第3章:23 『変化による圧倒』
「――昨日の今日で、もうここに来たんですか」
「…………」
目覚めると同時に、隣から呆れた声がかけられた。
場所はシンゴの通い慣れた校舎。だが、ここがシンゴの本来通っていた所とは全く以て別の場所である事はもう分かっている。
「君は……弱いね」
「…………」
「力が弱い、おつむが弱い、技術も無ければ、状況判断もうまく出来ない上に、そもそも策を弄そうとする気もない。自分本位で身勝手……君はあらゆる点で駄目すぎる」
「…………」
「無視ですか。――無視とは、他人を蔑にするという事。それはつまり、他人を排するのに等しい。お前……また僕をいじめる気か?」
カワードは剣呑な空気を発しつつ、俯きながら押し黙るシンゴに近付き、下からその顔を覗き込んだ。
しかし、シンゴは一向に反応を示そうとはしない。カワードがぎりっと歯を噛み締め、シンゴの胸ぐらを掴み上げた。
「いい加減にしてくださいよ。これ以上僕を無視するなら、たとえイブリースのお気に入りである君でも許さない。――殺しますよ」
「……ぇ」
「――?」
「うるせぇッ!!」
絶叫し、カワードの手を払ったシンゴはふらつくように後退すると、椅子に足を取られて尻もちを着く。
痛みに顔をしかめ、見下ろしてくるカワードを怒りに顔を歪めて睨み上げる。
「部外者が口出すんじゃねえよ! 勝手に人ん中に居座りやがって……出てけクソ野郎! それが出来ねえなら、せめて家賃替わりに俺の助けになる事でもしてみろよ!?」
「…………」
カワードの沈黙を受け、シンゴは獰猛な笑みを浮かべると、ぎらぎらと血走らせた目を細めた。
「ほらみろ……何も出来やしねえ。お前も俺と一緒だ。口だけで、行動が伴わねえ。どうせお前も見てたんだろ?」
「……ええ」
表情を消しながら返答するカワード。それを受け、シンゴは床に視線を落とす。
「結局、諦めるなとかそれっぽい事ほざいておいて、俺が最初に脱落してやがる。笑えるよな? ……笑えよ。大声出して、腹抱えながら笑えよ!!」
「……僕がここで形だけの同情を見せて、それで君は満足すると?」
「黙れぇ――ッ!!」
冷酷なカワードの声に、シンゴの中で怒りが爆発する。
今感じているこの怒りは、以前ここに来た際の延々と積もり続けるようなものではない。だが、頭に血が上ってしまっているシンゴはその事実に気付かない。
叫び、シンゴは立ち上がると、今度は逆にカワードの胸ぐらを掴み上げた。
「お前に何が分かんだ! ああ!? お前はここにいて、ただ喋るしか能がねえ役立たずだろうが! 俺に何か協力する訳でもねえ、知恵を貸す訳でもねえ、ならお前は一体なんのためにここにいやがんだ!? 死人が口挟むんじゃねえよ――ッ!!」
「――いいよ」
「は? 何が――かはっ!?」
口元を笑みに吊り上げたカワードがぼそりと放った一言に、シンゴが不審げに眉を寄せた時だ。突然カワードの手が伸び、シンゴの首を掴んだ。
そのまま逆に床に押し倒され、カワードがシンゴの上に馬乗りとなる。
その状態でカワードは、シンゴの首を両手でぎりぎりと締め上げながら、酷薄な笑みを浮かべて見下ろした。
「あッ……か……っ!?」
「どうやら今回は、ちゃんと“資格”を持った状態でここに来たようですね。これならイブリースと会う事は出来るでしょうが……今回は諦めてください。彼がここまで興味を示す貴方に、僕も少し興味が湧きましたのでね」
「ぁ……にっ……お!?」
手足をバタつかせ、必死に拘束から、苦しみから逃れようとするシンゴを蔑むように見下ろしながら、カワードは首を傾げる。
「はい? ……ああ、僕は貴方の要望に応じて、協力すると言ってるんですよ。ただ、どのような形になるかは僕も分かりませんので、保証は出来ませんが」
「ご……かふっ……」
――協力? 意味が分からない。
「仲間を助けたいんでしょう? だったら早く死んでください」
――仲間を助けたいなら、早く死ね? 意味が分からない。
「『激情』を使うのは初めてで、さらに今からしようとしている事も初めての試み。おそらく馴染むのに時間がかかるでしょうから、急いだ方がいいですよ。ほら、ほら、ほら――」
「ぁ……かっ……ふ……っ」
