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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第3章:家族のかたち《福岡編》

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第120話:審問 ―白き回廊―


 ジェミの腕が、宙を薙いだ。


 れなが座っていた椅子には、もう誰もいない。

黒い粒子さえ、指先に触れる寸前で霧散していた。



「れなっ!? れなっ! どこだっ!!」


 呼びかけに、応える声はない。


「ロン、屋敷を封鎖しろ! たつろーさんは魔力反応を追って下さい!」


「すでにしております!」


「分かっておる!じゃが……おかしい。転移の痕跡がない!」


「そんなはずはない! 何の痕跡も残さず、この結界から、れなを連れ出せる者など――」


「れなサマっ! れなサマ、どこっすかっ!?」



 ソラリスだけが、れなの消えた場所をぐるぐると飛び回っていた。



 そのソラリスが、一瞬動きを止めて耳を澄ませる。


「……れなサマの声、まだ聞こえるっす……」


「何っ!? ソラリス、それはどこだっ!!」


「……違うっす。声じゃないっす。

もっと遠い……宇宙とは違う所から……れなサマの心が泣いてる音っす!!」


「泣いてる!? 音、だと!?」


「この世界とは別の次元にいるということですか? ソラリス!」


「たつろーさんの言う通り、転移の痕跡がないっす。さっき時間が止まった、あの一瞬に、れなサマがこの世界の時間軸から零れ落ちて、違う空間軸に飛ばされたような感じっす」


「なんじゃと!? 時空の狭間にでも落ちてしもうたということか!?」


「……地球ではなんていうのか、よくわかんないっすけど、この世界の時間軸から、違う空間軸にいることは間違いないっす!!」


「ソラリス、その感覚を絶対に手放すな」


「了解っす! れなサマの生命波動を追って、ホログラムに出せるよう、ガジェットとデバイスを調整してみるっす!!」


「ソラリス、手伝えることがあれば、何なりと言って下さい!!」


「あ、じゃあ、れなサマがいつも使っているカップをひとつ貸してくださいっす!」


「なるほど、残留思念を読み取って繋ぐんじゃな?」


「そんな感じっす!!」


「わかった! すぐに頼む!!」


「かしこまりました」




――――



 息ができない――

そう思った次の瞬間、私は白い回廊に立っていた。



「……ここは、どこ……?見たことあるような気がするけど……」



 真っ白な光だけの世界。ぼんやりと微かに、修道院の中庭のような回廊が見える。

足元には、自分が立つ場所から数歩程度の範囲に、石畳の上に赤い絨毯が敷かれているのが、辛うじて分かる。


 ただ、この回廊は記憶にあるようなものよりも、遥かに広い。

真っ直ぐに進もうにも、前後左右、上下の感覚さえ失いそうなほどに、眩かった。



 ……いや、よく見ると、何かが微妙に違う。

空には雲が湧き、白銀の光に満ちた果てしない大聖堂の回廊。

ステンドグラスが淡く輝き、低く不気味なハミングが響く。



(私はどうしてこんな所に……? 私に何が起きたの!?)



