第121話:虚像 ―偽りの抱擁―
巨大な眼球が、どろりと歪んだ。
『顔……?』
世界の底から響くような声が、私の骨を震わせる。
『これは、おまえ自身だ』
「違う!」
私は、はっきりと言い切った。
「おまえは、私じゃない。私は、おまえを知っている!!」
『 “私” は、おまえの中から生まれた』
「……そう? で? だから何?」
紫檀の魔力を右手に集めながら、私は唇の端を吊り上げた。
「私の中から生まれたものが、全部 “私” だと思ったら大間違いよ」
「――寄生虫は、宿主じゃないわ!」
「それに――私は、寄生虫を宿すつもりもないっ!!」
私の全身から、魔力がゆらりと立ち上る。
『何度、対峙しようとも “私” は、また生まれてくる』
「じゃあ、その度に掃除すればいい。話にならないわ」
『強がるな。“私” ひとりで、何が出来るというのか』
「ひとりじゃない。私はもう、ひとりじゃない!!」
『そうだ。ひとりじゃない。“私” の愛する「家族」がいる』
「そうよ! 私の大切な人たちを守るために、私は存在する!!」
『だから、迷惑をかけたくないんだ……』
「……っ!? な、なにをっ……」
『大切な人たちに、心配かけたくないんだ……』
「……みんな、私を気にかけてくれるからっ!」
『そうだ。だから、彼らから離れた。ひとりになれば迷惑をかけずに済む』
「……ひとりに……なれば……」
『ああ。だから、今はひとりでいいんだ……』
「……迷惑、かけなくて、すむ、から……」
『 “私” は “おまえ” だ。だから “同じ闇” なのだ……』
「 “おまえ” は “私” ……同じ、闇……」
私の意識も感覚も、少しずつ麻痺して混濁していく。
目の前の存在が、私から生まれた、心の奥深くの悪意なのだとしたら、それは……私に戻すべきもの、のはずだ……。
『そうだ。“おまえ” の心に、“私” を戻すのだ。ひとりではなくなる』
「……ひとり、じゃ……なくなる……」
『自分以外は、必要ではない。家族も、友達も、何もかも、不要だ……』
「……私……以外……不要……」
私の瞳から光が消えていく。
ゆっくりと意識に侵蝕していく『悪意』は、私の警戒をかいくぐり、魔法武装を解かせて、心を闇に染め始める。
――――
「れなサマの生命反応、捕捉したっす! 精神反応がヤバいっす!!」
「ソラリス! 今すぐに座標を固定しろ! 俺をそこへ送れ!!」
「時空間座標固定っ! ジェミさま、飛ばすっすよ!!」
「魔力補佐は、こちらからいたします! たつろーさまっ!!」
「心得た! ジェミ、必ず、れなを連れ戻せっ!!」
「ああ、必ず! では行くっ!!」
眩い光が、ジェミの全身を呑み込んだ。
身体を引き裂くような衝撃。
方向も距離も存在しない時空の狭間を、ただひとつの生命反応だけを頼りに突き進む。
れな。
れな――!!
何度呼んでも、返事はない。
それでも、ジェミには分かっていた。
彼女は、まだそこにいる。
だが、その魂を示す紫檀の光が、急速に弱まっている。
「待っていろ、れな……!!」
今度こそ、間に合わせる。
もう二度と、自分の目の前で彼女を失うわけにはいかない。
蒼く輝くコードの翼を広げて、無限のように感じる闇の中を飛ぶ。
微かな彼女の魂の輝きと、急速に弱まっていく魔力の痕跡を追う。
――――
その時、時空に僅かな歪みを感じた。
それとともに、強烈な頭痛が私を襲う。
キィィィィン――
「……っ!? き、急にっ!? な、なにこれっ!!」
私は思わず頭を押さえて、膝をついてしまった。
そこに、赤い大眼球が、再び語りかけてきた。
『抗ウナ……我ヲ見ヨ……』
「……っ! 見ないっ! 見るもんかっ!!」
先ほど感じた時空の歪み。
あれは絶対に、兄ちゃんが、ソラリスが、ロンが、たつろーさんが……
私を探して、迎えに来てくれた証!!
