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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第3章:家族のかたち《福岡編》

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第118話:囁き ―もうひとつの声―


 ――翌朝


 昨夜ふと見た時にあった、霧島でもらった地図に滲んでいたはずの黒い染みは、跡形もなく消えていた。


「……あれ?」


 私は地図を持ち上げて、窓から差し込む朝の光に透かしてみる。

 何度見ても、いつもの地図だ。


(――見間違い、だったのかな?)



 そうだ、昨日は階段から落ちたし、頭も打った。

 きっと疲れていたんだろう。



「れな、どうした? 何を見ている?」


 背後から聞こえた低い声に、肩が跳ねた。

 振り返れば、兄ちゃんがいつものように穏やかな顔で立っている。


「……う、ううん。なんでもないよ」


 私は慌てて地図を畳んだ。



 ――その時だった。


『……なんでもない、か』


「……え?」


 思わず振り返る。


「兄ちゃん? 今、何か言った?」


 けれど、そこには誰もいなかった。



 いつの間にかキッチンに戻っていた兄ちゃんが、私に声をかける。


「れな、ハーブティーでも淹れようか?」


「……あ、うん……温かいミルクティーがいいな」


「わかった。少しハチミツも入れて、甘みもつけてやろう」


「うん! ありがと!! 優しいねっ♪」


 兄ちゃんは優しい。

 ――いつだって優しい。



『……誰にでも、な』


「……え?」




「……な? れな? れなっ!?」


 肩を揺さぶられて、私はハッと顔を上げた。


「に、兄ちゃん? なに? どしたの??」


「お前……今、誰と話していた?」


「え? 私ひとりだよ? 誰とも話してないけど……」


「……独り言、だったのか?」


「やだぁ~、変なこと言わないでよぅ!!」


「……ほら、温かいミルクティーだ。ロンがクッキーも出してくれた」


「わぁ、嬉しい。ロン! ありがとうね!!

私、ソラっちとたつろーさん、呼んでくるね」


「……ああ」



 私はいつも通り、鼻歌を歌いながら、ソラリスのラボへと向かった。


「ソラっち、ティータイムにしましょ。ロンがクッキー出してくれたよ」


「わーい! すぐ行くっす! れなサマ、ちょっと待っててくださいっす!」


「ラボもだんだん、カッコよくなっていくね~」


「そっすか~!? やったぁ♪ でもまだまだ、機材が足り無いっす」


「墜落した船の機材は、まだ持ってこられそうにないの?」


「空間を繋ぐ実験を、まだジェミさまに禁止されてるっすからね~」


「あ、そっかぁ。後で兄ちゃんに、それとなく一緒に頼んであげるね」



『……また、困らせるのか?』


「…………?」



「れなサマ?」


「ん? あ、うん、一緒に頼みに行こう……」


「ほんとっすか!! やったぁ! ありがとございますっす!!」


「じゃ、リビングにいこっか。たつろーさん、どこに居るか知ってる?」


「さっき、お庭で体操してたっすよ? 先に戻ってるかもっす」



 私はソラリスを肩に乗せると、リビングへと戻っていった。

先ほどソラリスが言っていたとおり、たつろーさんは既に戻っていて、庭の池の畔で、ラジオ体操をしていたらしい。


 たつろーさんは、「おう!」と私たちに手をあげて微笑んだ後、ジェミとまた地図を広げて、何やら話し込んでいた。



 私はふと、急に不安が過ぎる。


(……昨夜のあの染み、兄ちゃんたちには見えてたのかな)


『言わなくてもいい』


(え? ……なんで?)


『心配事させるだけだろう?』


(……そっか。……うん、そうだよね……)



 ダイニングテーブルの前で立ち止まって動かなくなっていた私に、ソラリスが呼びかけていた。


「……サマ? ……なサマ?? れなサマっ!?」


「あ、うん? なに、ソラっち?」


「ぼーっとして、どしたっすか? 昨日ぶつけたおでこ、痛いっすか?」



 私は無意識に、額に手を当てた。

ソラリスのフェムトケアのお陰で、たんこぶはすっかり治り痛みもない。



「ううん、痛くない! たんこぶもなくなってるし、大丈夫みたい」


「よかったっす♪ じゃあ、クッキー食べるっす~♪」


「ソラっちは、ミルクにする?」


「こないだの梅ジュースがいいっす! 

