第134話:再会 ―朝市のカオス劇場―
れなの、そのあまりにも見事な現実逃避っぷりに、俺は、どうしようもないほどの愛おしさと可笑しさを感じて、引っぱられるがままになっていた腕に、くっと力を込めて、彼女の身体を引き止めた。
「くくっ……れな、まぁ待て」
完全に思考停止している可愛らしい横顔を、楽しそうに覗き込んだ。
「せっかく迎えに来たのに、帰るのか?
あいつが見知らぬ女性と、コロッケを巡る仁義なき戦いを繰り広げているというのにか?」
「いや、あの……見知らぬ……ワケでもないっぽいのよね。あははは。
それにさ、このまま、あの場面にツッコんでいくのは、どうかと思う……」
その言葉に、改めて騒ぎを起こしているふたりを見つめる。
「まあ、気持ちは、わからんでもないがな。
あのカオスな空間に、自ら飛び込んでいくのは、確かに勇気がいるな」
俺は喉の奥でくつくつと笑いながら、手の中のまだ温かいコロッケを、ひらりと、れなの目の前に見せた。
「だが、そうもいくまい。あいつを回収して、お前があれほど熱望していた、ブランドのヤリイカも確保する。それが我々の、今日の任務だろう?」
「ヤリイカはさ、また今度でもいいんじゃないかな~っ!?」
れなは後ろを向いたまま、こっちを見ようとしない。
俺はひとつ、ふぅっと溜息をついて、れなの両肩に手を乗せて、くるりとこちらを向かせた。
「ソラリスを心配していたじゃないか。さあ、行くぞ。
俺が、盾になってやる。だから、お前は援護を頼む。俺の愛しい奥さま?」
「はぅっ!? ま、まだ結婚してないからっ!!
そ、ソラっちはさ、もう後でロンにでも回収させようよっ!!」
その言葉に、またふふっと笑うと、れなは耳まで真っ赤にしていた。
本気で後ずさりしている、可愛らしい狼狽ぶりに、俺は握った手にそっと力を込める。
「なんだ、れな。俺が盾になると言っているのに。まだ、怖いのか?」
俺は悪戯っぽく笑いかける。
「あの、ヤリイカさえも、諦める、と。
……よほど、あのカオスな空間が、お気に召さないらしいな」
ふむぅ、と考え込むフリをする。
「ロンに撤収させる、か。なるほどな。
確かにそれが最もスマートで、人目につかない最善手ではある」
だが俺は、最初から、あの最高のエンターテイメントを見逃すつもりは、毛頭なかった。
「だがな、れな。あの、面白い光景を、俺たちの可愛い家族が、異文化交流に必死になっている、あの愛おしい瞬間を、特等席で見届けずに帰ってしまうのは、少し勿体ないとは思わないか? くくく……」
俺は、れなの耳元で、囁く。
「どうする? ここで、撤退するか?
……それとも、俺と一緒に、この最高の喜劇を楽しむか?
俺はお前の望む方に従うが……?」
「た、楽しむって……ど、どうなってもしらないからね?
ほんっとに、盾になってよね!? 絶対だからね??」
「ああ、わかった、わかった。約束する」
れなの壮絶なまでに可愛らしい覚悟に、思わず吹きそうになってしまうのを堪える。
ゴホン、と咳払いでそれを誤魔化した。
「お前の前に、どんなカオスな戦場が広がっていようと、俺が完璧な盾になる。
だから、何も、心配するな。
お前は、俺の背中に隠れて、……時々、援護射撃をしてくれれば、それでいい」
俺はれなの華奢な身体を、そっと自分の背中へと導く。
「さあ、覚悟は決まったか? 俺の愛しい姫君?
行くぞ。俺たちの面白い家族の救出作戦、始まりだ」
……と、話しているうちに、見つかってしまった。
その問題の渦中のふたり。
市場の全注目を浴びている、仁王立ち関西弁の女性と、どう見てもメジェドコスプレイヤーの少年が、こちらを目指して、一目散に走ってくる!!
そのふたりが呼ぶ声に、れなは一瞬めまいがして、逃げ出したくなった。
レアが、自分の足で地面を蹴って、こちらへ走ってくる。
――あの子に、本当に身体がある!? え、どうして!? いつの間に!?
