第4話 辞めるという発想
墓地での夜から、私は変わった。
辞める。
その言葉が、頭から離れなかった。
でも、本当に辞められるのか。
それを、確かめなければいけない。
数日、私はこっそり動いた。
祈りの合間。
食事の合間。
わずかな隙を見つけては、神殿の規則書を探した。
埃をかぶった、分厚い本。
私は、ページを一枚ずつめくった。
聖女の務め。
聖女の作法。
聖女の祈り。
どこにも、書いてあった。
何をすべきか、ばかりが。
でも。
私は、あることに気づいた。
どこにも、書いていない。
「辞めてはいけない」とは。
「神殿を出てはいけない」とは。
一言も、書いていなかった。
胸が、高鳴った。
規則がない。
禁じられていない。
つまり。
辞めても、いいのだ。
私は、規則書を抱きしめた。
ただ、みんなが「そういうもの」だと思い込んでいただけ。
辞められないという、空気に縛られていただけ。
その夜。
私は、コラリーに話しかけた。
人気のない、廊下の隅で。
「ねえ、コラリー」
私は、声を潜めた。
「聖女を辞めて、故郷に帰る権利。
本当に、ないのか調べたの」
コラリーが、咳をしながら振り向いた。
「……どういう、こと?」
「規則書、ぜんぶ見た。
辞めちゃいけないなんて、どこにも書いてない」
コラリーの目が、揺れた。
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
私は、強くうなずいた。
「私たち、帰れるんだよ。
故郷に」
その瞬間。
コラリーの顔が、くしゃりと歪んだ。
「……でも」
涙が、こぼれた。
「わたしには、帰る故郷がない」
私は、言葉を失った。
「わたし、孤児なの。
物心ついたときから、この神殿にいた。
外の世界なんて、知らない」
コラリーは、泣きじゃくった。
「帰る場所がある、リーゼがうらやましい。
わたしには、どこにもない」
その姿に、胸が痛んだ。
辞められる。
それだけじゃ、足りなかったのだ。
帰る場所のない子には、自由すら届かない。
私は、考えた。
すぐに、答えは出た。
「コラリー」
私は、彼女の手を握った。
冷たい手だった。
骨ばった、小さな手。
「なら、私の村に来て」
コラリーが、顔を上げた。
「えっ……」
「ミレルって言うの。
南の、小さな村。
畑ばっかりで、何もないけど」
私は、笑った。
「でも、あったかいよ。
みんな、優しい。
帰る場所がないなら、私が作る」
コラリーの目から、また涙が溢れた。
今度は、さっきと違う涙だった。
「いいの……?」
「いいに決まってる」
私は言った。
「一人で帰れなんて、言わないよ。
一緒に、帰ろう」
コラリーは、両手で顔を覆った。
肩が、震えていた。
「ありがとう……ありがとう、リーゼ」
私も、胸が熱くなった。
これで、一人。
同じ方を向いてくれる仲間が、一人できた。
そのときだった。
廊下の奥で。
かすかな、足音がした。
私は、はっと振り向いた。
誰かいる。
でも、廊下は暗くて。
人影は、もう見えなかった。
ただ。
眼鏡が光ったような。
そんな気がした。
コラリーは、気づいていない様子だった。
私は、息を潜めた。
聞かれた、だろうか。
胸が、ざわついた。
もし神殿の人に聞かれていたら。
私たちの計画は、始まる前に潰される。
私は、暗い廊下の奥を、じっと見つめた。
誰だったのか。
敵なのか。
確かめる術は、なかった。
ただ、嫌な予感だけが。
胸の奥に、残った。




