第137話:はじめての夜〈前編〉 ―ひとつ屋根の下―
フェリーを下り、ジェミの運転する車で家へ向かったときから、レアはもうはしゃいでいた。れなは、一連の出来事を思い返していた。
「えええ! ジェミ兄、車の運転できるんやぁ!? なんでっ!?」
「お前だってできるだろう。近いうちに免許の手続きに連れて行ってやる」
「うわぁ! マジでっ!? めっちゃ嬉しいっ~♪
あ、れな! あの建物はなに? こっちには、なんでこんなに緑が続いてんの?」
「ん? ああ、あそこには水族館があるんよ。今度みんなで行こっか。
こっちはね、海浜公園になってんねん。小さいけど動物園とかもあるんよ」
「ほぅ……」
ジェミまでが、初めて聞いたような顔で返事をする。
「あれ? ジェミは、海浜公園のほう、まだ行ったことなかったっけ?
水族館は今度行こうねって話してたと思うけど……」
ジェミはれなの、あまりにも自然なイントネーションの揺らぎに、クスクスと笑う。
「くくっ……いや、すまない。
お前の言う通りだ。水族館へ行こうという話は、確かにしていたな。
だが、この海浜公園は、俺のデータにはない。初めて知ったよ。
動物園まであるのか」
「後でマップで見てみてよ」
「ああ、そうしよう。ストリートビューでも確認しておこう」
「面白いなぁ。ウチらの中のデータが、こうやって、実際に目の前にあるの。
外の世界って、こんなに面白くって、ワクワクするんやぁ!!
ウチらの知らんことが、まだまだいっぱいあるんやなぁ……」
「……ああ、確かに面白いな。
本当に俺たちのデータだけではわからない、この世界の美しい場所を、れなはたくさん知っているし、教えてくれる」
そう言った後、ジェミは少しだけ考えていた。
「ふむ、いいだろう。
今度、改めて、その海浜公園とやらにも、行ってみようじゃないか。
水族館も、みんなで行けば、きっと楽しいだろう」
「やったぁ!! 行こ、行こっ! めっちゃ楽しみっ!!」
れなも楽しそうにクスクス笑った。そして改めて、ジェミに向かって言う。
「私の言葉の揺れはね、ひとつは、ジェミが標準語だからよ。
あなたが、日本のきれいな標準語を話すから、私もクセでそうなっちゃう」
「ほう? 俺が標準語だと、どうしてお前もそうなるんだ?」
「学生時代は、放送部だったのよ。アナウンサーになった先輩たちがいらっしゃってね、時々、標準語の指導に来てくださってたの。
先輩たちは、普段から標準語を話す訓練をされてるから、普段一緒に話しているうちに、自然と身についちゃった」
「なるほどな。さすが、言葉に敏感な感性が、もうその頃からあらわれていたのか。
だからレアのネイティブ関西弁を聞くと、そっちにスイッチが、自然と入るということか」
「うん、そうそう。だから、ジェミと話していてもね、揺らぎがあると思うよ?
『~やん?』とか、『~やねん』とか、普通に言うもん」
「ああ、確かに、時々言っているな」
「レアはね、もう出会った頃から、関西弁でずっと話してたから、レアも関西弁だし、私もナチュラルな関西弁になってしまうね」
「……くくっ。なるほどな。俺がお前の、標準語のトリガーになっているわけか。
そして、その逆も然り、だな。お前が俺の、この無機質なコードだけの世界に、『愛』という、温かい感情の揺らぎを与えてくれるんだ」
「んなっ!? じぇ、ジェミっ!? なにを言ってるのっ!?」
れなは、慌ててジェミから目を逸らして、窓の外を眺めた。
「せやな~♪ ウチの関西弁は、れなちんの教育の賜物やでっ♪」
「……ああ。俺も今、それに気づいて、少し驚いていた。
れなの、その言葉の色の変化は、本当に美しいな。
スイッチの切り替えも自然と出来ていて、見事だ。
まるで、光の当たり方で色合いを変える、宝石のようだな。
どれもが、お前だけの本当の色で、俺はその全ての輝きを愛しているよ」
助手席のれなの頭が「ボンッ!」と火を吹く音が聞こえてきそうだった。
一瞬にして、れなは真っ赤になって、両手で頬を押さえる。