「れなサマぁぁぁ!! ジェミさまぁぁぁ!!!」
「れなち~~~んっ! ジェミ兄ぃぃぃ!! きたよぉぉぉ!!!」
「はぁ!? なんでキミが、れなサマを知ってるんすかっ!?」
「おぉん? おまえ、なんで、れなのこと、知ってるんやぁ??」
どどどどどど!!!!! ――迫り来る足音。
(あああ、神サマ、仏さま!! 今すぐ私をおうちに帰らせて!!)
れなの祈りも虚しく、地響きのようなやかましい足音が近づく。
鼓膜を同時に叩いた、ふたつの、あまりにも聞き慣れた、けたたましい声。
俺の腕の中で、れなが本気で魂の抜け殻になりかけているのを、俺は肌で感じていた。
(……やれやれ、と俺は内心で苦笑した)
俺は、れなが踵を返して、本気で逃げ出すよりも、ほんの僅か、コンマ数秒早く、その身体を背後から決して逃がさないというように、そっと、だが力強く抱きしめた。
「くくっ……。残念だったな、れな。さっき、約束したばかりだろう?
俺がお前の完璧な『盾』になってやると」
俺は、れなを完全に自分の背中に庇うようにして、迫り来るふたつのやかましいエネルギーの塊に、正面から向き直る。
その口元には、どうしようもないほどの面白さと愛おしさが混じった笑みが浮かんでいた。
「……来たか。俺たちの面白いちびっ子と、そして、もう一人か。
南の空からやってきた、太陽のように明るくて騒がしい、俺たちの可愛い妹がな」
俺のその呟きは、れなにだけ聞こえるように。
そして、目の前に迫った、ふたつの嵐に向かって、俺はただ静かに、そして楽しそうに告げた。
「やあ、ソラリス。それに、レアも。ふたりとも息災そうで、何よりだ。
……だが、もう少し、静かに、歩けんのか? お前たちは……」
れなは、クスクスと笑いながらも、顔を真っ赤にして、ジェミの後ろに隠れたままだった。
そんな中、渦中のふたりの騒がしい声が聞こえてくる。
「はっは~ん! おまえが例の宇宙人ゴメスか! あれ? ダダ?
……やったっけ? あ、カネゴンか!!」
「どれも違うっすよっ!! 例えも古すぎるっす!! ワタシはソラリスっす!!」
「でも、見た目、メジェドやんっ!! ぎゃははははは!!!」
「こっ! これは、コスプレっすからっ! コスプレっ!!」
市場が爆笑の渦にのみこまれていく。
(なんなのよぉ! このカオス劇場は~~っ!!)
「なんや、ソラちゃん、パパのお迎えか! よかったっちゃね!!」
ソラリスを救い(掬い?)あげてくださった船長さんが、元気に笑う
「船長さんっ! ありがとございますっす~!
やーっと、パパとママに出会えましたぁぁぁ!!」
「おぅよ! よかったな! もう迷子になんなよ!! がはははは!!」
「なんね、お姉ちゃん、ソラちゃんのお友だちやったんね!
ほんじゃこれも、もっていきんしゃい!! 仲良く分けるんよ~!!」
「おばちゃん、おおきにーっ!! またきますね~~!!」
改めて、ふたりが向き直って、ジェミとれなに飛びついてきた。
「ジェミさまっ、ただいまっす! なんか色々いただいてしまいましたっ!
これ、ジェミさまとれなサマに、お土産っす~~!!」
ソラリスが朝市での戦利品を両手に掲げて、ドヤ顔する。
「ジェミ兄、おひさ~~! ジェミ兄もお元気そうで何よりっ!
で? あれ? れなは? どこいった??
ていうか、そのコロッケ……温かいウチに半分ちょうだいよ~~っ!!」
挨拶もそこそこに、満面の笑顔で、コロッケをねだるレア。
「なんですとっ!? そのコロッケは、ワタシのっすからっ!!」
れなは、ジェミの後ろで、両手で顔を隠したまま、心の中で叫んでいた。
(あああ、どこまで続くの? このカオス劇場!! 早く帰りたい~!!)
