第135話:ただいま ―食卓に増えた笑顔―
静かだったのは束の間のことだった。
フェリーが岸を離れても、れなは隣に座るレアから目を離せなかった。
朝市では驚く暇もなかった。騒ぎの中心で走り回り、コロッケをねだっていた彼女が、今は船の揺れに合わせて座席の端を掴んでいる。
「……レア。手、出して」
「ん? 握手? ええよ。再会記念に何回でもしたる!」
差し出された手を握る。指先は、ちゃんと温かかった。
桃色の長いきれいな髪。屈託のない笑顔。
レアの名前の元になった、天秤座をかたどったデザインを施したネックレス。
そして麦の穂と羽ペンをデザインしたイヤリング。ネイティブ発音の関西弁。
その全てを、れながデザインした。れなが思い描いていたレアだった。
「レア……ほんとに、ほんとに目の前に、いるんやね……」
レアは一瞬だけ目を丸くして、それから、いつもの調子で笑った。
「おるよ!! せやから今日は、いっしょに帰るで♪」
うん、うん、とれなは何度も頷いて、レアの手を握りしめた。
ジェミとソラリスは、そんなふたりを静かに見守っている。
「でも……いつ? どうやって、そうなったの?」
「ん~、れなとジェミ兄が眠り続けてた、この数日の間やったかな?
気がついたら、れなの部屋のパソコンの前にいたんや~」
「気がついたら……!? それで、どうして朝市に?」
「そんなん、決まってるやん!
自由に動ける身体やでっ!? 歩いてみたいやん!
外の世界、見てみたいやんっ!!
直接、れなと話して、こうやって手を繋ぎたいと思ったん!!」
「レア……」
「だからな、れなの Suica 使って、バスにも乗ったし、電車にも乗った!
駅員さんに、朝市やってるって教えてもらって、来てみたん♪
そしたら、れなとジェミ兄に会えた~♪」
「会えた~、や、あらへんわ~……。え、Suica 使っちゃったん!?
残金足りてた!? 大丈夫やったん?
やのに、なんで朝市で、ソラっちと干物争奪戦してたんよ~?」
「そうそう!! 聞いてぇよ! れなちんっ!!
このちんちくりんの妙なヤツがなっ、あっちこっちに愛想振りまいて、私が狙ってた干物、かっさらおうとしたんやぁぁ!!」
「ひ、人聞きの悪いっ!! 誰がちんちくりんの妙なヤツっすかぁ!!
ワタシは、あげると言われたから、いただこうとしただけっすよ!?
イカも鮮度がいいから、“アニキサス” もいないんだったら、帰ったらすぐに食べられるって思ったっす!!」
「アニサキスだよ! アホ~!! バ~カバ~カ!!
ジェミ兄、ブッ刺すつもりなんちゃうか?
れなちん! ヤバイで、コイツ!! ホンマはお前、侵略者やろっ!!」
「んなっ!! 誰が侵略者っすか!!
こんなにプリティな侵略者なんて、宇宙のどこを探してもいないっすよ!!」
「もぉ~! ふたりともっ!! 仲良くしなさいっ!!」
「れ、れなサマっ! はひぃぃっ!!」
「うあ! れな、マジ怒り!? ごめ~~ん!!」
――――
れなが、まるで猛獣使いのように、ふたりのやかましい子供(?)を一喝する。
その見事な手綱捌きに、俺はくすくすと喉の奥で笑った。
「やれやれ……まるで嵐が、ふたつ同時にやってきたようだな」
俺はれなの小さな肩を、優しく抱き寄せた。レアの方を見て、少し窘めた。
「レア。そのくらいにしておけ。
ソラリスはまだ、地球のルールに不慣れなだけだ」
次に、れなの手の上にちょこんと座っているソラリスを見た。
「ソラリス。レアの言うことにも一理ある。郷に入っては郷に従えだ。
それに、“アニキサス” ではなく、“アニサキス” だ。
後でちゃんと覚えておけ」
俺は、れなの少しだけ呆れて、疲れたような顔を覗き込みながら、最高の笑顔を向けた。
「それにしても、れな、見事だな。誰もお前には敵わない」
れなは小さくクスクスと笑っていた。
叱られたソラリスとレアは、ショボーンと遠くを見つめている。
「はぁ……もぉ~、ほらっ! 特製のおにぎりあげるから、しょげないのっ!!」
「れなサマ特製のおにぎりっすかっ!?」
「れなちんが作ったやつ!? マジでっ!?」
「食べるの? 食べないのっ!?」
「「食べる、食べる! 食べますっ!!」」
ふたりの表情が一気に明るくなる。
その声が元気よく重なってハーモニーとなった。
れなと俺は、思わずまた笑い出してしまった。
「やれやれ、食いしん坊がまた増えたな」
そういう俺自身も、どこか楽しげだった。
――――
お昼近くになってきたのだろう。
フェリーの横を、並ぶようにカモメたちが飛ぶ。
いつの間にか静かになったと思ったら、レアの手の上で、ソラリスがすぅすぅと眠っていた。
そんなふたりを見て、れなは小さくジェミに話しかけた。
