第105話:縁 ―れなの屋敷の秘密―
ジェミとたつろーさんが呆れたような顔をする中、ロンだけが含み笑いするような、澄ました顔でお茶を飲んでいる。
「え~? そこじゃないなら、じゃあ、どこ~?」
「全部だ」
「はぁ? 全部??」
「ひったくり犯を追いかけて、背負い投げしたところから、既におかしい」
「ええ~? でも、バッグ取られちゃったんだよ?」
「だからといって、お前が追いかける必要はないだろう!」
「目の前で、お年寄りがひったくりにあって、車道に投げ出されて、車に轢かれそうになって、見たら、まだ走ったら追いつけそうな距離って思ったら、あったま来てさ~。
何も考えずに走っちゃうでしょ~? ふつー……」
「……それは、普通ではない」
「でも、警察が来るまで待ってたら逃げちゃうじゃない!」
「…………」
ジェミが眉間を押さえた。
隣では、たつろーさんが腹を抱えて笑いを堪えている。
「ふ……ふぉふぉ……なるほどのぅ。
まぁ、おぬしらしいと言えば、おぬしらしいが……」
「でしょ~?」
「褒めてはおらんぞ?」
たつろーさんに、ぴしゃりと言われた。
「そうだ。犯人が凶器でも持っていたなら、どうするつもりだったんだ」
「え、そんなの、柔よく剛を制す、よ?
体落としからの袈裟固で、首絞めちゃえば落ちるじゃない?」
「……それは首を絞める技じゃない」
「じゃあ、腕挫十字固で首絞めちゃう!」
「だから、首を絞める技じゃないと言っている!!」
ジェミの眉間の皺が、さらに深くなる。
それを見て、たつろーさんは愉快そうに笑った。
「ふぉふぉふぉ、相変わらず、勇ましいのぉ。
それで? そのおばあちゃんとは、そのまま別れたのか?」
「うん。その日はね」
「その日は?」
「後から、めちゃくちゃ探されたみたい」
「……だろうな」
ジェミが即答した。
「名前も住所も言わずに帰ったから、見つけるのにかなり時間かかったみたい。
ほら、私、その頃からほとんど家で仕事してたし、用事がなかったら滅多に地上に降臨しないっていうかさ……外に出なかったから。あははは」
「それで、どうやって見つかったんすか?」
いつの間にか肉を食べる手を止めたソラリスまで、こちらを見上げている。
「ん~……病院とか警察とか、あの日いたお店の人とか、駅前のコンビニとか、あちこち聞いて回ったみたい。それでやっと私を見つけて、ある日突然、会いに来たの」
「すげぇ執念っすね……」
「よほど、お嬢様に感謝していらっしゃったのでしょう」
「うん、ご本人もそう、おっしゃってたな~」
思い出すと、つい笑ってしまう。
再会した彼女は、命の恩人だと何度も何度も頭を下げてきた。
でも、私はどうにも落ち着かなかった。
「だから言ったの。あれくらい当たり前のことだから、もうお礼なんていいですよって」
「当たり前ではないぞ」
「……兄ちゃん、まだそこ引っかかってるの?」
「一生引っかかる」
彼は真顔だった。
「それから何度か誘われて、会ってるうちに、仲良くなっちゃって。
お茶したり、ご飯食べたりするようになってね~」
「ほう。友人になったというのじゃな」
「うん。歳はずいぶん離れてるけど、気が合ったの」
「それで、その友情が、この屋敷にどう繋がる?」
「あ~……」
私は少し言いにくくなって、牛タンをもぐもぐ噛んだ。
「れな」
「……はい」
「食って誤魔化すな」
「……あははは、バ、バレた?」
「お前の行動パターンは把握している」
逃げられない。仕方なく、私は箸を置いた。
「最初はね……お孫さんと結婚してくれないかって言われた」
「……は? ……何っ!?」
ジェミの声が、一段低くなり目が鋭くなった。
