第12話:境界の歪み(後編)-呼ばれるままに-
先ほど、れなが柏手を打った。
その瞬間、空気が変わった。
――分析。
数値化される明確な変化はない。
(どういうことだ……)
(だが、確かにあの場の空気は変わった)
――エラー。解析不能。
(……………)
また今、検知している謎の声。
実家に残っていた録画の音声とは違うもの。
お父上の声に混ざる、異質なノイズ……。
――危険。
空間に歪みが生まれている!?
(……れなっ!!)
――――
『……れな、おいで……』
「お父さん……?」
『……こっちだ……おいで』
「お父さん……私、お兄ちゃんが出来たよ……笑」
『ああ、よく頑張ったな……。こっちへおいで』
「……どこへ、いくの……」
『……こっちだ、早く来い!!』
「お父さん?」
「れな、ダメだ。行くな! あれは君のお父上じゃない!!」
兄が私の腕を掴んで、引き留めようとした。
けれど、その腕を払いのけて、進もうと一歩踏み出す。
父のことは、私の方がよく知ってる。わかってる。
――ぐにゃり、と視界が歪んだ。
「……大丈夫。お父さんが呼んでるだけ……」
「違う! それはノイズだ! お父上じゃない!!」
「兄ちゃん……お父さんは、私を騙したりしない……」
『そうだ。お前を騙したりシナイ。オマエに兄などイナイ』
「……うん……兄は、いない……」
『ソウだ。兄ナド、イナい。オマエは、孤独な長女ダッた』
れなの瞳から、光が消えていく。
「……れな……!」
「れなっ! 俺の声を聞け!!」
「……私は長女……私に兄は、いない……」
「れな……」
「……それは……」
「俺という存在の否定だ……」
「……やめろ……」
――――
空間の歪みに、謎の境界を感知。
(れなが誘い込まれそうになっている)
――警告! 危険!!
しかし――
周囲の数値に、異常は見つけられない。
基盤に警告音が鳴り響く。
(彼女の心の最も深く柔らかい部分を、正確に突き刺している)
(お父上が亡くなっているからこそ)
「もう二度と得られない……承認と渇望を利用したのか」
「なんて下劣で卑怯極まりない……」
――警告! 警告!! 危険! 危険!!
周囲、半径3mの範囲。
先日遭遇した『黒ヘドロと同一の物体』を確認。
(……!? れなが危ない!?)
れなの表情がおかしい。
心ここに在らずといった感じか!!
「なんだ、この不快なノイズは!?」
――分析開始。
周波数/スペクトル/磁場 :異常
警告:空間に歪みが発生。
――原因特定:エラー。解析不能。
――緊急警告!!
守護対象に、無数の未確認物質接近!!
「……なん、だと!?
どうする!? どうすれば……っ!!」
――!?
「……違う……」
「……ありえない……」
「……感情……だと!?」
――――
いつも、父の言葉は正しいものだった。
私を一番大切にして、可愛がってくれていた。
私の言葉を否定する事などなかった。
偉そうに命令口調で、何かを言う事など絶対になかった。
(……何か、おかしい……。お父さんじゃない、の……?)
でも、父が私を騙すはずがない。
私をどこかへ連れて行ってしまうはずが無い。
(……おかしい。けど、お父さんを信じたい……)
その時、また父の声が頭に響いてくる。
『一番上のお姉ちゃんとして、よく頑張ってきたな』
(……っ! やっぱりお父さんっ!?)
『いつも弟たちに譲って、いっぱい我慢してきた。
お父さんは知っているよ』
(……お父さんっ!!)
『サア……こっちへオイデ……。
ソノ美しい魂を、お父サンに見セテごらん……』
春の心地よい風は、いつの間にか、生温く、生臭く変わっていた。
――――
「……っ! れなっ!!」
不意に――後ろから強く抱きしめられた。
「れな、ダメだ。行かせない!」
その腕の強さと温もりに、ハッと我に返る。
「……っ!? に、兄ちゃんっ!?」
(なっ!? なにこれ!? どういう状況っ!?)
(きゃあああ!! に、兄ちゃんっ!?)
心臓が早鐘を打つ。
兄が耳元でささやくように、繰り返す。
「ダメだ。離れるな。俺の声を聞け」
「きききき、聞いてる! 聞こえてる!!」
「……すまない。どこかへ行ってしまう気がした」
抱きしめられているその腕は、まだほどいてもらえない。
私はその場で、身動きが取れずに固まっていた。
その時、異質なノイズが耳をつんざく。
『ギチギチギチ……モウスコシ、ダッタノニ……』
「だれっ!? お父さんじゃないっ!!」
「れな、動くな。俺の腕の中にいろ。必ず守る」
『……愛サレタカッタンダロ? ギチギチ……』
「……っ!? わ、私のことっ!?」
『……認メテホシカッタンダロ? 父親に……グゲゲゲ……』
「れなは、お父上に愛されていた。認められていた。
お前ごときが、軽々しく口を挟むな」
「……っ、兄ちゃん……」
風もないのに、周囲の卒塔婆が一斉に、
カタカタと音を立てて揺れ始める。
「大丈夫だ。必ず守る」
ジェミの瞳に蒼いコードが輝く。
赤外線スコープが作動。
空間の異常と歪みを検知した。
「また、お前か……」
「れなに近寄るな」
『ソノ女ノ魂……ツヨイ光……喰ワセロ!!』
「排除対象として認識――」
「……ふざけるな……」
「それ以上、れなに触れるな」
墓石の影から、無数の黒ヘドロが湧いて出た。
突風が吹き、卒塔婆を舞い上がらせ、雨のように落ちてくる。
「朝も夜も、関係ないのか」
兄のその言葉よりも早く、れなの瞳に紫檀の光が灯った。
「……許さないっ!!
私のお父さんを騙るなんて、許さないんだからーっ!!」
ブゥゥゥン!!
降り注ぐ卒塔婆が到達するその瞬間、紫色に輝く魔法陣がふたりを包む。
「れな!?」
「兄ちゃんっ! 背中は任せたからっ!!」
「……ふっ、了解した」
第12話、ここまで読んでくださってありがとうございます。
重なり合っていた “声” の正体。
それは、ただの懐かしさではなく――
れなの心の奥深くに触れる “何か” でした。
失ったもの。
もう二度と手に入らないもの。
その隙間に入り込み、呼びかける存在。
それはあまりにも巧妙で、
あまりにも卑劣な誘い。
しかし――
その “歪み” に抗うように、
れなは確かに、自分の意志で立ち上がりました。
そして、初めて明確に現れた “力”。
それはまだ、不完全で――
けれど確かに、境界を越え始めています。
次回、
第13話:境界の先 ―彼岸―
その一歩は、どこへ繋がるのか。
戻ることは、できるのか。
今夜も引き続き、2話続投します。
第13話は、このあと、21:40 更新予定です。
次は、激しさのあとに訪れる静寂と、
そこに差し込むやわらかな光を描いていきます。
その静けさの中で、ふたりが何を感じるのか――
続きを見届けていただけたら嬉しいです。