喉に食い込むカワードの指が力を上げ、シンゴは涙を流しながら苦しみから逃れるため、手足を振り乱して暴れまくる。
首元が熱くなり、その熱はゆっくりと上へ。徐々に意識に靄がかかり始める。口から泡が溢れ、暴れる手足もやがて動きが鈍くなってきた。
「あ゛……ぃっ」
真っ赤に染まる視界に、狂笑を浮かべるカワードの顔が見える。
その顔に向かって手を伸ばし、狂人の顔を力任せに引っ掻く。カワードの頬の肉が削げ、歯茎が一部分むき出しとなる。しかし、カワードは全く気にした風でもなく、更に指へと力を込めた。
「こ……ぉ……ッ!?」
黒目が上を向き、口から大量の泡を流しながら、シンゴは遠ざかる意識の中で“それ”を感じていた。
ドス黒い何かが蠢き、自分の中で燃え滾る炎と同調するように脈動を速めていく。
そして、その二つが繋がる部分に自分以外の何かがスルリと滑り込んでくる異物感を感じた。
その瞬間を見計らったかのように――、
「――死ね」
「お゛――っ」
首からゴギリと異音が鳴り、シンゴの意識は闇に落ちた――。
――――――――――――――――――――
「…………」
『シャミール』を蹴り上げて爆散させたシンゴは、自分の体を見ろしながら感嘆の吐息を漏らした。
「服も再生してる……便利だな」
肉体と共に細切れにされたはずの服が元通りに再生していた。
これは吸血鬼の力なのか、それとも『怠惰』の力なのか、詳細は判然としない。もしかしたら、そのどちらかの力が、服をシンゴの一部分だと認めて一緒に再生させたのだろうか。
確かにこの世界に来てからというもの、同一のものではないが、着用するのはこの制服一択だ。最早、己の一部と言っても差し支えないだろう。
「それも、推測にすぎないけどね……」
そう独りごちると、シンゴはチラリと横を見た。
そこには、歪が青い顔でシンゴを見上げながら、驚愕に大きく目を見開いている。
「…………」
シンゴは無言で肩から生じている紅蓮の炎で出来た片翼を、歪に向かって一振りした。
歪は咄嗟の事に目を瞑り、顔を手で庇った。しかし何も起きず、歪は不審げに眉を寄せながら手をどかし、手をどかせられた事実にハッとなる。
「う……腕が……」
咄嗟に体を起こし、歪は自分の右腕を確認する。そしてすぐ近くで上がる白い煙の存在に気付き、視線を下に落とした。
煙は、歪が倒れていた位置にあった絨毯から上がっていた。そしてそこで再びハッとなって気付く。自分が、普通に起き上がれている事を。
目を白黒させる歪の顔には生気が戻っており、つい先ほどの瀕死の状態が嘘のように、完全に元通りの状態となっていた。
歪はしばし目を見開いて呆然としていたが、ゆっくり顔を上げてシンゴを見ると、声を震わせながら尋ねた。
「これは……相棒が……?」
その問いに、シンゴは歪を紫紺に染まった瞳で見詰めた。
歪はシンゴのその佇まいに、言い知れぬ何かを感じて息を呑んだ。
「……ごめん、歪」
「へ……?」
突然、謝罪され、歪の声が裏返る。
目を丸くして見上げてくる歪に対し、シンゴは申し訳なさそうな顔で、
「僕が勝手な事をしたから、君に痛い思いをさせた。本当に……ごめん」
「は、はは……何を言ってんのさ、相棒。ぼくがそうしたかったから、そうしただけさ。……というより、何か喋り方変じゃないかい?」
「そうかな……?」
本当に分からない、といった様子で首を傾げるシンゴの反応に、歪が眉をひそめて首を傾げる。
そんな歪の反応を受け、シンゴも同様に首を傾げ返していた時だ。
後ろから、あの女の声が聞こえた。
「あなた〜……先ほど死んだはずでは〜?」
シンゴはその声を無視し、今度はこちらを呆然と見上げるモプラに歩み寄った。
びくりと怯えるモプラに、シンゴは優しく微笑みを向けてからその場に腰を落とすと、モプラを拘束していた鎖を軽々と引きちぎった。
「え……」
「モプラ」
「は、はい……!」
シンゴの声に身を強張らせるモプラ。その頭に優しく手を乗せて撫でながら、シンゴはモプラの桃色の双眸を真っ直ぐ、紫紺の瞳で見据えながら話しかけた。
「モプラ……僕はこの通り大丈夫だから、自分を責めないで」
「…………」
