7話 《メンフィス》ウェイドとロクラン
◇◇◇◇
その2時間後。
セシル城の水場には、ランタンひとつで水浴びをしているウェイドの姿があった。
「さっぶいな!」
「そりゃ、こんな時間に頭から水かぶってりゃそうでしょうな」
ロクランが水と同じぐらいに冷たい視線を送ってくるが、ウェイドは意に介さずに笑った。
「だがあれだろう! 妻との初夜だというのに、埃まみれで行くわけにはいかんだろう!」
ウェイドは犬のようにぶるぶると首を横に振った。ロクランは露骨に嫌悪を表し、ランタンを持ったまま数歩下がる。
「タレニウムの誰かに風呂を用意してもらえばよかったのでは?」
「ん? 大公の風呂の準備で忙しそうだったじゃないか」
水瓶に木桶を入れ、ざばりとウェイドはまた水を頭からかぶる。
暦の上では春だが、気温はまだ低い。ウェイドの体温のほうが高いのか、夜闇にもわかるぐらい白いもやが彼の身体から上がっている。
「だとしても、ですよ。風邪ひいても知りませんからね」
ふたたび、ぶるるるる、と頭を振って水気を飛ばすウェイドをロクランはあきれたように見つめる。
腕の良い工芸家が鑿をふるい、つくりあげた彫像のような身体だ。
王子だというのに鍛え上げられた上半身からは香気が漂い、端整な顔立ちにはいつも笑みが浮かんでいる。
「まったく。タレニウムの醜女にやるには惜しい」
つい口から漏れる。
彼を生涯の主にと決めたのは、戦場で出会ったあの日。いまから12年前。
この人ならなにかを変えてくれる。そう思ってついてきた。
自分のその決断を後悔したことはないし、今回、メンフィスを出てこうやってタレニウムに来たことも主らしい判断だと思う。王家の四男と揶揄されて卑下される生活より断然いい。
将来、彼の息子がタレニウム公になるのだと想像すると、早くその未来がみたくて仕方ない。
だけど。
彼の妻ならば、彼の容姿にふさわしい……例えばグレイス・ミア・タレニウムのような女がよかった。
「フレイアのことか?」
ウェイドはずぶぬれの下ばきを脱ぐと、真っ裸のままロクランに手を突き出した。
ロクランは無言でタオルを投げる。
「美人じゃないか」
「噂よりはね」
それはロクランも認めざるを得ない。
不細工だと思ったのに。
第一印象はそれだった。
なにしろ彼女は周辺国で有名な「醜女」。
ハドリアヌス王が、軍事力を使って脅し、なんとしても欲した姉とは違い、即座に『いらん』といわれた妹姫。
メンフィス王国ではその風刺画が新聞にも載っていた。
豚の頭をしたドレスを着た女。それがロクランの知る『フレイア姫』だった。
「俺は運命を感じたぞ。彼女は逸品だとな」
ウェイドは笑いながらざっとタオルで身体を拭き上げ、頭からタオルをかぶった。
また手を突き出すから、彼のほうに籠を蹴って押しやる。
「お前、やり方」
ウェイドは笑い、籠を引き寄せる。
下ばきを取り出して履き、ズボンに足を通す。シャツを頭からかぶると、ウェイドは荒っぽく自分の髪をタオルで拭く。その合間に、ちらりとこちらを見てにやりと笑った。
「ロクランは、彼女の美しさを認めたくないだけだろ」
そうからかわれると余計に腹が立つ。
図星ではある。
はっきりいえば、フレイア・ローズ・タレニウムは、非常に美しい娘だった。
「だけど彼女の噂がダメです。致命的だ」
ロクランは吐き捨てる。ブスの代名詞みたいな娘を、敬愛する我が主が娶るなど許せない。
「噂なんて社交界に連れ出せば一掃できる。むしろ『ハドリアヌスはバカなんじゃないか』と嗤われるだろうな」
ウェイドは濡れた下着や服、タオルをまとめて籠に放り込んだ。
「うちの兄貴どもも地団駄踏んで悔しがることだろう」
ウェイドにしては珍しく、人の悪い顔になる。
「それはそうでしょうな」
ロクランは素直に応じた。
あの宰相がやってきてウェイドに政略結婚を持ちかけたとき、同席したのは第二、第三王子も一緒だった。
