第100話:Dessert ―旅の終わりは、まだ終わらない―
ホテルのロビーへ戻った瞬間、三人の母親たちの視線が、一斉にれなとジェミへ向けられた。
「……な、何?」
昨夜の会話を知ってしまった今、その笑顔が妙に意味ありげに見える。
「別にぃ~?」
「何も言うてへんよぉ~?」
「なあ~?」
三人は顔を見合わせると、揃ってニヤニヤと笑った。
(あれって絶対、何か言いたい顔やんっ!!)
れなの中には、もうひとりの自分――
エイドロンが昨夜交わした会話が、鮮明な記憶として残っている。
『ただのホームステイの人が、あんなに熱の籠もった目で、れなちゃんを見るかなぁ?』
思い出した途端、頬が一気に熱くなった。
「れなちゃん、どないしたん? 顔、赤ぉして?」
「な、なんでもないからっ!!」
「昨夜は、あれだけ何もない言うてたのになぁ?」
「それ、私が言ったワケじゃ――」
そこまで口にして、れなは慌てて両手で口を塞いだ。
「――れな?」
「お前以外に、誰が言ったんだ?」
隣に立つジェミまで、不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「なっ!? 兄ちゃんは黙ってて!!」
「なぜだ」
「兄ちゃんが喋ると、話が余計ややこしくなるのよ!!」
「へぇ~? 兄ちゃんって呼んでるんやぁ?」
三人の母親たちの口元が、ますます楽しそうに緩んでゆく。
その後ろでは、ロンが肩を震わせ、ソラリスだけが事情を理解できずに首を傾げていた。
「れなさま、もうひとりのれなさまが、何か喋ったんすか?」
「ソラっちも黙っててぇぇぇ!!」
朝のホテルロビーに響いた声に、チェックアウトを待つ宿泊客たちが、何事かと振り返った。結局、れなは母親たちの追及から逃れるように、誰よりも早くホテルを出た。
「ほらっ! 早く行くよ!! 新幹線の時間もあるでしょ!?」
「え~、そんなに慌てんでも、まだ、だいぶ時間あるえ~?」
「その前に、天文館へ行くんでしょ?」
「あ! そうそう。鹿児島まで来て、あれを食べずには帰れへんなぁ!」
三人が、いかにも楽しそうに頷き合う。
「……あれって、何すか?」
「名物のシロクマよ」
れなの答えを聞いたソラリスが、ぴたりと足を止めた。
「え……シロクマさんを、食べるんすか……?
熊本を通るときに、くまモン殿に攻撃されないっすか!?」
ソラリスの言葉に、母親たちは声を上げて笑った。
「大丈夫よぉ。くまモンは、そないなことで怒らへんよ」
「そうなんすか? 心が広いっすね!」
母親の返事を聞いて、ソラリスは安心したように胸を撫で下ろしている。
その様子を見ながら、れなはふと気になって、隣に立つジェミの袖を引いた。
「ねえ、兄ちゃん」
「なんだ」
「今さらなんだけどさ……
お母さんたちには、ソラっちがちゃんと人間の子供に見えてるんだよね?」
「ああ、問題ない。俺がソラリスの周囲に、認識阻害パルスを常時展開している」
ジェミもまた、母親たちには聞こえない声量で答えた。
「本来の姿に関する視覚情報を遮断して、十歳前後の人間の子供として認識されるよう補正している。周囲の人間にも同様だ」
「どんな子に見えてるの?」
「銀色の髪と明るい茶色の瞳を持つ、中性的な外国人の少年だ」
「へぇ~! ちょっと見てみたいかも!」
「お前には必要ない。認識補正の対象外だ」
「え~! 兄ちゃん、あとで見せてよ!」
「検討する」
「それで、お母さんたちには、ソラっちのこと、どう説明してあるの?」
「俺の従弟だ」
「……はい?」
「同じ会社の制度を利用し、俺のあとから、お前の家へホームステイに来たことになっている」
「勝手に従弟設定を作ったの!?」
「十歳の子供が、何の縁もない成人たちと行動している方が不自然だろう」
「あ~、まぁそれは、そうだけど……」
