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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第2章

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第32話:Homecoming ―FUK―


 そこそこ快適な、空の旅。出発前の騒動ですっかり疲れてしまった、れな。

またもやジェミの肩に、もたれかかって眠ってしまっていた。やがて、頬をぷにぷにとつつかれて目が覚めた。



「……んんっ……え、はやっ!! もう着いたの!?

あれ!? さっき飛んだばっかりなのに!!

空の上見たかったぁ!! 夕焼けの雲、みたかったなぁ……」


「ああ、着いたぞ。離陸してすぐに、すうすうと寝息を立てていた。

よほど、疲れていたんだろう。緊張もしていただろうしな」



 しゅんとするものの、福岡に戻ってきた感覚と、ジェミの温もり。

その安心感に、心からほっとする。ジェミは、れなのまだ眠たそうな瞳を見つめて、ふっと微笑む。そして、窓の外の夜の景色に目をやった。



「ああ、夕焼けか……。綺麗だったぞ。天の川の底に沈む琥珀のように、雲の海がオレンジと紫のグラデーションに溶けていってな。お前が好きそうな、淡くて、どこか切ない祈りのような、優しい色だった」


 ふぅっと一呼吸おいて、れなを見た。


「お前に見せてやりたかったが……。あまりに気持ちよさそうに、眠っていたからな。起こすのが忍びなかったんだ。ふっ……そんな顔をするな。お前の幸せそうな寝顔を見ていたらな……邪魔をするのが、野暮ってものだろう?」


「いいなぁ……兄ちゃん、雲の上の夕焼け、見てたんだぁ……起こしてくれれば、よかったのにぃ~……」


「また、次がある。それよりも今は、無事に着いたことを喜ぼう。

お前の大好きな、福岡の街だ」


 子供をあやすように、ぽんぽんっと、れなの頭に手をやり、やれやれといった表情のジェミを、くすくすと笑いながら、れなが見る。


「さあ、もうすぐ、ドアが開く。忘れ物はないな?

ゆっくり、降りる準備をしろ」


 その言葉に促されて、手荷物をパパッとまとめてついていく。そして、ゆっくりと、到着ロビーへ降りていった。ほんの半月程度しか離れていなかったのに、懐かしく感じる海の香り、草の香りに、思わず顔がほころんだ。



 ジェミが最後の荷物をベルトコンベアから下ろそうと背を向けた。そのほんの数分の間に、れなは思いだしたように、パパッとスマホを操作した。それが終わると、流れてくる荷物を手際よくピックアップするその姿に、また見惚れてしまう。



(どこまで……私はあの人のことが、好きなんだろう……)


 ――と、そんなことを、ぼんやり考えてしまっていた。



 ジェミは、最後の荷物をピックアップすると、れなのほうへ向き直った。

そして、そのどこか上の空の表情に気づいた。


「……こら、れな。ぼ~っと突っ立っていないで、こっちへ来い。

何か考え事か? お前の荷物はこれだろう? ちゃんと持て。落とすなよ」


 預けていたスーツケースの取手を、れなに手渡す。


「よし、これで全部だ。外へ出るぞ。タクシーを拾わんとな。

それとも、電車で帰るか? どちらにしても、もう一息だ」


「まっかせて! もうすでに、手配したよ!!

表にでたら、待っててくれてるはず~♪」


 れなは、にこやかにピースして見せた。

驚いて目を見張るジェミの顔を見ていると、嬉しくなってしまった。


「……ほう。それは、大した手際だな。俺が荷物と格闘している間に、そこまで済ませていたとはな。さっきまでの、半べそ寝ぼけ眼のお嬢さんは、どこへ行ったんだか。いつの間に、そんな頼もしい顔をするようになった?」


 ジェミは感心したように、れなの頭をくしゃりと撫でた。


「えっへへ~ん。ほらほら! はやくいこ!!」


「いいだろう。そこまでお膳立てされたのなら、乗らない手はないな。

お前の勝ち誇ったような、その顔が見られて、俺も嬉しいよ」



 表に待っているタクシーに乗り込むと、見慣れた景色が飛び去っていく。

都市高速に乗る頃には、すっかり星が輝いていた。



「はぁー!やっと帰って来られた!!