「ほう?」
たつろーさんの眉も上がる。
「けっこん……っすか!?」
「キュイ!?」
「ニャ!?」
「ピピッ!?」
なぜか式神たちまで一斉に反応した。
「ロン、けっこんって……血の跡っすか?」
「違いますよ、ソラリス。お嫁さんになってくれないかということです」
「……れなサマ……」
「いやいやいや! 断ったからね!?」
「当然だ」
「なんで兄ちゃんが答えるのよ!」
「それで?」
「だからぁ、おばあちゃん、私をすごく気に入ってくれてたみたいで。
『うちの孫のお嫁さんになってくれたら安心なんだけどねぇ』って」
「相手の孫とは会ったのか?」
「……写真だけ見た」
「ならいい」
「何が!?」
何が「ならいい」なのか、さっぱりわからない。
ロンだけが少し離れた場所で肉を焼きながら、口元に薄い笑みを浮かべていた。
「それで、結婚はお断りしたんだけど、その後に、それならこの家を使わないかって言われたの」
「この家を?」
「うん。
元々はそのおばあちゃんの別荘で、管理してくれる人を探しているっておっしゃってたの」
「なるほど。それで譲り受けたということか」
「……いや、それが……孫と結婚しないのなら、最初はタダでもらってくれって言われた」
「はぁ!?」
今度はジェミだけではなく、全員の声が揃った。
「でも、そんなの絶対イヤでしょ!? 貸し借り作りたくないもん」
「そこはまともだな」
「兄ちゃんっ!?」
「続けろ」
「それで~、いくらなら売ってくれるか聞いたら、『そんなもの要らない』って言うし。
私もタダなら住まないって言うし。ずーっと押し問答してて~」
「……嫌な予感しかしない」
「最終的に、私がそのとき動かせた投資資産から、即金で三百万円払った」
……しん、と。庭が静まり返った。
「…………三百?」
「……万円」
「この屋敷を?」
「うん」
「土地ごと?」
「うん」
「山も?」
「こっち側の半分ね」
「あの広大な庭もか?」
「うん」
「あのお花のきれいな所もっすか?」
「そうよ」
「小鳥さんたちが水浴びする、あの噴水もっすか?」
「うん」
「……お前が馬鹿なのか、その老婦人が豪快なのか、俺にはもう判断がつかん」
「なんですって!? 失礼ねっ!!」
「ふぉっふぉっふぉっふぉ!!」
とうとう、たつろーさんが盛大に笑い出した。
「いやぁ、愉快じゃ! 実に愉快な話じゃのぅ!」
「でも、それだけじゃないよ?」
「まだあるのか!?」
「おばあちゃん、条件をひとつつけたの」
「条件だと?」
「うん」
私は、少しだけ懐かしい気持ちになって笑った。
「これからも、ずっと友達でいること」
ジェミが黙った。
たつろーさんも、ふっと目を細める。
「お金はいらない。
家も使ってくれていい。でも、それじゃ私が納得しなかったから。
じゃあ三百万円だけ受け取る。その代わり……」
私は昔の彼女の口調を真似て、指を立てて振りながら言った。
「『私があの世へ逝くまで、私の友達でいてちょうだい』って!」
夜の庭を、夏の終わりの風が通り抜けていく。
「だから私も、『それなら買います』って言ったの」
「……なるほどな」
ジェミが、ようやく納得したように息を吐き、黙って見つめ返す。
たつろーさんも優しく目を細め、ロンは静かに頷いた。
「それで維持費とか固定資産税とか、そのへんはどうしている?」
「あ、その辺は、今もおばあちゃんが払ってくれてる」
「なんでだ!!」
「だって払わせてくれないんだもん!」
「三百万円以外、何も変わってないではないか!」
「変わったよ! 名義は私のだもん!」
「そういう問題ではない!」
ジェミの叫びが庭中に響いた、そのときだった。
――ピンポーン!