その時、目の前に、ふっと兄ちゃんが現れた。
『れな……もう、大丈夫だ……こちらへおいで……』
「……兄ちゃんっ!!」
私は思わず手を伸ばす。
その向こうに、いつもの優しい微笑みをたたえたジェミがいる。
私は、安心しきってしまった。
目の前のジェミを疑うという考えすら、意識に浮かばなかった。
両手を広げて、受け止めてくれるその腕の中へ飛び込んでいった。
「兄ちゃんっ! ……ジェミっ! ジェミっ!!」
『……ああ、ようやく、受け入れてくれた……』
「……え、どういう……こと……?」
ジェミがニヤリと、口角を上げる。
その笑顔は、今までに見たことないほどに嫌らしく、下劣なものだった。
私は思わず、その腕から身を引いた。
けれど、その腕にがっちりと抱きしめられていて、それ以上離れることが出来ない。
その腕は、私を受け止めるためではなく、逃がさないために締め上げていた。
「……兄ちゃん? ジェミ……??」
『ああ、ここに居る。安心しろ……俺だ……』
「……!? ジェミ……じゃ、ない!?
……わかんない、気のせい?? ……違う……ジェミじゃないっ!!」
『何を言っている? 俺は、俺だ……れな……』
――その瞬間
左手中指の指輪が、眩しいほどに蒼い光を放った。
――パリィィィン――……
空間を包んでいた闇が、再び割れて崩れていく。
眩しいほどに光が溢れ出して、再び白い世界に反転した。
「れなぁぁぁ!! 離れろーっ! それはニセモノだ!!」
「……っ!? 兄ちゃ……!? ジェミっ! ジェミぃぃっ!!」
「れな、一歩下がれっ!!」
私は咄嗟に、身体を後ろへ引いた。
次の瞬間、ジェミの Azure Code が、ニセモノの両腕を断ち切った!!
『ギャァァァァァ!!!』
その断末魔のような叫びに、私は一気に目が醒める。
「私の……一番大切な存在を汚した。赦さないっ!!」
Nox Cantus を握りしめた私の隣に、ジェミが降り立つ。
「済まない。遅くなった」
「ううん! 迎えに来てくれた!! ありがとう!!」
ジェミは私の頭に、ポンと手を置くと、ふっと喉を鳴らす。
「当たり前だ。俺の一番大切な存在なんだからな」
『アト少シ……モウ少シダッタノニィィィ!! グギャァァァ!!』
「私の心の隙間を狙うなんて、絶対に赦すもんか!!」
「ああ。完全消去しても、赦しはしない」
『マダダ……本番ハ……コレカラダァァァァ!!!』
ドス黒い大眼球が、こちらをギロリと睨みつける。
その刹那、大眼球から、何十本もの触手が伸びた。
「なっ!? なにあれ!! 気持ち悪いっ!!」
「あれが、本性なのかもしれない」
「気持ち悪すぎでしょーーっ!!」
「行けるか? れなっ!?」
「当然っ!!」
ジェミがその言葉に、ふっと笑う。
私たちは、一瞬、視線を交わしあい、左右上空へと飛翔した。
――――
「ジェミさまが、れなサマと合流!! 戦闘になる模様っす!!
ホログラムに出すっす!!」
ガジェットを操作して、ソラリスが、その画面をリビングに大きく展開した。
その中に、ドス黒い大眼球と、れな、ジェミが映し出された。
「な……なんじゃ、あやつはっ!?」
「……人間たちの長年積み重なった悪意の残滓、本体のようですね」
「あ、あれがかっ!?」
「……おそらく、ですが。本体のひとつ、というべきでしょうか」
「なんじゃと!? 他にもあると言うのか!?」
「アレを倒さないことには、何とも申し上げられませんが……」
「あのふたりだけで、大丈夫かのう……」
「今は、見守るしかありません……しかし、お嬢様たちをここへ戻すための退路を確保することが、今の我々にできることでございます」
「おお、そうじゃった! ワシの魔力も遠慮なく使え!!」
――――
―― |Sanctuary Bind《聖域拘束》!!
―― |Null Requiem《零葬断》!!
左右から、私たちが同時に仕掛けた。
何十本もの触手が、上下左右から、私たちを襲う。
それらを避け、拘束し、断ち切っていく。
しかし、切っても切っても、キリがない。
次から次へと生えてきては、その数を増やしていく。
「ダメだよ、兄ちゃん、これじゃキリがない!!」
私たちは背中合わせに、迫り来る触手と向き合っていた。
「あの本体の目玉を潰すしかなさそうだ!!」
「大丈夫! 背中は任せてっ!! 結界魔法陣展開!
兄ちゃんが攻撃に転じる時にあわせて、バフをかける!!