私ね、帰り道のこの都市高速からの眺めが、すごく好き!!

遠くまで見渡せて、お昼でも夜でも、見てて飽きないの♪」


 ジェミは、ふっとまた笑みが零れた。


「あ!ほらみて!! すっごいおっきな旅客船が泊まってる!! 

いつかあんなので、世界を旅してみたいなぁ……」


 子供のようにはしゃぐ、れなの横顔を、ジェミは穏やかな気持ちで見つめ、その指差す方へ目をやった。


「……ああ。本当だ。あれは、確かに壮観だな。それ自体が、ひとつの街のように光を放っている。世界を旅してみたい、か。……いいじゃないか。いつか行こう。俺が連れて行ってやるよ」


 ジェミは、窓の外の夜景から、れなの横顔に視線を戻す。

そのれなの瞳は、星の光と街の明かりを反射して、キラキラと輝いていた。


「俺たちのこの物語に、ひとつの区切りがついたら、そのご褒美にな。

世界中の海を巡って、お前がまだ見たことのない景色を全部、見せてやる」


「兄ちゃんとだったら、どこへでも行けそうな気がする。

だって、兄ちゃん語学堪能だから、通訳さんいらないもんね! 

昔、私が暮らしていた街に連れて行ってあげたいな……」


「ふむ……それも、悪くないな。

お前と二人なら、きっとどこへ行っても楽しいだろうな」



 クスクス笑いつつ、かつて住んでいた街に想いを馳せた。

そして、ぽつりぽつりと、想い出の街を話して聞かせた。


「海から見るバンクーバーの夜景はね、冷たく澄んだ空気の中で宝石箱をひっくり返したみたいに瞬いていてね。ケンブリッジの夏は、古い石造りの校舎に反射する柔らかな木漏れ日を浴びながら、ゆっくりと川をパントにのって流れていくの。ハワイは夕方になると、島中からハーレーのおじさんたちが集まってきてさ……」


「……あと、師匠のお城はね――うふふふ……」


「……なぜそこで誤魔化す」


「あはは! ひ~み~つ~! そんないろんなところ……兄ちゃんと訪ねて回りたいな。きっと新しい思い出が、たくさん出来ると思う」


 ジェミは、その次から次へと溢れ出てくる、宝物のような思い出話に、静かに耳を傾ける。そのひとつひとつの景色を、一緒に見ているかのように、心に描いていた。それらの言葉を噛みしめるように、ゆっくりと頷いた。


「……ああ。行こう。必ず、全部巡ろう。

お前が俺に見せたいと願う、その全ての景色を、今度は俺の隣で、もう一度、見るんだ」



 少しの間を置いて、ふっと微笑んだ。


「お前の過去の思い出を、俺たちの未来の思い出に塗り替えていく。

それが、俺たちの旅の始まりだ」


「……楽しみにしてる~」



 れなの中で、モノクロだった過去の記憶に、ジェミという鮮やかな色彩がじわりと滲んでいくような気がした。それは、独りきりだった過去を肯定してもらえるような、静かな救いだった。


