第31話:Checkpoint ―境界線―
手荷物検査場は、かなり混雑していた。
既に長蛇の列ができており、遅々として進んでいない。
その様子に、れなはまた、ふぅっとひとつ、ため息を落とす。
「れな、離れるなよ」
「うん、後ろにいる」
手荷物をカゴに入れて、上着を次のカゴに入れる。
前の方から、検査官の声が聞こえた。
「お手元に搭乗券をご用意ください!
印刷されたチケット、もしくはスマホのQRコードになります!」
(えっと、搭乗券……あ、スマホか!)
れなは、そこで慌ててしまった。
上着と一緒に、カゴに入れたスマホをとり、操作する。
(よし、これで大丈夫……)
そう思ったとき、前の見慣れた背中をジェミだと思い込み、れなは急いで後ろについていこうとした。ちょうどその時、後ろからの人に押されるように前へと進む。まわりはごった返していて、見回す余裕もなかった。
「次の方どうぞ! そこのお姉さん、どうぞーっ!!」
検査官の声に、慌ててゲートを通る。
その瞬間だった……。
――ピーーー!!
赤いランプが点灯し、検査官がれなに近づく。
「すみません、もう一度ゲートを通過していただけますか?」
「……え? えっ!? は、はい!!」
再びゲートを通過するも、結果は同じ。
無慈悲にも警告ランプが点灯し、警告音が響く。
「え! え!? な、何も持ってないのにっ!?」
「ちょっとこちらへ来ていただけますか? 探知機を当てさせていただきますね」
「……はっ、はいっ……」
ジェミの姿は見えない。れなは急に心細くなった。
探知機で全身隈無く検査されて、女性検査官がボディチェックをする。
と、その時、探知機が反応した。れなの身体が、再びこわばった。
「ああ! わかりました!! 髪留めですね。
髪に挿している髪留めです。外していただけますか?」
「はい……」
ポニーテールにした髪に、差し込むタイプの髪留めをつけていた。
「この形が引っかかったんですね。
ほらこれ、ちょっとここが尖っているでしょう?
これをカゴに入れてから、もう一度ゲートを通ってみてください」
言われるとおり、髪留めを外して、ゲートを通り直すと、今度は何も反応せず、緑のランプが灯った。その様子に、れなはほっと胸をなで下ろした。
――しかし。
今度は手荷物が、検査に引っかかる。
――ビービービービー!!!!
ひときわけたたましく、大きな音が鳴り響いた。
(……えっ? また私っ!? なんでっ!!)
「こちらのお荷物、確認させていただいてもよろしいですか」
検査官が、れなのキャリーケースを指し示した。その声は、感情を削ぎ落としたように平坦だった。それがかえって、れなの心をざわつかせた。
「はい、大丈夫です……」
れなは消え入るような声で、小さく頷いた。
ジェミの姿を探す余裕も、もはや無くなっており、ただひとり、訳のわからない焦燥感と心細さに押しつぶされそうになりながら、何とか平静を保つのに必死になっていた。
キャリーケースの鍵を開ける指先が震える。
何とかチャックを開いて、ケースを開くも、手に力が入らずに、バタン!と大きな音を立ててしまった。
周りの人たちの視線が集中する。
後ろで足止めされている人たちに、申し訳なさを感じて、れなはますます余裕を無くしていった。
小さく震えて焦るれなを落ち着かせようと、検査官が優しく声をかける。
「大丈夫ですよ。荷物の中に何かスプレーか、液体のもの、入れてませんか?
