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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第3章:家族のかたち《福岡編》

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第119話:侵蝕 ―ひとり―


「れな、紅茶を淹れようか?」


 兄ちゃんに訊かれて、私は一瞬だけ迷った。


「……ううん。今はいいや……」



 本当は、飲みたかった。

でも、何だか私のために淹れてもらうのは、申し訳ないなと思った。

その後も、私はいつもの席には座らなかった。


 理由は、自分でもよく分からない。

ただ今日は、そこに座る気になれなかったから、窓辺のロッキングチェアに座って、庭の方をじっと見つめていた。



「れなサマ、元気ないっす。あんまり眠れなかったっすか?」



 ソラリスの声が、どこか遠くに聞こえる。

眠れなかったわけじゃないけど、ぐっすり眠れたわけでもなかった。


 そんな私を、兄ちゃんが様子をうかがうように、一瞬見つめる。

けれど、今日の私は、そんな視線にも気づかなかった。



「れな? どうしたんじゃ? 具合でも悪いのか?」


 たつろーさんが、心配してくれる。


「……ううん。まだ、ちょっと眠いのかなぁ……あはは……」



 愛想笑いのような、変な笑い方になる。

たつろーさんは、兄ちゃんと顔を見合わせていた。



「れなサマぁ? 疲れてるときは、甘いものがいいっすよ。

気持ちがふわっとなるっす。一緒に食べるっす~♪」


 ソラリスが、ロンと一緒にプリンを持ってきてくれた。


 また……気を遣わせちゃった……。



「……ソラっち、ロン、ありがとね。そこに置いといて……」


 ニコッと微笑んでみせた。

けれど、なんとなく……ひとりになりたいと思ってしまう。



「……ごめんね。部屋に戻って、ゆっくり食べることにするね」


「え……れなサマ……?」



 みんながいるリビングにいるのが、少ししんどかった。

いつもなら、こんなこと思わないのに……。


 そんなわけのわからないモヤモヤが、私の心を覆っていた。




 自室に戻ると、ベッドでティアが眠っていた。

プリンをサイドテーブルに置いて、ベッドにそっと座る。

優しくティアを撫でながら、リビングでの短い時間を思い返していた。


 お茶を断ったとき、兄ちゃんはどうしてあんな顔しちゃったのかな。

 たつろーさんも、なんかすごく心配してくれてた。

 ソラっちも、いつもより気を遣ってくれてた気がする。

 ロンも、そっとプリンを持ってきてくれた。



 ――どうして? いつもと違う?? 何が???


 …………私が、変だから??

 ……また、みんなに気を遣わせた。



 そんな言葉が、頭の中に浮かんだ。



 私が普通にしていれば、みんなもあんな顔しなかったはず。


 うーん、やっぱり疲れてるのかな……?

今日は、少し一人で過ごす時間を持った方がいい気がした。



『そうだ。今日は一人で過ごそう』


(うん、そうだよね。心配かけちゃうくらいなら……)


『ああ、そうだ。迷惑をかけなければいい』


(……でも、そこまでしなくてもいいんじゃ……)


『少しの間だけ。落ち着いたら戻ればいい』


(……うん。そうだよね)



 プリンはそのまま、一口も食べずに残されていた。

眠っているティアを、そっと抱き上げて、廊下に出した。


 私はベッドに横たわったまま、天井を見つめていた。




 誰かがドアの前に来たような気配で、目が覚めた。


(あ……いつの間にか、眠ってたんだ……)



 誰かがドアの前で、ノックするかどうか、迷っている。


(……? 先に開けた方がいい? 声かけたらビックリさせちゃう?)



