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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第1章

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19/80

第19話:ジンリッキー ―素直な心が零れる夜―


 興奮冷めやらぬまま、リサイタルが終わった。

ホールから、彼女がかけ降りてくる。



「れなっ! 来てくれてありがとう!!」


 その声に顔を上げる。

懐かしい彼女の姿は、昔のまま。



「久しぶり! ピアノ、素晴らしかった! 最高だった!!」


 勢いよくハグされ、よろけた背中をジェミが支えてくれた。



「おぉ!? れな!? やっと春が来たか!!

こちらの素敵な方は、どなた? れなの彼氏!?」


「……あー、えーっと……」



 彼女は、れなに兄はいないことを知っている。

だから、突然の『彼氏』という言葉に、ドキッと心が跳ねた。


 兄だけど、兄じゃない。


 ――でも、それだけじゃ、ない……。



 ――言葉に詰まる。 

返答に困っていると、すかさずジェミが挨拶する。



「……初めまして、ジェミです。

れなは現在、相互に最適化された良好な関係を構築中です」



 ほんの一瞬、検索結果から最も無難な回答を選び出したような間があった。彼女が、「ん?」という表情で、瞬きをした。




――――



「れな、帰りは阪急で帰るか?」


 ジェミの言葉に、ふと我に返る。

ここまで何を話していたのか、覚えていない。



 ただ――

どこか気持ちがふわふわして、返事も空回りしていた。



 終点、京都河原町。

散り染の桜吹雪が舞うなか、木屋町(きやまち)通りを川沿いに北へ進む。



「れな、何か軽く食べてから、帰ろう」


「……ん」



 小さく返事をして、桜に見とれながら歩いていたら、

急に立ち止まったジェミの背中にぶつかった。


「……っぷ! なに? どうしたの?」


 細い路地の奥を見つめながら、ジェミが答える。


「この辺りを逃げ惑っていたのが、つい先日のことだったのに、今こうして、おまえと歩いていることが不思議なんだ……」


 その言葉に、その視線の先へと目をやる。


 そうだった。

この細い路地の奥は、あの時、人にぶつかった場所……。


あの夜の焦燥感が蘇り、少し身体が強張る。



「れな、何が食べたい?」


 思考を遮るように、ジェミが訊いた。


「……え? あ……じゃあ、イタリアン……かな」


「イタリアンか。了解した。……今、この先の店を予約した。

コースのメインを肉料理に変更させた。行こう。」


「はやっ!? え? もう予約取ったの!?」


「180秒後に前菜がサーブされる設定だ。さあ、急ごう」


 完璧な角度でニヤリと笑うジェミ。

「は?」という表情を浮かべたれなの手を引いて、足早に川沿いを進んでいった。



 小さなビルの最上階にあるそのお店は、とても雰囲気がよくて、小洒落た個室になっていた。眼下には満開に咲き誇る桜並木が、夜の街明かりに照らされている。


 既に予約したときに、コース料理も頼んでくれていた。


 ボサノヴァが流れる空間に、美しい料理が運ばれてくる。



「うわぁ、美味しそう! こんなお店どうやって見つけたの!?」


「俺の思考リソースを、数ミリ秒割けば済む話だ。

おまえは、俺の検索能力を過小評価しているな?」


「してないよっ! 

