第109話:小さな科学者 ―扉の向こうへ―
朝、目が覚めると、そこは見慣れたミニコックピットのような空間だった。
「はっ!! 船に……戻ったっすか!?
……あ? れ?? 違った……っす。……ほっ。
地球の一日は短すぎるっす。もう朝が来ちゃったっす」
昨夜は、ジェミさまがコードで組み立ててくれたコンソールに、れなサマがくれた『ぱそこん』を繋いで、ワタシのデバイスを組み込むのに時間が掛かってしまったのだ。
「……今、ほっとしたっす。やっぱり、このお家が好きっす!
ワタシを家族って言ってくれた、みなさんが大好きっす……えへへ」
独りごちて、自分自身で照れ隠しに小さく笑う。
昨日のうちに、ラボの大半は出来上がった。
地下室にれなサマが施した防音・耐震・耐衝撃魔法を、デバイスで確認する。
「ふむ、すごいっす。でもこれでは、ワタシの想定外の失敗などには、あと少し耐えきれないかもしれないっすね……」
ワタシはしばらく、地下のラボを見回して思案していた。
「あ、そうっす! フェムトセルシールドを張ればいいんすよ。
宇宙船の中みたいにしちゃえば、地球レベルの衝撃ならビクともしないはずっす。
我ながら名案が浮かんだっす!!」
ワタシは早速デバイスで、屋敷と敷地全体に張り巡らされた、れなサマの結界を解析する。
「これだけの広範囲に、こんなに緻密な多重結界……。れなサマは玄界灘からエネルギーを借りてるって言ってたっすけど、地球の自然界エネルギーの流れをここまできれいに流すことは、簡単にできることじゃないっすよ……」
れなサマは、地球人の中でも魔女という希少な種別らしい。
魔法には、ワタシやジェミさまが使うコードとは異なる、独自の論理構造があるようだ。
昨日も、指を一度鳴らしただけで、見事な螺旋階段を作ってみせた。
それなのに、れなサマは「魔法って面倒臭い」とよく言っている。どうしてだろう?
早速、ラボ内部にフェムトセルシールドを構築した。
「これで、万が一、失敗があったとしても、お家に迷惑はかからないっす」
ワタシは昨日もらった『だぶるじっぱー』を取り出した。
「このちゃっくは、開ければ内側と外側が繋がり、閉じれば隔離されるっす。
だったら、開けた先に別の空間を展開できれば――月の裏の船へ、機材を取りに戻れるかもしれないっす。……ふむ。やってみるっす」
実験台の上に乗せられた『だぶるじっぱー』には、タブレットが繋がれており、いくつものミニアームが何やら作業を始めていた。
「これを開いたときに、違う空間に接続出来たら成功っすね」
ミニアームが『だぶるじっぱー』の金具をつまみ、ゆっくりと横へ引いた。
チィィィッ、と小さな音を立てて、実験台の上に黒い隙間が生まれる。
「やった! 開いたっす! どこかに繋がったっす~♪」
ワタシはすぐさま、計測用のミニアームを隙間の向こうへ差し込んだ。
「気圧、正常。酸素濃度、正常。温度は四度……?
船内にしては、少し低すぎるっすね」
隙間から、ひんやりとした空気が流れ込んでくる。
やがて戻ってきたミニアームの先には、小さなカップがぶら下がっていた。
「……なんすか、これ」
蓋には、見覚えのある文字で大きく書かれている。
――れなのプリン。食べたら呪う――
「あれっ!? 冷蔵庫っす!!」
ワタシは慌ててプリンを隙間の向こうへ戻し、『だぶるじっぱー』を閉じた。
「あ、危なかったっす~。ふぃぃぃ。
月の裏側より危険な場所へ繋いでしまったっす。
あ……プリンのスプーン、一緒に冷やしてたっすか!?
後でこっそり返しにいっとくっす……」
どうやら、れなサマのプリンを守る『保護意思結界魔法』へ接続してしまったらしい。
「でも、空間接続そのものには成功したっす。
ということは、接続先の指定方式を変えればいいだけっすね……」
ワタシは失敗の原因を記録すると、すぐに二度目の計算を始めた。
月の裏側にある船へ繋ぐには、まず、れなサマの結界を中継点にすればいい。
この屋敷の結界は、玄界灘から自然界エネルギーを取り込み、循環させている。ならば、その流れを利用して接続距離を伸ばせるはずだ。
「ふむふむ。我ながら完璧な修正っす~♪」
再び、ミニアームが金具をつまむ。
「第二回接続実験、開始っす!!」
『だぶるじっぱー』が開いた。
今度は、隙間の向こうに、揺らめく青い光が見える。
「おおっ!? さっきとは違う場所っす!!」
成功を確信し、さらに隙間を広げた、その瞬間だった。
ドバァァァッ!! ザッパ~~~ン!!
