8話 子ができるようなことはまだ控えていただきたい!
◇◇◇◇
ドアノックが聞こえ、ほとほと困り果てていたフレイアは「おお、良いところに」と声を上げた。
「失礼する」
入ってきたのはウェイドだ。
彼も風呂に入ったのだろうか。
金髪の髪はわずかに湿気て潤み、肌は白磁のように白い。寝間着なのだろう。だぼりとしたシャツにズボン姿だ。
昼間見た騎士姿とは違うが、男前なのは間違いない。
その彼が。
ぎょっとしたように動きを止め、そして言った。
「いきなり誘惑されるとは思わなかった。このウェイド、今夜精一杯がんばる所存……」
「いや、誘惑はしてない。ガーゼを背中に貼ってほしい」
フレイアは断言した。
「……ガーゼ」
「背中に。怪我をした」
「……ガーゼ」
「そうだ」
「……ガーゼ」
「血が出てないか?」
「……出ている」
「そこにガーゼを」
「……ガーゼ」
「これだ」
フレイアは胸の前をシャツで隠したまま、くるりとウェイドにむき出しの背中を見せた。
上半身裸なわけだが、丸見えなのは背中と腹。大事なところは隠している。
下だってキュロット型のペチコートを履いていた。太ももの半分は隠れているのだからよし、と自分では思っている。
「……これ、打ち身ではないか?」
「いたっ! 押すな! がれきが降ってきたときにあたったのだと思う。軍医に伝えると、膏薬をくれてな」
「なんかガーゼにベトベトするものが塗ってあるが……。これが薬か?」
「らしい。一晩貼っておくといいと言われたが」
フレイアはため息をついた。
「場所が場所なだけに、ひとりでは貼れず。かといって近衛に頼むのもなぁ」
「それはいかん!!!! かような姿を男に見せると襲われるぞ!」
「いや、それ以前に指揮官として示しがつかんだろう」
首をねじってあきれて見せるが、ウェイドはウェイドであきれている。
「この箱入りめ!」
「一応姫だからな」
「それもそうか」
ウェイドは言うと、大袈裟に肩を竦めて見せる。
「俺だからよかったものの……。普通の男ならば、裸で出迎えられたのだと勘違いするところだぞ」
「裸ではない。ペチコートも履いているし、胸は隠している」
「大部分は裸だ!」
「どうでもいいから、とにかく貼ってくれ。寒い」
「おお、それもそうか」
フレイアが顔を前に向ける。
同時に、ぺたりと冷たいものが背中に触れた。即効性はないだろうが、それだけで鈍い痛みが和らぐ気がするのだから不思議だ。
「ありがとう」
フレイアは礼を言い、ばさりとシャツを頭からかぶる。
「どういたしまして」
同時に背後から抱きしめられた。
ぎょっとしたのもつかの間。
「それでは」
と首筋に口づけられて慌てた。
「待て、待て、待て!」
「ん? ああ。ベッド? ベッドに行くか」
「ぎゃあ!」
言うなり横抱きに抱えられるから悲鳴を上げた。
ウェイドは鼻歌でも歌いそうな雰囲気でベッドに進む。
この城で唯一生き残っていたゲストルーム。
そのベッドも若干傾いではいるが、使用不可というほどでもない。
部屋にはこのベッドと猫足のテーブルがあるだけ。カンテラだけが5つも6つもあって、なぜにこんなに集結させているのだろうとフレイアは不思議だった。
「大丈夫なのか、このベッド」
仰向けに寝かされ、上からのしかかってきたウェイドだが、ぎしりと右に傾きかけて眉を寄せる。
「ちょ、待った! ウェイド殿下!」
「ん?」
顔が近づいてくるから、フレイアは彼の顎を掌底で押し返す。
「申し訳ないが、子ができるようなことはまだ控えていただきたい!」
「……………………えー……………?」
たっぷり5秒は黙り込み、それから怨嗟のような声を漏らす。
「それは何ゆえだ。俺達夫婦だよな?」
相変わらずフレイアを組み伏したまま、ウェイドが尋ねてくる。
「まだ平時ではないからだ。もし行為のゆえに子ができた場合、私は大きな腹を抱えて戦地に向かうことになる」
「妊婦を戦地に向かわせるものか。大公は後ろにいろ、俺が行く」
驚いたようにウェイドが目を見開く。瞳孔に光が入り、灰色がかった青の虹彩になる。不思議な色だと思いながらも、フレイアは苦笑いした。
「結婚を公表したとて、子が大きくなるまでは私が大公代理だ。私が行かねば誰が行く」
「宰相は、俺を摂政にしてもよいと言ったぞ?」
「ならばなおさら後方におれ。私が前線に行っている間、公都で政をしてもらわんと困る」
「不思議な国だな。女に権利はないのに、戦になると女は前線に戦地に行くのか?」
「そうでもしないと、権利のない女を男どもは信用しない」
フレイアはふう、と息を吐く。
「名前だけの大公代理であることは重々知っておる。だから男どもがやらぬことをやらねばならん。だからあいつらは黙るのだ」
「……ふぅん」
ウェイドは意味深に笑った。
なんだ、自分の状況がわかっているのか。
そんな表情が透けて見える。
ウェイドは身を離したかと思ったが、すぐに仰向けのフレイアの隣にごろりと身を横たえた。
「理解してくれたか?」