スッパ甘くて、しゅわしゅわで、美味しかったっす」


「あはは、気に入ってくれたのね。じゃあ、ちょっとまっててね」


「はぁいっす! れなサマのクッキーは残しておくっす!!」



 私はクスクス笑いながら、キッチンへ向かった。

冷蔵庫を開けたとき、また頭の中に声が聞こえる……。


 霧島での、磐長姫(いわながひめ)さまと佐久夜姫(さくやひめ)さまの言葉がリフレインしていた。


『では、此度(こたび)に限っては、れなのほうが鈍感脳じゃな』


『妾たちが恋愛脳なのではない。れなが恋愛に限って、あまりに鈍いのじゃ』


(……私が鈍感なのは、わかってるもん……)


『そう。……気づいてなかったのは、お前だけだ』


(……だよね。わかってる……)


『だから、知らないフリ、気づかないままで、過ごせばいい』


(……知らないフリ……きづかないまま……)



 冷蔵庫の冷気が、やけに冷たく感じた。

炭酸のペットボトルへ伸ばした指が、ふと止まる。



『……その方が、みんな幸せだ』


(…………みんな、幸せ……)



 そうか。私が黙っていれば、この穏やかな時間は壊れないんだ。

私は、なぜかその思考を否定できなかった。



 ソラリスの梅ジュースを入れた後、自分用にも一杯入れた。

せっかくだからと、たつろーさんと兄ちゃんにも、梅サワーを用意した。


 ロンはそれを後ろで黙ってみていたが、トレーに乗せたときにそれぞれのグラスに氷を入れてくれた。



「ありがとね、ロン……」


「……いえ」



 ダイニングへ戻り、ソラリスにグラスを渡す。

そのままリビングへと進んで、ふたりにもグラスを置いた。



「はい、たつろーさん。兄ちゃんもどうぞ」


「おお、れな、気が利くのぅ、梅サワーか。ありがたい」



 たつろーさんはニコニコして、お礼を言ってくれた。嬉しかった。

けれど、兄ちゃんは、一瞬だけグラスを見て、私を見た。



「……れな? 俺は酒を必要としないが……ありがとう」


「……あ、そうだった。すぐに分解しちゃうんだっけ……ごめんね?

なんか……何も考えずに、普通にもって来ちゃった。あはっ」


「……いや、いいんだ。飲めないわけじゃない。いただくよ」



 そういった兄ちゃんの目は、優しく微笑んでくれていたが、その瞳の奥で私を射抜くような光が走ったことに、私は気づかなかった。



「そういや、れな。昨夜のことじゃが、この地図、なんかちょっと黒くなっとらんかったか? この自宅付近じゃったような気がするんじゃが」


 私は一瞬動きが止まる。

ドキッとしたと言うよりも、なぜか心臓から血の気が引くような、そんな感覚に陥った。



 その時、また頭の中に声が響く。


『何も見ていない。何も言わなくていい。もう済んだことだ』


 耳の奥が、ひやりと冷えた。




 その声が、私の言葉になって出て行く。


「……ううん。私は気づかなかったなぁ。何も見てないよ?」


 兄ちゃんが私から目を逸らさずに、静かに答えた。


「……そうか。ふむ」


「うん? 何か変かでもあったの……?」


「……れな、今日は俺の近くにいろ。目の届くところにいてくれ」


「え? うん、わかった……」


 その言葉に、私は少し安心した。



 ――けれど、また声がする。


『ほらな。優しいだろう? ……誰にでも、な?』


 囁くような声が、頭の中に響く。


「……誰にでも? それは家族だから……?」


『そうだ。家族だから守ってくれるだけだ』


「……側にいろって、言ってくれた……」


『“私” がそういう存在にしたからな』


「……私、が……?」




「れな? 今、何か言ったか?」


兄ちゃんの問いかけに、私は自分が声を漏らしていたことに気づいて、肩を揺らした。


「……え? あ、ううん、なんでもないの!」




『……そうだ。“私” が、そうするように仕向けたんだ』


「……わたしが……」



 兄ちゃんの視線を感じて、私はハッと顔を上げて、ふるふるっと頭を振ってから、笑顔を見せて、ソラリスのところへ戻っていった。



「れなサマ、梅ジュース、美味しいっす~♪

この、マーマレードのクッキーとすっごくよく合うっすよ」


「あんまり食べ過ぎちゃダメよ? 晩ご飯たべられなくなるからね?」


「はいっす! でも、お皿のは食べていいっすか?」


「あはは、仕方ないなぁ。じゃあ、これだけね?」



『私も食べたいと思ってたのにな……』


「……え?」



「ん? れなサマ? どしたっすか?」


「あ、ううん、なんでもないよ。ちょっと旅の疲れが出てきたのかな……」


「そうなんすか?