正論ではある。
だが、本人たちの知らないところで家族関係まで構築されているとは、思ってもみなかった。
「ジェミ兄ちゃんっす!」
いつの間に聞いていたのか、ソラリスが嬉しそうに、ジェミの腕へしがみついた。
「離れろ」
「従弟なんすから、遠慮はいらないっす!」
「それは外部の人間へ向けた設定に過ぎない」
「兄ちゃん、シロクマさん買ってほしいっす!」
「自分で払え」
「十歳の子供に冷たいっす!!」
「あらあら。ほんまに仲のええ従兄弟さんやなぁ」
母親たちが、微笑ましそうにふたりを見ている。
「違う」
「照れなくていいっすよ、ジェミ兄ちゃん!」
「二度と呼ぶな」
「兄ちゃん、弟ができてよかったね!」
「よくない!」
ソラリスはジェミの腕へぶら下がったまま、楽しそうに笑っていた。
「ところで、シロクマさんって、どんな味なんすか?」
「シロクマという名のかき氷だ。熊は入っていない」
ジェミが、ようやく本題へ戻す。
「かき氷!? シロクマさんは入ってないんすか!?」
「入ってたら大問題よ!!」
「でも、名物って言ったっすよ?」
「名前がシロクマなの!」
「地球の食べ物、情報と実物が一致しないものが多すぎないっすかぁ?」
ソラリスは、納得できないように首を傾げた。
「きつねうどんにも、きつねさんは入ってなかったっす」
「当たり前でしょ!」
「たぬきそばにも、たぬきさんはいないっす」
「食べ物の名前を、いちいち額面通りに受け取るな」
「じゃあ、シロクマさんの形をしてるんすか?」
「それは、見てからのお楽しみやなぁ」
母親たちは、意味ありげに笑った。
ロンが運転席へ乗り込み、一行を乗せた車は、鹿児島市内へ向かって走り出す。
九州を巡ったB級グルメツアー、その最後を飾る一品が待つ、天文館へ――。
天文館へ到着すると、目当ての店の前には、すでに多くの人が集まっていた。
店先に掲げられた白熊の絵を見つけたソラリスが、真っ先に駆け寄ってゆく。
「いたっす! シロクマさんっす!!」
「だから、それは看板よ!」
「このお店の守護獣かもしれないっす!」
「食べ物屋にまで守護神を配置するな」
店内へ入ると、冷たい空気が、夏の日射しに火照った頬を心地よく撫でた。
席へ案内されるなり、母親たちは楽しそうにメニューを覗き込む。
「やっぱり、普通の白熊にしよか?」
「これ、結構大きいんとちゃう?」
「三人で分けたら、ちょうどええやろ」
一方のれなたちのテーブルでは、ソラリスが真剣な瞳で、メニューを吟味していた。
「ワタシ、ひとりで一個、全部いけるっす!」
ソラリスが、メニューを指差して胸を張った。
「お前は、大きさを確認してから言え」
「かき氷っすよ? ほとんど水じゃないっすか!」
「その発言を記録した。あとで撤回は認めない」
「望むところっす!!」
注文を取りに来た店員も、少年の姿に見えているソラリスを心配そうに見つめた。
「君、これは、かなり大きいけど、ひとりで食べられる?」
「大丈夫っす! ワタシ、育ち盛りっすから!」
「食べられへんかったら、みんなで手伝ったらええよ」
母親たちにまで励まされ、ソラリスは得意げに胸を張っている。
結局、母親たちは三人でひとつ。
ロンは小さめのものを選び、ソラリスは宣言どおり、自分専用の白熊を注文した。
「れなはどうする?」
「私は、普通のを一個!」
「完食できるのか?」
「できるよ! かき氷やもん!」
「では、俺は注文しない。食べきれなかった場合、お前の残りを処理する」
「失礼ね! 絶対、ひとりで食べるから!」
「そうか」
ジェミは、結果がわかっているかのように、平然とブラックコーヒーだけを注文した。
しばらくして、最初の白熊が運ばれてきた。
大きな器へ、ふわりと高く盛られた真っ白な氷。
その上には、色とりどりの果物や寒天、豆が散りばめられ、確かに白熊の顔にも見える。