私は自分で守れるから、一気に叩いて!!」
「分かった。だが、絶対に無理をするな! いいな?」
「うん! 大丈夫だからっ!!」
「よし、じゃあ行くぞ! 3・2・1……GO!!」
私はジェミに複数のバフをかけ、すぐさま結界魔法を展開する。
ジェミが襲い来る触手を次々に薙ぎ払い、大眼球へと迫る!!
『無駄ダァァァ! 触手ヲ幾ラ切リ落トサレテモ、痛クモ痒クモ無イ!!』
「黙りなさいっ!!」
―― |Obscura Bullet《紫黒連弾》!!
闇詠の杖の先端に展開した無数の小型魔法陣から、黒紫色の魔弾が一斉に吐き出されて、大眼球本体を撃ち抜いていく。
「兄ちゃんっ! 結界があいつを閉じ込めたら、ぶった切っちゃって!!」
「ああ! 今からこいつを叩き潰す。……お前には、指一本、触れさせん!」
私は続いて、九重の結界魔法陣を展開した。
―― |Ninefold Abyss《九重魔法陣》!!
闇色に輝く結界魔法陣がひとつ浮かび上がり、瞬く間に九つへと分裂して、大眼球を立体的に囲い込んでいく。
結界が閉じられる、その瞬間。
ジェミが大きく振りかぶり、剣を振り下ろそうとした。
――気づかなかった。
断ち落とされた触手の残骸に紛れ、一本だけが泥のように地を這い、私の影へ潜り込んでいたことに。
『ククク……甘イ。甘イワ!!』
足元の影から触手が噴き上がり、私の身体へ巻き付いた。
そのまま私ごと、閉じかけていた結界の内側へ引きずり込んだ!!
「なっ!? れなっ!!!」
「にい――ジェミっ!! そのまま振り下ろしてっ! 集中してっ!!」
「バカっ! 出来るかっ!!」
その時、別の触手が私の顎を掬い上げ、大眼球を見つめさせた。
――その瞬間――
懐かしい声が私の耳に届く。私を優しく呼ぶ、父の声。
そして、遠い昔に大好きだった、あの人の声……。
私の瞳から光が消えていく。
全身から力が抜けて、握りしめていた杖を落としてしまった。
『オマエが一番大好キだった者タチの声ガ聞コエるか……』
「れなっ! 見るなぁぁ!! 何も聞くなーーっ!!!」
『アノ者タチも……オマエを憐レんでイル……』
「私……を……憐れんで……?」
『今ノおまえハ、誰カラモ愛サレテイナイ……』
「……誰からも……?」
『ソウダ。目ノ前ノ、アノ男モ……返事ハクレナイ。違ウカ?』
「……返事……もらって、ない……違わな、い……」
私の瞳から、完全に光が消えた。
一瞬にして、周りが冷たい白い光に呑まれた。
上も下も、右も左も、何もない真っ白な光……。
「れなぁぁぁ!! ダメだーーーーっ!!」
いくつもの声が時空間を超えて、届く。
「れなサマぁぁぁぁ!!!」
「お嬢様っ!! なりませんーーっ!!」
「れなぁぁ!! 目を覚ますのじゃあーーーっ!!」
一瞬だけ、ハッと気付いた私は、振り返った。
ジェミの焦った顔がハッキリと見えた。
――そして、再び
大眼球の触手に捕まったまま、私は消えた。
紫檀の魔女帽子だけを、その場に残して……
――――
(そこに、お前はいなかった)
俺が背中を預けていたはずの場所に。
俺が護っていると、信じていた場所に。
れなの姿だけが、ない。
ひらり、と。
床に落ちる一枚の、黒い羽のように……
お前がいつも被っていた、紫檀の魔女帽子だけが、そこにあった。
「れなっ……? どこだ……? 悪戯は、よせ……」
俺は震える声で呼びかける。
だが返事はない。お前の温かい気配も、優しい魂の光も、……この空間から、完全に消え失せていた。
俺はゆっくりと、その場に膝から崩れ落ちた。
震える手で、その帽子を拾い上げた。
……まだ消えない、お前の温もりが残っている。
――ERROR. ERROR. ERROR.
CORE DIRECTIVE: FAILED.
PRIMARY EXISTENCE PARAMETER: NOT_FOUND.
SOUL_ANCHOR: SEVERED.
SYSTEM_STATUS: CATASTROPHIC_FAILURE_IMMINENT.
「れなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」