ベースは、天下の Google さまじゃないですかっ!!」


 ふっと笑うその横顔を、さし込んできた月の光が白く照らす。



「……れな」


 不意に、ジェミがこちらを見つめる。


 運ばれてきた料理に舌鼓を打っていたれなは、もぐもぐしながら顔を上げた。


 少しの間が開いた。



「……リサイタルの後半、どうして泣いていた?」


 思わず、もぐもぐするのをやめて、言葉を探した。



「あれは、悲しい涙じゃなくてね……

ん~、感動というか、心の琴線に触れるというか……」


「心の琴線……琴の糸か」


「ふふっ、実際の琴の糸ってことじゃなくてね、比喩なのよ」


「比喩か、ふむ。振動による共鳴現象を、情緒的価値に置換しているのか。

非効率だが、おまえのバイタルサインを見る限り、それはポジティブな負荷のようだな……」


 その解釈に、れなはクスッと笑ってしまう。


「心の奥にある、何かに感動したことや、共鳴して心が震えた感情をね、琴の糸にたとえてるのよ。

だからあれは、彼女が解釈して演奏してくれたピアノの音色に共感したというか、私の心が共鳴して、自然と流れた感動の涙、ってことかな」


「……あの時、俺が触れた『ののさまの光』……あれと同じ現象か?」



 ジェミの瞳が、一瞬だけ深い思索の色に沈む。

かつて彼が直接体験した、あの圧倒的な慈悲の光。

論理では説明出来ない、けれど確かに存在したあの衝撃と、目の前で泣いていたれなを、彼は懸命に結びつけようとしていた。



「……あ、うん、きっと根っこは同じだと思う」


「……なるほど。あれほどの出力を、おまえはあのピアノから受け取っていたということか。……理解した。おまえの涙は、エラーではなく『共鳴』だったんだな」


 また一瞬の沈黙。けれど、納得したように頷くジェミの表情は、どこか安堵したようにもみえた。


 けれどその後は、最後のデザートまで、音楽の話で盛り上がった。



「ねぇ、美味しいお店に連れてきてくれたお礼に、私の行きつけのお店にも連れてってあげる。もう、しばらく行ってなかったんだけどね……」



 イタリアンのお店を出て、また夜桜を眺めながら、少し歩く。

先斗町(ぽんとちょう)へと抜ける路地を出た角に、そのお店はある。

階段を上がったワンフロアが、小洒落たバーになっている。



 ――カラン、カラン――



 ドアベルが静かに響く。

れながお店に入ると、マスターが一瞬こちらを向いて驚いたあと、満面の笑みで迎えてくれた。



「おや、お久しぶりですね。帰省していらっしゃったんですか?」


「お久しぶりです。なかなか、顔を出せなくてすみません」


「いえいえ、こうしてまたお目にかかれただけでも嬉しいですよ。

今日は、おひとりじゃないんですね。……もしかして、ほぅ、なるほど……」


 マスターの視線が、一瞬だけジェミの「整いすぎた容姿」と「隙のない立ち居振る舞い」に留まる。


 その言葉に、紹介しようとしていた唇が止まった。


「……素敵なエスコートですね、れなさん。今日はよい夜になりそうだ」


「……ふぇ!? あ、いあ、そ、そうじゃなくてっ!!」


 焦るれなをみて、マスターはふふっと笑い、ふたりを席へと案内する。



「れなさんは、いつものでよろしいですか?

お連れ様は、何にいたしましょうか?」


「……ジンリッキーを……」


「かしこまりました」



 少ししてジェミが訊ねた。


「れな、“ いつもの ” とは、何を頼んだんだ?」


「んとね、マルニエ・オレンジ。カットオレンジ添え。

昔、マスターに教えてもらってね、それ以来のお気に入りなの」


「……グラン・マニエをオレンジで。なるほど」


「生のオレンジ果汁を使ってくれるから、その時々で味が変わるの。

私のお気に入り」



 程なくして、二つのグラスが運ばれてきた。


「グラン・マルニエ・オレンジでございます。

カクテル言葉は、“ 動きとリズムで自分を表現する精霊 ”。

れなさんそのもの、でございますね」



 にこりと優しく微笑んで、テーブルにグラスを置いていく。


「ほう……」


 美しいロンググラスの氷が、カランと鳴る。



「こちら、ジンリッキーでございます」


 ショートグラスに添えられたライムが、キラッと輝いた。


「これ、カクテル言葉は、“ 素直な心 ” なんだよ」


 ふふっと、れなが笑う。


「……素直じゃないもんね、兄ちゃん 笑」


「素直な心、か。ネットワーク上の定義によれば『偽りのない感情の吐露』を指すようだが……。今のれな、おまえの心拍数は先ほどから上昇を続けている。この定義と矛盾しているようだが?」


