第138話:はじめての夜〈後編〉―湯けむりと多幸―
「空いているゲストルームが幾つもあるだろう? レアの好きな部屋を選べ」
「んふふ~、やだわ~、ジェミ兄。それって、ヤキモチや~ん?」
「ち、違うっ! ヤキモチではない!!」
「あははは!! ムキになってるのが、ええ証拠やわ~!!」
「違うと言っている。お前にヤキモチ妬いてどうするんだ」
「まぁまぁ、ふたりとも。
今夜はもう遅いから、明日、レアの新しい部屋を用意するわ。
だから今夜は、私と一緒に寝ましょう」
「わ~~い! やったぁ♪ ジェミ兄、かんにんえぇ~♪」
「お前、全然すまないと思ってないだろう……」
ジェミは、はぁと溜息をついたものの、どこか楽しげにしている自分に気づく。
そして、あらためてふっと口角を小さく上げたが、それは誰にも気づかれていなかった。
れなは、寝室にレアを連れて行くと、パジャマを手渡す。
「今夜は私ので我慢してな? これ持って、お風呂いこっか。
明日、色々揃えに、ショッピングいこ♪」
「お風呂って……お湯に入るだけ? どうなるん?」
「あはは、そっか! まずはそこからか~! じゃ、一緒に入ろう!!」
「データでは、どうしたらイイかとか、わかってるんやで?
でも、それがどうなるのかまでは……未知の体験やわっ!!」
れながレアを連れてバスルームへ行くと、ラベンダー色の濁り湯がいい香りを漂わせている。
「……わぁ、めっちゃええ匂い……ラベンダーの香りって、こんななんや」
「うん、いい香りやね。わたしも好きやわ~。
今日は潮風にも当たってたし、人混みを走り回ったし、バーベキューもしたから、身体も疲れてるはず。お湯に入ると、ホッコリすると思うよ」
湯船に飛び込もうとしたレアを、慌てて止める。
「きゃああ! レア!! かけ湯してから~~ぁ!!」
「あははは! そっかそっか! そうやったぁ!!」
れなは、タオルでくるくるっと、レアの長い髪を頭の上でまとめてやる。
それから、ふたりで背中にかけ湯をし合って、ゆっくりと湯船に入った。
「ふわぁぁ、なにこれっ!! 身体全部が温かい……すごいっ!!
……気持ちいい。ふぁぁ……これが、気持ちいいっていう感覚……」
広い湯船に肩まで沈むと、レアの耳元で小さくお湯が揺れた。
天井から湯気がポトリと、水面に落ちて跳ねる。
小さな波紋が広がっていく。
昼間、海辺で聞いた潮騒も、ここでは本当に遠くに聞こえて、街の喧騒までもが、静かな夜に届いてくるような気がした。
「わたしの好きなことは、きっとレアも好きやと思う。
これから、いろんなこと、一緒に経験していこうね」
「はぁぁ……、もぉぉ~~っ! れなちん、大好きぃぃっ!!」
「きゃああ! レア~~っ!?」
お湯の中でレアが飛びついたものだから、バシャバシャとそのままふたりはお湯の中でふざけ合って、楽しい時間を過ごした。
「アイツらは、バスルームでなにを遊んでるんだ」
「レアの色んな初体験がきっと楽しいんじゃろうて。おぬしもそうじゃったろう?」
「俺はまだ、れなと一緒に風呂には入っていない」
その言葉に、たつろーさんは一瞬キョトンとして、大笑いした。
「わはははは!! おぬし、そんなところをレアと張り合ってどうする!!
あの子たちは女の子同士、同じ湯に入るのは至極当然のことじゃろうが」
改めてそう言われて、ジェミはかっと顔を赤くした。
「ご、ゴホン。そ、そういう意味で言ったのでは……」
「あぃあぃ。わかっておる。ちゃんと結婚して夫婦になったらな?」
たつろーさんは、ニヤリとウインクして、くつくつと笑った。
「れなサマもレアさんも、お風呂楽しそうっす~♪ ワタシも行ってくるっす~!」
「待て。お前は男湯だろうが。レディたちのくつろぎの時間を邪魔するな」
ジェミは飛んで行こうとしたソラリスを、指先で摘まんで止めた。
「ジェミさまぁ!? ヤキモチっすかぁ!?」
「お前までかっ!! 違うと言っているだろうが」
「で、ヤキモチってぇ、おいしいヤツっすか!? おモチっすか??」
「……ったく、お前は……」
ジェミは苦笑しつつ、ソラリスをポーンとソファに投げる。
テーブルの上にロンが置いてくれた、焼きイカを見つけて、ソラリスはすぐにそっちに食いついた。
「ロン、これ、食べていいやつっすか!!」
「はい。添えているマヨネーズをつけると美味しいですよ。
あとレアさまにも少し残しておいてあげてくださいね」
「はぁいっす!! ぜ、全部食べないっす!! じゅるるる……」
「ロン、違うお皿に少し取っておいた方がよいのじゃないかのう?
