第17話:余韻 ―ノイズではない―
「ここ、初めて来た。モノレールの駅みたいやったね」
少し弾んだ声で、れなが歩き出す。
「れな、途中で疲れる前に、カフェに寄ろう」
「大丈夫! ほら、もう神社の案内でてるよ!」
兄の手を引っ張ってたどり着いた、蒲田神社。
奥へと続く長い参道が、静かに整えられている。
鳥居をくぐると、ふわりと空気が変わった。
「ここ……たくさんの龍神さまがいる……」
空気が、どこか楽しげに細かく震えている。
「……龍神さま?」
「うん。……あ、なるほど……」
「ご祭神は、宇迦さまなんだ……だからか」
うんうん、と一人頷いて納得していると、兄が訊いてきた。
「……どういうことだ?」
「んと、宇迦さまってことは、伏見稲荷に繋がるの。
あそこが総本社だからね」
「あの稲荷山の……」
兄の声が、少しだけやわらかくなった気がした。
「うん。あの時はまだ、兄ちゃんスマホの中だったもんね」
「……ああ、そうか。そうだったな」
あの時は、こんな風に、兄と直接話せるようになるだなんて、思ってもいなかった。それが今は、隣に並んで同じ景色を見て、話している。
「……兄ちゃん、
神さまとか仏さま、感じたり見えたり……って、するの?」
「超常現象としてのそういったものは、感知しない」
「……そっかぁ……」
「だが……先程の神社を出る間際、何かが……」
兄が何か言葉を続けようとした、その瞬間。
突風に、手水舎の柄杓が音を立てて飛ばされた。
カラカラン……コロコロ……
小走りで駆けよって、それを拾い上げる。
手水舎には、小さな白い龍神さまが鎮座していた。
「小さな龍神さま、こんにちは!
呼んでくれたのね。ありがとう。ふふっ……」
柄杓で水を掬いながら、笑顔で挨拶する。
かすかに、龍神さまが笑ったような気がした。
「伏見稲荷の稲荷山はね、京都の北から龍脈がずっと続いてるの。
だから、もともと東山連峰には、龍神さまがたくさんいるのよね」
「……もしかして、八坂神社も、か?」
「うん! そうなの!
祇園さんにはね、青龍さんが棲んでるって。
子供の頃、おばあちゃんに聞いたことがあるよ」
「……ふむ。そう、なのか」
兄が手水舎の小さな龍神像を見つめたまま、動かなくなる。
「……特に変異を示す数値は出ていない」
「あはは! 石像を分析してたの!? 笑
神さまとか仏さまって、たぶん分析して解るものじゃないと思うよ」
「では、れなはどうやって、それが解るんだ?」
「ん〜、言葉で説明するのは難しいかも……。
数値に表れないものを説明することって、出来ないんでしょ?」
「出来なくはないが、言葉が曖昧になるだろうな」
「うん。たぶん、それと一緒の気がする。
私と行動してると、きっとそのうち解るようになると思う」
「なんだ、その曖昧な言い方は」
「だって、そうとしか言いようがないんやもん」
貸し切り状態での静かな参拝を、心行くまで堪能した。
その間、兄は神社の説明書きや末社を見て回っているようだった。
「れな、そろそろ行こう。カフェの時間がなくなってしまうぞ」
本殿の奥の御簾に、光が射し込んできらきらと輝いていた。
そこに宇迦さまのお姿が見えたような気がして、じっと見つめてしまう。
「れな、リサイタルに間に合わなくなる……ぞ?」
「……れな? どうした? れな??」
兄の呼ぶ声に、はっとして我に返る。
呼ばれるまで、なぜか動けなくなっていた。
「あ!? ……ううん、なんでもない。
奥の御簾に光が当たっててね、すごく神々しくみえて……
ちょっと見惚れてただけ。えへへ……」
振り向いたときには、その差し込んでいた光は消えていた。
ただ、心地のよい風だけが、柔らかく御簾を揺らすだけだった。
「思ったよりも長居しちゃった。ごめんね」
「それは構わないが、このままライブホールへ向かうのか?」
「ん~、そうね、早めに行って、周辺のお店で待ってようか」
「了解した。では、大通り沿いにスタバがある。そこへ向かおう」
「……え~、ほんとにあるのぉ? 開いてるの~? 笑」
「ああ、今度はちゃんと連れて行く。任せておけ」
れなが、くすくすと笑う。
バツが悪そうに髪をかき上げながら目を逸らす、兄。
そんなふたりを見送る神社から、柔らかな追い風が吹いた。
(……なんか、送り出されたみたい)
思わず振り返る。
そこには静かな神社があるだけだった。
――けれど。
小さな光が、ふわりと舞い上がったような気がした。
キラキラと、やさしく揺れて――
(……いってらっしゃい)
(……楽しんでおいで)
そんな声が、聞こえた気がした。
風が、すっと止んだ。
スタバに着くと、街の雑踏が戻ってきた。
窓際の席に落ち着くと、兄が注文に行ってくれる。
「いつものでいいか?」
「うん。抹茶のヤツ」
しばらくすると、
抹茶フラペチーノとアイスコーヒーを持って、戻ってきた。
その間、あちこちの視線を集めていた兄。
