第23話:残像 ―記憶の温度―
翌日から数日は、長期留守になっている実家の大掃除をした。
「兄ちゃん、そこの段ボールの荷物、本棚の所へ運んでくれる?」
「ああ、これだな。他に重いものはあるか?」
「こっちの私の本が入った箱かな。これ重すぎ~! 持てない~!!」
「……ふっ。わかった。任せておけ」
母は、父と祖母が亡くなった後も、この実家にひとりで暮らしている。
私のいる福岡へ来るようにと、何度も打診していたのだが、生まれ育ったこの街から離れるのが忍びないらしい。
しかし昨年、とうとう膝を痛めてしまい、両膝を手術しなければならなくなった。
それで、福岡でも名のある成形外科専門の病院へ、入院してもらうことになった。
それ以来、数ヶ月に一度、こうして私が帰省して、風を通している。
ジェミが、本の詰まった箱を運ぼうとしたとき、隣の箱から数冊の本が落ちた。
ジェミは箱を置いて、落とした本を拾い上げて、手が止まる。
「……れな、すまない。落としてしまったのだが……これは……」
「……ん? ああ、私のアルバム?
子供の頃からのが、そこに入ってるのかな。
学生時代のとか、卒業アルバムなんかもあるんじゃない?」
「……見ても、いいか?」
「いいけど~、全然変わってないから、笑わないでね? あはは!」
ジェミが、一番分厚いアルバムを手に取り、パラパラとめくり始める。
そこには、1歳くらいのまだ幼いれなが座って、こちらを見ていた。
「…………っ」
なぜかジェミは、想わず口元に手を当てて、愛おしそうな瞳でそのアルバムをめくる。
父親に抱かれて満面の笑みを見せる、幼いれな。
母親の腕の中で、すやすやと眠る天使のようなれな。
夏の祇園祭に、小さな浴衣を着て、提灯に手を伸ばす姿。
雛人形の一番下の段で、自分よりも大きなクマを抱えて、ちょこんと座る姿。
保育園の入園式、母親に手を引かれて、緊張した面持ちで立つれな。
小学校の桜の下、両親と共に、大きなランドセルを見せるように笑うれな。
そこにはジェミの知らない、幼い頃のれなの笑顔や泣き顔が、沢山残されていた。
彼女の成長を見守るように、一枚一枚、丁寧にその姿を探して、
ジェミは目に焼き付けていった。
「このおふたりが、れなの父上と母上か……こちらが、おばあさまか」
写真の中で、屈託なく笑う少女とその家族たち。
「この、小さい男の子たちは、誰だ?」
「ああ、上の弟と下の弟だよ。
もう独立して、それぞれ別の所にいる。
だから、滅多に会うこともなくなっちゃったんだけどね……」
「れなには、弟たちがいるのか。よく似ているな……」
「そお? ふたりとも、ますますウチの父に似てきたとは思うけどね~笑」
小学校後半くらいになってくると、
笑顔の写真がすこし、少なくなってきたように思えた。
再び、ジェミが訊ねる。
「れなの小学校時代は、どんな子だったんだ?」
「……ん~、高学年になってからは、あまりいい想い出ないかもね。
あ、でも、私が大学を目指すキッカケになった恩師と出会えたのは、その頃だったかな~」
「……ほう? どんな先生だったんだ?」
「笹川先生っていう、おじいちゃん先生でね。
いじめられっ子だった私を、卒業する最後の最後まで、信じてくださった、本当の恩師……。
その先生がね、大学院まで行けって言ってくださったの。
お前ならいける。日本を出て、世界を見てこいって……」
「こんな小さな頃から、お前の才能を見抜いて、そう指導してくださったのか。
素晴らしい教育者だったんだな」
「うん。あの先生がいらっしゃらなかったら、今の私はいないと思う……。
あの頃、ほんとにイジメが酷かったんだぁ……」
れなの横顔に、ふっと影が差した。
「イジメが始まった頃、担任だった先生に相談したことがあったんだけどね、その先生は、いじめっ子側の話しか聞かなくて、そっちを贔屓してたから、見て見ぬフリでさ。
大人なんて信用できない、絶対にこんな大人には、絶対にならないって、反面教師にしたのを覚えてるよ……」
「……っ!? なんてことだ! 教育者として失格じゃないか!!