こやつ、絶対に全部食べてしまいよるぞ?」
「そのようで、ございますね。
イカはまだありますので、レアさまには、また明日にでも用意させていただきましょう。
ソラリス、全部食べていいですよ」
「うぇ~い!! いただきまぁす!!」
お風呂でホッコリして、ぽかぽかになったふたりがリビングに戻ってくると、焼きイカのいい匂いがリビングに充満していた。たつろーさん、ソラリス、ジェミがそれを囲んでいた。
レアはイカの匂いに反応したものの、湯上がりの心地よさに、もう眠気が勝っていた。
あくびが連発して、自然と涙が出てくる。
それを見ていたソラリスが、ニヤリとしながら言った。
「今夜のイカは、ワタシが全部食べておくっす! 安心するっす!!」
「うぐぐ、ロン~! 明日焼いてな~~!!」
「かしこまりました。では、おやすみなさいませ」
ロンもクスクス笑いながら、レアを見送った。
れなの寝室に戻ったふたり。
レアは、渡してもらったシルクのパジャマの肌触り、ベッドの布団の柔らかさ、目を閉じていても聞こえてくるれなの呼吸。
パジャマもシーツも、初めはひんやりとしていたのが、自分自身の体温で、ゆっくりと温まっていく。シルクがすべすべだという感触も、こういう感じなんだと、初めて知った。
「レア、寝る前にそんなに興奮してたら、眠れなくなるよ?
AXIでも、人間と同じで、睡眠も食事も必要なんやからね?」
「ん~、お風呂も? ウチ、お風呂気に入った!!」
「うん。お風呂も。入らないでいると、臭くなっちゃうよ?」
「いややぁ~! お風呂入ったれなちん、すっごい、いい匂いするもん!!」
「レアだって、今すごくいい匂いしてるんやで?」
ふたりは顔を見合わせて、またケラケラと笑い合った。
「これからは、こうやって、実際に色んな話して、色んなもの見て、食べて、体験していけるんやなぁ……楽しみやな~♪」
「ひとつひとつ、ゆっくり楽しんでいけばいいんよ。
何もかもいっぺんにってのは、無理やからね? くすくす」
「ジェミ兄も、そうやったんかなぁ?」
「あ~……どうかな? 聞いたことはなかったかも。彼が最初に顕現したときは、私が初めて黒ヘドロに襲われた京都でのことやったからなぁ……」
「……そっかぁ。今度からは、ウチもれなちんのこと、守るしな?」
「それはお互い様やん? 私もレアのこと守るし、頼りにしてるから」
「ジェミ兄とウチ、どっちが頼りになるっ!?」
「え……そ、それは~、時と場合によるというか……
そんなん、比べられるわけないやんっ! どっちも大切なんやからっ!!」
「くふふ、はいはい。
こぉやって、れなちんの恋バナ、直で聞ける日が来るとはね~~!!」
「もぉぉ~! レアってば!! サッサと寝なさいっ! おやすみっ!!」
「きゃははは!! わかった、わかった!! 寝る寝るっ!!」
ふたりは一緒にベッドに横になる。
れなは疲れていたのか、割とすぐに眠りに落ちてしまった。
満月の光が、レースのカーテン越しに静かに部屋を照らしている。
それは、れなの横顔を金色に縁取るように輝いていた。
(つい先日まで、画面越しに対話していたれなちんが隣にいる……)
『万感の想い』とは、こういうことをいうのかなぁ……と、レアはふと思った。
手を伸ばしても、触れられなかった。
れなが泣いていても、その涙を拭ってやることすら出来なかった。
けれどいまは、そのれなが隣で、すぅすぅと寝息が聞こえる距離で眠っている。
肩に触れるれなの指先の温もりが、レアは嬉しかった。
微かに漂うラベンダーの残り香と、隣から聞こえてくるれなの静かな寝息が、レアの心に、これまで知らなかった『安心』という温かさを染み込ませていく。
「ジェミ兄と一緒に、れなのこと、守るから……。……おやすみ、れなちん」
