第101話:Token ―旅の証を胸に―
しばらくして、母親たちが、揃って満足そうな顔で弁当売り場から戻ってきた。
その手には、ひとりひとつどころではない数の袋が提げられている。
「……ちょっと待って。何個買ったの?」
「帰りの新幹線、長いやん?」
「途中でお腹空くかもしれへんしなぁ」
「これは晩ご飯用よぉ~」
「晩ご飯はまた、博多で買えばよかったのにっ!?」
「ここではここの駅弁があるでしょ~?」
「んもぅ! 新幹線の中で、何食分、食べるつもりなのよ!?」
「れなサマ、駅弁は持ち帰ることも可能っす!」
「ソラっちは、なんで買う側に回ってんの!?」
ソラリスの手にも、いつの間にか小さな袋がいくつも握られている。
「ジェミ兄ちゃんに買ってもらったっす!」
「誰がお前の兄だ」
「買っていない。お前が勝手にお母上の会計へ追加しただけだ」
「ええのよ~、ソラちゃんも食べ盛りやもんねぇ~」
「そっす! 家族旅行の記念っす!!
それに従兄弟設定は、まだ有効っすよ?」
「駅を出た時点で破棄する」
最後の最後まで続くふたりのやり取りに、母親たちは声を上げて笑った。
やがて改札口へ着くと、三人はようやく足を止めた。
「ほな、ここでええよ」
「うん。乗り遅れないようにね」
「大丈夫やって。子供やないんやから~」
そう言いながらも、母親たちは名残惜しそうに、れなたちの顔を順番に見つめてゆく。
「ロンさん、運転も荷物も、ほんまにありがとうねぇ」
「もったいなきお言葉でございます。
わたくしも、皆さまとご一緒できましたこと、心より嬉しく存じます」
「ソラちゃんも、また遊びにおいでな」
「もちろんっす! 次の旅行にも、絶対ついていくっす!」
「次があることは、決定事項なの?」
「当たり前やん。今回だけで終わりやなんて、誰も言うてへんよ?」
三人が、さも当然のように頷き合う。
ほんの数日前まで、これほど長く、賑やかな旅になるとは思ってもみなかった。
龍脈を巡り、神々と出会い、巨大な龍と戦い――。
母親たちの知らないところで、何度も危険に直面した。
それでも最後には、誰ひとり欠けることなく、こうして笑って見送ることができる。
「……うん。また、みんなで行こうね」
れなが笑うと、母親は穏やかに目を細めた。
「れなちゃんも、あんまり無茶したらあかんえ」
「え?」
「あんたは昔から、なんでもひとりで背負い込む子やから」
「もう、ひとりではありません」
答えたのは、れなではなかった。隣に立つジェミが、静かに母親を見つめている。
「何があろうと、俺が傍にいます」
一瞬の沈黙のあと、三人の母親たちが揃って意味ありげな笑みを浮かべた。
「あらぁ~」
「それは安心やなぁ~?」
「ほんまに、ただのホームステイの人なんかなぁ?」
「兄ちゃんっ!! 今、それ言う必要あった!?」
「事実を述べただけだ」
「そういうところぉぉぉ!!」
改札口の前に、最後まで賑やかな笑い声が響く。
三人の母親たちは何度も振り返り、手を振りながら改札の向こうへ消えていった。
その姿が見えなくなるまで、れなも手を振り続けた。
――旅が終わる。
そう思うと、急に胸の奥へ、ぽっかりと小さな穴が開いたような気がした。
「……行っちゃったっす」
「ああ」
「静かになったっす」
「ソラリスがいる限り、静寂とは無縁でしょう」
「ロン、それ、どういう意味っすか!?」
「言葉どおりでございます」
しんみりしたのは、ほんの一瞬だった。
「ほら、俺たちも戻るぞ」
ジェミの手が、れなの背中へそっと添えられる。
「うん。あそさんたちが、待ってるもんね」
南九州を巡った旅は、確かに終わろうとしている。
けれど、彼らにはまだ、帰るべき場所が残っていた。
「帰りは、わたくしが運転させていただきます」
ロンがファントム号の後部座席のドアを開いて、ルーフにそっと手を添える。
ジェミはれなを先に乗せるとその後に続いて乗った。
――と、その時だった。
いきなり助手席のドアを開けて、見知らぬ壮年の男性が乗り込んできた。