その優しい声音に、モプラは頬を紅潮させ、しばし呆然としながらシンゴを見上げる。が、やがて自分がシンゴと目を合わせている事実に気付き、今度は顔を急速に青くさせた。
しかし、シンゴの様子がいつまで経っても普通のままで、モプラは頭に疑問符をいくつも浮かべて眉を寄せる。
「シンゴ……さん。わたしの、権威が……」
「ん……ほんとだ。どうしてだろ?」
そうしてシンゴがモプラと一緒に首を傾げていた時だ。
シンゴに無視されたノーミ・エコが、こめかみに青筋を浮かべながら叫ぶように怒鳴り声を上げた。
「貴方……貴方貴方〜〜〜貴方ぁ!! 無視しないでくださいなぁ〜ッ!!」
「……うるさいなぁ」
「あ……ぇ?」
シンゴが苛立たしげに細めた紫紺の瞳で一睨みした瞬間、ノーミ・エコは急速に顔を青ざめさせ、怯えたように尻もちを着いた。
咄嗟に最大の警戒心を剥き出しにし、テラとシアがノーミ・エコを庇うように前に出ると、シンゴに向かって濃密な鬼気を放ってきた。
シンゴはそれを、まるでそよ風でも浴びているかのように無視し――、
「イレナ」
「あ……うん」
「こっちに」
――呆然と立ち竦んでいたイレナに手招きし、言葉短く自分の元へと呼んだ。
「〜〜〜〜ッ!!」
そんなシンゴの粗雑な扱いを受け、ノーミ・エコが声にならない絶叫を上げた。
未だに腰が抜けて体を震わせながらも、彼女はテラとシアに向かって震えた声で指示を飛ばす。
「す、すぐに殺してくださ〜〜〜いっ!!」
「「はっ!」」
テラとシアは床を蹴り、脱兎の如くシンゴに向かって駆け出した。
「シンゴ――!!」
「イレナ、いいから早く」
咄嗟に注意を促すイレナだったが、シンゴは早く来いと手招きするだけだ。
そんなシンゴの前後にテラとシアが足を開いた状態で姿勢低く滑り込むと、同時に二人は収めていた剣を最速で抜刀し、そのままシンゴに斬りかからんとした。
――それは、一瞬の間に行われた。
「――ッ!?」
目の前にいるテラの幾何学的な模様を描いて青白く発光する目を、シンゴは紫紺に染まった瞳でぎろりと見下ろすように睨み付けた。
その瞬間、テラの顔が青ざめ、抜刀しようとしていた手が半ばで止まる。
「――――」
次にシンゴは上体だけを前に深く倒し、背後から迫っていたシアの凶刃を躱す。
頭上を剣が通過したのを確認すると、シンゴは悠々と上体を起こし、震えながら固まっているテラに向かって、足を横からしならせるように振りかぶった。
「テラ――ッ!?」
慌ててシアが動けないテラの前に回り込む。その速さは、彼が本来出し得る最高速度を超えていた。姉を守るため、彼は己の肉体の限界を超える動きを見せたのだ。
だが、盲目の弟とは違い、目が見えるテラは見た。――見てしまった。
――シアがテラの前に立ち塞がったのを確認した瞬間、目の前の男が酷薄に笑い、足を振るう速度を倍以上に上げたのを。
テラには、その緩急がしかと見えていた。――『ディテクション・サイト』のおかげだ。
そしてテラは、悟った。この男は、シアが間に合うようにとわざと力を抜いて足を振るい、目の前に二人揃ったのを確認してから力を入れたのだ。
「ご――ッ!?」「あぐ――ッ!」
シンゴの足が目の前にあった障害物二つを薙ぎ払い、横に吹き飛ばした。
床を姉弟揃って仲良く跳ね、何度も全身を床に叩きつけられながら、やがて二人の体は壁に激突して止まった。
テラを守るために咄嗟に位置を入れ替え、自分が壁に叩きつけられる際のクッション代わりとなったシアの口から、ごぼりと血が吐き出される。
「――さて」
――こきり、と。
シンゴは側頭部に手を当て、首を倒して骨を鳴らすと、重なりあって苦悶する双子を無感情に紫紺の瞳で一瞥。
視線を二人に固定したまま、シンゴは、呆然とその様子を眺めていたイレナを再度呼んだ。
「イレナ」
「あ、うん……今……行く」
イレナは、壁際で吐血するシアを神妙な面持ちで見ながら、シンゴの元に駆け寄る。
そしてそこで、シンゴの姿を改めて確認した。
シンゴの肉体は傷一つなく再生されており、それに伴って服も元通りとなっている。
右肩からは、あの紅蓮の炎で出来た翼が生えていて、先ほどその翼が歪の腕を治す光景が脳裏に再生される。
「…………」
イレナは困惑の面持ちで、最後の一ヶ所――見覚えのない、紫紺に染まった目を無言で見上げた。