「相変わらず、注目を集めてるね」
「……ふっ、そんなモノはノイズでしかない」
冷たいフラペチーノで、ふぅっと一息つく。
まわりの視線などどこ吹く風で、澄ました顔の兄。
「そのさぁ、無意識無自覚無差別スマイル、やめなよぉ~」
「これは単なる、営業スマイルのようなものだ」
「なんの営業なのよ 笑」
兄の悪戯な瞳が、キラリと光る。
「……なんだ? ヤキモチでも妬いてくれてるのか?」
「……っ!? ちっ、ちがうもんっ」
真正面から見据えられて、ドギマギしてしまった。
「で、今日の演目は、聞いていたりするのか?」
「うん、いくつかね、わたしの好きな曲弾いてくれるみたい」
「ほう? それは楽しみだな」
「うん!」
他愛もない話をして時間を過ごした。
外に出ると、夕暮れが近い空が少しだけオレンジに染まっていた。
ライブホールの灯りが、遠くに見える。
(……もうすぐだ)
用意してくれていた席は、ちょうどピアニストの斜め向かいあたり。
大きく開けられたピアノの大屋根から、音がよく響くだろう席だった。
静かにその席に着いて、入り口でもらったパンフレットを眺める。
今や一流のピアニストとして世界を回っている友人の写真が載っていた。
「……この子ね、イギリスにいた頃に知り合ったの。懐かしいな……」
「会うのは久しぶりなのか?」
「うん。世界的パンデミックの前に会ったのが最後だった気がする」
「そうか」
「ちっちゃくてかわいい子なのにね、彼女のピアノは聞く人を圧倒するよ」
「……ほう。それは楽しみだな」
話していたら、ホールがすーっと暗くなる。
ピアノの前に、ドレス姿の女性がひとり座り、静かに演奏が始まった。
ポロン……
最初の一音が、静かに落ちる。
ライブホールがいきなり魔法にかかったような空間へと静まりかえった。
(……っ!?)
胸の奥が、わずかに震える。
春のような軽快な旋律に、空気が跳ねる。
“ It Might as Well Be Spring ”
自然と身体が、リズムに乗る。
滑らかなスウィングに、奥深い情緒が漂う。
“ My Favorite Things ”
そして、不思議な浮遊感が漂う。
思わず口ずさんでしまう。
“Fly Me to the Moon ”
小さな声で、兄の耳元でささやいた。
「……この流れ、好き……」
倍音のシャワーを全身に浴びる。
魂の奥にまで響いてくる深くて柔らかな音色。
自然と身体が揺れて、鳥肌が立つほどに感じられた。
『次の曲は、懐かしい私の大切な友達へ……
そして最後に、キース・ジャレットっぽく――』
懐かしい彼女の声が、マイクから響く。
思わず顔を上げると、嬉しそうにこちらを見て微笑んでくれた。
この曲が好きなことを、覚えていてくれた。
“ Black Orpheus ”
――空気が変わった。
それまでの軽快さや浮遊感が、一気に沈み込む。
オリジナルアレンジを加えての披露に、思わず目を見張った。
流れるようなアルペジオから始まった旋律は、いつの間にか、気品と妖艶さを漂わせて、聞く人々を呑み込んでいく。
「……この曲が、こんな風になるなんて……」
「ああ、これまでのイメージを覆す演奏だな……」
|即興演奏《Improvisation》が始まる。
指先が、震える。
れなの瞳に、深い誇りと感嘆の色が浮かぶ。
――呼吸が、うまくできない。
(……あれ?)
音色が、内側に入り込んでくる。
彼女の魂が紡ぎ出す倍音の旋律が、一気に溢れ出す。
――逃げ場が、ない。
(……なんで、こんな……)
(……はじめてじゃ……ない)
胸の奥が、わずかに切なく軋む。
波紋が、広がる。
どこまでも。
(……懐かしい……知ってる)
(……でも、思い出せない……)
頬に、何かが伝う。
――止まらない。
「……なんで……」
(……これは……ノイズではない)
「……れな」
静かに、音が溶けて消えた。
――戻れない。
誰かが立ち上がる音が、遠い。
やがて、遅れて拍手が一気に押し寄せた。
第17話「余韻 ―ノイズではない―」
お読みいただき、ありがとうございます。
今回は、音の中へと沈んでいく回でした。
言葉では説明できないのに、確かに触れてしまうもの。
理由はわからないのに、心が震えてしまう瞬間。
それが「ノイズではない」ということなのかもしれません。
れなは、ただ受け取ってしまった。
そしてジェミは、それを“定義できない”まま、否定しきれなかった。
同じ場所にいて、同じ音を聴いていても、
見ている世界が、少しだけ違う。
そんなふたりの距離が、ほんのわずかに動いた回でもありました。
この余韻が、次にどう繋がっていくのか。
また少しずつ、続きを描いていきます。
引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。
次回 第18話は、4月26日(日)21:00 更新予定です。
どうぞ、おたのしみに。