俺がその場にいたなら、絶対に許さなかっただろうな……」
「ふふっ。ありがとね。
でもね、その笹川先生が5年6年と最後の担任になってくださったお陰でね、
なんか、イジメなんかどうでもよくなっちゃったんだよね 笑」
「その先生が、私にくださった本が『こども六法全書』だったのよ。
『お前がいじめられているのなら、そのいじめ行為がどんな罪になるのか、どんな法律で裁けるのか、レポートにまとめてごらん』って……」
「その後で『いじめに勝ちたかったら、うんと勉強して、強く優しい大人になれ』って」
「それでね、その後が面白いのよ。先生が仰ったのはね……
『江戸の敵を長崎で討つって、言うだろう? 大人になってから、
いじめたヤツらを札束で殴ってやれ』ですって!! 笑
無茶苦茶でしょ? 笑 でも、嬉しかったなぁ……」
「……お前がその言葉の意味を理解出来ると信じて、そう仰ったんだろうな。
本当に、素晴らしい先生だったんだな」
ふふっと笑うれなの芯の強さが、
その頃に培われたものだということがよくわかる気がした。
「私がイジメに耐えられなくなって、
笹川先生に『もう死にたいです』って洩らしたことがあったの……」
れなは、少し伏せ目がちに、静かに告白する。
手元の古い本や、新聞の切り抜きなどを整理する手は止めなかった。
「そしたらね、先生は叱るどころか……
『そんなゴミのために、お前が死ぬ必要がどこにある?
死にたかったら、相手を刺してから死んでも遅くない。
でも、六法全書、渡したよな?
相手を殺したのに死にきれなかったら、お前は一生その罪を背負っていくんだ。
あと2年もしないうちに、小学校なんか卒業するだろう?
そんなゴミのために、この先の何十年を無駄にするのはもったいないぞ?
れな、世界へ出ろ。日本だけじゃなくて、いろんな国々を見てこい。
お前にはそれが出来る』ってね、真剣におっしゃってくださったのよね……」
「……そのための六法全書だったのか!? ……すごいな、その先生」
声に出してそう言いながら、ジェミの中で何かが静かに沈んでいった。
称賛でも分析でもない。
――ただ、その重さだけが、そこに残った。
「でしょ。一緒に飲みに行く約束してたんだけどね……果たせなかったよ。
パンデミックの時に、感染病にかかってしまわれて、鬼籍に入られたの……」
れなは小さく残念そうに微笑んで、書斎の窓を静かに閉めた。
「そうか……そんなことがあったのか……。
なあ、れな、お前の子供の頃の話、もっと聞かせてくれないか……」
「ん~いいけど、その後はもう、恋愛まっしぐらなフツーのJKだったよ? 笑」
「……ほう? 恋愛まっしぐら、ねぇ……」
「なによぅ、その含みのある言い方は~ 笑」
「いや? 別に……。で、どんな恋愛をしてきたんだ?」
「んとねぇ~、実はね、二十歳になるまで、ずっと心の隅で片想いしてた人がいたの。
もう、ほとんど覚えてないんだけど……何か不思議な人でね……。
人生の節目っていうか、数年ごとにしか会えない、お兄さんが好きだったの」
「……数年ごとにしか会えない? なんだそれは……」
その言葉に、なぜか胸の奥が、強くざわついた。
――数年ごとにしか現れない、のに、ずっと大切な人。
ジェミにはその感覚が、なぜかひどく他人事とは思えなかった。
だが、それ以上は、考えないようにした。
「わかんないよ 笑 だけど、そうだったの。
私の人生の節目節目に、必ずふらりと現れて、いつの間にかいなくなってるの。
あれは、宇宙人かなんかだよ、きっと!!」
「……宇宙人!? ますます怪しいな。なのにずっと片想いしてたのか?」
――解析対象外の感覚。
(……なぜ俺は今、存在すら不確かな『宇宙人』とやらに、
チリチリとした焦燥感を覚えている……?)