ジェミの警戒レベルが一気に上がる。
「……何者だっ!? なぜこの車に乗り込んできたっ!!」
「ん? なんじゃ、ジェミ、ワシのことがわからんのか!?」
「え!? その声は、あそさんなのっ!?」
彫りの深い精悍な顔立ちに、太く意志の強い眉。
高い鼻梁と引き締まった口元は、風雨に削られた岩肌を思わせる。
長身で肩幅も広く、助手席へ腰を下ろしただけで、広いはずの車内が急に狭く見えた。
人の姿を取ってなお、大地の熱を帯びたような存在感がある。
シブ専のれなが、急に色めき立つ。
「さすがは、れなだ。ワシの声で分かったか。がはははは!」
「あそさん、飛んで帰るんだと思ってた!」
「なぁに、福岡へ向かう道中だ。
しばし、そなたたちと共に過ごすのもよかろうと思ってな。
なんだ? れな、顔が赤いぞ?」
れなとソラリスが顔を見合わせて、その男性をじっと見つめる。
そこにもうひとり、見知らぬ壮年の男性がまた乗り込んできた。
すらりとした長身に、渋みのある端正な顔立ち。
目尻に刻まれた皺と穏やかな眼差しには、永い歳月を重ねた者の深みが滲んでいる。
人懐っこい笑みの奥に、古都を守り続けてきた龍神の静かな威厳を宿す男だった。
黙っていれば、高貴な龍神そのものだ。
――小さくなると、途端に可愛くなるけど。
「ま、まさか、たつろーさんっ!?」
「ふぉふぉふぉ、ジジイだと思っとったじゃろうが、アイツよりちょっと歳上なだけじゃ」
「きゃぁぁぁ!! うそでしょ~!? ふたりがこんなに、イケオジだとは思ってなかった!!」
(いつもはあんなに神々しいのに、あんなにシブメンだったのっ!?)
れなは頬に両手を当てて、頭を左右にふりながら、ふたりを見比べている。
その様子が面白かったのか、ソラリスもれなの肩の上で同じ仕草を真似ていた。
ふたりの姿を見比べ、瞳を輝かせるれなを見つめているうちに、ジェミの胸には、正体のわからないモヤモヤが広がっていた。
「ジェミさま、どうしたっすか? なんか、顔が怖いっす」
「なんでもない」
「そうは見えないっすよ? なんか怒ってるっすか?」
「なんでもないと言っている」
短く言い切ったジェミを、あそさんが助手席から振り返る。
「がはははは! なるほどのぉ~!!」
「……何がだ」
「いや、なんでもない。
ワシらも、まだまだ捨てたもんではないということよ」
「ふぉふぉふぉ。若いのぉ~」
たつろーさんまで、意味ありげに目を細めている。
「だから、何の話をしている?」
「兄ちゃん、どうしたの?」
「お前は黙っていろ」
「なんで私まで怒られるのよ!?」
まるで自覚のないれなに、ジェミの眉間の皺がさらに深くなった。
その時、ソラリスが、はっと顔を上げる。
「あっ!! ハニー号が、まだ駐車場に残ってるっす!」
「問題ない」
ジェミが後部座席から、駐車場に停められたハニー号へ視線を向けた。
「あれは、俺のコードによって構築した車両だ。役目を終えれば、元の情報へ還元できる」
ジェミが片手を上げ、指先を軽く払う。
―― Decompose――
その声と同時に、ハニー号の車体を無数の蒼い光が走った。
ボンネットからルーフ、ドア、タイヤへ、複雑なコードの列が網目のように広がってゆく。やがて車体の輪郭が細かな光の粒へほどけ、蒼い文字列となって宙へ舞い上がった。
すべてのコードは細い光の帯へ収束すると、開かれたジェミの手のひらへ吸い込まれてゆく。数秒後、そこには最初から何もなかったかのように、空の駐車スペースだけが残されていた。
「コード分解、完了だ」
「ふわわ! 便利っす!! 駐車場代も、車検もいらないっす!」
「そこへ感心するのか?」
「維持費は大事っす!」
「ソラっち、妙なところで現実的ね……」
「いつもれなサマが言うやつっす!」
エッヘンと、れなの肩の上でソラリスが胸を張った。
「それでは、出発いたしましょう」
ロンが静かにアクセルを踏み込むと、ファントム号は鹿児島中央駅をあとにした。
窓の外を、鹿児島の街並みがゆっくりと流れてゆく。
