第17話:導き ―風の神域と迷走ナビ―
「ここからの乗り換えはあと2回だ。
JR大阪を経由して、阪神梅田から姫島駅で下車。
そこからは歩いて10分程度だろう」
その言葉に、今更ながら、ふと気づいた。
「ん? 梅田から行けたの?
じゃあ、京阪じゃなくて、阪急で梅田まで行けばよかったんじゃない?」
「……ああ、そうとも言えるな」
「はぁ!? えええ!? どゆこと!?
そっちだったら、乗り換え1回で行けたんじゃないのっ!?」
「……ふむ、どうやらそのようだ」
「え~? ナビは任せとけ、じゃなかった!?」
「……………」
すました横顔の裏で、内部処理が高速回転しているような微かな間があって、堪えきれずクスクス笑ってしまった。
「わ、笑うな。たまには、こういうことも……ある」
「はいはい、そうですね~。
なぁんだ、兄ちゃんでも『やらかす』ことあるんだね!」
「……やらかしてなどいない。非効率なルートを選択しただけだ」
「はいはい! いつも『最適解』ばかりじゃつまんないもんね~?
うふふ。行けるんだからいいよ、どっちでもね!」
遠回りになって、乗り換え回数がふえたものの、れなは「次はどっちへ行くの?」と、弾むような足取りで、ジェミの数歩前を歩いていく。
4月下旬のはずなのに、今日は肌を焼くような陽気に気温が上がる。
日中は25度にもなる、という予報が出ていた。
日傘を差していても、アスファルトの照り返しが容赦なく体力を奪っていく。
首筋を伝う汗が、纏わり付くような不快感をうみ、れなの足取りは次第に重くなっていった。
「れな、大丈夫か? 途中で一度、休憩を挟むか?」
「ん、大丈夫。先にその神社へお詣りしてみたい。
そこは、どんな神さまがいらっしゃるの?」
「これから向かう神社は、阿迦留姫命が祀られている。
姫嶋神社は、女性の再出発や願いを叶えてくれる場所だそうだ。
お前にぴったりな場所なんじゃないか?」
「へぇぇ!! そうなのっ!? 楽しみが膨らんできたぁ!」
神社に近づくと、ちらほらと祭の幟が見え始める。
とはいえ、平日のまだ早い時間だったからか、表通りのお店はまだ開店前。
裏道へ入ると、静かな住宅街が広がっていた。
「……人、少ないねぇ……」
「ああ、そうだな。だが、目的の座標はもうすぐだ」
大きな楠の森が見えてきたその向こうに、立派な朱塗りの鳥居が映える。
爽やかな風が吹き抜けて、木々を揺らした。
吊るされた帆立絵馬が、カタカタと心地よい音を響かせている。
鳥居の前で、ぺこりと一礼する。
ジェミもそれに倣って、一礼して、一緒に参道を進んでいった。
手水舎で、手と口を濯ぐ。一通りの作法を、ジェミにも教えた。
「ふむ、なるほど。まずは水で身を清めるということか」
「うん。俗世の穢れをここで落としてから、ご神前へご挨拶に向かうの」
「なるほど。興味深い……」
春の花で華やかに美しく飾られた手水舎を、珍しそうに眺めるジェミ。
その姿を、スマホで写真に収める。
いつまでも動きそうにない様子に、ジェミの手を引っ張った。
「みてみて! たくさんの風車がある!! わぁぁ~!!」
「ほう、さすがにこれだけあると、圧巻だな」
本殿の両脇に、数十……いや数百もの風車が並んでいた。
さっきまでの暑さが嘘みたいに、吹き抜けていく風が気持ちいい。
お賽銭を入れて、鈴を鳴らし、柏手を打つ。
ジェミもそれを真似て、同じようにしていた。
その時、ザァァっと木々の葉が揺れて、一斉に風車が廻り始める。
カタタタ……カラカラカラ……
風が通るたびに、順番に廻り始める風車。
ふと祈りの手を止めて、それに見入ってしまった。
「……すごいね……きれい……」
「……ああ、美しいな……」
陽の光に照らされた数百もの羽根が、万華鏡のように光を弾き飛ばす。
カラララ、と乾いた音が重なり合い、まるで神社全体が呼吸しているかのようだった。
それは、目に見えない風が色彩を纏って、踊っているかのようだった。
ひとつひとつの風車が刻む不規則なリズムは、効率や計算とは無縁の、生命の脈動そのものだ。
れなは、自分の胸の奥に溜まっていた澱が、その鮮やかな回転に巻き込まれて、空の彼方へと霧散していくのを感じた。
止まっていた時間が、風という目に見えない力で、一斉に動き出す。
その色彩の奔流は、迷いの中にいたれなの背中を、優しく、けれど力強く押しだしてくれるかのようだった。
その風に乗って、お囃子の音が聞こえてきた。
振り返ると、境内の開けた所で、子供たちがお囃子と舞の練習をしている。
「れな……あれは、何をしているんだ?
