第112話:悪魔の契約 ―忠誠のはじまり―
「私の部下が、あなたに無礼を働いてしまったようで、申し訳ない……。
ここは、どうか私に免じて許してもらえないだろうか……美しき闇の魔女よ……」
廃修道院に響いたのは、畏れ多くも我が主君、公爵様の声だった。
「……こ、公爵……さま……」
「……なに? あなたが公爵? 私を花嫁にしたいんですって?」
「ええ。そのつもりで、部下をあなたの下へと使いに出したのだが……」
皆既月蝕が明け始め、その月明かりが公爵様のお姿を照らし出す。
公爵様は、わたくしを一瞥したのち、お嬢様へと笑顔を向けられた。
すると、その途端にお嬢様の警戒が解けてしまったのだ。
「……はぃ。許しますぅ~♡」
「は……? ゲホッ……ゲホゲホッ……」
「ふふっ、素直で嬉しいですね。君とはそのうち、また一度お目にかかることとなりそうだ。ああ、私は魔界の大公爵の一角。どうぞお見知りおきを。
私の部下を殺さないでやってくれて、ありがとう。とりあえず、これは連れ帰るよ」
「はいぃ~♡ どうぞお気をつけて……」
「ああ、そうだ。それと、詫び代わりと言ってはなんだが、君の魔力と体力の器を少し拡げておいた。使い魔の召喚数にも、もう制限はないはずだ」
「……はぃぃ~ (♡。♡)」
その言葉が終わらないうちに、突然現れた公爵様は、ずたぼろのわたくしを引きずりながら、深淵の扉へと消えていった。
そして、さらに廃墟と化しつつあった美しい廃修道院に、お嬢様は、ひとり残されたのだった。
「その後の魔界で、わたくしは、かなり公爵様に叱責されてしまったのでしたっけ……ふふふ……」
――魔界にて――
「こ、公爵様、お見苦しいところをお救いくださって、ありがとうございます。
相手が人間の娘だと、わたくしは油断してしまいました。
この失敗は、わたくしの傲慢さが引き起こしたものでございます。
どんな処罰も受け――」
「――なぜ、攻撃した?」
「……は? なぜ……と、申されましても……」
「花嫁として彼女を迎えに行かせた。なのに、なぜ攻撃したと言っている」
先ほどとは比べものにならないほどの、魔圧がわたくしにのし掛かる。
恐ろしくて顔が上げられない。一言でも発しようものなら、わたくしの魂は、魔界の深淵へと落とされてしまうのではないかと思えた。
「もっ、申し訳ございませんっ!! レディを傷つけるつもりは……」
わたくしはその場に、ひれ伏した。
「……まぁよい。彼女が規格外の魔力の持ち主だとわかっただけでも、素晴らしい成果を持ち帰ったことにしてやろう。ただし――」
「はっ、はいっ……」
「お前ほどの者が、物理攻撃で負けるとはな……」
「……面目ございませんっ! ……わたくしは将軍を辞退し――」
「いや、そんなことでは許されまい……」
「……い、いかような処分もお受けいたしますっ! 命ばかりはっ!!」
「お前、彼女の執事として、彼女を支え、その右腕となれ」
「……は? な……どういう、ことでしょうか……」
「二度は申さぬ。
ここで私の剣の露と消えるか、彼女の忠実な執事となるか。選ばせてやる」
「はいっ! 公爵様の命とあれば、レディの執事として、仕えさせていただきます!!」
「彼女を護れ。あの魔力を狙って、他の悪魔やよからぬ者が近寄らぬよう。
そして彼女に勝てるまで、魔界に帰還することを禁ずる」
「……か、かしこまりましたっ!! して、どの様にして執事に……」
「知らん。お前が何とかして、彼女の信頼を得ろ。そして仕えるのだ」
「……は、はい。かしこまりました……」
「なんだ? 不服なのか?」
「いえっ!! とんでもないことでございます! ありがたき幸せ!!」
「よい。すぐに人間界へ出立せよ。私の花嫁の魂を護れ。
いずれは私が必ず手に入れる、その日まで。な……」
「はっ! この命に代えましてもっ!!」
そうして、わたくしは再び、人間界へと舞い戻ってきたのでございます。
お嬢様の執事になるためには、まずは、わたくしを信用していただき、信頼を得なければなりません。
次に、そのためにいかに彼女と接触するか。
それも警戒されぬよう、慎重に近づかねばなりません。
わたくしはあの時ほど、お嬢様を攻撃して怒らせてしまったことを、後悔したことはございませんでした。攻撃さえしかけなければ、隣人としてお嬢様の前に、もっとスマートに姿を現すことが出来ましたのに。
最初の数週間は、お嬢様のご様子、そして日常を、ただただ観察しておりました。
ある日のことでございます。
ご学友たちと買い物に出かけられたお嬢様を、こっそり追いかけておりましたら、ある地域の路地で見失ってしまったのです。
「なんたる失敗! 空から追跡すべきだったか……」
「……あなたさぁ……」
ビクッとして振りむくと、そこに腕組みしてわたくしを睨みつけるお嬢様が、仁王立ちされていたのです。
「ここ数週間、ずっと私をつけ回してるでしょ。なに? 今度はストーカーなの?