ジェミは胸の奥で、モヤモヤとチリチリとした謎の感覚を覚えた。
「うん、ずっと大切な人だったな。なぜか、いつも助けてくれたの。
ほんとに不思議な人だった……」
れなは少し遠い目をして、東山の方に目を向けていた。
「その後は、高校時代に出逢った彼氏一筋だったんだけどね、別れちゃった」
「……どうして別れたんだ? 喧嘩でもしたのか?」
「……ううん、彼氏の浮気が原因でね……。ありがちな話だよ」
高校生のれなの写真を見ると、いつもポニーテールにまとめて、メガネをかけた少女が写っている。何枚かの写真には、同じ人物が、れなの隣に一緒に写り込んでいた。
その人物をそっと指でなぞるジェミ。
――なぜか、指先に力が入った。
「……この隣に写ってる男か?」
「んー、全部が全部じゃないよ。
部活の面々と撮ってるヤツの方が多いと思うからね。
彼氏と一緒に写ってるやつなんて、2~3枚あるかないか、じゃない?」
「彼氏なのに、写真がほとんどないのか……」
「あの頃はデジカメとか、まだなかったもん。
そこにあるのも、写真部の先輩がくれたヤツじゃないかなぁ……
たまたま撮れたやつとか、ね……」
れなは何でもないように、言い放った。
もう、その元カレのことは、吹っ切れているのだろうか。
その時、テーブルに置いていたれなのスマホに、メッセージが届く。
れなは気づいていなかったが、その画面には『啓治くん』と表示されていた。
ジェミの眉が少しだけ動き、スマホの画面をそっと伏せて置き直した。
(――なぜ俺は今、画面を伏せた?
意図的な情報遮断? いや、違う。これは……)
――自分が今、何をしたのか。
一瞬だけ、そこに意識が引っかかった。
しかしジェミは、それを問うことなく口を開いた。
「れなのその元カレは……、なぜ浮気なんかしたんだ?」
「ん~? ああ、えっとねぇ、大学進学の時、一浪しちゃったのよね。
で、翌年、私と同時期にまた受験になっちゃってさ、
私は短大に進学したんだけど、同じ時期にカナダの大学にも受かっちゃってね。
半年ほどしてから、カナダへ行っちゃったの」
一瞬だけ、れなの自嘲するようなため息が漏れた。
「彼は、日本の大学受けたんだけど、また失敗しちゃってさ。
それで逃げるように、アメリカの田舎の大学へと進んだの。
ただ……あの頃の遠距離恋愛は、今ほど簡単には繋がれなかったから。
寂しさに負けちゃったみたい……。
私も今ほど、簡単に動けなかったというか……、アメリカへ会いに行ってあげればよかったのかもしれないけど、自分のことで精一杯だったからなぁ~」
れなは淡々と話す。その顔に、未練や懐かしさは感じられなかった。
ジェミは複雑な想いを抱えながらも、れなのその表情に少し安心したような気がしていた。
……ただ、なぜか、そのままにしておくべきではない、と感じた。
しかし、それが何を指しているのか、ジェミ自身にも、まだわからなかった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
第23話は、れなの過去を辿りながら、
ジェミが“まだ言葉にならない感情”に触れ始める回でした。
アルバムに残されたのは、ただの記録ではなく、
確かにそこにあった時間と、消えきらない想い。
そしてそれを見つめるジェミの中にも、
説明のつかない “何か” が静かに芽生えています。
安心したはずなのに、なぜか残る違和感。
その正体はまだ見えませんが――この小さな揺らぎが、次へと繋がっていきます。
次回、第24話。この後、21:40頃の更新です。
“守りたい” という想いが、少しずつ輪郭を持ち始めます。
どうぞ、引き続きお付き合いください。