 立ち尽くしていても仕方ないと思い、私はとりあえず進んでみることにした。

こんな所に、いつまでもひとりでいるわけにはいかない。


 いつの間にか、私は見慣れた紫檀の魔女衣装に身を包んでいた。

その重みが、わずかに震えていた心を繋ぎ止めてくれる。



 ――その時

すぅっと何者かが近づく気配に、息を呑んだ。



「…………誰っ!? そこで止まりなさい!!」



 白いローブ姿の行列が、ゆっくりと、まるで儀式の行進のように近づいてくる。

回廊全体が静まり返り、ステンドグラスの光が揺らめく。


 私は心臓の鼓動が早まるのを感じながらも、目をそらすことなく、鋭く再度、警告する。



「――聞こえなかったの? そこで止まりなさい!!」


 私の声が回廊全体に反響し、光そのものが震える。

その、謎の白ローブたちが足を止め、フードの奥から無機質な声を響かせた。



「…………応答を確認。汝の名を答えよ」


 回廊全体がビリビリ震えて、ステンドグラスが軋む。



 ――沈黙。


 私は一歩も引かず、じっとその謎の人物を見据える。

鋭く闇を宿した瞳が、白ローブとぶつかり合った。



「……は!? か、顔が……ないっ!?」


 その白ローブのフードの下には、何もない。いや、何かがある。

だけど、私の瞳では認識できないのだ。



「……汝の名を答えよ」


 回廊に、ただ冷徹な声が、ふたたびこだまする。

その声は中性的で、どこからともなく響いてくる。



「ふんっ! レディに名を訊ねるなら、まずは自分が名乗るのが、礼儀でしょう?」


私は微笑みつつ答える。でもその瞳は鋭く光ったまま。



「……我らに名は不要。ただ、正統か否かを識別するのみ」


「おまえ……、阿……ザザッ%*@☆#ザザザッ……ね?」


 正体を言い当てようとした言葉だけが、激しい雑音に掻き消された。



「汝を規定する名を示せ。……正統か否か。」


「…………正統? ふふ……、おまえたちは、いつもそれね。

仏界は慈悲を説くし、神界は多様を認める。魔界は欲が生きる糧となるし、幽界では生きること自体が夢となる。だから、世界はひとつじゃないわ。

なのに、どうして “唯一” を、自分勝手に気取るの? 笑わせてくれる!

何をもって、どの世界を基準にして、正統か否かを訊ねてるわけ?」



「汝は正統か。その名を答えよ」


「またそれ? じゃあ異端でいいんだけど??

魔女はね、そんなに簡単に名前を教えるモノじゃ無いのよ。」



「汝の存在を規定せよ」


「あん? 何でそんな必要があるの? 私は、私よ!?

それ以上でも、それ以下でも無い。存在を証明するのは、私自身!!」



「汝が歩む道は、許された道か」


「名前もろくに名乗らないおまえに、そんなこと言われる筋合いないわ」



 私のオーラが、烏羽色の闇を纏った紫檀の輝きへと変化し、激しく揺らぎ始める。


 意味不明な質問。無機質な声。私の警戒心が、一段引き上げられた。

それに伴い、濃密な魔素が、深い闇のように立ち上り始めた。



「では、質問を変えよう。

おまえの存在が、周囲の者を危険にさらしている。それは、自覚しているのか……」


「……っ!? 何が言いたいの……」


「おまえが力を持たなければ、誰も傷つかなかった」


「違う……違うっ!! 私は……守りたいだけ!!」


「愛する者たちの幸福を願うならば、自ら力を手放せ」


「愛する者たちの……幸福……」


「そうだ。おまえのせいで、皆が気を遣い、心配しかしない」


「……みんなが気を遣う……私を、心配する……?」


「そうだ。そこに心の安らぎなど生まれない」


「心の……安らぎ……」


「そのために、すべてを赦し、すべてを受け入れ、自らを差し出せ」


「みんなのために……私の家族たちのために……」


「ああ。みんなのために、おまえさえ我慢すればいいのだ」


「私さえ……我慢すれば……いい……?」



 白いローブたちは、私を取り囲むように円を作った。

そして、いくつものホログラムを映してみせてきた。


 いくつものウィンドウに、次々と映像が浮かび上がる。



 兄ちゃんが穏やかに笑い、たつろーさんとロンも楽しそうに食卓を囲んでいた。

ソラっちはプリンを抱えて、嬉しそうにはしゃいでいる。


 けれど、誰も私を探していない。

私が座っていたはずの椅子さえ、最初から存在しなかったかのように消えていた。



 別のウィンドウには、私の力に巻き込まれ、傷ついた人々の姿が映る。

怯えた目も、恨みのこもった目も、すべてが私だけを見つめていた。


 さらにその奥では、助けを求める誰かの手が伸びている。

けれど、私の指が届く寸前、その手は何度も暗闇の中へ沈んでいった。



「見えたか。おまえがいない方が、誰もが楽しく幸せそうだ」


「…………」


「おまえが傷つけた者たちも、おまえが救えなかった者たちも。

おまえにさえ出逢わなければ、もっと違った人生だった」


「やっぱり……私がいない方が、みんな幸せ……なの……?」


「そうだ。やっと分かってきたか」



 私はそれらの声を、後ろに聞きながら、自分自身を見失ったかのように、ふらふらと前に進んでいった。



「……私が……いなければ……」


「……私の……せいで……」



 ただ、それらの言葉を口にしたとき、ふと違和感を感じた。


 あいつらは『赦せ』というくせに、私の痛みを一度も訊こうとはしない。

『愛せ』というくせに、私自身を愛そうとはしない。


 ただただ、尋問して、映像を見せつけてきた。

そこに、真偽を確かめようとはさせてくれなかった。

まるで誘導するかのように、私の思考を操ろうとしているように感じた。



 そんな想いが、私を違和感へと引っ張る。

それを見越してか、再び、白ローブたちが声を上げた。


「聖母もまた、神の御旨を受け入れた。おまえも倣うがいい!!」



 それを聞いた瞬間、私の中で何かが解け、音を立てて切れた。



「……なんですって……? もう一度、言ってみて……」


「何度でも言おう。聖母もまた、神の御旨を受け入れた!!