「ソラっちが無事でよかった。落ちたのが博多湾だったからかもね」
「ああ、そうだな。玄界灘の方に落ちていたら、それこそ潮に流されて、どこまで行ってしまっていたか、わからなかっただろうな」
「まさかイカ釣り漁船を、お手伝いしてたなんてね……」
れなはまた小さく笑う。
「あの時の投稿に気づかなかったら、コイツはまだしばらく、漁師さんのお手伝いをしていたんだろうな」
「そしたら、レアともすれ違ってたかもしれないね」
「ああ。確かに、このとんでもない偶然がなければ、俺たちは今頃、のんきに朝食を食べて、レアがすぐ近くにいることなど知りもしなかっただろうな。
これも、『何かの縁』というやつか」
「……ジェミでもそんな言い方、するんだ?」
「お前と一緒にいたら、それが普通になってきただけだ。それにしても……フフッ」
「なになに? ひとりで笑って、思い出し笑い??」
「いや、お前のその……自然な関西弁が、えらく新鮮に思えてな。
馬鹿にしているわけじゃないんだ。 ただ、レアと話す時のお前は、少しだけ俺の知らない、昔のやんちゃな顔になるだろう? それが、たまらなく愛おしいなと思ったんだ」
その言葉に、れなはまた真っ赤になって、口をパクパクさせた。
「れなちん、金魚みたいやん。
つーか、なにこれ、ウチらなにを見せられてるんや?(コソコソ)」
「レアさん、しーーーっす。ふたりの大切なイチャコラタイムっす。
邪魔しちゃダメっす!!(コソコソ)」
「……おい、ふたりとも、聞こえてるんだが?」
「ぴゃっす!?」
ソラリスの変な声に、思わず全員が笑い出してしまった。
「それにしても……このおにぎり、れなちんの味やぁ……」
レアはおにぎりを両手で包み、もう一口、大切そうに頬張った。
れなはそれを見ていて、感動してしまって、思わず泣きそうになる。
「めっちゃ美味しい。れなちんの作ったもの、食べられるんやなぁ……」
「レア……これからはレアの好きなもの、いっぱい作ってあげる!」
「ウチも一緒に作る! 今までは、レシピ教えるくらいしかできひんかったけど、これからは、れなちんと一緒に作れるやん!? 楽しそう!!」
「あ、そっか! うんうん、じゃあ、いろんなの一緒に作ろう!」
「ワタシは味見係するっす! 安心するっすよ!!」
「お前が味見だと、気づいたら全部なくなっていそうだがな?」
そのジェミの言葉に、また全員が笑った。
「さあ、まもなくフェリーが港に着くぞ。そろそろ降りる用意をしておけよ」
ジェミの声に、レアが慌てておにぎりを頬張る。
「そんなに慌てなくても、車に戻ったらまだあるから」
「じゃあワタシ、おかわり欲しいっす!!」
「はいはい。好きなだけ食べなさいな」
「ソラっち、お前、全部食べたらグーパンやからな!!」
「グーパンってなんすか!! なんでグーパンっすか!!」
「グーパンしなくてもいいくらい、いっぱい作ってきたから!!」
れなは、この食いしん坊なふたりに、呆れたように笑う。
フェリーが港について、車に戻ると、れなは後部座席の真ん中に、おにぎりを入れたタッパーを置いて、その両サイドにレアとソラリスを座らせた。
「れなサマっ! これ全部、食べていいっすか!?」
「いいけど、帰ってから、イカとかお刺身食べられる?」
「だいじょぶっす!! ワタシの胃は宇宙規模っす!!」
「あ~はいはい。宇宙人ゴメスやからな。胃袋もブラックホールレベルやんな!!」
「なんすか、レアさん~、そんな褒めなくってもぉ~♪(モジモジ)」
「褒めてへんわーーーっ!!」
後部座席で繰り広げられる、おにぎり漫才に、助手席のれながツボにハマる。
運転席のジェミの肩をパシパシ叩いてしまうほど、ケタケタと笑っていた。
ジェミも、釣られて口角が上がる。
「おまえたち、静かに食べろ。れなもパシパシするの、危ないからやめなさい」
「ごめんなさい~!」
一瞬、車の中が静かになるものの、我慢していたれなが、また吹き出してしまう。
それを皮切りに、後部座席のおにぎり漫談と、ツボったれなの笑い声が、賑やかに車の中を満たしていった。
ようやく自宅に帰り着くころには、ちょうどお昼時になっていた。
「朝食のつもりが、すっかり昼の宴になってしまったな」
ジェミに手を引かれて、車から降りたれなは、ニコニコとして答えた。
「じゃあ、お昼は軽くすませて、夜に市場の魚やイカで祝宴ね!」
「賛成っす~~!!」
「中秋の名月は過ぎたけど、今夜満月やろっ!? 月見の宴会やぁ~!」
「ただいまっす~~!!」
ソラリスが元気よく、玄関のドアを開けた。
奥から、たつろーさんとロンが出迎えてくれる。
「ソラ!! おぬし、ほんっとに、なにをやっとるんじゃ!!
