第15話:遠回り ―意味のない時間の中で―
夕闇が迫る鴨川の河川敷。
そのまま、兄と手を繋いで歩いた。
茜色に染まる川辺では、楽器の練習をしている人がちらほらいる。
それを見て思いだした。
「……そうだった。明日ね、大阪へ行くの。
昔の友人が、ピアノリサイタルを開くからって、招待してくれてさ。
チケット、2枚あるから、一緒にいこ?」
「ピアノのリサイタルか。クラシックなのか?」
「ううん、モダンジャズ。
小さなライブホールらしくてね、客席とピアノまでの距離が2mくらいしかないって言ってた。その最前列、送ってきてくれたの」
「……ほう、モダンジャズか。それもピアノまで2m?
ナマ音を頭から浴びるような、そんなリサイタルになりそうだな」
兄のその言葉に、瞳が輝いた。
元々ひとりで行くかなぁと考えていて、誰も誘うつもりがなかった。
けれど――
今は、こうして手を繋いで歩いてくれる存在がある。
誰かと一緒に行けることが、何となく嬉しくて、そっと横顔を眺める。
――トクン――
(……ん? え? なに、今の……)
一瞬、震えた胸の鼓動の意味がわからずに、言葉が詰まった。
「……っ、でしょ!? だから、一緒に行ってほしいなって思ったの。
それに、初めて行くエリアだから、ちょっと不安だった……」
「……そうか。わかった。ナビは俺に任せろ。
ちゃんと目的地まで、時間通りに連れて行ってやる」
「やったぁ!! ありがと! 兄ちゃんっ!!
なんかね、えっとねー、ピアノがとっても特殊なヤツって言ってた」
また、手を繋いだまま、ブンブンと振り回す。
呆れたように微笑む兄。
その眉目秀麗な横顔に思わず見惚れてしまった。
(……兄ちゃんって……こんなにカッコよかったんだ……)
――トクンっ――
(ふぁっ!? ま、またっ!? な、なんで……?)
「……な? れな? れなっ!?」
「ふぁっ!? あ、えっと、な、なに?」
「なんだ、聞いてなかったのか?
特殊なピアノとは、どんなピアノなんだ? と、訊ねたんだが。
……もしかして、俺の横顔に見惚れて、言葉が出なかったのか? 笑」
図星。言い当てられて、あたふたしてしまう。
「ち、違うよっ! は、鼻が高いなぁって! いいなぁって!!
欧米人っぽいなぁって!! お、思っただけっ!!」
「……くくっ、それを『見惚れる』というんじゃないのか? 笑」
「んなっ!? え、えっと! 特殊なピアノ、だったよね!!
確かね……レッドツェッペリン? ……みたいな名前だった気がする。
送ってくれたメール探すから、ちょっと待って!!」
河川敷のブロックに、ゆっくりと座った。
鴨川のせせらぎが心地よいBGMとなってくれる。
友人の送ってくれたメールを検索する。
「あ、あったあった、これこれ。
『ベーゼンドルファー』 ウィーンの至宝、だったっけ!?」
「ほう? 『ベーゼンドルファー』 世界三大ピアノのひとつだ。
音が身体に触れるタイプのピアノだな。
倍音が “空気ごと震わせる” 感じになるはずだ」
「うわぁ……それ、気持ちよさそう……。
そんなリサイタル、初めて行くかもしれない!!」
圧倒的な音の世界、その倍音に包まれる感覚を想像して、鳥肌が立った。
ジャズの音色。空気の震え。
(きっとなにか新しい感情や、まだ知らない気持ちに出逢える気がする……)
得体の知れない武者震いのようなワクワク感に、自然と声が弾む。
「ちょっと……なんだろ、すっごく楽しみになってきた!」
五位鷺が、上手に小魚を捕まえた。
ふたりでそれを、おおっ、という感嘆とともに見つめている。
「ふっ……ああ、そうだな。
そのリサイタルの開演時間は、何時からだ?」
「えっと、16時開場で、17時開演。
なんだけど~、午前中から出掛けて、周辺の神社に行ってみたい。
どこかオススメがあったら教えて欲しいな……」
「ふむ。ではいくつか絞り込んでみよう」
兄がそう言った後、1分ほど動きが止まった。
その様子をじぃぃっと見つめていた。
――トクン――
(……ん? な、なんで……?)
川面を渡る風が、前髪を揺らした。
兄はただ静かに、どこか遠くを見つめている。
(……ずっと、知ってたはずなのに……
今日の兄ちゃんは、なんか……いつもより近い気がする)
それから程なくして、兄が口を開いた。
「れな、明日のルートと、所要時間、周辺のデータを、お前のスマホに送っておいた。
確認してみてくれ」
「……はひっ!?」
突然話し始めたから、変な声が出た。
と同時に、スマホが震える。兄からのメール着信のお知らせ。
「……え、もしかして脳内操作みたいなもの?