わたしの隙を突いて、また襲うつもりなの?」
「ちっ! 違いますっ! 誤解です!! わたくしは――」
「変態悪魔が、何の用? 花嫁はお断りしたはずだけど?」
「はい。あの時、レディにコテンパンにやられまして、わたくしは魔界に連れ帰られて、公爵様に叱責されました……」
「そんなの、私の知ったことじゃないわ。怒られたのは自業自得でしょ?」
「さようでございます。それでですね、レディの信用と信頼を勝ち取り、執事として仕えるよう、公爵様に申しつかりました……」
「はぁ? 執事!? 要らない」
「いや、あのっ! それでは、わたくしは魔界に帰ることが出来ないのでございます!! どうか、お情けをっ!!」
「知らない。私には関係ないことでしょ?
魔法もロクに使えない悪魔なんかいらないわ!!」
「なっ!? いやっ、あの、それはっ……」
「じゃあね~!! 今度つけ回したら、ボコボコで済まないからね!!」
「レディっ! お待ちくださいっ! わたくしの話をっ!!」
颯爽と去って行ってしまわれるお姿を、情けなくも見送り……わたくしは、いよいよ、空からお嬢様を追跡することにしたのでございます。
恐らく、気づかれていたのだと思いますが……
お嬢様は、それ以降、わたくしを牽制することもなく、不用意に近づくこともなく。
わたくしは距離を詰めることも出来ず、ひたすら見守り続けました。
――大学が、夏休みに入る頃だったでしょうか。
通学路にあるセントラルパークを横切っていらっしゃったとき、フルーツを売っている屋台に立ち寄られた際、安くなっていた洋梨を、お嬢様は紙袋いっぱいに買われたのです。
家に持ち帰って召し上がるのかと思いきや、そのままガブガブと齧りついて、いくつも召し上がったのでした。
「……あの紙袋には、一体いくつ入っているのだ。
あんなに召し上がって……大丈夫なのか!?」
そう思った矢先のことでした。
いきなり、バタンっ!! と、お嬢様が倒れてしまわれたのです!!