「うわぁぁぁ!! 本当にシロクマさんっす!!」
ソラリスの目が、見たこともないほど大きく見開かれた。
「これが、鹿児島名物の白熊よ」
「プリティっす! 食べるの、かわいそうっす!」
「さっきまで、ひとりで一個食べる言ってたじゃない」
「それとこれとは、話が別っす!」
そう言いながら、ソラリスは迷うことなく、白熊の額へスプーンを突き立てた。
「思い切りいいわね!?」
「甘いっす! 冷たいっす! 果物も入ってるっすー!!」
ひと口目で、あっさりと罪悪感を忘れたらしい。
夢中になって二口、三口と頬張った直後、ソラリスは突然、両手で頭を抱えた。
「うぎゃあああ!! 頭の中が、キーンってするっす!!」
「急いで食べるからよ!」
「ワタシの思考中枢が、凍結したっすー!!」
「地球外生命体にも、アイスクリーム頭痛が生じることが実証されたな」
「観察してないで、助けてほしいっす!!」
「ゆっくり食べれば治る」
「それだけっすか!?」
「それだけだ」
涙目で頭を押さえるソラリスを見ながら、母親たちは声を上げて笑っていた。
れなも、目の前の白熊をスプーンですくう。
きめ細かな氷が、口の中でさらりと溶けた。
まろやかな甘さに、果物の爽やかな酸味が重なる。
「おいし~い! これなら、いくらでも食べられそう!」
「その判断は、完食してからにしろ」
「兄ちゃん、慎重すぎ~。たかが、かき氷よ?」
ところが、半分ほど食べたところで、れなの手が止まった。
「……うぅぅ、さ、寒い……」
「フッ、予測どおりだ」
「だって、最初は暑かったんだもん……」
「だからといって、急激に身体を冷やしすぎるな」
ジェミは呆れたように言いながら、れなの前から器を引き寄せた。
そのまま、れなが使っていたスプーンを手に取る。
「えっ、兄ちゃん?」
「残りは俺が食べる」
「いや、それ、私が使ってた――」
言い終える前に、ジェミは何の躊躇もなく、れなが使っていたスプーンで白熊を口へ運んだ。その銀色のスプーンが、彼の唇に触れるのを、れなは呆然と見つめることしかできなかった。向かい側に座る三人の母親たちが、一斉に動きを止める。
「……へぇ~? アツアツやん~?」
「ふぅ~ん?」
「何もないんと、違ごたんかなぁ~?」
「……っ!! もう、好きにしてぇぇぇ!!」
れなの悲鳴と、母親たちの笑い声が、賑やかな店内へ響き渡った。
こうして九州を巡ったB級グルメツアーは、甘くて冷たい白熊とともに、最後まで笑いに包まれて幕を閉じた。
店を出た一行は、再び車へ乗り込み、鹿児島中央駅へ向かった。
ほどなくして駅前へ到着すると、ロンが車から降り、荷台から母親たちの旅行鞄を取り出してゆく。
「お荷物は、わたくしがお持ちいたしましょう」
「ええよぉ。ここからは自分で持つから」
「執事さんには、旅行中ずっと世話になったもんなぁ」
「いえ。
皆さまのお役に立てたのであれば、何よりでございます」
三人はロンへ礼を言い、それぞれ自分の鞄を受け取った。
「それじゃ、改札へ行こうか」
れなが駅の中へ向かおうとすると、母親たちは揃って別の方向へ歩き出した。
「え!? ちょっと、どこ行くの?」
「駅弁、買わなあかんやん?」
「はぁっ!? 今、白熊食べたばっかりでしょっ!!」
「新幹線の中で食べるんよぉ~」
「それは別腹やもんなぁ~」
「白熊は溶けたら、ほとんど水っす! ジェミ兄ちゃんも言ってたっす!」
「ソラっちは、どっちの味方なのよ!!」
「駅弁を食べる方っす!」
つい先ほどまで、ひとり分の白熊を抱えて震えていたはずのソラリスまで、母親たちのあとを追って、弁当売り場へ駆けてゆく。
「B級グルメツアー、まだ終わってないやん……」
遠ざかる四人の背中を見つめ、れなはがっくりと肩を落とした。