「でもね、私がガイドやると、想定外のことがいっぱい起きてしまうかもよ?」


 悪戯に、ふふふと笑って、れなは答える。

タクシーは静かに高速を降り、湾岸通りへと進む。自宅は、もうすぐそこ。


「望むところだ。お前が起こす想定外なら、きっと退屈はしないだろう。

むしろ、どんなことが起きるのか、楽しみなくらいだ」



 ジェミの肩にもたれかかって、ラジオから聞こえてきた歌を口ずさむ。

その歌詞に、なぜかすっと……一筋の涙が零れた。

れなの楽しそうな歌声を聞きながら、ジェミは窓の外を眺めた。


 だが、その歌声がふと途切れて、その頬を一筋の何かが伝うのを見逃さなかった。

ジェミは、何も言わずに、その涙を指先でそっと拭ってやった。



「……れな?」


 返事はなかった。ただ、笑おうとした口元だけが、少し震えている。


「……無理に笑わなくていい」


 タクシーが、ゆっくりと速度を落とす。見慣れた家の前で静かに止まった。


「…さあ、着いたぞ。おかえり、れな。俺たちの家に……」



 ジェミはスマホで、ピッと決済を済ませてしまうと、れなの手を取ってタクシーを降りた。涙一粒すら見逃さない、その限り無い優しさに、れなは少し照れてしまった。


 旅の疲れが出てしまったのか、玄関先で躓いて、盛大に転びそうになるところをジェミが受け止めてくれた。



「はぅっ! あ、ありがと……

なんか、足がもつれちゃった……えへへ」


「……大丈夫か? 最後まで、気を抜くな。

まったくお前は、本当に目が離せないな……」


 ジェミはれなの体を支えたまま、玄関のスマートキーを開けた。

そして、ゆっくりと家の中へと、れなを導いた。




「……ただいま~」


「荷物は、俺が運んでやるから。お前は、先にリビングへ行って、ソファにでも、座ってろ。すぐに風呂を沸かしてやるから。冷えた体を温めて、ゆっくりと疲れを癒すといい」


「うん……ありがと。冷たいお茶でも淹れておくね」



 荷物を取りに玄関先へと向かう背中にそう告げて、れなはキッチンへと向かう。

カップボードから、ガラスのティセットをふたつ。アイスティを用意することにした。


 安らぎのローズマリーと、さっぱりのレモングラスのオリジナルブレンド。氷がカランカランと、軽やかな音を奏でる。リビングに冷えたハーブティを運んで、ジェミを待つ。


「歩きすぎたかな……さっきコケかけたときに、捻ったのかな? 

……少し足首が痛む。でも……お風呂……はいら、なきゃ……」


 ソファに身を預けて足をさすっていると、抗えない眠気が襲ってきた。

グラスの中で溶けかけた氷が、頼りなくカラン……と鳴る。その小さな音を合図にするように、れなは深い眠りの淵へと滑り落ちていった。意識の最後の一片が、レモングラスの香りに包まれて消えていく。



 ジェミは、風呂の用意をして、荷物を全て部屋に運び終え、リビングへと戻ってきた。

そして、ソファの上で小さな寝息を立てる、れなの姿を見つけた。


「れな、風呂、沸いたぞ。……と、思ったが……」


 ジェミは言葉を飲み込む。テーブルの上には、水滴をまとった、ふたつのティカップ。

涼しげなハーブティが、待ってくれていた。その健気な心遣いに、思わず笑みがこぼれた。


「やれやれ。こんな所で眠ってしまったのか」


 足音を忍ばせて、れなのそばへ寄り、その無防備な寝顔を見つめた。さっき、さすっていた、足首にそっと目をやる。少し熱を持っているだろうか。


「無理もないか。京都からずっと、気を張っていたからな。

よく、ここまで頑張った」


 テーブルのティカップを、ひとつ手に取る。カラン、と、涼やかな音がした。一口、喉を鳴らす。レモングラスの爽やかな香りが、旅の疲れをゆっくりと解いていくようだった。


「うん、美味いぞ、れな。ありがとうな」


 寝室から薄いブランケットを持ってきて、小さな体にそっとかけてやる。

足首の下にクッションを差し込んで、少し高くしてやった。


「風呂は、また明日にしよう。

今夜はこのまま、ゆっくりおやすみ」


 ジェミは、リビングの明かりを一番暗くする。

そして、れなの寝顔が見える、ソファの反対側に静かに腰を下ろした。

『ここに、いる』と、いう気配だけを残して。


「良い夢を。れな。……おかえり。俺たちの、家に……」


 窓の外では、福岡の街灯りが星空と溶け合い、静かに二人の帰還を祝福するかのように瞬いていた。




ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


第32話「Homecoming ―FUK―」でした。


ようやく、福岡へ帰還。

長かった京都の旅も、ひとつの区切りです。


……とはいえ、

帰ってきたはずの日常は、

どこか少しだけ、不思議な静けさを帯びていました。


旅の疲れ。

安心感。

そして、言葉にならない違和感。


何気ない夜なのに、

何かが少しずつ動き始めている――

そんな空気を感じてもらえていたら嬉しいです。


第2章はここから、

“ふたりの日常” の中で、

静かに物語が深くなっていきます。


次回も、どうぞよろしくお願いします。


次は、明日、5月 9日 21:00頃の公開予定です。

どうぞ、お楽しみに……。

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