9話 軍議
次の日。
近衛に椅子を引かれて着席したフレイアは、こほり、と宰相の咳ばらいを聞いた。
顔を向けると、なんとも複雑な表情をしている。
「おはようございます、大公代理」
「おはよう、宰相」
「その……。昨晩は……随分とお楽しみだった……ようで?」
「んなわけあるか!」
思わず怒鳴りつけると、向かいの席でロクランとなにやら会話をしていたウェイドがこちらに視線を向ける。
目が合うと、人懐っこく笑って片目をつむってくる。
フレイアは黙殺した。
「なにをもって宰相はかようなことを」
テーブルに用意されていたグラスの水を飲む。宰相はもう一度咳払いした。
「首元にキスマークが」
思わず水を噴き出し、壁際に控えていた近衛たちが一斉に駆け寄ってくる。
「大公代理⁉」「誰ぞ、タオルを!」「机を拭け!」
コップを取り上げられ、代わりにタオルを渡されたフレイアは、口元と同時に喉のあたりも覆う。
「これはあれだ! あやつが冗談で……!」
「夫婦だからよいのですが、あまりに見えるので……。クラバットをこう、もう少し引き上げていただいて」
「こ、こうか?」
「はい。隠れました」
ホッとしながらも、しばらくタオルで顔半分を覆う。
基本的に軍服で助かった。これがドレス姿なら首周り丸見えだ。
「世継ぎのご誕生もすぐですなあ」
ぼそりと宰相が言うから、にらみつけてやる。
「平時になればな⁉ 昨日、あやつにも和平交渉がまとまるまで子作りはなしだと伝えている!」
「なんと」
「身重で前線などまっぴらごめんだ。これでも胎教に興味がある」
「大公代理がご懐妊あそばした暁には、この宰相が前線に出ますが」
「やめろ。国が亡ぶ」
「……さようですか」
「とにかく、あやつと昨日交渉に交渉を重ね、熟慮を重ねた結果」
フレイアはため息をつく。きっと目の下にはクマができていることだろう。
「毎晩寝室は一緒。キスは肩から上のみ、となった」
「それは……きっと苛烈な交渉戦術の上に獲得なさったのでしょうな」
どれだけ大変だったかを宰相相手に語ろうかと思ったが、かなりあけすけな内容になりそうなのでフレイアは空気事飲み込み、握った拳を振り回す。
「とにかく……っ! あやつの持参金と兵は喉から手が出るほど欲しい! 現状を維持しつつ前進する。わかったな、宰相!」
「承知仕った」
宰相が頭を下げるのを確認し、フレイアは新たに近衛が入れてくれた水を飲み、告げた。
「軍議を始める」
ざわめいていた室内が一気に静かになる。
宰相や近衛だけではない。
ウェイドとロクランもしっかりと頭を下げているのを見て、フレイアは少々驚いた。
寝室とは違って、みなの前ではしっかりと敬意を示してくれるらしい。
フレイアは隣に立って待機している近衛に視線を向ける。
彼は机の上に地図を広げた。
「当初の予定通り、これより我らは要衝ゴステア城奪還に向かう」
フレイアが言うと、近衛が黒石を地図に置く。
そこにあるのは、ゴステア城。
タレニウム公国の東にはセジェル王国。南東にはダノン教皇国がある。
今も昔も、タレニウムは交易で財を成している。
セジェルとダノンから伸びる街道が交わる町。それが公都と並び立つ最大都ゴステアであり、そこをおさめているのがゴステア城城主だ。
「完全に落ちているのか」
ウェイドが尋ねる。その隣では今日もロクランが控えてなにごとか書き連ねている。
「落ちている。城主は斬首され、都も掌握された。セジェルの司令官が軍紀に厳しいのか、治安はいい」
ふうん、とウェイドは言った後、地図に目を落としたまま続ける。
「ではセジェルはゴステアまで母国から兵站を引っ張ってきているのだな? そこから公都まで攻め入ろうという感じか」
「そうだ」
フレイアはウェイドにうなずく。
「だからなんとしてもゴステアを奪還したい。さすれば和平交渉にも乗って来るだろう」
「だろうな。ここを押さえれば支流となるセジェル軍も撤退せざるをえんだろうし」
ウェイドは独り言ちたあと、地図を凝視する。
「だからこそ、セジェルはこのあたりで関所を張っているのではないか? セジェルとて、やすやすと我らをゴステアまで進軍させてはくれんだろう」
ウェイドが指さすのは、ゴステアのひとつ東にある町、シャザールだ。
「ご明察」