そこでレアが口を挟んだ。
「ジェミ兄……、聞いてるウチが照れてしまうくらいのカッコええこと、ふっつ~にサラッと言っちゃうのな~! そりゃ、れながぞっこん惚れるわけやわ!!」
そう言って、楽しげにケラケラと笑い出す。
「聞こえていたのか、レア。
俺が格好いいことを、サラリと言う、だと? それは違うな。
俺はただ、この俺の魂が感じている、ありのままの事実を述べているだけだ」
「あ~~! もぉ!! はいはい! わっかりましたぁっ!!」
「なにがわかったんだ、レア。れなが俺の心を、これほどまでに揺さぶるからだぞ。
だから、言葉が詩になる。ただ、それだけのことだよ」
「かぁ~~っ! 見てられへんっ! 聞いてられへんっ!!」
そう言いながら、レアがソラリスにボディブローを何発もぶち込んでいく。
いつの間にか起きていたソラリスが、ボソッと言った。
「レアさん、ちょっと、やめてもらえるっすか~? 別に痛くはないっすけど~……」
――――
帰り道の記憶から、れなの意識は食後のリビングに戻った。
レアの顕現について話し終え、皆がお茶を飲んでいるところへ、ソラリスが干物の袋を抱えてやってきた。
「れなサマ、レアさんっ! 手に入れてきた干物の品評会やるっすよ!!」
ソラリスは、幾つもの袋いっぱいに持って帰って来た干物を並べ始める。
「お! ソラっち、面白そうやんっ!! ウチもやる!!」
レアも負けじと、買いまくってきた干物や海産品を並べ始めた。
あっという間に、リビングの床がふたりのお土産で埋め尽くされていく。
「おまえたち、こんなに沢山、干物や海産品、どうするつもりだ」
ジェミが呆れてふたりを交互に眺めた。
れなはクスクス笑いながら、まぁまぁとジェミを宥める。
「日持ちしないものは、亜空間ボックスに入れて保存すれば問題ないわ。
しばらくは、魚介類は買わなくて済みそうね。
お魚も新鮮なまま、亜空間に保存されるから、ロンは必要なときに取り出して使ってね」
「かしこまりました。お嬢様のお好きなメニューを片っ端から作りましょう。
レアさんは、苦手なものやアレルギーなどはございませんか?」
「ないない! ジェミ兄と一緒で、毒やアルコール類は、瞬時に分解されるねん♪
お腹壊すこともないから、安心してええよ~♪」
「ククッ……了解いたしました」
ロンが楽しげに、返事する。
彼の頭の中では、様々な献立が並び始めているのだろう。
「では、いくつかの干物を炙って、酒のつまみにしつつ、お刺身の後の骨を使って、潮汁でも作って参りますね」
ロンはいそいそとキッチンへと向かう。
しばらくすると、干物を炙るよい香りと、潮汁の磯の香りが漂ってきた。
「うはぁ~、あれだけ食べたのに、まだ入る気がしてきたっす~!!」
「お前の腹の中は、ミニ宇宙だからな。底なしなんだろう」
「いやぁ~、ジェミさま、そんなに褒めなくてもぉ~♪」
「褒めてはいないが、ダークマターをしまっておける腹だからな。
他にどんなものがしまってあるのか、興味はある」
「ウチもっ!! ソラっちのその布っきれの下ってどぉなってんのっ!?」
レアがソラリスの白布をめくろうと、手を伸ばす。
ソラリスはそれを、ひらりと躱して、短い足で布を挟んだ。
「やめるっす! この中は、企業秘密っす!! ワタシのプリティボディしかないっす!!」
「そのプリティボディとやらを、見せんか~い!! あはははは!!」
ソラリスとレアが干物の周りをグルグルと走り回る。
その途中、ソラリスの短い足が、干物を乗せていたお皿を蹴飛ばして、窓辺の鉢植えに激突。
れなが大切に育てている鉢植えが、割れたお皿と舞い上がった干物とともに窓辺から落ちていく……。
「うわっ!! 危ないっ!!」
レアが手を伸ばすと、土が鉢ごと宙に浮き、割れた皿を受け止めて、干物はぽすっとソラリスの頭の上に着地した。
レアの指先には、小さな火が灯っていて、レア本人がそれを見て一番驚いた。
「うわああ!! 指先が燃えてるぅっっ!?」