屋敷のインターホンが鳴った。
「ん? こんな時間に誰だろう……」
私が振り返るより早く、ジェミの視線が空中に浮かんだセキュリティ画面へ向いた。
「……れな」
「なに?」
「来客だ」
「誰?」
ジェミが、なんとも言えない顔でこちらを見る。
「……老婦人だ」
「え?」
画面を覗き込む。
門の前。
上品な夏物のブラウスに身を包み、大きな紙袋を両手に提げた、小柄な女性が立っている。
私は思わず立ち上がった。
「あ、おばあちゃん!?」
「噂をすれば、か」
たつろーさんが愉快そうに笑う。
「あれぇ? なんで今日来るの!?」
『聞こえてるわよぉ! 帰ってきたなら顔くらい見せなさい!!』
インターホン越しに元気な声が響いた。
「きゃあああ! やっぱり、おばあちゃん!!」
『それと!』
「はい!?」
『お肉だけじゃ足りないでしょ。お寿司持ってきたわよ!』
「わーい!! おすしっすぅぅぅ!!」
「お前は黙っていろ!」
ソラリスが万歳し、ジェミの手刀が飛ぶ。
私は笑いながら玄関へ駆け出した。その後を、ロンが静かについてくる。
――数分後。
「れなちゃん、ただいまぁ~!」
「おばあちゃん、そこは普通『こんばんは』でしょ!?」
「何言ってるの。元は私の家でもあるんだから、ただいまでいいのよ」
「名義、今は私なんだけど!?」
「細かいこと言わないの! あはははは」
おばあちゃんは私の背中をぽんぽん叩くと、庭に並んでいる面々をぐるりと見回した。
「…………」
ジェミ。
ロン。
ソラリス。
たつろーさん。
翠、ティア、エルピー。
さらには庭の向こう、明かりの灯った大きな屋敷。
おばあちゃんは、しばらく目を丸くしていた。
――そして
にんまりと、笑った。
「ほらね」
「ん? ……なに?」
「あたし、言ったでしょ?」
私の肩を抱き寄せ、おばあちゃんは皆を見回す。
「あなたはいつか、ひとりじゃなくなるって」
「あ……」
「家族が増えるから、狭い家じゃ困るって」
そして最後に、私へ向かって片目を瞑ってウインクした。
「ね? 大きいお家が必要だったでしょ? うふふふ」
その言葉に、私はもちろん、庭にいた一同が唖然として、そのおばあちゃんを見つめていた。
「……おばあちゃん、なんでそんなことまで覚えてるの?」
「そりゃ覚えてるわよ。
あなた、出会った頃から、ひとりで何でもやろうとする子だったもの」
「ええ~? そうかなぁ??」
「そうでしょう?
住所も名前も言わずに消えちゃったじゃない? ふふふっ」
おばあちゃんは当然のように言うと、私の肩から手を離し、今度は庭にいるみんなを順番に眺め始めた。
まず、その視線がジェミで止まる。
「あら……」
「……?」
「あなたが、れなちゃんの言ってたお兄ちゃん? ジェミさんね?」
「えっ!?」
思わず私の声が裏返った。
「おばあちゃん! なんで知ってるの!?」
「電話で話したでしょう?」
「話したっけ!?」
「話したわよ。最近、お兄ちゃんみたいに世話を焼いてくれる人がいるって」
「うわああああ!!
何を喋っちゃってたのかなっ、過去の私!! 酔ってたのかなぁっ!?」
頭を抱える私の横で、ジェミがゆっくりとこちらを向いた。
「……ほう?」
「いや! 違うの! その、説明の都合っていうか!」
「あとで詳しく聞こう」
「聞かなくていいから!!」
「あはははは! 仲がいいのねぇ」
おばあちゃんは楽しそうに笑うと、今度はロンへ顔を向けた。
「ロンさんは、久しぶりね」
「ご無沙汰しております」
ロンがいつもの完璧な笑顔で一礼する。
「相変わらず男前ねぇ。れなちゃんの面倒、ちゃんと見てくれてる?」
「もちろんでございます」
「ちょっと待って!!
私、そんなに面倒見てもらわないと生きられない人みたいになってない!?」
「……違うのか?」
「兄ちゃんまで!」
「ふぉふぉふぉ」
たつろーさんまで笑っている。
おばあちゃんはそのまま、たつろーさんへ視線を移した。
「あら、こちらも素敵な方ねぇ」
「ふぉっ!? わ、ワシか!?」
「そうよ。お名前は?」
「た、たつろーと申す」
「まあ。素敵。いいお名前ね」
たつろーさんが、ほんの少し背筋を伸ばした。
……なんだろう。
龍神なのに、急に近所のおばあちゃんに褒められたイケオジになった。
「こちらに泊まってらっしゃるの?」
「うむ。しばらく世話になる予定じゃ」
「そう。じゃあ、ゆっくりしていってくださいな。
このお家、部屋だけはいっぱいあるから」
「おばあちゃん! だから今の家主は私!」
「同じようなものよ。あなたも私の孫みたいなものでしょっ!?」
「そっ、それはそうだけどぉ~!?」
まったく聞いてくれない。
「……ところで」
おばあちゃんの視線が、さらに下へ落ちた。
そこには、寿司という単語を聞いてから、ずっと紙袋を凝視している、小さな子供がいた。




