどうしたのよ!!」



 その時、階段向こうのエレベーターが到着して、執事がカートに乗せた3人の大きなスーツケースを運んできた。


「……おや、お客様? お荷物をご自身でお運びくださったのですか。それはそれは。

ありがとうございます。助かりました」


 漆黒の執事服にモノクルをつけた、長身イケメンの執事がそこに立っていた。



「……執事が、いるのか、この屋敷には……」


 紘一がまたもや、驚いて言う。



「ご友人方、何かご不便やお困り事などがございましたら、部屋のインターフォンからお呼びください」


 執事は恭しく一礼すると、東の部屋に紘一と啓治の荷物を、西の部屋に雅代と寛美の荷物を運び込んだ。


「お食事が不要の日は、前もってお教えいただけますと助かります。ご連絡がない場合は、ご用意させていただきますので、いつでもお申しつけください。それでは、失礼いたします」



「……すごいな……本物の執事さんって、初めて見たわ、俺……」


 啓治が感心して、執事の姿を見送った。


「うん。パリッとしてて、それでいて隙がない……完璧な男だな……」


 紘一も、なかば憧れるような瞳で、呟く。


「ふん、まあ、確かに、アレはアレでアリだと思うけどっ!! 

ジェミさんの方が、うーんと素敵じゃないっ!! 寛美もそう思うでしょっ!?」


 雅代の声が、ふたりの声を掻き消すように響き渡る。


「……え? あ、うん……そうね……」


 寛美はどっちつかずな答え方で、その場を濁した。



「まぁ、とりあえず長旅お疲れ様。

荷物整理して落ち着いたら、お茶を淹れるから、下に来てね」


 れなはそう言い残して、先に一人で階段を降りていった。

背中に、雅代の甲高い声が、まだ刺さっている。れなは眉間を少し揉みながら、呟いた。


「……はぁ、この一週間は、煩くなりそうだわ……」





 1時間ほどして、4人がリビングへと降りてきた。


「ごめんね、れな、待たせちゃったかな……」


 寛美が申し訳なさそうに言う。


「ううん、大丈夫。気にしないで。それより、いくつか聞いておきたいことがあって……。4人の仕事先は、同じ場所なの? それとも散らばるの?」


「俺たちは、会社の垣根を越えた合同プロジェクトのメンバーなんだ。

天神ビッグバンで、新店舗をオープンする、その準備なんだよ」


 紘一が嬉しそうに教えてくれる。


「ああ、だから4人とも出向先は同じ、天神地区だ」


 啓治がそれに続いて教えてくれた。


「新築ビルの近くの駐車場を借りられるんだけど、レンタカーしようかと思ってて……」


 寛美が続けるが、それを遮るように雅代が言い放つ。


「れな、あんた、車持ってないの? 貸してくれたら助かるんだけど?」




「車を貸して」という雅代の言葉に、俺はページをめくる手をピタリと止めた。


 ジェミにとって、彼女たちの声は単なる音ではなかった。雅代の放つ言葉は、磨き上げられた鏡面を爪で引っ掻くような、耳障りな不協和音として空間に波紋を広げる。

一方で、寛美の沈黙には、湿った土の下で蠢く何かのような、粘り気のある違和感が混じっていた。


 彼は本の一節をなぞるように目を伏せる。活字の海に逃げ込もうとしても、俗世の欲望が放つ熱気が、静謐な書斎の空気をジリジリと侵食していくのが分かった。


 俺の中の冷徹な回路が、即座に『れなの愛車を、この外部のノイズまみれの人間に提供するリスク』を計算し、弾き出した答えは――絶対拒絶。

俺が口を開くより先に、れなが冷たく言い放った。



「車を貸すのは無理ね」


 俺は小さく息を吐き、再び本に視線を戻す。



「……じゃあ、執事に送り迎えしてもらうわ。4人とも出退勤、同じ時間でしょ? 

