閑話:院長先生の一日
私の名前はラーナと申します。スルラン様を祀る聖教会の司祭であり、このヴォルクスでは孤児院の院長を長年務めております。
私はいつも日が昇るより早く起床します。そして、孤児院の敷地内に建てられた、小さな礼拝堂で祈りを捧げます。これは毎日の日課であり、この街に来てから欠かした事の無いお勤めです。
そして、普段は一人で行う祈りの時間ですが、本日は珍しい来客があります。その方は、早速おいでになられた様です。私は祈りを終え、礼拝堂の入口へと振り向きます。
「シスター・ラーナ、本日はお時間を頂き、ありがとう御座います……」
「お待ちしておりました。さあ、こちらの懺悔室へどうぞ」
礼拝堂は十名が座れるだけの、小さな建物です。ここはあくまでも孤児院であり、土地の所有権もヴォルクス領主にあります。聖教会の敷地ではありませんので、これは仕方の無い事でしょう。
そして、この礼拝堂には個室が備え付けられています。たった二名しか入れない、小さな小部屋です。そこが懺悔室と呼ばれる部屋となります。
本来の用途は、スルラン様へ罪を告白する為の場所。しかし、この国では聖教会の教徒はごく少数です。その為、実際の用途としては、私が悩める方々の相談を行う、個人的な相談室となっていますね。
私は本日の相談者を伴い、懺悔室へと入って行きます。ただし、入り口は別々の扉です。中ではお互いの顔が見えない様に、仕切りの設置された部屋となっている為です。これは相談者が話しやす様にする為の配慮となっています。
私は懺悔室の椅子に座り、小さな窓から相談者の様子を伺います。顔は見えませんが、座った相手の手元は見えます。緊張した様子ですが、相談の準備は整った様子ですね。
「それでは、貴女の悩みを聞かせて頂きましょう」
「はい、宜しくお願いします……」
相談者の女性は、祈る様に手を組んでいます。ギュッと握られたその手から、その方の悩みが切実である事が感じられますね。
私は相談者の気持ちが落ち着くまで、じっと静かに待ちます。すると、程なくして、相談者はポツポツト語り始めました。
「私は、仕事で失敗をしました……。取り返しのつかない、大きな失敗です……。もし、知人の助けが無ければ、どれ程の被害を周囲に与えた事か……」
「大きな失敗ですか……」
彼女の悩みは、仕事の失敗の様です。そして、その失敗が彼女の心を縛っている。彼女は自身の心を縛る鎖を、どうにかして解きたいと考えているのでしょう。
私は再び、相談者が語るのを待ちます。まだ、彼女の心を縛る鎖が何か、彼女は語っていません。彼女がその言葉を口にするまで、私はただ待ち続けます。
「私達は自惚れていたのです……。周囲から大きな期待を掛けられ、自分達が特別な存在だと思っていました……。私達なら、何でも出来ると勘違いをしていたのです……」
「そうですか、自らの力を過信していたのですね……」
若い者には良くある事だと思います。順調に実力を付け、自分の限界を見誤るという事は。それによって、大きな火傷を負ってしまう事も。
私の様な年寄りからすると、失敗は若者の成長に必要な糧と思えます。しかし、失敗した当人からすると、中々良い教訓になったとは開き直れないのでしょう。
……過去にそれが出来る知人はおりましたけど、それは特殊な例と言う物ですね。
「それから、何をするにも怖くなってしまいました……。また、同じ過ちを繰り返すのでは……。取り返しのつかない失敗をするのではと……」
「貴女にとってその失敗は、それ程に大きな失敗だったのですね……」
相談者の手に再び力が込められる。その手に、ポタポタと雫が落ちて来ます。彼女の感情は、大きく揺れている様ですね。
「仲間に……憧れの存在に……皆に期待されていたのに……! 私は役目を果たせませんでした……! 私は皆の期待に、応えられませんでした……!」
「期待に応えられなかった事が、とても辛いのですね……」
彼女はとても責任感が強いのでしょう。だからこそ、期待に応えられなかった事に苦しんでいる。彼女の心は、自責の念に縛られているのでしょうね……。
「次に失敗したらと思うと……。皆に失望されたらと思うと……。どうして良いか、わからなくなるのです……。怖くて、足が竦んでしまうのです……」
「皆に失望されるのが、怖いのですね……」
彼女の心は、恐怖に囚われているみたいですね。それによって、周囲へと目を向けられなくなっている。彼女を心配する、周囲の思いにすら気付けていないはず……。