その目は間違いなく、過去に見たあの男の目の色と同じで、吸血鬼と同じように、瞳は長円瞳孔へと変化している。
「シンゴ……その――」
――目は? とイレナが尋ねようとした時だ。
シンゴはイレナから視線を切り、こちらを呆然と見上げながら座り込んでいるモプラの元に歩み寄ると、「え、え?」と困惑する彼女の細い体に腕を回し、脇に抱え上げた。
そして次に、体を起こしている歪の元まで歩み寄ると、
「あ、相棒? まさかとは思うけど、さすがにぼくは――おわ!?」
顔を引き攣らせて身を引く歪を、シンゴは問答無用でもう片方の腕で抱え上げた。
これでシンゴの両腕は、顔を赤くしながら目を白黒させるモプラと、「ふっ……」とどこか諦念を感じさせる乾いた笑みを漏らす歪とで、完全に埋まった形となる。
当然この流れでくると、最後はイレナの番なのだが、生憎シンゴの腕は二本しかない。そのため、自分は一体何をすればいいのだろうと困惑に眉を寄せ、イレナは視線でシンゴに問いかけた。
――だが、次にシンゴが告げた一言に、イレナはこの作戦が始まって以来最大の衝撃を受ける事となった。
「イレナ、僕に抱き付いて。――正面から」
「…………へ?」
この状況で、一体この男は何を言っているのだろうか。
イレナは急激に顔を赤く染め上げながら、手をあたふたとさせ、目に見える狼狽を披露した。
助けを求めようと辺りを見渡すが、モプラと歪は捕獲済み。
テラとシアは未だ苦鳴を漏らして倒れ伏しており、ノーミ・エコに至っては自衛の術がないのか、下唇を噛み締めたままこちらを睨み付け、不干渉の姿勢だ。
「イレナ……ほら、早く」
「え……急にそんなこと……言われても」
否定しようにも、言葉は曖昧になり、最後に行くにつれて尻すぼみとなる。
視線を逸らすイレナを見て、シンゴは「はぁ」とため息をつくと、人を二人抱えたまま両手を広げ、早く抱き付いて来いと促す。
「や……でも」
「早く……もう、時間がない」
「え……?」
「イレナ!」
「は、はい……!」
紫紺の目で睨み付けるように促され、その言い知れぬ覇気にイレナは思わず了承の返事。シンゴの元に駆け寄ると、少しだけ逡巡し、ええいままよ――と顔を真っ赤にしながら飛び付いた。
人を合計三人も体に張り付けるような形となったシンゴは、傍から見て子持ちのコアラのようだ。
そんな状態で、シンゴはようやく起き上がりつつあるテラとシアの二人は完全に無視し、外の景色が一望できる、先ほど自分自身で開けた壁の穴に向かって歩き出した。
その途中でシンゴは足を止めると、自分に向かってドス黒い“悪意”を放ってくるノーミ・エコに対し、顔を向けずに告げる。
「僕は時間がないので、これで失礼します。できれば、追って来てはほしくないんですが……」
「……なら、“そうできないように”すればいいのではないですか〜?」
その精一杯の見栄に、シンゴは口元を笑みに歪めると、ノーミ・エコに薄い微笑を浮かべた顔を向けて、
「僕は……そんな弱い者いじめをする気はありませんよ」
――こきり、と首を倒した。
「――ッ! い、言ってくれるじゃないですか〜ッ」
ノーミ・エコが歯ぎしりする様から視線を完全に切ると、シンゴはそのまま真っ直ぐ歩みを進め、穴の縁に足をかけた。
下から吹き荒れる風が、シンゴの茶色い髪を揺らす。
常人がここから落ちれば、まず助からないだろう高さだ。
「相棒……まさかとは思うけど……」
「し、シンゴさん……? あの、せめて向きを逆に……」
位置的に歪はモロに真下を見る羽目になり、顔を青ざめさせている。そして歪とは違って頭を後ろにして抱えられるモプラからは、震える声で要望が上がった。
その全てを黙殺し、シンゴは震えながら自分に抱き付いているイレナの耳元に口を寄せると――、
「僕が合図したら、さっきの壁を作る魔法と同じものを唱えて」
「ひゃい!? え、何を――」
「――行くよ」
耳元で囁かれ、イレナが体を震わせながら裏返った返事をし、すぐに我に返ってどういう意味か問い返そうとした時だ。
イレナの言葉を最後まで聞かず、シンゴは一言そう宣言すると、何の躊躇もなく――飛んだ。
ようやく主人公っぽい姿を書けました!
長かったです……。