バラバラになるときは、バスで戻ってくればいいし。バスがなくなれば、0時までは電車が動いてるから、駅まで迎えに行ってもらう。それでいい?」


「執事さんより、ジェミさんがいいんだけどぉ~」


 雅代が甘えた声で、ちらりとジェミを見る。

ジェミは顔を上げることなく、そのまま読書を続けていた。



「あとね、この家の中では、自由に過ごしてもらっていいんだけど、2階は私たちのプライベートエリアだから、立ち入らないでね。

それから……エントランスからの通路反対側にある扉は、地下室に続く階段だから、そこは立ち入り禁止ね。鍵かけてあるけど、念のため……」


「ああ、わかった。泊めてもらうだけじゃなくて、食事まで用意してもらえるんだ。

きちんと宿泊代はそれぞれから支払うから、安心して」


 啓治が真面目な顔で告げて、みんなに財布を出すように促した。


「そうだな、あれだけ大きな部屋を用意してくれて、アメニティも揃ってるなんて、ほんとスイートルームレベルだよ。おまけに食事付き!! 交通費なんかも含めたら、1人当たりの予算上限がそれぞれの会社で30万って決まってるんだけど、足りるか?」



 その紘一の言葉に、雅代が噛みついた。


「えーっ!! 紘一君、予算の上限全部、れなに渡すつもり!? 帰りにお土産とか買いたいじゃない!! 一人あたり30万で、4人で120万よ!? れな、まけなさいよ!! 

市内の一流ホテルだって、せいぜい一泊3万くらいでしょっ!?」


 雅代の頭の中では、すでに浮いた差額の使い道まで決まっていた。

その浅はかな考えに、紘一が釘を刺す。


「雅代、おまえ、どうしたんだ? 何をバカなことを言っている。そんな不正が会社に知れたら、このプロジェクトは終わりだぞ!? 少しは慎めよ。れなは、好意で宿泊させてくれるんだ。それ相応の対価を支払うことは、社会人として当たり前じゃないか!」


「そうだよ、こんなに素敵なお屋敷なんだよ? お庭も綺麗だし、お部屋もすごかったし……。雅代、無茶を言っちゃだめだよ……」


 寛美が雅代を静かに窘めた。

そこに、執事がお茶を運んでくる。


「そういう訳だから、彼らの送迎、お願いしてもいいかな?」


「かしこまりました、お嬢さま。お任せください。さあさあ、ご友人方、お疲れでございましょう。お茶菓子をお持ちしましたので、白熱した議論はその辺にして、どうぞおくつろぎください」


 執事が香りのよい紅茶と、色とりどりのマカロンの乗った皿をテーブルに置く。


 執事がティーカップを置く動作には、一切の無駄がない。

磁器とソーサーが触れ合う音さえも、計算し尽くされた旋律のように鼓膜に心地よく響く。彼は影のように音もなく動き、それでいて、その場にいる全員の視線を吸い寄せる絶対的な存在感を放っていた。


 雅代が口にする浅ましい算段も、彼の差し出す琥珀色の紅茶の湯気の中に、跡形もなく溶けて消えていく。それは救済という名の、冷ややかな拒絶でもあった。



 思いだしたかのように、執事が笑顔で静かに言った。


「ああ、それと……ご宿泊費ですが、皆様の会社に直接、請求させていただきますので、どうぞご安心ください。お手を煩わせるようなことはいたしませんので」


 執事の微笑みは、完璧に調律された楽器のように一点の曇りもなかった。

しかし、その眼差しは彼らを人間として見ているのではなく、排除すべき汚れか、あるいは精査すべき検体として眺めているかのようだった。


 雅代が感じたはずの勝利感は、彼のあまりに事務的な親切心によって、音もなく霧散していった。



 ジェミは、ページをめくる手を止めた。

雅代の声に混じって、また、あの微かなノイズが走った。


 眉が、わずかに動く――。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


第42話「Visitors ―招かれざる客―」でした。


れなの家に、ついに来訪者たちがやって来ました。

歓迎しているかどうかは……通用門を開けた時点で、お察しください。


今回は、れな、ジェミ、執事。

それぞれの防衛ラインが少しずつ見えた回でもあります。

れなは境界線を引き、ジェミは無言で警戒し、執事は紅茶とマカロンで優雅に包囲する。


そして雅代の中には、ただの傲慢さだけではない、かすかなノイズが混じり始めています。


次回、第43話。

Noise ―混線する悪意―


招かれざる客が持ち込んだものは、果たして何なのか。

物語は、少しずつ不穏な方向へ進んでいきます。


次は、5月 26日(火)21:30の更新です。 どうぞ、お楽しみに!

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