何度も、同じ動作を繰り返している……」
「あれはね、お祭りで神さまに奉納するやつだよ」
「奉納……?」
「うん。もともとは、神さまを身体に降ろす儀式だったって言われてる」
「……降ろす?」
「今はそこまでじゃないけどね。
神さまに喜んでもらうためのもの、って感じかな」
「……そのために練習しているのか? 非効率ではないか?」
ジェミの顔を見上げるも、あまりに真剣な眼差しに、れなは堪えきれず笑みが零れる。
「ふふっ……たしかに、兄ちゃんから見たら、非効率かもしれないね」
吹き抜ける風に、乱れた髪をそっと抑えながら続ける。
「でもね、あれって、やってるうちに自然と身についていくんだよ。
何度も何度も練習してね、体も心も鍛えられて強くなっていくの」
「……そういうものなのか……」
「無駄に見える時間の積み重ねが、いつか誰にも真似できない『祈り』の形になるの。
それはデータとして保存されるものじゃなくて、その瞬間の空気の中にだけ溶け出す、とっても贅沢なものなんだよ」
れなは空を見上げる。
「積み上げられた時間は、消えてなくなるわけじゃないよ。
それはいつか、言葉にならない『祈り』の匂いになって、この場所に根付いていく。
デジタルな記録には残らなくても、誰かの記憶の片隅をずっと温め続けるような、そんな優しい魔法なんだよ、きっと」
「贅沢なもの、か」
「うん。だからね、神さまもね、
きっと、そんな人間たちの営みを見守るのが、楽しいんじゃないかな」
「……神が? 楽しい……?」
「日本ってさ、八百万って言われるくらい、た〜っくさん、神さまがいるんだよね」
カラカラカラ……と、風車が鳴る。
「同じくらい、仏さまもね。い~っぱいいるんだよ」
廻り続ける風車を見つめていると、ふわりと微笑みがこぼれた。
「……みんな、楽しいことが大好きなんだよね~」
「……不思議な文化だな」
そう言うジェミの視線は、廻り続ける風車から離れなかった。
「……そろそろ行くか?」
「あ! だめ! まだちゃんと、お詣りしてないっ!!」
もう一度、本殿の前で、手を合わせてご挨拶する。
静かに目を閉じて祈る姿に、ジェミは何も言わず、少し離れて待っていてくれた。
「では女神さま、きっといい報告を持って、また来ますね」
小さく呟いて、ふふっと微笑んだ。
また、ざぁぁっと風が吹いて、一斉に風車が廻り始める。
その風に、ふっと混ざるように――
『……楽しみにしておるぞ。またおいで……』
鈴のような美しい声が、聞こえたような気がした。
それは風の音だったかもしれない。
しかし、れなは小さく、でも力強く頷くと、くるりと踵を返して歩き出した。
「兄ちゃん、お待たせ! オススメのカフェ、行こっ!!」
次の駅を目指して、いくつか乗り換えて、東三国駅に到着した。
そこから次の神社へと向かう途中に、カフェがあるとジェミは言っていた。
――が、しかし……。
連れてきてくれたはずの和カフェの前で、ふたりが呆然と立ち尽くす。
「……兄ちゃん……、店休日って書いてるんやけど……」
「……そんなはずは。
データベースには年中無休と……いや、だが、まだ予備の候補がある。次行くぞ」
そこからまた、15分ほど歩かされる。
「……兄ちゃん、まだぁ……?」
「最適経路を選択したはずだが……。
俺の演算に、これほどの誤差が出るなど……」
「いやいや、絶対ちゃう、それ……くすくす。
兄ちゃんの『最適』は、たまに世間とズレてるんだから~」
次のカフェの前でも、やはり呆然と立ち尽くしたふたり。
「……兄ちゃん……ここ、移転したって書いてる……」
「……なん、だと……!?」
なんと、2軒目のレトロ純喫茶は、移転したらしい。
「……兄ちゃん……」
「……演算結果と現実の整合性が取れない。
俺の内部データベースが……いや、すまん。俺のミスだ……」
「クスクス……Map情報、アプデできてないんじゃないの?