ラボに医療ポッド作ってみたから、食べたら試してみるっすか?

カプセルの中で、少し眠るだけで楽になると思うっすよ」


「そんなの作っちゃったの!? すごいね! 試してみてもいい?」


「もちろんっすよ~♪ 使った後に感想聞かせてくださいっす。

まだまだ、きっと改良していくとおもうっすから~!」


「うん、わかった。ありがとうね」


「えへへ~♪ れなサマのお役に立てるなら嬉しいっす~♪」


「じゃあ、食べ終わったら連れて行ってくれる?」




 その時、ジェミが声をかけてきた。


「待て。新しく作った装置に、今のれなを入れるのはダメだ」


「えっ!? ちゃんと安全確認したっすよ!? 技術的な問題も無いっす!」


「そういう意味じゃない。今日は、れなの側で俺が診る」


「やだなぁ、兄ちゃん、心配性すぎるよぅ」



 私は少し嬉しかったが、へらへらと笑ってみせた。

なのに、また声が囁く――。


『ほら、また守ろうとしてくれる』


(……なんで、そんな言い方するの?)


『何もおかしくない。“私” は、疲れているだけだ』


(あ……そうか、ちょっと疲れてる……うん。

……でも、私、さっきから、何でこんなに……)


『疲れているからだ』



 兄ちゃんが近づいてきて、そっと私の額に手を当てた。


「熱はない。たんこぶもきれいに引いた。痛みのパルスも出ていない。

身体的には異常は無いようだな……」


 そう言いながらも、兄ちゃんはなぜか余計に怪訝な顔をした。


「脈も正常。瞳孔反応にも異常は無い……」


「ほらねぇ? 私は大丈夫だって。魔法使いすぎた反動かもしれない~」


「……だから気になるんだ」


 兄ちゃんは少し強い口調で、私を見つめて言った。


「ふむ、魔力反動もそれ程は感じないがのう? れな……」



 たつろーさんの言葉に、ロンも静かに頷いている。

私は何となく気まずさを感じて、残っていたクッキーに手を伸ばした。


「……お嬢様、先ほどは、ジェミさまにも梅サワーをお持ちになりましたよね」


「ん? ああ、うん。でも、別に飲めないわけじゃ……」


「ええ。ですが、普段のお嬢様なら、まず選ばれません」



 兄ちゃんが執事(ロン)を見た。執事(ロン)も兄ちゃんを見る。

なんだろう? ふたりとも、何か同じ様な違和感を感じているような……。

でも、私は至って普通に行動したつもりだった。



「そんなの、きっとたまたまだよ。たつろーさんに入れたついでというか」



 私は笑った。その瞬間、また声が聞こえた。


『そうだ。ただの偶然。たまたまだ』


(……うん、偶然だよ……)



 笑顔のまま固まっていたら、ロンが言う。


「昨夜から……、お嬢様は、少々……お疲れなのでは?」


「あー、うん、きっと旅の疲れが今頃出てきたんだと思う」


「……お前、それをさっきから、何度も言っているな」


「……え……?」


 自覚していなかった。ただ疲れていると思っていた。

だから、そう言っていただけなのに……? 繰り返してた??



「今日は、ひとりになるな。俺の側にいろ」


「ええ~、大げさだよぉ。ソラっちのラボにも行きたい~」


「そうっす! じゃあ、ラボでワタシが一緒にいるっす!!」


「では、わたくしも一緒に向かいましょう」


「なら、ワシも一緒に行ってみようかのぉ。らぼとやら、見てみたかったしのぅ」


「……揃いも揃って、全員か……はぁ」



 兄ちゃんは少しほっとしたような、呆れたような溜息をついた。

みんなが私を心配してくれている。



(……あはは、みんな心配性なんだから……)


『ちっ……随分と囲まれてしまったな』


(違うよ、心配してくれてるだけ……)


『違う。監視されているんだ』


(……そんなわけないよ……)


『……ふっ。そう思うなら、それでいい……』



 私は笑いながら、もう一枚クッキーに手を伸ばす。


 みんな、本当に心配性なんだから。 


 ――そう思っていた。



 ただ、兄ちゃんとロンが、一度だけ視線を交わしたことに、私は気づいていなかった。




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