第1話 祈れ、ただし報いはない
村を出たのは、三日前のことだ。
私の名前はリーゼ。
南のミレル村で生まれ育った。
亜麻色の髪を三つ編みにするのが、昔からの癖だ。
選定官が村に来たのは、収穫祭の朝だった。
私の手を取って、その人は言った。
「神気がある。聖女になれる」
母さんは、私が八つのときに死んだ。
流行り病だった。
あのとき、村には聖女が来なかった。
祈ってくれる人は、誰もいなかった。
だから、思ったのだ。
私が聖女になれば。
もう、誰かを同じ目に遭わせずに済むのかもしれない。
王都ヴェルナは、石でできた街だった。
見上げるほど高い塔。
白い大聖堂。
村では見たこともない人の数。
胸が高鳴った。
ここで、私は人を救うのだ。
そう信じていた。
到着したその日のうちに、私は大聖堂の奥へ通された。
薄暗い祈祷の間。
何人もの少女が、床に膝をついていた。
みんな、目を閉じて、低い声で祈り続けている。
「あなたもここへ」
世話役のシスターが、私の肩を押した。
冷たい石の床に、膝をつく。
「結界の祈りです。声を合わせて」
私は祈った。
言われたとおりに、言葉を繰り返した。
体の奥が、じわりと熱くなる。
これが神気というものか。
祈るたびに、何かが体から流れ出ていく感覚があった。
ずいぶん、時が過ぎた。
膝が痛い。
喉が渇く。
「あの」
私は声を上げた。
「休みは、いつですか」
シスターは、私を見もしなかった。
「祈りに休みはありません」
日が暮れた。
ようやく、食事が運ばれてきた。
薄いスープ。
それと、パンの端。
たったそれだけだった。
私は、思わず聞いてしまった。
「これだけ、ですか」
「聖女は清貧であるべきです」
シスターは、当たり前のように答えた。
「物欲は、信仰を濁らせます」
清貧。
その言葉を、私は口の中で転がした。
栄誉ある立場だと思っていた。
人を救う仕事だと思っていた。
なのに。
報酬を聞いただけで、卑しいもののように扱われる。
スープを飲んだ。
味は、ほとんどしなかった。
寝床に案内された。
板の上に、薄い布が一枚。
石床と、ほとんど変わらない。
横になっても、寒くて眠れなかった。
夜が明ける前に、また祈りが始まった。
隣に、青白い顔の少女がいた。
私と同じくらいの年だろうか。
ずっと、咳をしている。
祈りの言葉が、途切れがちだ。
体が、前へ後ろへ、ゆらゆらと揺れている。
「だいじょうぶ?」
私は小声で聞いた。
少女は答えなかった。
次の瞬間。
彼女の体が、横へ傾いた。
「っ」
私は手を伸ばした。
倒れる寸前のその体を、私は両腕で受け止めた。
軽い。
驚くほど、軽かった。
骨の感触が、布越しに伝わってくる。
「祈りを止めないで」
シスターの声が飛んできた。
私は、信じられない思いで顔を上げた。
この子が倒れているのに。
心配するより先に、祈りを続けろと言うのか。
少女が、薄く目を開けた。
かすれた声で、彼女は言った。
「……ごめんなさい。すぐ、祈るから」
謝った。
倒れたのに、この子は謝ったのだ。
私の腕の中で。
胸の奥が、ぎゅっと痛くなった。
これは、おかしい。
頭で考えるより先に、体がそう叫んでいた。
報われない祈り。
倒れても謝る少女。
清貧という、便利な言葉。
何かが、根本から間違っている。
私は少女を、そっと支え直した。
「無理しないで」
小さく、そう言った。
その夜、私は決めた。
この違和感の正体を、必ず突き止める。
――そして翌朝。
水を汲みに廊下へ出た私は、窓の外に見てしまった。
清貧を説くこの神殿の倉庫から。
布で隠された、重そうな荷が。
そっと運び出されていく様子を。




