43話《セジェル》ハドリアヌス1
◇◇◇◇
その報告を受けたのは、ハドリアヌスが夜食を摂っている最中だった。
ゴステア城で、セジェルに配分された部屋の一室。
ほかの部屋は兵たちがぎゅうぎゅうに詰め込まれているが、ハドリアヌスの居室だけは「王の居室」という体面を保っていた。
室内にいるのは、司令官であるウォルター准将とカレネン大佐。それからリットン少将だ。
「なんとなく理解した」
平時でも戦時でも、食に関してはまったく無頓着の彼は、いまもパンをちぎっては口に放り込み、ワインで流し込みながら、ゴステア城戦の資料を読み込んでいた。
その資料を机に放って、ハドリアヌスはウォルター准将を見た。
「功を焦ったアーネストが暴走した、といういうことか」
「それだけではなく、女性騎兵に挑発された兵の暴走ということもあります」
ウォルター准将は言い、それから深々と頭を下げた。
「なにより、統率がとれなかったわたしの責任です。いかような処分も受けます」
「ウォルター准将のみ咎が問われるいわれはございません。アーネストを御しきれなかったわたしの責任が一番重大でございます。陛下、なにとぞ処分はわたしだけで」
カレネンはウォルターの隣でさらに深く腰を折った。
ハドリアヌスは足を組み、手についたパンの欠片をはたいて落とす。
そしてしばらく頭を下げたままのふたりの軍人を見つめた。
「して、アーネストはいかに?」
「名誉の戦死を。遺体は城内に」
ウォルター准将が短く答える。ハドリアヌスは言う。
「捨ておけ。葬ることは許さん。それからウォルター准将、貴官の処分であるが」
「はい」
ウォルター准将がすっくと背筋を伸ばす。
ハドリアヌスがなにか発しようと口を開いたとき、ノックもなしに扉が開いた。
「なんという無礼な!」
リットン少将が怒声を発するが、入室してきた兵は勢い余ったのか、彼の足元まで転がっていく。
その様にあっけにとられていたリットン少将だが、兵が素早く立ち上がり、耳打ちした途端にまた言葉を失う。
「なんだ、どうした」
ハドリアヌスが椅子の背もたれから身体を離し、リットン少将と兵を見る。
「あの……」
リットン少将は言い、それから一度口を閉じて唇を湿らせると、腹を決めたようにハドリアヌスに告げた。
「あの女性が亡くなったとのことです」
立ち上がろうと、前かがみになったままの姿勢で、ハドリアヌスもしばらく動きを止める。
三秒だったろうか。五秒だったろうか。
「どういうことだ!」
ハドリアヌスは立ち上がり、怒鳴る。
「なにがあった! 余がグレイスから離れて数時間しか経っておらぬのだぞ!」
ハドリアヌスは思い返す。
あのとき、国境が封鎖された連絡と、ゴステア城で戦いが始まったことの報告を同時に受け取った。
最悪の状況を回避するため、ウォルター准将には降伏するように指示し、とりあえずリットン少将を連れてハドリアヌスは本隊から離れて馬を走らせた。
その際。
グレイスの様子を見に行った。
なにしろ切り札だ。
生きていてもらわねば困る。
本国から連れ出すとき、医師からは「絶対に無茶はさせないように」「なにごとにおいても内親王の体調を優先に」と言われてきた。
だから移動速度を落とし、日に何度も休憩をいれての行程だった。
おかげで、荷車を改造した移動馬車の中で、グレイスは国内と変わらぬ様子で眠っていたのを覚えている。
「そ、それが! 楽士が音楽を奏でておりまして……」
平伏して兵が震えた声で報告した。
「グレイス様は珍しく目を開けられました……。このすきに、お顔を拭おうと。グレイス様つきのメイドが馬車を降り、準備をしていたところ、楽士が大声で『内親王が息をしておられません!』と」
兵が語るには、その時間はほんの数分だったという。
楽士の叫びに、メイドだけではなく、兵たちも馬車の荷台に駆け込む。
荷台に設置されたベッドにいるグレイスはいつもと変わらないように思えたという。
頬は淡く色づき、唇は桃色。肌は透明なのではないかと思う白。
だけど、その胸が上下することはなく、そっと顔に手をかざすが、呼吸している様子はなかったという。
『内親王の容態に気づかず演奏をしていたとは……! なんという愚か者なのか! 死んでお詫びを』
楽士はそう言い、いきなり自分の首を短刀で突いて自死したのだという。
「それでいま、グレイスは⁉」
「全速力でゴステア城に向かっております。間もなくの到着かと」
兵はすでに床に額をこすりつけて報告する。
「どういたしましょうか、陛下」
リットン少将が近づき、そっと尋ねる。
それをにらんで黙らせた。
どうしたもこうしたも、最悪以外の何物でもない。
タレニウム公国を手に入れることは、父の代からの悲願だった。
そもそも手放すべきではなかったのだ。
鉱山の価値がわからず、最貧領と侮ったことがすべての始まりだ。
公爵に自治を認め、独立をさせた。
途端に、小国ながらみるみる成長し、貨幣という穀物ではない富を手にした国。
もう一度、どうしたらあの小国を合併できるか。
父がいろいろと策を弄し、それでもできなかった。そしてそれはハドリアヌスに託された課題。
ハドリアヌスは、それを血縁でどうにかしようと思った。
難癖をつけたと言われようが、長子を手に入れ、強引でもいいから子を為し、そして自分の血を受け継ぐ子を公国の大公とすることで、国ごと吸収してやろうと考えた。
(うまくいっていたのに……!)
確かに、グレイスが襲われたのは予想外だった。
だが彼女は生きた。生き延びた。
薄氷を踏むようなものだったが、なんとか自分の子を孕んだ。
(どうしてこうなった!)
安定していたはずだ。
医師は「いつ状態が悪化するかわからない」と再三言うが、戦場で生死をかけたやりとりをしているハドリアヌスにはわかる。
まだ、命の火は消えていない、と。
この女は生きたがっている、と。
人間、生きたがっているときはなかなか死なないものだ。しかも、その辺の農夫の娘ではない。蝶よ花よと育てられた娘だ。栄養状態だっていい。
いける、交渉に使える。
そう思ったのに。
(くそ。そもそも、あの暴漢に襲われなければ……)
グレイスの引き渡しの日。
いきなり現れた暴漢たち。
もちろんハドリアヌスは、公国の仕業だと思った。
だが公国のやつらはかなり驚いたようで、ハドリアヌスたちを非難した。
責任追及のやりとりをするなかで、ハドリアヌスは薄々気づいていた。
これは、公国の仕業ではない、ということを。
なんとなくうやむやにして、ハドリアヌスは過ごしてきたが。
(これは……仕組まれたのか?)
ふ、と。
身がまえる自分がいる。
囲まれた。包囲された。背後から刃を突き立てられた。
そんな気がするのはどうしてだ?