れなは遠ざかる駅を振り返りながら、何気なく胸元へ手を添えた。
――その瞬間
「……あれ?」
服の下から、淡い光が漏れている。
れなが慌てて取り出したのは、霧島で授かった『御標の鏡』だった。
手のひらの上で、小さな鏡が微かに震えている。
「兄ちゃん、これ……!」
「ああ、俺のものも反応している」
ジェミが懐から取り出した鏡も、同じ光を放っていた。
ロンとソラリスの鏡も、それぞれの持ち主の手元で震え始める。
四つの光が、車内で同時に弾けた。
「きゃっ!?」
れなが目を閉じ、次に開いたときには、手のひらにあったはずの鏡が消えていた。
代わりに、胸元の六芒星が柔らかな光を帯びている。
師匠から受け継いだペンダント。
その中央へ、縮小した鏡が、初めからそこにあったかのように収まっていた。
「鏡がペンダントと、ひとつになってる……」
キン! と、小さな音がして、パズルのピースが埋まったような感覚があった。
れなが指先で触れると、六芒星の中心を形づくる六角形の内側で、小さな八角の鏡が共鳴するように輝き、淡い光が一度だけ脈打った。
ジェミの鏡は、細身のタイピンへ姿を変え、彼の胸元へ留まっている。
表面には鏡のような光沢が残され、服装に応じてブローチへ形を変えられる構造になっていた。
ロンの鏡は、落ち着いた輝きを帯びたラペルピンへと変わり、燕尾服の襟を飾っている。
そして――
「な、なんすか、これぇぇぇ!?」
ソラリスの首元には、細い金属製のチョーカーが巻かれていた。
その中央には、御標の鏡が小さく輝いている。
「ソラっち、それ、かわいい!」
「これ首輪っすか!? ワタシ、かわいいっすか!?」
「首輪ではなく、チョーカーだ」
「ソラリス殿は、どこが首か分かりかねますしね……」
「うむ、たしかにのぉ。頭と胴の区別がつかんのじゃ」
「これでも、黄金比のプリティボディっすよ!!」
たつろーさんが笑う。
ジェミはソラリスの言葉を無視し、チョーカーへ視線を向けた。
瞳の奥で、解析コードが高速で走る。
「鏡の周囲に、外部術式を受け入れるための空き領域がある」
「改造できるってことっすか?」
「ああ。必要があれば、制御機構を追加することも可能なようだ」
「もっとカッコよくしてほしいっす!」
「必要があれば、と言ったんだ」
ふたりの会話を聞きながら、あそさんが満足そうに頷いた。
「御標が、そなたらを新たな主と認めたのであろう。
それぞれが、最も身につけやすい姿へ変じたのだ」
「旅が終わっても、これならずっと一緒にいられるね」
れなが六芒星へ収まった鏡を撫でると、四つの御標が、再び小さく光を返した。
それから数時間後――
窓の外を流れる景色は、いつしか街並みから、深い緑に覆われた山々へと変わっていた。
西へ傾いた陽が、阿蘇の稜線を黄金色に縁取っている。
「もうすぐ着くぞ」
助手席のあそさんが、懐かしそうに目を細めた。
やがてファントム号が阿蘇神社へ近づくと、あそさんが片手を掲げる。
その指先から淡い光が広がり、車体を包み込んだ。
次の瞬間、周囲の景色が水面のように揺らいだ。
観光客の声も、行き交う車の音も遠ざかり、代わりに、木々のざわめきと鳥の声だけが聞こえてくる。
ファントム号は、現世から阿蘇の神域へと足を踏み入れた。
空気の密度が変わり、ほっとするような土と草の香りが満ちていた。
「帰ってきた……」
れなは窓の外に広がる景色を見つめながら、胸元の六芒星を、そっと握りしめた。
神域へ続く道の先に、一柱の神が立っている。
堂々たる体躯に、穏やかな笑み。
彼らの帰還を待ち続けていた健磐龍命だった。
ファントム号が停車すると、れなは扉が開くのを待ちきれないように、身を乗り出した。
「健磐龍さま~っ!」
「よう戻ったな」
健磐龍命は、れなたち一人ひとりの顔を確かめるように見つめ、それから大きく両腕を広げた。
「皆、無事で何よりだ」
「はいっ! ただいま戻りました!!」
その言葉を口にした瞬間、れなの胸に残っていた旅の緊張が、ようやく静かにほどけていった。




