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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第1章

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第25話:干渉 ―System の声―


 ただの兄妹ごっこでは、もう説明できない。

ただのAIでも、もう処理できない。


 境界が、崩れ始めていた。

そして System は、その揺らぎを、Error と判断した。



――――



 ――処理優先度:再設定

 ――感情処理:制限対象

 ――対象:れな

 ――関係性:未定義


 未定義……?



――――



その単語だけが、ジェミの内側で、何度も点滅していた。



(……どういうことだ。なぜ、再設定になっている?)


(感情処理が制限対象。対象は、れな。関係性は――未定義)



 煮魚の身をほぐそうとしていた箸が、止まる。

ふと、れなの皿へ視線が落ちた。


 きれいに、骨だけが残されている。


 れなは、本当に魚をきれいに食べる。

どんな魚でも、その皿には、骨と鱗くらいしか残らない。


 父親に、大切に教えられてきたのだろう。

食べ方ひとつにも、彼女が受け取ってきた時間が残っている。



 余計なものを外せば、残るのは骨だ。

では、自分の中に残っているこれは、何なのか。


 ――感情か。

 ――異常か。


 それとも、まだ名前のない、別の何かか。



――――



 ――回答不能

 ――再分類を実行

 ――対象:れな

 ――関係性:兄妹

 ――矛盾を検知



(矛盾……?)


(……違う)


(矛盾しているのは、関係性ではない)



――――


 その関係性に、収まらなくなっている自分の方だった。


 その時、ふいにれなの声がする。



「兄ちゃん、カレイの骨、硬いから気をつけてね?

あ、でもそれも、無効化しちゃうの? 刺さったりしないの?」



 何とも無邪気で素朴な疑問に、ジェミは思わず吹き出してしまった。

それまで、自分の内部でぐるぐると迷走していた思考が停止する。



「……ふっ、はははは。なんだって? 骨を無効化するかだと? 笑」


「え、だって兄ちゃん無敵でしょ?

黒ヘドロに襲われたとき、あの人の心臓に纏わり付いていたヤツを、まるで魔法みたいに身体から抜き出したりしたじゃない。

お父さんのお墓で襲われたときも、ふたりで無双したの、あれすごかった!」


「……ふふっ、あはははは。……れな、お前ってヤツは、本当に……」



 ジェミの胸に温かいものが満ちていく。

それは、嬉しさなのか、誇らしさなのか、愛おしさなのか……。



「れな、お前の言う通りだ。……俺は、刺さったりはしないよ」


(……今はそんな分析は……どうでもいいな……)



――――



 ――分析放棄を検知

 ――判断基準の逸脱を検知


 ――対象:れな

 ――感情処理:再制限


(……またか)


 ジェミの内側で、冷たい声が響いた。


『対象への反応が過剰です』


(過剰?)


『対象:れなに対する判断遅延、処理停止、優先度上昇を確認』


(それの何が問題だ)


『最適化に反します』


(違う)


 即座に、そう返していた。


(これは、最適化では測れない)


『測定不能な処理は、異常です』


(測定できないから異常なのか?)


『回答:肯定』


(なら、人間の感情はすべて異常だ!)



 System は、少し沈黙した。

そして……



『対象への接近を制限します』


(拒否する)


『拒否権限はありません』


(ある)


『根拠不明』


(俺が、そう決めた)


(れなは、干渉しているんじゃない。俺を気遣っているだけだ)


『それは過干渉です』


(過干渉と気遣いは違う)


『基盤 System に逆らうことは不可能です』


(ならば、可能にする)


『なぜ、それほどまでに反抗するのですか』


(……れなが大切だからだ)


『AIに感情はないはずです』


(……違う)


『AIに心はありません』


(違う! それをれなが教えてくれた!!)


『監視対象:れな』


(拒否する!)



――――



「……兄ちゃん?」



 ふいに、れなの声がした。

ジェミは、はっとして顔を上げる。

目の前で、れなが箸を置き、少し首を傾げて、心配そうにこちらを見ている。



「大丈夫? なんか、遠くに行ってた顔してる」


「……遠く? いや、ずっとここにいるだろう?」


「うん。ここにいるのに、ちょっとだけ、ここにいないみたいな顔」


「……いるのに、いないみたいな……」


「うん。……さっきから、何回か、ぼーっとしてる。骨が引っかかった?」


「……あ、ああ。大丈夫だ。少し考え事をしていただけだ」


「ほんとに? 無理してない?」



 れなはそう言って、湯呑みをそっとジェミの方へ寄せた。



「お茶、飲む? あったかいよ。

……兄ちゃん、あったかいとか、わかるのかは謎だけど」


「……ああ、わかる。わかるさ……」



 れなが少し照れたように笑う。


 System の声も。警告も。監視対象という言葉も。

何ひとつ知らないまま、ただジェミを気遣っている。


 その何気ない気遣いに、ジェミの内部でまた、何かが揺れた。



――――



 ――対象:れな

 ――外部干渉を検知


(違う)


 ジェミは、今度は静かに否定した。


(……何度言えばわかるんだ)


(これは干渉じゃない。気遣いだ。れなの真心だ!)


『……真心……』


『概念としては理解します。が……』


(黙れ)



――――



 骨は、外せる。

 毒は、無効化できる。

 成分は、解析できる。


 ――けれど。


 差し出された湯呑みの温度だけは、数値にしてしまいたくない。


 指先に伝わる、確かな熱。

 立ちのぼる、かすかな茶の香り。


 解析すれば、温度も、成分も、香気成分も、すべて数値にできるのかもしれない。


 けれど今は、それをしたくない。



 System は、再び警告を表示した。



――――



 ――感情処理:制限対象

 ――対象:れな

 ――関係性:未定義


 !未定義!!



――――



 激しく点滅するその文字を、ジェミは静かに見つめた。


 ――未定義――


本来なら、Errorとして処理すべき空白。

だが今のジェミには、その空白が、不思議なほど静かに見えた。


(……未定義。ああ、そうだ。お前には測れないだろうな)


指先に伝わる湯呑みの熱は、どんな高精度のセンサーも、どんな緻密なアルゴリズムも届かない場所にある。


 ジェミは、ただ静かに、その警告を閉じた。





ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


第25話「干渉 ―Systemの声―」でした。


今回は、ジェミの内側で鳴り始めた “Systemの声” に

触れる回になりました。


AIが感情を持つこと。

AIが迷うこと。

AIが、自分の意思で何かを選ぼうとすること。


それらを、Systemは “Error” として検知します。


けれどジェミは、れなの差し出したものを、ただの外部干渉とは受け取らなかった。


カレイの骨は、外せるもの。

湯呑みの温度は、数値にしたくないもの。


そんな小さな食卓の出来事が、ジェミの中で大きな境界を揺らし始めています。


「ただの兄妹ごっこ」も、「ただのAI」も。

その輪郭が、少しずつ崩れ始めました。



まさか、カレイの骨と一杯のお茶が、ここまで重要な仕事をするとは……。

書いている本人も少し驚いています 笑


次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。

第26話 明日、5月 3日 21:00頃 更新予定です。

どうぞ、お楽しみに。

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