フレイアは言い、近衛に視線を向ける。
近衛は地図上のシャザール町に黒石を置いた。
「斥候からの知らせでは、ここに砦を築き、300の兵で守っているとか」
フレイアは吐息を漏らす。
「しかも、ここの兵が一番たちが悪い。やりたい放題だ」
フレイアの顔も次第に曇る。
斥候からは、物資は略奪され、男は殺され、女は凌辱されていると聞く。子どもは集められて他国に売られようとしているとも、すでに売られている、とも。
「セシル城を追い払われたやつらも合流するだろうし……。実数はもっとか?」
ウェイドが言うが、フレイアは眉根をわずかに寄せる。
「それはわからん」
「わからん? 合流せずに、奇襲遊撃隊となるということか?」
「いや、本軍に処罰されている可能性がある」
「ん?」
今度眉根を寄せたのはウェイドだ。
「まだ確たることではないのだが」
フレイアはコップを握り、ふたたび水を飲んだ。
朝食時に水分を十分とったはずなのに、思い出すたびに喉が渇いたようにひりつく。
「作戦に失敗したセジェル兵はかなり苛烈に処罰されている」
「処罰」
ウェイドは言ってから、肩を竦めた。
「大公の様子を見ると、降格処分ぐらいではなさそうだな」
「このセシル城が敵に落ちていたことは知っているか?」
「ああ、宰相から聞いた。それを大公が奪還したのだろう?」
「私と近衛でな」
言ってからため息をつく。
「追いだしたセジェル軍はすぐに別の隊と合流してすぐさま攻撃に来るだろうと備えていたのだが……。実際は、合流せずに新規の隊がやってきた」
「そう……なのか? では別の部隊に編制とか?」
「細部まではわからん。だが、セシル城から追われた大半のセジェル兵は首を刎ねられ、街道にずらりと磔にされていた」
ウェイドとロクランは黙って目を見交わす。
「……なにか軍紀に触れたのか? 必要以上の略奪・強姦をした、とか」
ウェイドが言うと、フレイアはさらに眉間にしわを寄せた。
「略奪も強姦も立派な国際法違反だ」
「まあそうだが……。戦場ではありえることだ。ある程度の範囲は、な」
「そのことについてはいろいろ話し合いたいが、一度脇においておく。軍紀云々というより、私に負けたというところが逆鱗にふれているのだろう」
「私? 大公に、ということか」
「違う。女に、ということだ」
苦々しくフレイアは言い、ウェイドはしばらくそんな彼女をぽかんと見つめていたが。
はは、と乾いた笑いを漏らして背もたれに上半身を預けた。
「ありえそうなことだ。あのハドリアヌス王からして女を軽視しているからな。その下の軍ともなると……さもありなん」
「ですがもったいない。処刑せずとも使い捨てにぐらいはできるでしょうに」
ロクランが無表情で言う。
フレイアは深く息をひとつ吐いた。
そうなのだ。
なにも殺すこともないだろうにと思う。
「見せしめなのだろう。『女に負けたらただじゃおかんぞ!』という」
ウェイドが腕を組む。
彼の言う通りだ。
絶対に負けるな。負けること。それすなわち死だと兵たちに告げているのだろう。
「ということは、セジェルの制圧下にある町は、女にとって地獄絵図だろうな」
ウェイドのなにげない一言が胸に詰まる。
こうしている間も、女たちはセジェル兵に凌辱され、子は他国に売られていく。
特にシャザールは早くどうにかしないと。
「明日、セシルを出てシャザールに向かう」
喉から出た声は若干かすれていて。
フレイアは咳ばらいをした。
「いますぐ斥候を飛ばし、シャザールの様子を探る。明日からは騎馬を先行させ、そのあと重装歩兵の到着を待って攻撃開始とする」
「そうだな。うちの重装歩兵はかなり足が速い方だが……。それでも2日のタイムラグは考慮してくれ」
ウェイドの言葉にフレイアは頷いた。
「情報によると、砦の上には弓兵。両脇には槍兵がいるらしい。開門と同時に騎兵が突入し、そのあと歩兵による白兵戦だろう」
「お決まりのパターンだな」
ウェイドが笑い、そのあと目を細めてフレイアを見た。
「大公の作戦は?」
「まだ自分の目で見るまでは言えん」
そう言い、立ち上がった。室内にいる全員が起立し、頭を下げる。それを確認してフレイアは言った。
「それでは明朝0500にシャザールに向かって進軍。それぞれ準備、ぬかりなく」