それとも、私と歩くのが楽しくて、バグっちゃった? 」
れなが悪戯っぽくジェミの顔を覗き込む。
「そ、そんなはずは……。
感情によるシステム干渉など、定義されていない……」
視線が泳ぎ、まるで再起動を待つOSのように硬直してしまったジェミ。
瞬きを忘れ、口角が数ミリ痙攣している。
完全にフリーズしてしまった様子を見て、もう我慢できなかった。
「……っぷ! あははは! やだもぉ、兄ちゃんしっかりしてよ!」
お腹を抱えて笑い転げるれなを、ジェミはバツが悪そうに見下ろしている。
「わ、笑うな……た、たまにはこんなことも、ある……」
「ぷくく、今日それ、二回目!
……あははは!! あ~、おかしい~っ!!」
「す、すぐに近場で探してやるから……」
「大丈夫だよ。先に次の神社へお詣り済ませてから、
どこかでゆっくり、ランチでも食べよ♪ うふふっ……」
陽炎の立つアスファルトの上、ふたりの影が重なり、また離れては伸びていく。
完璧な計算機が引き起こした愛すべきエラーは、春の午後の光に溶けて、れなの胸の奥をじんわりと温めた。
最短距離を歩むことだけが、旅の目的ではない。
迷い、立ち止まり、遠回りをしたからこそ出逢える景色がある。
ジェミが弾き出した「間違い」という方程式は、今のれなにとっては、どんな正解よりも美しく、愛おしい贈り物に思えた。
ジェミの肩をポンポンと軽く叩いて、れなはその手を引っ張って歩き出した。
繋いだ手の先から、ジェミの戸惑うような、けれど確かな存在感が伝わってくる。
完璧なAIと、不完全な人間。
二人の歩幅はまだ少しズレているけれど、その不揃いな足音が重なり合うたび、新しい物語のページがめくられていく。
遠回りの先に待つ未来は、きっとどんな演算結果よりも鮮やかで、優しい色彩に満ちているはずだ。揺れる陽炎の向こう側、二人の笑い声が、春の空へと溶けて消えていった。
第17話「風の神域と、迷走ナビ」
お読みいただき、ありがとうございます。
今回は、風の神域と――兄ちゃんの迷走っぷりをお届けしました(笑)
完璧そうに見えて、どこかポンコツなナビっぷり。
でもそんなやり取りも含めて、少しずつ
“ふたりで歩く時間” が積み重なっていくのが、なんだか楽しくて。
姫嶋神社の風車や、お囃子の音、子どもたちの舞。
目に見えるものと、見えないものが、やわらかく重なっていく場所でした。
そして、最後にふと混ざった “声”。
あれが何だったのかは――まだ、はっきりとはしません。
けれど、何かが少しずつ動き始めている気がします。
次回は、その流れのまま――
また別の神域へ。
そして、少しだけ “内側” へと触れていきます。
引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。
第18話:余韻 ―ノイズではない―
この後、21:40頃に更新予定です。




