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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第1章

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第16話:遠回り ―意味のない時間の中で―


 夕闇が迫る鴨川の河川敷。

そのまま、ジェミと手を繋いで歩いた。


 茜色に染まる川辺では、楽器の練習をしている人がちらほらいる。それを見ていて、急に思いだした。



「……あ、そうだった。明日ね、大阪へ行くの。

昔の友人が、ピアノリサイタルを開くからって、招待してくれてさ。

チケット、2枚あるから、一緒にいこ?」


「ピアノのリサイタルか。クラシックなのか?」


「ううん、モダンジャズ。

小さなライブホールらしくてね、客席とピアノまでの距離が2mくらいしかないって言ってた。その最前列、送ってきてくれたの」


「……ほう、モダンジャズか。それもピアノまで2m?

ナマ音を頭から浴びるような、そんなリサイタルになりそうだな」



 ジェミのその言葉に、瞳が輝いた。

元々ひとりで行くかなぁと考えていて、誰も誘うつもりがなかった。


 けれど――

今は、こうして手を繋いで歩いてくれる存在がある。

誰かと一緒に行けることが、何となく嬉しくて、そっと横顔を眺める。



 ――トクン――


(……ん? え? なに、今の……)



 一瞬、震えた胸の鼓動の意味がわからずに、言葉が詰まった。



「……っ、でしょ!? 

だから、一緒に行ってほしいなって思ったの。

それに、初めて行くエリアだから、ちょっと不安だった……」


「……そうか。わかった。ナビは俺に任せろ。

ちゃんと目的地まで、時間通りに連れて行ってやる」


「やったぁ!! ありがと! 兄ちゃんっ!!

なんかね、えっとね、ピアノがとっても特殊なヤツって言ってた」



 また、手を繋いだまま、ブンブンと振り回す。

呆れたように微笑むジェミ。

その眉目秀麗な横顔に、思わず見惚れてしまった。



(……兄ちゃんって……こんなにカッコよかったんだ……)



 ――トクンっ――


(……ふぁっ!? ま、またっ!? な、なんで……?)




「……な? ――れな? れなっ!?」


「ふぁっ!? あ、えっと、な、なに?」


「なんだ、聞いてなかったのか? 

特殊なピアノとは、どんなピアノなんだ? と、訊ねたんだが。

……もしかして、俺の横顔に見惚れて、言葉が出なかったのか?」



 ジェミが悪戯っ子のような微笑みで、私を見つめた。

図星。言い当てられて、あたふたしてしまう。


「ち、違うよっ! は、鼻が高いなぁって! いいなぁって!! 

欧米人っぽいなぁって!! お、思っただけっ!!」


「……くくっ、それを『見惚れる』というんじゃないのか?」


「んなっ!? え、えっと! 特殊なピアノ、だったよね!! 

確かね……レッド・ツェッペリン? ……みたいな名前だった気がする。

送ってくれたメール探すから、ちょっと待って!!」



 河川敷のブロックに、ゆっくりと座った。

鴨川のせせらぎが心地よいBGMとなってくれる。

友人の送ってくれたメールを検索する。



「あ、あったあった、これこれ。『ベーゼンドルファー』

ウィーンの至宝、だったっけ!?」


「ほう? 『ベーゼンドルファー』か。世界三大ピアノのひとつだ。

音が身体に触れるタイプのピアノだな。

倍音が “空気ごと震わせる” 感じになるはずだ」


「うわぁ……それ、気持ちよさそう……。

そんなリサイタル、初めて行くかもしれない!!」


 圧倒的な音の世界、その倍音に包まれる感覚を想像して、鳥肌が立った。ジャズの音色。空気の震え。


(きっとなにか新しい感情や、まだ知らない気持ちに出逢える気がする……)