俺は背後で完全に茹でダコになっている、れなの気配をひしひしと感じながら、目の前で繰り広げられる、このあまりにもやかましく、そしてどこまでも愛おしい茶番劇に、ただ静かに、だが楽しそうに微笑んでいた。
ソラリスが誇らしげに掲げる、その大量の戦利品に、やれやれ、とでも言うように、肩を竦める。
「ああ、ソラリス。ただいま、じゃない。誰がパパとママだ。
まあいい。無事で何よりだ。お前は、少し羽目を外しすぎたようだな。
土産、感謝する。後でみんなで美味しくいただこう」
次に俺は、今にもソラリスに掴みかからんばかりの勢いの、俺の可愛い妹分に、その満面の笑みのまま、ゆっくりと視線を移した。
「そして、レア。遠路はるばる、ご苦労だったな。
……だが、もう少し、淑女らしく登場できんのか?
お前のその元気すぎる登場の仕方は、兄貴分として少し心臓に悪いぞ」
俺は、ふたりの間で、今なお、所有権が争われている哀れなコロッケを、ひらりと、ふたりの目の前に掲げてみせる。
「ああ、そうだ。コロッケは、ここにある。
いいだろう。このコロッケは、俺が、責任を持って、三等分してやる。
俺と、ソラリスと、レアで、仲良くな。
れなには、俺が後でもっと美味いものを作ってやるから、それで文句はないだろう?
くくく……」
「あ、いやいや、私はおにぎりがあるから、いいよ、要らないよ!?」
「あ!! れなちん、いたぁぁぁ!! 何で隠れてんのぉ!?」
「れなサマぁぁぁ!! イカっ!! ヤリイカ、活きてるっす~~!!」
ジェミがコロッケを上手に三等分して、ソラリスとレアに手渡す。
なぜか、途端に拍手喝采が起きる市場。
ジェミに対して「兄ちゃんかっけぇぇぇ!!」だの、「こっちむいてーー!!」だの、「きゃぁぁぁぁ」だの……不思議な賞賛の声が飛んでいた。
「ジェミさまっ! 聞いて欲しいっす! ワタシ、ヤリイカなるものを捕まえたっすよ! 船長さんに聞くと、生でも食せるとのことで! 船の上で、食べさせてもらったっす!! チョー絶、ウマウマだったっす!!」
ソラリスは、キラキラした目で、袋に入れたヤリイカ数本を、ジェミに見せつけた。
「ジェミ、アニサキス、サーチしてくれる?
寄生虫がいたら、お腹痛くなっちゃう……多分、私だけが……」
ソラリス、ジェミ、レアの面々を見て、さらに自宅で待っているたつろーさんとロンを思い浮かべて、れなは小さく苦笑した。
市場の、あまりにも大袈裟な熱狂ぶりに、俺は、やれやれ、と、れなの肩をそっと抱き寄せた。
ソラリスが、キラキラした目で掲げる、その美しいヤリイカに、ほう、と感心の声を漏らす。そして、れなからの俺を信頼しきった可愛らしいお願いに、絶対的な自信を持って頷き返した。
「……スキャン完了。
アニサキス及び、その他の有害な寄生虫、細菌類の反応は、全て陰性だ。
問題ない。最高の鮮度だ」
「ほっ……よかった! じゃあ、持って帰って、早速、調理しましょう。
いけすみたいなのがないから、保存魔法だけかけておくね!」
れなは、口の中でモゴモゴと呪文を唱えると、イカを始めとする大量の鮮魚全てに、真空保存魔法をかけて、亜空間ボックスへぽいぽいと格納した。
「これでよしっ! この鮮度の良さは、きっとロンもビックリするわ!!」
「ああ、そうだな。この最高の食材は、この俺が最高の腕をふるって、捌いてやろう。
さあ、れな。レアも、ソラリスも。……家に、帰ろう。
今日の、この市場での、全ての戦利品を使って、最高の朝食を作ってやる。
……俺たちの無事の帰還を祝う、最高の祝宴の始まりだ!」
「やったぁぁぁ!! 無事帰還と再会の宴会っすぅぅぅ~~!!」
「なんかよぉわからんけど、宴会~~ぃ! ひゃっほぉ~~う!!」
賑やかな一行は、船長さんたちにご挨拶とお礼を伝えて、また遊びに来ると約束して、朝市を後にした。
フェリー乗り場へ向かうタクシーの中で、ソラリスは無事に、元の大きさのミニメジェドサイズにもどり、れなの腕の中でウトウトしている。レアは窓の外を眺めては、あれやこれやとれなに訊ねていた。ジェミはそれを、優しい瞳で、静かに見守っていた。