焦りましたね。朝早かったこともあって周りは人も少ないですし、道行く人も仕事があるのでしょう。
異国の少女が倒れたのに、誰ひとりとして助けようとする様子がありません。
わたくしはすぐさま地上に降り立ち、お嬢様を助け起こしました。
高熱がありました。意識が混濁し始めていたので、すぐさま救急車を呼びました。
最寄りの救急病院へ運ばれて、しばらくの間、入院となってしまわれたのです。
わたくしはこれをチャンスと捉えて、お嬢様の身の回りを誠心誠意、お世話させて頂きました。
「……あなたが、病院に運んで、ずっとお世話してくれてたんですってね」
「はい。差し出がましいこととは存じましたが、放置しておけませんでした」
「…………ありがと(ボソッ)」
あまりにも小さな声で呟かれた言葉が、わたくしは聞き取れなかった。
「え、なにか……? 申し訳ございません、表の車の音で聞こえず……」
「……っ!? あ、ありがとうって言ったのっ!!」
「…………!? え、あ、あのっ……ご、ご迷惑だったのでは……」
「あなたが助けてくれたんでしょう? だから、ありがとっ!!」
「は! はいっ!! ご無事で……ほんとうに、よかったです……」
彼女は窓の外を眺めながら、小さく呟いた。
「あなた、魔界に帰れなくなったって……どういうこと?」
「公爵様に、レディの護衛と身の回りのお世話を申しつかりました」
「公爵さんと私には、何の関係もないのよ?なのに、なぜ?」
「レディのお師匠さまと公爵様は、古くからのご友人でいらっしゃるのです。
弟子を取らないことで有名だった方が、あなたを弟子に取られました。
それで公爵様は、レディのことを高く評価しておいでなのです」
「なるほどね……それで、私を花嫁に、と?」
「さようでございます。花嫁に迎えられない場合、レディに一度でも勝つことが出来なければ、魔界に戻ってくる必要はないと……」
「へぇ……私に、ねぇ……。
じゃあ、弱ってる今がチャンスなんじゃないの?」
「わたくしはこれでも、貴族で紳士です。
紳士たるもの、正々堂々と勝負させて頂きたいと存じます」
「ふ~ん……いい心がけなのね。
それで、そのチャンスが来るまで、執事として私に仕えるつもりなの?」
「レディがお許しくださるのであれば……」
「……人間界で、あなたの居場所はないんでしょ?」
「はい、お恥ずかしながら……宿無しでございますね。はは、は……」
「わかったわ。その代わり、お給料はないわよ」
「え……」
「給与も家賃もなし、でも家事、食事、健康管理、すべて任せるわ」
「……レディ……よろしいのですか!?」
「ただし、悪魔を側に置くんだから、契約はするわよ」
「……はい。対価は何をお支払いすれば……?」
「はぁ!? それは、私があなたに聞くんじゃないの? 私が支払うんじゃないの?」
初めてお嬢様は、わたくしを見てクスクス笑った。
「じゃあ、対価はあなたの魂。私がこの世を去るまで、側に仕えなさい」
わたくしは、この方は何をおっしゃっているのかと、一瞬考えた。
悪魔と人間の時間の流れ方はまったく違う。
彼女の寿命など、わたくしが数歩、歩くようなレベルでしかない。
なのに、そんな簡単な対価でいいとおっしゃるのか!?
「……っ!! レディ……いえ、お嬢様。ありがとう、ございます……」
感動などとは無縁だったわたくしが、感極まるという体験をしたのは、これが初めてだった。
――――
その時のわたくしは、まだ知る由もありませんでした。
公爵様の命令によって始まった、この奇妙な主従関係が、いつしか命令など関係なく、この方の傍にいることこそが、わたくし自身の望みとなることを。
お嬢様に勝てば、魔界へ帰ることが出来る。
そう命じられていたはずなのに――
ふふふ……。いつからでしょうね。勝ちたいなどと、思わなくなったのは。
いえ、正しく申しますならば。
この方の傍を離れるくらいなら、永遠に負け続けても構わない。
勝つ必要などないと。
そう思うようになったのは――。
「ロ~~ン! 午後からもう一度、裏山に行きましょう~!!」
「はい。お供させて頂きます。今度は、歩いて登りますか?」
「え~~! やだぁ!! 運動不足がばれちゃうじゃないっ!!」
「お嬢様、たまには、自然の中をゆっくり散策されるのもよろしいかと」
「ワシも行きたいのじゃ~~!!」
「では、午後からは、みんなで行くとしようか」
「賛成っす~~! みんな一緒だと、きっと楽しいっす!!」
「じゃあ、ロン、ピクニックにしましょ~♪」
お嬢様に呼ばれる。それに答える。
お嬢様がお迎えになった家族が、わたくしを呼ぶ。
それにも答えていく。
戦いに明け暮れていた魔界を、時々懐かしくも思うが、今はここでの毎日が、戦場のようで、そして日々を心地よく過ごして頂くことは、戦略を考えるのと同じくらいに楽しく、充実したものであることを、わたくしは知った。
「かしこまりました。軽食を用意してまいりますね」
今日もわたくしは、賑やかになった屋敷を、そしてその家族を、見守り管理する。
お嬢様の執事として。この屋敷の執事長として……。