 私は無意識に息を潜めてしまった。


(今は……誰とも話したくない。きっと心配させちゃうから……)


 廊下に出されたティアが、にゃ~ん、と泣く声が聞こえた。

そのティアを抱き上げて、ドアの前まで来ていた誰かは、階段を降りていった。


「……兄ちゃんだったのかな……? ま、いっか……」


 私はそのまま、ベッドの上でごろりと転がると、そのままスマホを手にして、またいつの間にか眠りに落ちてしまった。



――――



「……れなの様子は、どうじゃった?」


 ティアを抱えてリビングに戻ってきたジェミに、たつろーさんが訊ねた。


「……やっぱり、何かがおかしい」


「何か、とは? れなの魔力や結界に不具合はなさそうじゃが……」


「ああ。バイタルなどの数値にも異常はない……」


「けれど、お嬢様はまだ、プリンを召し上がっていらっしゃらないご様子です」


「えっ!? れなサマ、プリン食べてないんっすか!? おかしいっす!

いつもだったら、ワタシと一緒に、わーいって食べてくれるはずっす!!」


「そうですね。

今日に限って、なぜか我々から距離を置こうとしていらっしゃるように見えるのですが……」


「それだ。なぜか、俺たちから距離を置こうとしている。何があった?」


「…………」



 誰もその問いに、返事が出来なかった。

理由が分からなかったからだ。何ひとつ、思い当たることがなかった。



――――



(みんな、心配してくれてる。でも、何も話したくない……)


『なら、しばらく距離を置けばいい』


(……みんなが心配するのは、私のせいだよね……)


『だから、落ち着くまでじっとしていればいい』


(……そうだよね。その方が、みんな楽だよね)



 だんだんと、気力が落ちていくような気がした。

いつの間にか、また眠ってしまっていた。

手の上に乗ったままのスマホが震えて、目が覚めたのだ。



「れな、夕食は食べられそうか?」


 兄ちゃんからメッセージが入っていた。

ちらりと見て、返信しようとしたけれど、なぜか指が止まる。



(……あ、また……心配させちゃった)


『今、返信すれば、また気を遣わせてしまう』


(……そっか、そうだよね)


『今は、そっとしておいてもらった方がいい』


(うん……その方が……きっとみんなも、気が楽だよね……)



 私は既読だけつけて、返信しなかった。



――――



 ジェミは、メッセージに既読がついたのに、いつまで待っても返信が来ないことに、眉を寄せて天井を睨みつけた。



「れなは、メッセージを読んだのか?」


 たつろーさんが訊ねる。


「ああ、既読はついた。だから、寝てるわけじゃない。だが、返事がないのです」


 その言葉に、たつろーさんもロンも、警戒が一段上がった。


「れなに何かが起きている……」


 ジェミも、何かがおかしいと感じていた感覚が、確信に変わった。


「お嬢様に、夕食を持って行ってみましょう」



 そう、ロンが提案する。

ワゴンに、れなの好きなメニューを乗せて、部屋まで運んだ。



――――



「お嬢様、食事をお持ちしました」


「……ありがとう、そこに置いといてくれるかな」


「お昼以降、何も召し上がっていらっしゃいませんね。

体調がお悪いのでしたら、医師を呼びましょう。

それまでは、エルピーの治癒を受けて下さい」


「ち、ちがうよ! ほんとに大丈夫だから! ご飯もちゃんと食べる!!」


「……では、なぜ我々を避けていらっしゃるのですか?」



 私はその言葉に、一瞬固まってしまった。


 ……だって、私はみんなを避けているわけじゃない。


 声が小さくなる。



「……避けてないよ。避けるわけ……ないじゃない……」


「お嬢様……では、なぜいつものように、ドアを開けて下さらないのです」



 ……あ……? どうして?

ご飯を届けてくれたのに、どうしてロンを招き入れないの……?


 ……これが、避けてるってことになるの?



『違う。ただ、心配をかけたくないだけ……』


(……そうだよね……うん)