ならば、彼女の心を、視点を、外へ向けさせる必要がありますね。彼女の感情が内へと向いている限り、この悩みは解決しないのですから。
「貴方には、大切に思う人はいらっしゃいますか?」
「大切な人……? ええ、大切な恋人がいます……」
「ならば、その人の事を想像してみましょう。その大切な恋人が、貴女と同じ様に失敗し、とても落ち込んでいる状況です」
「リュートが落ち込んでいる……?」
相談者は不思議そうに呟きました。恋人の事を想像し、少しは心が外側に向いた事でしょう。
……ですので、私は彼女の心を更に導きます。
「リュートさんは、自分はもう駄目だと思い、自暴自棄になっています。仕事も手につかず、部屋に籠ってしまっています。……貴方はそんな彼を見て、どう思いますか?」
「とても、心配です……。何とかして、助けてあげたいと思います……」
彼女は悲痛な声で呟きます。想像の中の恋人を思い、胸を痛めているのでしょう。相手を思いやる気持ちが残っているなら、彼女は簡単に立ち直れるはずです。
「貴女はリュートさんを責めないのですか? 彼は失敗をして、周囲に迷惑を掛けているのですよ? 勿論、それは貴女に対しても……」
「そんなことしません……! リュートはいつだって、私の事を大切にしてくれました……! たった一度の失敗で、これまでが無かった事に……なんて……」
彼女の言葉は、途中で勢いを失います。そして、茫然とした様に、固まってしまいました。
どうやら、私が最後まで話すまでもなく、彼女自身で答えに辿り着いたみたいですね。
「そうですね。リュートさんも、貴女に対して同じ思いでしょう。貴女の事を心配し、どうにかして助けてあげたいと……」
「う、うう……。私は、自分の事しか……見えて、無かったのですね……。彼の気持ちを……考えもしないで……」
彼女は嗚咽を漏らしています。恋人の事を思い、申し訳ない気持ちで一杯になったのでしょう。
ですので、私は努めて優しい口調で、彼女へと言葉を送ります。
「愛する心を忘れてはなりません。その心こそが、人々を平和な世界へと導くのです。貴女の良き行いを、スルラン様はしっかりと見ていますよ?」
「シスター・ラーナ……。私はどうすれば良いのでしょうか……? 元の場所に戻るには、まだ勇気が足りないのです……」
彼女は悔しそうに質問する。微かな手の震えから、彼女の思いが伝わって来ます。戦いたいけど、まだ恐怖を克服出来ていない。何とかして、その恐怖に打ち勝ちたいと。
「焦る必要はありません。小さな事からで良いのです。貴方の出来る事から始めなさい。貴女の恋人は、きっと貴女を待ってくれるでしょう。貴女が自信を取り戻す、その日まで……」
「……はい、わかりました。私は再び精進致します。全てはスルラン様の身心のままに……」
彼女は手を組み、スルラン様へと祈りを捧げます。私も彼女に合わせて、同じく祈りを捧げます。
この様に、誰かと一緒に祈るのも久々です。この街の聖教会教徒は、私と彼女を除けば、数名程しかいませんからね。
しかし、それは仕方の無い事です。この国では、聖教会を排斥する文化が存在します。私の様に布教を志した者や、冒険者として旅立った者以外には、そうそう増える事も無いのですから……。
「それでは頑張りなさい。貴方にスルラン様のご加護があらん事を……」
「ありがとう御座います。また、いずれご報告に伺わせて頂きます……」
彼女は頭を下げると立ち上がり、そのまま懺悔室を後にする。私はその姿を小窓から眺め、満足気に頷きました。
「貴方が引退するには、まだ早すぎますよ……。まだ多くの人が、必要としているのですから……」
一人になった部屋で、私は小さく呟きます。そして、小さく伸びをすると立ち上がり、彼女と同じく懺悔室から礼拝堂へ戻ります。
そこには既に、彼女の姿はありません。彼女の顔を見れないのは残念ですが、恋人の元へ向かったと思えば、それで良いのかとも思えて来ますね。
私は礼拝堂を後にし、孤児院の建物へと向かいます。そろそろ、子供たちが起き出す時間です。早く朝食の準備を進めなければなりませんからね。
「さて、今日はロレーヌが来る日だったかしら?」
ロレーヌは卒園しても、度々顔を出す可愛い子です。最近は同じアンナちゃんも連れて来て、孤児院の子供達と遊んだりもしています。今日の賑やかな一日となりそうですね。
私は昇り始めた太陽に目を細めます。そして、今日も健康に過ごせる事を、スルラン様へと感謝します。そうして、いつもの一日が始まりを迎えるのでした。