「ぎゃああああああああ!!」
ワタシの断末魔が響き、大量の海水が、勢いよくラボへ噴き出した。
「海っす! 玄界灘そのものに繋がったっすか!? うそ~ん!!」
慌てて『だぶるじっぱー』を閉じようとするが、水圧に押されてミニアームが金具を掴めない。
「うおおおお! 閉まらないっす! 水圧が想定以上っす!!」
警報音がラボに鳴り響く。
実験台から溢れ落ちた海水が、あっという間にラボに流れ込んでくる。
けれど、ラボを覆うフェムトセルシールドに阻まれ、海水は一定の範囲から外へは広がらなかった。
次第にラボが、海中へと変わっていく。
そこにプカプカと浮かびながら、ワタシはデバイスの数値をチェックした。
「ふぃぃ、セルシールド、正常稼働っす!
やっぱり作っておいて正解だったっすね~!!」
「感心している場合か!」
螺旋階段から、ジェミさまの声が飛んできた。
「ソラっち、何やってんの!?」
「朝から屋敷を水没させるおつもりですか」
ジェミさまに続いて、れなサマとロンも駆け込んでくる。
ジェミさまが片手を上げ、コードを展開した。
青白い光が『だぶるじっぱー』を包み込み、押し寄せていた海水を一瞬だけ押し戻す。
れなサマの魔法が、ラボに満たされた海水をチャックの向こうへと送り出していく。
その隙に、ワタシはミニアームを操作して金具を引いた。
ヂヂ、ヂィィィ……、と重く湿った音を立てて隙間が閉じる。
海水の流入が止まり、ラボに静寂が戻った。
残ったのは、床を満たす大量の海水と、ヤリイカやアマダイ、カツオに小魚。
ピチピチと跳ねるタイの尾びれが、ジェミさまが作ってくれた高価なコンソールの操作パネルを叩いている。
「…………」
「…………」
「…………」
全員の視線が、ワタシへ集まる。
「……玄界灘までの接続には、成功したっす」
「この状況を成功と呼ぶのか?」
「部分的成功っす!」
ジェミさまの眉間に、深い皺が刻まれた。
「それで? いったい何をしようとしていた」
「この『だぶるじっぱー』を月の裏側にある船へ繋ごうとしてたっす。
船から機材を持ってこられたら、もっと立派なラボにできるっすよ!」
「その結果が、これか」
「まだ二回失敗しただけっす!」
「まだ?」
ジェミさまの声が低くなる。
「もう原因はわかったっす。れなサマの結界を中継しようとしたら、エネルギーの供給元である玄界灘へ繋がったんすよ。今度は結界を経由せず、船の最終座標を直接指定するっす」
「待て。まさか、もう一度やるつもりか?」
「三度目の正直っす!」
「二度あることは三度ある、とも言うけど?」
れなサマが、足元に散らばった魚介類を魔法で手際よく集めながら、少し不安そうに『だぶるじっぱー』を見つめている。
「大丈夫っす!
ラボのシールドが正常に機能することも、さっきの実験で確認できたっす!!」
ワタシは胸を張って答えた。
「今のは、その確認のための実験ではなかったはずだが」
「結果的に確認できたっす! ある意味、ヨシっす!!」
「ソラリス。あなたは、時々れなさまによく似た理屈を口にしますね」
「え? あたし!?」
思わぬところへ飛び火したロンの言葉に、れなサマが目を丸くした。
「ともかく、次が最後だ」
ジェミさまは腕組みして、厳しい顔のままワタシの隣に立った。
「俺が監視する。異常が発生した場合は、即座に中止する。いいな?」
「了解っす!!」
ぴしっと敬礼して、ワタシはコンソールへ向き直った。
船の墜落座標に、月と地球、銀河系の移動まで補正する。
誤差は、何度計算しても許容範囲内だった。
「座標指定、完了っす」
ジェミさまたちが見守る中、ミニアームが『だぶるじっぱー』の金具を掴んだ。
「第三回接続実験、開始するっす!」
チィィィ……、ヒュオオオ…………
金具が、ゆっくりと引かれる。
隙間の向こうに現れたのは、どこまでも深い闇だった。
「やった……宇宙っす!!」
遠くに、小さな星々の光が見える。
けれど、そこにワタシの船はなかった。
「……あれ? 座標がずれてるっす。すぐに閉じ――」
言い終わるより先に、ラボの空気が激しく動いた。
机の上に置かれていた工具やタブレットが、次々と黒い隙間へ向かって滑り始める。
……ガガ、ガッ!! …………ビュォォォォ!!!