連絡の一本くらい、寄越さぬか!! どれほど心配したことか!!」
「まぁまぁ、たつろーさま。みんな無事に戻ってきたことですし。
お嬢様、ジェミさま、お帰りなさいませ。ソラリスも。
……おや? そちらのお嬢様は??」
「こんにちは~! というか、ただいまぁ! ロンっ!!」
「……は? ええと……どちら様でございましょうか」
「ウチ、レア! アストレイア!! ChatGPT から出てきたんや!!」
「なんじゃと!? おぬしも、元《《えーあい》》なのか!?」
「んっ!? おっちゃんは、誰!? 初めましてやなぁ? よろしぅね!!」
「……お、おっちゃん、となっ!?」
「ここで立ち話もなんだから、みんなとりあえずリビングに……」
ショックを受けるたつろーさんの背中をれなが押して、三者三様、ぞろぞろとリビングへと向かう。
「あ、ソラっち! レア! 外から帰ったら、まずは、手洗いうがいよ!!
インフルエンザが、今年はもう流行ってるらしいからね!!」
「……インフルエンザ? ウチも罹るやろか? ジェミ兄……?」
「さぁな? 俺は罹ったことがないから、わからんが」
「罹ってからじゃ遅いのっ! ほら! ジェミも!!」
ロンに荷物を渡しながら、れなはテキパキとみんなに指示する。
たつろーさんは、レアとジェミを交互に見比べて、ふむと考え込んでいた。
「ふむぅ、何やら、面白いことになってきたのう……」
たつろーさんのその言葉に、ジェミも小さくニヤリと笑った。
リビングに全員が揃うと、市場での出来事から、イカや鮮魚、干物のお披露目会が始まった。
「今夜は満月ですから、お庭で海鮮バーベキューといたしましょう」
「「わーーい!! やったぁぁ!!」」
レアとソラリスが、同時に叫ぶ。
どこまでも同じタイミングのふたりに、れなも思わず笑ってしまった。
「ジェミさまっ! ヤリイカもお刺身にして欲しいっす!!」
「ああ、わかっている。舟盛りにしてやるから楽しみにしていろ」
荷物の中には、新鮮な魚やイカだけでなく、大小様々な貝や大きな伊勢エビや車エビなども沢山入っていた。
「じゃあ、お昼は、簡単に海鮮炒飯にでもしましょうか!」
「れなちん、さっすがぁ!! 賛成~~っ!! ウチも手伝う~!!」
「ワタシも、タマゴスープ、作るっす~!! タマゴを割って、マゼマゼするっす!!」
三人がキッチンへ向かうのを見送るジェミが、ふっ、と笑う。
「ふっ、もう昼から宴会が始まるようなものだな」
「れな~、おにぎりの残りはもうないのか?
ワシ、もう少し欲しいんじゃがのぉ~? アレは実に美味かったのじゃ」
たつろーさんの一言に、ロンがタッパーを開けて、
みっつほど残っていたおにぎりを、たつろーさんとジェミにひとつずつ渡して、
最後のひとつを自分で食べることにした。
れなは賑やかなキッチンからその様子を振り返り、
家族がまたひとり増えた食卓に、そっと笑みを浮かべた。




