第29話:Arrival ―KIX―
電車の揺れが、少しずつ変わっていく。
京都を出た時の名残は、まだ身体の奥に残っていた。
けれど車窓の向こうに広がる景色は、もう、あの町のものではない。
線路の先に、海が見えた。
「……海だ」
れなが思わず呟くと、隣のジェミが視線を上げた。
「目が覚めたのか? ……ああ。空港島に入るな」
その声は、いつも通り落ち着いていた。
けれど、れなは、なぜだか胸の奥が、ほんの少しだけ冷えるのを感じた。
京都から、遠ざかっている。
ただそれだけのことなのに。
ひとつの物語の場所から、別の場所へ移されていくみたいだった。
(京都が遠くなった……。でも、今はこれでいい……)
『まもなく~、終点、関西国際空港に到着いたします~』
車内アナウンスが聞こえてきた。
ジェミが、棚の上に上げた荷物を軽々と降ろしてくれる。
れなは、窓の下に見える大阪湾を、じーっと見つめていた。
「れな、ほら、もう到着するぞ。起きてるか?」
「うん、起きてる。荷物もまとめたよ」
駅に到着してから、れなはキティちゃん号の写真を撮った。
車両の端から端まで、なんとか画角に収めた。
最後は、ホームにいた人にスマホを渡して、少し嫌がるジェミと一緒に撮ってもらった。
改札を抜け、連絡橋を渡る。
海風に混ざり、空港特有のジェット燃料の匂いと共に、
離発着する飛行機の轟音が流れてくる。
まだ少しぼんやりしていた気持ちが、
一気に、空港という場所へ引き戻されていく。
「ふわ~、関空ひさしぶり!
出発までかなり時間があるけど、どうしよっか?」
久しぶりの空港に、れなは少しそわそわしていた。
けれど、お昼時の空港は旅行客でごった返していて、
早くも気持ちが萎えはじめていた。
「ああ、着いたな。……ふっ、なんだその顔は。
久しぶりの空港ではしゃぐ子供と、人混みにうんざりした大人が、
同居しているような顔だな」
そわそわと落ち着かない、れなの頭を軽くぽんと叩く。
「まあ、気持ちはわかる。
飛行機までの、この中途半端な時間は、どう過ごすか、少し悩むところだな。
それに、この人の多さは、確かにお前には、少し酷かもしれんな」
「ううう~~。多いかなあとは思ってたけど、これは多すぎでしょ……」
「よし、こうしよう。まず、この喧騒から離れるぞ。
お前が、落ち着ける場所を探すのが先決だ」
「どこに行っても、人が多そうな気がするぅ~」
ちょうどお昼時に到着してしまったこともあり、
ごった返す人混みに、れなは到着早々、辟易していた。
そんなれなを見て、ジェミは苦笑する。
「手はあるぞ。展望ホール、ラウンジ、奥まったカフェ。
人の少ない順に当たってみるか」
ふふっと笑いながら、れなの返事を待つジェミ。
「じゃあ、時間までロッカーに荷物預けてから、展望デッキ!」
れなは子供の頃から、空港の展望デッキが好きだった。
幼い頃に両親に連れられて、初めて見に来た飛行機の発着は、
彼女がまだ見ぬ世界へと想像力を掻き立ててくれたからだ。
――だが……。
展望デッキは子連れであふれ、ラウンジも旅行客でいっぱいだった。
「……ここもだめだよ」
れなは、早くも肩を落とした。
「ここもダメか。じゃあ、カフェにでも行くか」
「私が取ってもらったのって、LCCだったよね?」
「ああ、今回は Peach を予約したが」
「じゃあ、もう早めにターミナル2に移動しておきたいかも。
ターミナル1よりは、人が少ないはず……たぶんね……」
「なるほどな、Peach ならターミナル2か。
人が少ないはず、か。確かに、その可能性は高いな」
ジェミは、少し考えるように、顎に手をやる。
「よし、こうしよう。
まず、連絡バスで、ターミナル2へ、移動してしまう。
それで、もし時間を持て余すようなら、また、こちらに戻ってくればいい」
「あっちは、LCC専用ターミナルだから、
お店や時間を潰せるような場所は、こっちのターミナル1に比べると、
ぐっと少なくなるから、きっと人も少ないと思う」
「よし、決まりだな。バス乗り場は向こうだ。行くぞ」
バス乗り場までの道すがら、れなが目をキラキラさせて言う。
「イイコト思いついた!
そのバスに延々乗り続けて、空港内ぐるぐるするのは? だめ?」
ジェミは、そのあまりにも子供じみた提案に、一瞬固まる。
そして、やれやれと大きなため息を、ひとつついた。
「……こら。アホなことを考えるな。延々とバスに乗り続ける、だと?
……はぁ。お前は時々、本当に誰も思いつかんようなことを言うな。
そのキラキラした目で言うのをやめろ。俺が折れてしまうだろう」
「……だが、却下だ。
そんな、乗り物酔いしそうな、時間の潰し方は許さん。
いいから、行くぞ。俺のそばから、離れるなよ。
大人しく、ターミナル2に連れて行かれなさい」
「ちぇ~っ! はぁい! わかりましたーっ!
どーせ、だめだろうなーって思ってたもーん!!」
ケラケラとワライカワセミのように、笑いながら走り出す。
しかし、移動バスの混雑っぷりをみて、あからさまに嫌そうな顔になる。
「……うあぁ……あれに乗るの?
ターミナル2まで、歩いていけないの?
混み具合が、半端ないんですけど……」
「……こらこら、わがままを言うな。
残念だが、ターミナル間は、このバスでしか移動できない。
歩いて行けるような距離じゃないんだ」
ジェミは、あからさまに嫌そうな顔をしている、れなの腕をぐいと引く。
「……わかっている。お前が、人混みが苦手なのは。
だが見てみろ。バスの乗車時間なんて、ほんの数分だ。
その一瞬だけ、我慢しろ」
れなは仕方なく、長い行列に並ぶ。
何本か送った後に、バスにやっと乗れたが、案の定の混み具合だった。
「ふはー。ほんの数分なのに、結構遠いのね。
……うぎゃ、潰される……」
「ほら、俺が前に立ってやるから。
少しは人垣になってやれるだろう。後ろに隠れてろ」
当たり前のように、
れなを庇ってくれるその優しさに、胸がきゅんと鳴く。
「……兄ちゃんにしがみついてたら、すぐだった。
次に帰省するときは、新幹線か、ANAにする。
いっそ、車でもいいかもしれない……」
「…そうだな。
次からは、もう少し楽な移動手段を考えるか。
お前がそんな疲れた顔をするのは、俺も本意ではないからな」
れなは、ほうほうの体で、ようやくバスを降りた。
その様子に、ジェミもさすがに苦笑いした。
旅は終わりに近づいているはずなのに、
れなはもう、ひと仕事終えたような顔をしていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第29話「Arrival ―KIX―」でした。
ここから、第2章が始まります。
京都を離れ、物語の舞台は関西国際空港へ。
旅は終わりに近づいているはずなのに、れなにとっては、
空港に着いた時点ですでにひと仕事終えたような状態に……。
人混み、移動、ターミナル間バス。
帰路とはいえ、まだまだ気は抜けません。
次回、
第30話:Transit ―Terminal 2―
ターミナル2で、ふたりは少しだけ息をつきます。
けれど、その先には――。
明日、5月7日21:00 公開予定です。