急激な気圧低下で、鼓膜が圧迫されるような減圧音が部屋中に響く。
「ぎゃあああああ!! 吸い出されるっす~~ぅぅぅ!!」
「全員、何かに掴まれ!」
「きゃあああ! 兄ちゃん~~~っ!! ロン~~~っ!!」
「れなっ!!」
「お嬢様っ!!」
ジェミさまが、吹き飛ばされそうになったれなサマの腕を掴んで、抱き寄せた。
ロンが鞭を放ち、螺旋階段の手すりへ巻きつける。その腕には、ワタシがしっかりと抱え込まれていた。
「ああっ! プリンのスプーンが銀河の果てへ飛んでいったっす!!」
「そんなものはどうでもいい、ソラリスっ! 早く金具を掴め!!」
「ロン、離しちゃダメっすよおおお!!」
「その前に、あれを閉じなさい!」
「ミニアームも一個、飛んでいったっすぅぅぅ!!」
「ほかのを使え!」
残ったミニアームを、必死に操作する。
けれど、空気の流れに煽られ、何度も金具を掴み損ねた。
「あと少しっす! もうちょっと……!」
「ソラリス、伏せろ!」
ジェミさまが片手を『だぶるじっぱー』へ向けた。
青白いコードが一気に走り、金具を強引に引き戻す。
――バチンッ!!
『だぶるじっぱー』が、何とか無事(?)に、閉じた。
耳が痛くなるほどの静寂が、ラボに落ちる。
ワタシたちは全員、その場に倒れ込んでいた。
「…………」
「…………」
「…………」
「……船には、繋がらなかったっす」
ぽつりと呟くと、ジェミさまがゆっくりと起き上がった。
「ソラリス」
「はいっす」
「しばらくの間、ラボでの実験を禁止する」
「えっ」
「聞こえなかったか。実験禁止だ」
ワタシの眉が、力なく垂れ下がった。
「……はいっすぅ~……」
プリンに繋がった。
玄界灘にも繋がった。
宇宙空間にまで、ちゃんと届いた。
それなのに……
一番繋ぎたかった船にだけは、繋がらなかった。
「……ショボーンっす」
「ソラリス、それは口に出すものではありません」
そのとき、れなサマがパンッと両手を叩いた。
「はい! みんな無事だったんだから、もういいやん!?
こんなに沢山の新鮮なお魚も手に入ったしさっ♪ ご飯にしましょ!」
「そうですね。結果はどうあれ、大漁でございます」
「これはある意味、成功っちゃ~、成功よ、ソラっち!!」
「はいっす!!」
「復活が早いな」
「今日の朝ご飯、なんすか!?」
ワタシはロンの腕から飛び降りると、れなサマの肩へ飛び乗った。
「今朝はね、焼き鮭と卵焼き。それから、お味噌汁。納豆もあるよ」
「うおおお!! 鮭っす! 卵焼きっす! なっと~~!!」
「大漁のお魚は、夜にお刺身にいたしましょう。
残りはブイヤベースにいたします」
「お刺身ぃぃぃ!! やったぁぁぁっす~~!!」
「ソラリス。実験禁止の件は忘れるなよ」
「ちゃんと覚えてるっす! ご飯を食べてから、反省するっす!」
「先に反省しろ、はぁぁ、まったくお前というヤツは……」
「あのプリンの結界を突破できなかったのが、敗因っす……たぶん」
「ん? プリン??」
「なっ、なんでもないっす~~♪」
ジェミさまの声を背中に聞きながら、ワタシはれなサマと一緒に螺旋階段を上った。
月の裏の墜落船には、繋げられなかった。
けれど、お腹は空いている。朝から頑張った。
地球の朝は、やっぱり忙しいっす。