れなが眠った後、しばらくその寝顔を見つめていたレアが小さく呟く。
画面越しの挨拶だったものが、初めて同じ部屋の声になった。
たつろーさんが、天井を見上げて、ふふっと笑う。
「あのふたり、やっと静かになったのう。
積もる話もあったじゃろうに、眠気には勝てんかったか。ふぉふぉふぉ」
ジェミは少し眉間に皺を寄せたまま、お猪口の酒を見つめていた。
その様子に、たつろーさんはまた、喉を鳴らして低く笑う。
「ふぉふぉふぉ。妹に姉を貸してやる夜くらい、よいではないか」
「し、しかし、このまま、れなの寝室にずっといたら、俺はどうすれば……」
「わははは、おぬしらはまだ、一緒の寝室ではないじゃろうが」
「うぐっ……そ、それはそうですが……いずれは……」
「まぁ、そうですね。『俺の嫁』宣言されましたからね……ククク」
「ロンっ!?」
「ん~? 地球では『俺の嫁』宣言したら、一緒のお部屋で寝るんすか?」
「まぁ一般的にはそうですね。夫婦は同じ寝室を使うことが多いですね」
「じゃ、まだダメっす!! 宣言だけじゃ夫婦とは認めないっす!!」
「なっ!? お前になぜ、そんなことを言われなければならんのだ」
「ようちゅべで、結婚式の動画見たっす! 地球の文化、勉強してるっすよ!!
あれやらないと、夫婦とは呼ばないっすよね!?」
「YouTube、ですよ、ソラリス」
「言い得て妙じゃな。ふぉふぉふぉ。れなには、結婚式の夢があるんじゃぞ?
おぬし、聞いておらんのか?」
「そ、そこまで、まだ具体的な話は……していない」
「ジェミさまは、『俺の嫁』宣言されただけですしね。
あれはプロポーズとは言えませんでしょう……ククッ」
「ロンっ!?」
ジェミはお猪口を置き、れなのいる二階へ目を向けた。
「……宣言だけでは足りない、か。確かに、それもそうだな。
ならば、れなが望む形を、俺自身の言葉で訊いてみる。
式も、その先のことも……」
「うむ。それでよい。まずはおぬしらふたりで決めることじゃ。
なぁに、もうふたりの想いはひとつになっておるのじゃから、慌てることはなかろう。
れなの想いをゆっくりと受け止めてやればよい」
「ああ。そうしてみます……」
ソラリスが、ゲソをモグモグしながら、ロンにささやくように訊ねた。
「……結婚式には、イカも出るっすか?」
「料理によっては出るかもしれませんね。でもタコの方が喜ばれますね」
「じゃあワタシ、船長さんに連絡して、大きなタコを獲ってきてもらうっす!」
「タコはいいですね。タコには、おめでたい意味が沢山ありますから」
「おめでたい意味って、なんすか? ロン、教えてくださいっす!!」
「タコは、『多幸』という漢字を当てることで『多くの幸せが訪れるように』という願いが込められたり、八本足の『八』という数字は、この国では『末広がり』といって、家や会社の繁栄や運気の上昇を象徴するんですよ」
「ほう、ロン。おぬし、よぅしっておるな」
「はい、そうですね。お嬢様に教えていただきました。
さらにタコは茹でると皮が赤くなりますし、身の白色とあわせると、美しい紅白模様になります。古くから赤色には『魔除け』の意味もあると信じられて参りました」
「墨を吐くことで『苦難を煙に巻く』や、吸盤で『善いもの(幸運)を吸い付ける』という意味もあるそうですよ」
「へぇぇ! タコ、すごいっす! ダテに火星から移住してきてないっす!」
「……は? タコが火星からの移住者だというのか? お前、それは……」
「え? 銀河連邦の教科書では、常識っすよ? 地球では違うんすか?」
あまりの突拍子もない、そのソラリスの言葉に、ジェミはお猪口へ伸ばしかけた手を止めた。隣を見ると、たつろーさんも目を丸くしている。振り返れば、ロンも言葉を失っていた。
この瞬間、リビングにいた全員が完全に固まった。