「身重で大変な目に遭うのは女だからな。自重しよう」
「そうか」
ほっとして顔を横に向けると、いきなり引き寄せられて口づけされた。
「わかっとらんではないか!」
ジタバタともがくが、腰に回した腕をほどくつもりはないらしい。ウェイドは笑う。
「子をなすようなこと以外は、してもいいだろう?」
「お前は信用がおけん!」
足をばたつかせてもびくともしない。身をよじらせ、ウェイドに背を向けて一気に上半身を起こそうと思ったのに、背を向けた態勢のまま抱きしめられ、首筋にキスを落とされる。
ちくりと軽い痛みを感じた。
「よせ! 貴様、跡をつける気か!」
「愛する妻だからな」
「近衛を呼ぶぞ!」
怒鳴りつけると、ようやく笑って腕を解く。
「油断も隙も無い奴だ!」
慌ててベッドの端まで逃げてゆき、フレイアは枕を抱え上げる。次なにかしたらこれで殴ってやると思ったが、ウェイドは仰向けに寝転がったまま動く素振りはみせない。
「もうしない。悪ふざけが過ぎた」
笑ってウェイドが言うから、フレイアは膝立ちのまま無言で近づき、手に持っていた羽根枕を彼の上に押さえつける。
「うぁっぶ!!!! 大公、やめろ!」
「なんて? 聞こえんな」
「死ぬ! 苦しい! 枕をどけろ!」
「ほう?」
「やめろ!」
怒鳴られ、ようやくフレイアは枕を外した。
飛び起きたウェイドは、ぜいぜいと荒い息のままフレイアに言う。
「ベッドでの腹上死は願ってもないことだが、これは違う!」
「すまんな、冗談だ」
けろりとフレイアは言い、また膝立ちで距離を置いた。
そんなフレイアを一瞥し、ウェイドはがりがりと頭を掻く。
「大公」
「代理、な?」
「まあ、有り体に言えばこれは政略結婚だ」
ウェイドは胡座をし、肩を竦める。
「君は俺の母国とのつながりが欲しいし、俺が引き連れてくる兵が欲しい。俺は君に付随する地位に興味があるし、母国にいるよりこっちのほうが生きやすそうだという打算もある」
「そう、だな」
フレイアは慎重に頷き、枕を抱えてウェイドを見る。
「お互い思惑があっての結婚ではあるが、夫婦仲はよくありたいと思っている。大公はどう思う?」
代理な、と言うのがもう面倒くさくなったフレイアだったが、ウェイドの発言内容は興味深かった。
「ウェイド殿下が、さようなことを考える御仁だとは思わなかったな」
「ひとを性欲の塊のように見る目はやめてくれ」
「いや、実際そうか、と」
「それもあっての夫婦仲だろう」
「その辺はよくわからんが……」
フレイアは言い、それから顎をつまんでしばらく思案する。
ウェイドの言うことはもっともだ。
打算と計算と妥協によって結ばれる結婚であるが、人間関係がぎすぎすするのはしんどい。いずれ子が生まれたとしても、両親の仲が悪くては情緒に影響が出そうだ。
「もちろん私も夫婦仲は良い方がいいと思う。賛成だ」
「ならばもっと距離をつめようではないか」
いうなり、にじり寄って来る。フレイアはあからさまに背をそらせた。
「そのあたりが性欲の塊に思えるのだが」
「なにもしないのは確約するが、せめてふたりのときはスキンシップをしよう!」
「えー……」
ウェイドを、フレイアは冷ややかに見つめるが、彼は真剣だ。
「子ができるようなことはしないが、平時になれば子をなすのだろう? 俺と」
「まあ……。ああ」
「なんかよくわからん男と同衾できるのか? 大公」
「……」
つい黙ってしまうと、ウェイドがさらに間を詰める。
「そんな女も確かにいるだろう。王族高位貴族の女なんぞそんなもんだ。結婚相手と決まった男とその日に寝る。で、子を作る。だが、大公はそんなタイプか?」
そんなタイプか、と言われたら「そうだ」とは言えない自分がいた。
事実、いま、ウェイドに迫られてちょっと嫌な気分になっている。
それなのに夫婦の営みとやらができるとは思えない。
「俺は大公に好きになってもらえる自信がある!」
堂々と胸を張るウェイド。
なんかもう呆れが一週回って尊敬さえできそうだ。
「だが、そのためには大公も、もうちょっと歩み寄ってほしい」
「私の歩み寄りが必要な『好きになってもらえる自信』とはなんだ」
「そこはそこ、これはこれ、だ」
快活に笑うウェイドを見ていたら、フレイアのなかでもなにか心のこわばりがほどけるというか。
正直に言うなら、脱力した。
「それで? 私にどんな歩み寄りをしてほしいのだ」
「まずは一緒に眠ろう! どんなときもな!」
「……なにもしないぞ?」
「しなくていい! 俺もなんもせん!」
「キスも?」
「キスはする!」
「なんだそりゃ!」
「キスは挨拶だ! 大公、これはいかん! キスまで禁止にしたら夫婦ではない!」
「一つ確認したい!」
「なんだ!」
「どこにキスするつもりだ!」
「のぞむなら全身くまなく!」
「お前もう、寝室から出て行け!」
「大公!」
「近衛! 城内に痴漢がいる!」
「待て、大公、やめろ!」
こうして。
初夜は静かに更けていったのだった……。