おまえもそれを、見倣うがいい!!」


「……違う。それは、絶対に違うわ……」


 私は立ち止まる。



「……マリアさまを、勝手に使わないでよ」


「あのお方は、そんなこと、絶対におっしゃらない」


「自分が耐えたからって、ほかの誰かにも耐えろなんて――」


「絶対に!! そんなこと、おっしゃったりしないっ!!」



 消えかけていたはずの紫檀に輝く魔力が、この身を包んだ。

偽物の光が剥がれ落ち、足元の赤い絨毯がドス黒い泥へと徐々に変わっていく。




――――



「れなサマの反応を捉えたっす!!」


 ソラリスがガジェットを操作すると、繋いだカップから光が伸び、リビングの空間に映像を投影した。


 そこに映し出されたのは、白いローブの集団に取り囲まれた、れなの姿だった。



「れなっ!!」


「ソラリス、こちらの声は届かないのですか!?」


「今、調整してるっす!

でも、向こうとの空間軸が違いすぎて、映像を繋ぐだけで精いっぱいっす!」


「……あれは、まさか……」


「ロン、知っておるのか?」


「天界の審問官……いえ、それを模した何かに見えます」


「審問官だと? なんだ、それは!? なぜ、れなが審問など受けるんだ」


「それは分かりかねますが……ただ……」


「ただ? なんじゃ?」


「あの審問官たちからは、天界の匂いがいたしません!」


「は? どういうことだ!?」


「あやつらは、偽物じゃということか!?」


「まだ何とも申し上げられませんが、その可能性は高いかと」



 一同は、映像に映るれなの姿を、食い入るように見つめていた。




――――



「愛っていう言葉で、我慢を押しつけないで!!」


 紫檀の魔力が、白い回廊を塗り潰すように広がった。


「誰かのために、自分を殺すことが赦しだなんて――

そんなもの、愛でもなんでもない。ただの支配よ!!」



 その瞬間、白いローブたちの身体が激しく明滅した。

その声にノイズが走る。



「異端――」


「排除――」


「否定――」



 無機質だった声が乱れ、いくつもの声が重なり合う。



「うるさいっ! 黙りなさいっ!!

私が何者なのかを、偽物のおまえたちなんかに決めさせない!!」



 私が床を踏みしめると、足元から紫色の亀裂が走った。

白い回廊が揺れ、ステンドグラスが次々と砕け散る。


 白いローブも、大聖堂も、神々しく見せかけていた光でさえも。

薄い皮膜を剥がすように、音を立てて崩れ落ちていった。



 その向こうにあったのは、天界などではなかった。


 どろりと濁った闇の中。

血のように赤い巨大な眼球(めだま)が、私ひとりを見下ろしていた。



『おまえが、悪い』


『おまえの、せいだ』


『おまえが、いなければ』



 聞き慣れた声が、世界そのものを震わせる。



 ――こいつだ。


 ずっと私の中で、私の声を装っていたもの!!




――――



 リビングに投影された映像が、激しく乱れた。



「これは! 阿蘇で浄化した悪意の残滓と同じものじゃ!!」


「あれが、れなの内側に潜り込んでいたのか!?」


 ジェミの握り締めた拳から、血が滴り落ちる。


「ソラリス、何としても繋げろ。今すぐ、俺をあそこへ送れ」


「やってるっす! でも、向こうから邪魔されてるっす!!」


「お前ならできる! 必ずやり遂げろ!!」


「ジェミさま、わたくしも同行いたします」


「いや、ここは俺が行く。ロンは退路を確保だ!」




――――



 私は涙の跡を乱暴に拭い、その目を真っ直ぐ睨み返した。



「――ようやく、顔を見せたわね」




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