「お嬢様? 聞いていらっしゃるのですか?」


「……聞こえてる。下で食べるから……持って降りて……」


「お嬢様……なにか、お悩みごとでも?」


「何もないって言ってるでしょ! 下で食べるから、もう行ってっ!!」


「……っ!? ……かしこまりました」



――――



 ロンはワゴンを再び持って降りた。

その様子を見た、ジェミとたつろーさんは、また顔を見合わせた。



「ロン……れなは、食べないと言ったのか?」


「いえ、こちらへおいでになって食べるとおっしゃいました」


「先ほどの怒鳴り声は、もしかして、れなじゃったのか?」


「こちらまで聞こえておりましたか。はい、お嬢様のお声です」


「……やはり、どこかおかしいのぅ」


「ああ。れなは、何でも無いことで声を荒げたりはしない」


「しかし、魔力的な揺れや、外からの侵食の気配はございません」




 その時、れなが二階から降りてきた。

その様子は、至って普通に見える。いつも通りの顔色だった。

一同が、れなの様子を見つめていた。



「……ん? なに? みんなで私を見て……何かついてる?」


「れなサマ、ご飯食べたくないんすか?」



 ソラリスがふわふわと飛んできて、れなの顔を見た。


「ううん? そんなことないよ? お腹減っちゃったから降りてきたの」


「でも、ロンがお部屋まで、持って行ってくれたっす……」


「うん。でも、お部屋で食べちゃったら、また持って降りなきゃでしょ?

だったら、ちゃんと下のダイニングで食べた方がいいじゃない?」


「……れなサマ、プリンは? 食べたっすか?」


「あ! プリン、忘れちゃった……後で食べるわ」


「ワタシが取ってくるっす! お腹に入れて運ぶっす!!」


「あはは! それって食べちゃうってこと!?」




『……私のなのに? 食べちゃうんだ』


(ソラっちは食いしん坊だからね。私が我慢すればいいんだよ)


『うん、あげてしまえばいい。我慢すればみんな幸せだから』




 そんなソラリスとのやりとりを、じっとジェミは見つめていた。



「……れな」


「ん? なぁに? 兄ちゃん」


「お前、プリン食べたかったんじゃないのか?」


「……え、ううん? 別にいいの。ソラっちが食べたいのならあげるよ」


「そうか……」




 離れたところから、たつろーさんがジェミに念話を飛ばした。



『……ジェミ。今日はれなを、ひとりにしない方がよさげじゃぞ』


『ああ、確かに、れなは俺たちと距離を取ろうとしている。

だが、その原因がまだ分からない……』


『しかし、無理に踏み込むのは、得策ではないと存じます』



「……え? れなサマ、どっかおかしいっすか!?」


 たつろーさん、ジェミ、ロンの念話が聞こえていたソラリスが、そのまま声に出してしまう。



「え? 私? どこも……変じゃないよ?」


 れなが振り向くと、ロンに口を塞がれて、ジェミに押さえ込まれているソラリスがいた。



「え? え? みんなどうしたの? ソラっち!?」


「ふがふがふが……」


「何でもございませんよ、お嬢様」


「ああ、今コイツが、お前の食事をつまみ食いしようとしていた」


「そうじゃ、そうじゃ。それで、ふたりが取り押さえたんじゃ。現行犯じゃ!」


「あはは、なんだ、そうだったの? ソラっち、一緒に食べる?」


「いや、コイツはもうさっき食った。それはお前の分だ」



 れなは、小首を傾げたが、特に深追いせずに、テーブルに着いた。


 ソラリスをジェミに任せたロンが、れなのためにテーブルをセッティングする。

そして素早く、少し遅めのれなのための食事を並べ始めた。




『みんな、なにか隠してる』


 ロンのサーブを見つめていると、また声が聞こえてきた。

少しずつ、れなの瞳から光が消えるように、濁っていく。



(……うん。みんな、なにか隠してる……私が鈍感だから……)


『うん。言わなければ、気づかないと思ってる』


(……言えば、私が心配するから……?)


『余計な心配をして、気遣うから』


(心配かけたくないだけなのに……)


『そう。心配させたくないだけなのに』


(私が気遣うから、逆に隠すのかな……)


『そうだ。気遣うからだ。“私” のせいだ』


(……私のせい……やっぱり……そっか……)




 ぽろりと、れなの瞳から涙が一滴落ちた。


 その瞬間、空間の時間の流れが、一瞬止まる。



「――っ!? れなっ!?」


 ジェミが声を上げたその瞬間、れなの姿が黒い粒子に包まれて、霧のようにかき消えた。




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