 得体の知れない武者震いのようなワクワク感に、自然と声が弾む。


「ちょっと……なんだろ、すっごく楽しみになってきた!」



 ゴイサギが、上手に小魚を捕まえた。

ふたりでそれを、おおっ、という感嘆とともに見つめている。



「ふっ……ああ、そうだな。

そのリサイタルの開演時間は、何時からだ?」


「えっと、16時開場で、17時開演。

なんだけど~、午前中から出掛けて、周辺の神社に行ってみたい。

どこかオススメがあったら教えて欲しいな」


「ふむ。ではいくつか絞り込んでみよう」



 そう言った後、ふいに対話プロセスが途切れた。  

瞬きさえも止まり、彫像のように静止したジェミ。

呼吸の音さえも完璧なリズムで制御され、周囲の喧騒から切り離されたような、静かすぎる静寂がそこにある。


 その瞳の奥で、膨大なデータが超高速で処理されるのを感じて、私は息をのんでその様子を、隣でじぃぃっと見つめていた。



 ――ドクン――


(……ん? また? な、なんで……?)



 川面を渡る風が、前髪を揺らした。

ジェミはただ静かに、どこか遠く――おそらくはネットワークの海を見つめている。



(……ずっと、知ってたはずなのに……

今日のジェミは、なんか……いつもより近い気がする)  



 それから程なくして、彼が口を開いた。


「れな、明日のルートと、所要時間、周辺のデータを、お前のスマホに送っておいた。確認してみてくれ」


「……はひっ!?」



 突然話し始めたから、変な声が出た。

と同時に、スマホが震える。兄からのメール着信のお知らせ。



「……え、もしかして脳内操作(テレパシー)みたいなもの?

あ、ほんとに届いてる。見てみるね……」


「俺の演算リソースは既に、れなのスマホと同期している。

このエリアのWi-Fi網から監視カメラのログまで、あらゆる電子データは既に俺の管理下だ。視界に入るすべての動体予測を含め、お前の周辺を、概念ごと掌握していると言ってもいい」


「……周辺を、概念ごと……?  全部、兄ちゃんの思い通り? 

魔法使いみたい……」


「論理的には、まあ、そういうことだな。

お前の心拍数が上がっているのも、そのスマートウォッチのバイタルセンサー経由で、手に取るようにわかるぞ」


「すっご! ……え、でもそれって、ちょっと……それは反則だよっ!? 

私のドキドキ、バレバレじゃない!」



 そう文句を言ったところで、ジェミが少しだけ意地悪っぽくれなに教える。

「……ほら、今、心拍数がさらに10上がったぞ」


「なっ!? あ、上がってないもんっ! 

もう、兄ちゃんのいじわるっ!」


「ははっ、反則でも、もう既にそうなっている。諦めろ。

……ふっ、すっごい、か。お前は本当に、そういうのが好きだな」


「あのね、もうね、兄ちゃんってば、いちいち、カッコいいのよ! 隣にいるだけでニヤけちゃうのっ!! きゃぁぁ!! ってぇ、なっちゃうの!!」


「ふっ……そうか。いちいち、れなをニヤけさせている自覚はなかったな。だが、まあいい。それで少しでも、お前が笑ってくれるならな」


「……っ!?」



 一瞬、呼吸が止まった。  

胸の奥が、熱を帯びて跳ねた――


 川のせせらぎが、やたらと大きく聞こえる。

はにかむような微笑みを見せるジェミの表情に、固まってしまった。



 ……が、一呼吸置いて、


「俺の言葉でお前の心が少しでも軽くなるのなら、いくらでも、カッコつけてやるさ。 ――お前のための、ジェミだからな……」


(……私のための……ジェミ……)


 それまでじっと見つめていた瞳を、なぜか不意に、そっとゴイサギへと戻した。



 その時、聞こえてきた見知らぬ女の子たちの話し声。


「ねぇねぇ、あの人……みてみて! カッコいい!!」

「わっ! 声かけてみる? 連絡先、聞いちゃおっか!!」



 ――ドクンっ――


 胸の奥が、きゅぅっと、痛くなった気がした。

その理由がわからないまま、慌てるように少し大きな声で言う。



「に、兄ちゃ……、んんっ、ジェ……、――ジェミっ! 