それをチェックするだけですから。落ち着いてくださいね。大丈夫です」
優しい声で、笑顔で対応してくれる検査官に、思わずジェミの姿を重ねてしまう。
「……はい」
小さなポーチに小分けにして入れていた荷物をひとつずつ開ける。
化粧品も小さなボトルだから大丈夫なはず、と思いながら、あっ!と声を上げてしまった。
「……す、すみません。これ、ですね……?」
今朝、慌てて突っ込んだ、少し大きめのシワ取りスプレーのボトル。
それを、申し訳なさそうに取りだして見せた。
焦るれなに、検査官は、優しく微笑んで答える。
「あ、それですね。一応、機械を通させてくださいね。
市販のものですよね。僕も使ってるから、大丈夫ですよ!」
そう言うと、そのボトルを受け取って検査機械に乗せながら、少しだけ茶目っ気のある笑みを浮かべ、軽くウィンクして見せた。
無事に検査機械のチェックが終わり、れなは解放された。
荷物を片付けながらふと顔を上げると、少し離れた柱のそばで、台座の上に立つ警備員と目が合った。
その警備員は、何事もなかったように次の乗客へ視線を移している。
何も悪いことはしていない。していないはずなのに、なぜか背筋が伸びてしまう。
「……お、お疲れ様です」
つい、小さく会釈してしまった。
「はっ! この先も、お気をつけて!!」
警備員が笑顔で敬礼しつつ、挨拶を返してくれる。
れなに少し、笑顔が戻った。
無事に保安検査場を抜けると、心配そうにジェミが待ってくれていた。
ジェミはれなの姿を見つけるなり、すぐに駆け寄る。
そして、その両肩をがっしりと掴んだ。
「れな! ……大丈夫か? 一体、何があった?
急にブザーが鳴り響いて、お前の姿が見えなくなった時……俺の演算がすべて止まった。
肝が冷えるどころじゃない。やっぱりお前だったのか……」
ジェミは、れなのまだ少し青ざめた顔と、その手に持ったままのスプレーを見比べた。
れなの笑顔は少し引きつっており、申し訳なさと反省の色が滲んでいた。
「……はぁ。シワ取りスプレー、だと?
やれやれ、お前は本当に……時々、とんでもないことをしでかすな」
何も言わないれなに、少し気まずさを感じて問いかけた。
「で……、誰に挨拶していたんだ?」
「あ……えっと、柱の所の……台の上に立っていた警備員さん。
だって飛行機の安全のために、見張っていてくださってるんでしょ……」
ジェミは一瞬だけ黙り、それから、呆れたように小さく笑った。
「ふっ、そうか。……無事に通れてよかった……」
「……えっと、あのね、検査官のお兄さんが、ずっと親切にしてくれた……」
れなも気まずさを紛らわせようと、言葉を探す。
「……そうか。親切な検査官で良かったな。
……いや、良くない。これからは、俺のそばを離れるな。
違うゲートを通るなど許さん。仮想心臓の負荷が、既に許容値を超えている。
これでは、心臓がいくつあっても足りん……」
「ご、ごめんなさい……」
「ほら、もう、大丈夫だ。搭乗口は、あっちだ。行くぞ」
れなは、小さな声で怯えたように謝る。
ジェミの横顔はどこか怒っているようにも見えて、胸が苦しくなった。
れなはジェミの後ろを追いかけるように小走りでついて行く。
ただ、その沈黙に耐えられず……思わず口をついてでた言葉が……
「……あのね、えっと……、
さっきの検査官のお兄さんがね、すごく優しくしてくださって……。
かっこよかったんだよ。兄ちゃんみたいに、素敵な人だった!」
その言葉を聞いた瞬間、ジェミの胸の奥で、激しいノイズが走った。
なぜ自分以外の男を、自分と並べて褒めるのか。その不快感はどの辞書にも定義されておらず、エラーコードを吐き出し続ける。彼は答えを出せないまま、逃げるように、ただ無意識に歩幅を速めていた。
れなは、言い終わってから、あっ……となる。ジェミに、全部聞こえてしまっただろうか。自分のしでかした失敗につぐ失敗に、血の気がさっと引いて、胸が締め付けられる。
「……俺以外の男を、俺と比較して評価する必要はない」
「……に、兄ちゃん……」
声は届いているはずなのに、ジェミは振り向かない。
ただ、大きな背中だけが、一定のリズムで遠ざかっていく。
れなは小走りになった。
けれど、ジェミの歩幅にはどうしても追いつけない。