『このなかで大公の父になられたい方はおられませんか?』
宰相はそう切り出した。
いまなら最短で2年で大公の父になる。まだ生まれたての大公。もちろん政などできはしない。
『摂政として一国を動かしたくはありませんか?』
その一言に心動かない王子はいないだろう。
長兄、あるいは第一子ならともかく、第二王子以下となれば王位継承権など滅多に回ってこない。多くは政略結婚のコマになるか。あるいはなにかあったときの捨て駒。
有事の際に王の代わりになることは求められるのに、有事がなければ無駄扱い。
こんな状況から脱したいのは誰もが同じだ。
だが。
『相手は……あの有名な方なのだろう?』『子が作れるだろうか、その方を相手にして』
第二王子と第三王子が真っ先に口にしたのはそれだった。
『フレイア姫は、姉姫と変わらずお美しく、心優しく。なにより聡明であられる』
宰相は怒気を押し隠して答え、それをふたりの王子は笑った。
『なにをもって聡明と言われるのか?』
尋ねたのは第四王子であるウェイドだった。
『現在フレイア姫は、敵の手に落ちた要衝ゴステア城奪還を目指して進軍中でございます。ですが、その途中、セシル領にて足を止められました。敵兵が悪事の限りを尽くし、民を苦しめていたためです』
宰相は、母を亡くした子どもたちを励まし、妻を虐殺された夫をいたわり、子を失った老夫婦のために涙を流したフレイアの話をした。
『そして、奇策を弄してセシル城を奪還。現在、セシル城にて敵と対峙中でございます』
なんでも牛飼い、羊飼いから牛・羊・ヤギをあるだけ買い取り、夜間警備中の敵陣に突入させたのだという。
慌状態になった警備兵を見て、セジェル軍は慌てて城から一斉に出撃。
そこを待ち構えて火力で叩き潰し、城を取り返したのだという。
『俄然気に入った!』
ウェイドが笑って言った時、王子たちだけではなくロクランも目を剥いた。
『殿下!』
つい制止に入ったほどだったが、なにをとち狂ったか、ウェイドはそんなロクランの肩を抱いて笑う。
『容姿など10年で衰える。妻として一番困るのは、愚かで性根が腐っていることだ。よい娘を見つけた! 兄上たちがいらぬなら、このウェイドがいただくとしよう!』
ウェイドはその日のうちに、長兄であり国王であるベネディクトに拝謁。
結婚の許可と、結婚後の両国の友好関係をとりつけ、持参金と軍資金をふんだくった。
「ここまではうまくいったな。あとは子をなすだけだ」
髪を手櫛で整えているウェイドに、ロクランはあきれた。
「その前にまだセジェルとの戦闘が終結しておりませんが」
「そんなものお前、同時並行だ、同時並行」
ウェイドは指を折る。
「結婚した、同衾する、進軍する、勝つ、和平交渉、子が生まれる。な?」
「なにが『な?』なのか、まったくわかりません」
ロクランは洗濯籠を引き寄せ、大きなため息をひとつ。これみよがしに吐いてやった。
「勝てますか、この戦」
「ロクラン、お前はまだわかっていないな」
ウェイドは快活に笑った。
「《《負けなければ》》いいのだ。圧倒的勝利など必要ない。禍根になる」
「……そんなもんですかねぇ」
「それよりもあれだな」
「なんです」
「予想外なのは大公の美貌だ」
「……で?」
「いまはよからぬ噂のせいで、俺以外の対抗馬がいないが、これ、平時になるとヤバいな。俺よりもっといい条件の男が名乗りをあげるやもしれん」
「ですが窮地に名乗り出たのは殿下だけ」
「そうだ」
にやりとウェイドは笑った。
「あの大公、人が良い。恩をあだで返すようなことはしないだろう。だからこそ、ここでもっと距離を詰めて情も植え付けてやる」
「わっるい男」
「戦乱の世だ。こんなものお前、お互い様だ」
「明朝、0900に軍議です。閨を頑張りすぎて寝坊しないでくださいよ」
「まかせとけ!」
ウェイドは言って、大股に歩きだす。
廃墟といっても過言ではないセシル城。その1階に用意された夫婦の寝室に向かって。