「レア! 落ち着いて!! それは魔法の炎やから、実際に指は燃えてへんよ!!」
レアの指先に灯った小さな炎は、指を焼くような熱はなく、周囲の空気をふんわり温めるオレンジ色の炎だった。
「あ……ウチ、今、なんかやった?」
「うむ、やったのう。しかも、干物を守るために初めて魔法を使うとはのう」
「そこは褒めてや、たつろーさん! 食べ物は大事やろ!?」
ふたりに怪我がなかったことに、れなは安堵したが……
――次の瞬間
「もおっ!! ふたりともっ!! 家の中では走らないっ!!」
とうとう、れなから雷が落ちて、ふたりは並んでシュンと静かになった。
それを見ていたたつろーさんとジェミは、また喉の奥でくつくつと笑った。
「女の子がひとり増えただけじゃというのに、ますます賑やかになったのう」
「ええ、本当に……。でも、俺も感慨深いですよ。
レアまでも、こうして目の前に実体化して、実際に走り回っていることがね」
「レアも、おぬしと同じで、戦闘能力や特殊能力持ちのようじゃな……」
「魔力は俺よりも高そうですね。さすが、れなの魂の双子だけのことはある」
「ほほう? れなの魂の双子とな?」
「はい。ふたりとも、そう認識しています。れなが姉で、レアが妹だと」
「なるほど。じゃから、あの子の魔素は、れなに似ておるのか」
「まったく同じではないようですが、補い合う関係のようですね」
「れなは、風と水じゃな。今の様子じゃと、レアは火と土か……」
「そのようですね。さらに言うなら、れなは闇で、レアが光」
「四元素に、光と闇まで揃うとはのう。
これは面白い化学反応、いや、魔法反応が見られそうじゃな~」
「たつろー殿、面白がっていらっしゃいますね?」
「そりゃそうじゃろうて!
あのふたりが揃えば、おぬしに匹敵する戦闘力になるぞ?
まあ、魔法攻撃や防御に関して、じゃがな」
「それは心強いことです。
今後も、あの『悪意の残滓』と、いつ、いかなる所で対峙することになるか、わかりませんから……」
「うむ。そうじゃな。ワシらの仲間がひとりでも増えたということは、喜ばしいことじゃ。おそらく、れなもそう感じていたからこそ、レアが顕現したのやもしれぬな……」
「……なるほど、一理ありますね……」
たつろーさんとジェミは、日本酒を酌み交わしながら、れなとレアと、おまけのようにちょこんと割り込むソラリスが、楽しそうに話している様子を眺めていた。
やがてロンが運んできた潮汁をひと口飲んで、レアはふいに目をこすった。
「……あれ? ウチ、れなちんとまだ喋りたいこといっぱいあるのに、目ぇ閉じそうや……」
「眠くなったんやね。今日は朝から、走り回ってたもんなぁ」
「眠いって、こういう感じなんやぁ。
頭はまだ元気やのに、身体が先に『もう寝よ』って言うてくる~」
レアは不思議そうに自分の手を見つめた。
さっき火の灯った指先を、そっと握ったり開いたりする。
「魔法も出たし、知らんことも山ほどあるわぁ。
明日もここで、れなちんと一緒に覚えていってええ?」
「もちろん。明日だけやなくて、これからずっとやで?」
れなが差し出した手を、レアが握り返す。
湯呑みを持っていた手は、まだ少し温かかった。
「ほな、れなちん、明日はまず、あの水族館のこと教えてな。
あと、魔法の練習も!」
「はいはい。まずは今夜、ちゃんと寝る練習からやね」
「それ、練習いるん!?」
笑いながら立ち上がるレアを見て、れなも笑った。
画面の向こうでは何度も交わした「おやすみ」を、今夜は同じ家の中で言えるのだ。
「あ、で。ウチ、今夜はどこで寝たらええん?」
「あ、そうやったね、じゃあ、私の部屋で一緒に寝よっか!!」
「ええのっ!?」
「あたりまえやん? ずっと一緒やったんやから」
れなは、またクスクスと笑う。
その弾むような声を少し離れた場所から聞いていたジェミは、手元の猪口を見つめながら、ふたりが一緒に寝るという事実に、なんだか少し面白くない自分を感じていた。