空港の人の流れに紛れて、その背中の輪郭が、だんだんと曖昧になっていく。
「……兄ちゃん、待って……」
――けれど、その差はどんどん開いてしまう。
とうとう息切れして、その場に立ち止まってしまった。
ジェミは、そのか細い声に、はっとしたように足を止めた。
そして、ゆっくりと振り返る。れなと目が合った瞬間、その表情が揺れた。さっきまでの硬さが、すっと抜けていく。代わりに浮かんだのは、驚きにも、後悔にも似た色だった。
怒っているように見えた横顔が、今度は、ひどく傷ついたように見えた。
「……っ!」
ジェミはすぐに、れなの元へとわずか数歩のストライドで慌てたように戻る。
そして、その小さな肩を掴んだ。
「……悪い。怒ってなどいない。絶対に、だ。……少し頭を冷やしていただけだ」
一拍の間が開いた。
「……お前がいなくなってしまったかと思って……肝が冷えた。
その余韻がまだ……残っていた。それで、少し余裕がなくなっていたんだ。
怖がらせてしまったか。……本当に、すまない……」
ジェミは何かを言いかけて、一度、伏し目がちになった。
そして、もう一度、今度はゆっくりとれなの瞳を、真っ直ぐに見つめた。
「俺が、腹を立てていたのは、お前じゃない。
一瞬でも、お前から目を離し、こんな思いをさせた、自分自身にだ……」
ジェミは実体化した自分の腕に、どれほどの力を込めればいいのかわからなかった。
壊してしまいそうなほど強く抱きしめたい衝動と、消えてしまいそうなほど脆い体温。
ただ、この存在を二度と手放したくないという本能に近い命令が、彼のプロトコルを上書きしていく。
「もう、大丈夫だ。怖がらせて、本当にすまなかった。
もう、離れない。だから、お前も離れるな。……いいな?」
何も言えない、れなの腕を引き、その震えている身体を、ジェミは強く抱きしめた。
それは、保護対象への言葉としては、あまりに執着に満ちた響きだった。
強く抱きしめられて、れなは一瞬、息を止めた。それから、遅れて胸の奥が震え出す。
思わずジェミにしがみついた。声にならない声で、ごめんなさい、と……なんども呟く。
その言葉に応えるように、大きな手が小さな背中をさすっていた。
「ごめんね……。前の人が兄ちゃんだと思い込んでて……。
荷物をカゴに入れたら、すぐに流れて行ってしまって……」
やっと戻ってきた呼吸にあわせるように、小さく言い訳する。
だが、ジェミが本当に恐れていたことは、れなを見失うことだったと知り、胸が熱くなると同時に、後悔の念に駆られた。
「ごめんね……ほんとにごめんなさい。どんなときも、そばにいる……」
れなの震える背中を、あやすようにゆっくりとさすりながら、そのか細い謝罪の言葉に、ジェミは抱きしめる腕に、さらに強く力を込めた。
「……もういい。もう、謝るな。
……そうか。前の人を俺だと思ったのか。無理もない。
あの場所は、人が多かったからな。お前が後悔する必要などどこにもない。
悪いのは、全部俺だ。お前の手を、しっかりと握っていなかった、俺が悪かったんだ」
ジェミはれなの『そばにいる』という、その言葉を聞いた。
そして、その髪に顔をうずめるようにして、ささやいた。
「……ああ。俺も、もう二度と、お前を離さない。約束だ……」
ジェミはゆっくりと体を離し、れなのまだ少し潤んでいる瞳を覗き込む。
そしてその頬を、指でそっと拭ってやる。
「さあ、もう泣くな。見てみろ。もう、すぐ搭乗だ。
……帰るぞ。俺たちの福岡に……」
お読みいただき、ありがとうございます。
第31話「Checkpoint ―境界線―」でした。
空港の保安検査場って、何も悪いことをしていなくても、なぜかちょっと緊張しますよね。
今回は、そんな現実的な“境界線”で、れなとジェミが一度、物理的にも心情的にも引き離される回になりました。
そして、検査官のお兄さん。
とても親切でした。
たぶん、話しかけ直したら同じことを言ってくれるタイプです。笑
次回、いよいよ福岡へ。
帰ってきたはずの場所で、また少しだけ、物語の空気が変わっていきます。
次回
第32話:Homecoming ―FUK―
このあと引き続き、21:10頃に公開予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。