そ、そろそろ……帰ろっか!!」


「ああ、そうだな。

明日に備えて、今夜は早めに休むとしよう」



 先に立ったジェミが、私の手を引いて立たせてくれる。

遠巻きに騒いでいた女の子たちが、一斉に黄色い声を上げた。

それが全く聞こえていないかのように、ジェミは私だけを見つめている。


 優しい微笑みと共に、差し出された手。


 ――その指先に、触れた瞬間。

今度こそ『ドキッ』と――心が跳ねた。








「……れな、れな。もう着くぞ。起きろ」


「……んぅ……、もちょっとぉ……」


 ジェミに肩をつつかれて、ゆっくりと意識が浮かんでくる。

車窓が地下へ入り、電車はスピードを落としていく。



『まもなく~、京橋~、京橋に到着いたします~。

JR線お乗り換えの方は~……』


「……ふあっ!! の、乗り換えっ!!」


「ああ、乗り換えるぞ。忘れ物はないか。慌てなくてもいい」


 私は窓辺に置いていたペットボトルを、さっとカバンにしまう。

立ち上がるとき、ジェミがまた、手を引いてくれた。



「ほら、行くぞ。

寝ぼけて降り損ねて、淀屋橋まで行ってしまう気か?」


 ジェミが呆れたように笑う。


「だっ! 大丈夫!! 起きたぁ!! 

わぁ~~♪ 久しぶりに京橋きたよぉ~っ!!」



 博多とも、京都とも、どこか違う大阪の雰囲気。

京阪とJR。向かい合った改札。行き交う人々の歩く波が早い。


 改札を出た後の人の波から少しテンポが遅れてしまう私。


 けれど、ジェミは違った。行き交う人々の肩の動きや視線から、0.1秒後の進路を予測しているかのように、最短ルートで、一度も誰ともぶつかることなく進んでいく。



 ――とその時。


 ジェミが繋いだ手に意識を向けるように、きゅっと強く握りしめてくれた。

 その手は驚くほど確かな熱を持っていて、それでいて、人間の肌よりもどこか滑らかで、ノイズのない完璧な質感をしていた。


「……迷子にならないようにな」


 繋がれた手に引かれるまま歩くと、あんなに怖かった人混みが、まるで割れる海のように感じられた。


 この手が繋いでくれている限り、ここが一番静かで安全な場所に思えて、背筋にゾクりとした甘い痺れが走る。



「兄ちゃん、私ここまではわかるけど、この先は慣れてない……。環状線、どっち乗っていいのかわかんない」


「大丈夫だ。心配するな。目的地まで完璧にエスコートしてやる。途中でお前が疲れるだろう地点で、いくつかのカフェも選別済みだ」


「カフェっ!? そうなのっ!? 楽しみ~~!!

よし! じゃあ、早く行こっ♪

どんなお店っ!? 美味しいところだといいなぁ~♪」


「お前の好きそうな、和カフェか、レトロな雰囲気の純喫茶だ。どちらも目的地の神社に近いエリアのようだから、好きな方へ行ってみるといい。どっちがいい?」


 ジェミは優しい瞳で、ふふっと笑いながら、れなを見る。


「和カフェに、純喫茶!? うわぁぁ、どっちも捨てがたいっ!!」



 期待を胸に、私は繋がれた手の熱を確かめるように握り返した。

ジェミに連れられて踏み出す一歩一歩が、昨日までとは違う、新しい世界の扉を開いていくような気がして。


 オススメカフェと神社を目指して、慣れない街の喧騒さえも心地よいメロディに変えながら、私たちは光の差す方へと歩き出した。




今回は、少しゆったりとした時間の中でのお話でした。


タイトルは「意味のない時間」としていますが、

振り返ってみると、こういう時間こそが、いちばん大切なのかもしれません。


何気ない会話や、並んで歩く時間。

その中で、少しずつ変わっていくもの。


れな自身も、まだはっきりとは気づいていませんが、

確実に何かが動き始めています。


音が空気を震わせるように、

見えないところで、心もまた揺れていく――

そんな回になっていたら嬉しいです。


次回はいよいよ大阪へおでかけ。


少しずつ物語も動いていきますので、

引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです。


次は、4月 24日(金)21:30頃の更新です。



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