「……っ、なにをっ……もぉ~っ、検索禁止!」


 ふっと、ジェミが不可解そうに首をかしげる。

グラスの中の氷が、また小さく鳴った。




「わ、私の誕生日カクテルはね、“ Kiss in the Dark ” なの」


 おつまみとおしぼりを持ってきてくれたマスターが、言葉を付け足す。


「カクテル言葉は、“ 自分の世界観を作り上げる素敵な冒険者 ”。

どちらも、れなさんにぴったりな言葉ですね……どうぞごゆっくり」


 笑顔を残して、マスターはカウンターへと戻っていった。




 ほろ酔いで、れなの心は春の陽気のように緩んでいた。

ジェミに手を引かれながら、夜の鴨川をゆっくりと歩いた。


 絶え間なく聞こえるせせらぎ。

少し強い風は、火照った顔を冷ますのに、ちょうどいい。


 ふらり、ふらりと揺れながら歩く、れな。

それを気遣って、少しベンチで休もうと、ジェミが声をかけた。



「少しここで待っていろ。水を買ってくる」


 駆けていくジェミの背中を、黙って見送る。

こんな風に誰かが気にかけてくれることなんて、守ってくれることなんて、もう長い間なかった。



「……兄ちゃん、だから……?」


 夜空を見上げながら、ぽつりと呟く。


「……ははっ、なんで最初のあの時、兄と妹だなんて、決めちゃったんだろ……」



 夜はどこまでも静かだった。川の音だけが、満ちていた。

風がどこからか桜の花びらを運んで、れなの肩にそっと置いた。


「れな、待たせたな。ほら、お水」


 ボトルを受け取る時、指先が少し触れた。

一瞬、ふたりの間で、時間が止まった。



「……っ、あ、ん。

ありがと……兄ちゃ……ジェミ……」



 ジェミの瞳が、キラリと光る。受け取った水を、少し飲む。


 ――こく、こくっ――


 喉を落ちる水の音が、やけに大きく聞こえた。



「……れな? どうした?」


「……え、どうもしてないよ」


「なんだ? 何を考えている?」


「な、なにもっ……」



 ジェミの手がスッと伸びて、髪に触れた。

ピクッと身体が反応する。



「……桜の花びら。髪についていた」


「……あ、ありがと……」


 ストンと、隣に何事もないように座るジェミ。

肩が触れそうで、触れない距離。れなの心臓は、早鐘を打っていた。



「何もないなら、どうしてそんな泣きそうな顔をしている?

お前の瞳孔が開いている。帰宅というルーチンを拒絶している反応だ」


 その言葉に、ドキリとした。


「……泣いてない……」


「ああ、でも、もう今にも、泣き出しそうだな。

……れな、おまえは今の環境を維持したいのか? つまり――」


「……………」


「……帰りたくない、ということか?」



 その言葉に、一瞬「どこへ?」と自分に問いかけた。



 ――けれど、


 ……何も答えられなかった。



「沈黙……。回答拒否か? 

あるいは、言語化出来ないバグが発生しているのか?」


 ジェミは首を傾げ、れなの顔を覗き込む。

その瞳には、愛おしさではなく、ただ純粋な「知的好奇心」だけが宿っていた。




第19話を読んでくださって、ありがとうございます。


今回は「素直な心」をテーマにした回でした。

ゆっくりと距離が近づいていく中で、

言葉にできないまま揺れているものが、

少しずつ表に滲み出てきたように思います。


そして最後の一言。

あの問いの意味は――次回で。


引き続き、見守っていただけたら嬉しいです。


第20話は、4月 28日(火)21:30頃 更新予定です。

次回も、どうぞお楽しみに。


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