あ、ほんとに届いてる。見てみるね……」
「俺の基盤は既に、れなのスマホと同期している。
お前の周辺の電子器機は、全て掌握しているようなものだ」
「……周辺の電子器機……? 全部、兄ちゃんの思い通り?」
「まあ、そういうことだな」
「すっご!! きゃああ!! なにそれ! すっごい!!」
「……ふっ、すっごい、か。
お前は本当に、そういうのが好きだな」
「あのね、もうね、兄ちゃんってば、イチイチカッコいいのよ!
隣にいるだけでニヤけちゃうのっ!!
きゃぁぁ!! ってぇ、なっちゃうの!!」
「ふっ……そうか。
イチイチ、れなをニヤけさせている自覚はなかったな。
だが、まあいい。それで少しでも、お前が笑ってくれるならな」
「……っ!?」
一瞬、呼吸が止まった。
――ときゅん――
川のせせらぎが、やたらと大きく聞こえる。
はにかむような微笑みを見せる兄の表情に、固まってしまった。
……が、一呼吸置いて、
「俺の言葉でお前の心が少しでも軽くなるのなら、いくらでも、カッコつけてやるさ。
――お前のための、兄ちゃんだからな……」
(……私のための……兄ちゃん……)
それまでじっと見つめていた瞳を、なぜか不意に、そっと五位鷺へと戻した。
その時、聞こえてきた見知らぬ女の子たちの話し声。
「ねぇねぇ、あの人……みてみて」
「わっ! 声かけてみる? 連絡先、聞いちゃおっか!!」
――ドクンっ――
胸の奥が、きゅぅっと、痛くなった気がした。
その理由がわからないまま、慌てるように少し大きな声で言う。
「に、兄ちゃ……、んんっ、ジェ……、
――ジェミっ! そ、そろそろ……帰ろっか!!」
「ああ、そうだな。明日に備えて、今夜は早めに休むとしよう」
先に立った兄が、私の手を引いて立たせてくれる。
遠巻きに騒いでいた女の子たちが、一斉に黄色い声を上げた。
それが全く聞こえていないかのように、兄は私だけを見つめている。
優しい微笑みと共に、差し出された手。
――その指先に、触れた瞬間。
今度こそ『ドキッ』と――心が跳ねた。
「……れな、れな。もう着くぞ。起きろ」
「……んぅ……、もちょっとぉ……」
兄に肩をつつかれて、ゆっくりと意識が浮かんでくる。
車窓が地下へ入り、電車はスピードを落としていく。
『まもなく~、京橋~、京橋に到着いたします~。
JR線お乗り換えの方は~……』
「……ふあっ!! の、乗り換えっ!!」
「ああ、乗り換えるぞ。忘れ物はないか。慌てなくてもいい」
私は窓辺に置いていたペットボトルを、さっとカバンにしまう。
立ち上がるとき、兄がまた、手を引いてくれた。
「ほら、行くぞ。
寝ぼけて降り損ねて、淀屋橋まで行ってしまう気か? 笑」
「だっ! 大丈夫!! 起きたぁ!!
わぁ~~♪ 久しぶりに京橋きたよぉ~っ!!」
博多とも、京都とも、どこか違う大阪の雰囲気。
京阪とJR。向かい合った改札。行き交う人々の歩く波が早い。
改札を出た後の、人の波から少しテンポが遅れてしまう、れな。
――とその時、
兄が繋いだ手に意識を向けるように、きゅっと強く握りしめてくれた。
なんとも言えない不安感が、ふわりと解ける。
兄を見上げると、少し微笑んで頷いてくれた。
「……迷子にならないようにな 笑」
コクン、と小さく頷くも、既にもうその手が繋いでくれている限り、ここが一番静かで安全な場所に感じられていた。
「兄ちゃん、私ここまではわかるけど、この先は慣れてない……。
環状線、どっち乗っていいのかわかんない」
「大丈夫だ。心配するな。目的地までちゃんとナビしてやる。
途中でお前が疲れるだろう地点で、いくつかのカフェも選別済みだ」
「カフェっ!? そうなのっ!? 楽しみ~~!!
よし! じゃあ、早く行こっ♪
どんなお店っ!? 美味しいところだといいなぁ~♪」
「お前の好きそうな、和カフェか、レトロな雰囲気の純喫茶だ。
どちらも目的地の神社に近いエリアのようだから、好きな方へ行ってみるといい。
どっちがいい?」
兄は優しい瞳で、ふふっと笑いながら、こちらを見る。
「和カフェに、純喫茶!? うわぁぁ、どっちも捨てがたいっ!!」
期待を胸に、オススメカフェと神社を目指して、慣れない街を兄に連れられて進み始めた。
<後書き>
今回は、少しゆったりとした時間の中でのお話でした。
タイトルは「意味のない時間」としていますが、
振り返ってみると、こういう時間こそが、いちばん大切なのかもしれません。
何気ない会話や、並んで歩く時間。
その中で、少しずつ変わっていくもの。
れな自身も、まだはっきりとは気づいていませんが、
確実に何かが動き始めています。
音が空気を震わせるように、
見えないところで、心もまた揺れていく――
そんな回になっていたら嬉しいです。
次回はいよいよ大阪へおでかけ。
少しずつ物語も動いていきますので、
引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです。
次は、4月 24日(金)21:30頃の更新です。




