44話《セジェル》ハドリアヌス2
「……国境封鎖の知らせは誰から来た?」
ハドリアヌスはリットン少将に尋ねる。少将は虚を突かれたような顔をしたが、すぐに応じた。
「国境警備兵からですが」
当然だろう。
公国の近衛たちは国境警備兵を攻撃し、王国との出入り口を封鎖した。
国境警備兵たちは退避しながらも、連絡をよこしてきた。
だが。
(国境を封鎖されたなら、どうして本国は連絡をしてこないのだ)
ハドリアヌスが兵を連れて進軍した。
その帰り道が閉ざされたのだ。
セジェル王国としても騒いで当然ではないか?
国境は封鎖されたが、抜け道は山とある。
どんな手を使っても連絡することはできるはずだ。
ハドリアヌスを守ろうとするはずだ。
「もう一度聞く。グレイスが死んだとき、そばにいたのは?」
「楽士が音楽を奏でておりました。あの……陛下もお気に入りのあの楽士です」
グレイスの世話をしていたメイドのひとりが、「音楽が心によいと聞きます」と医師団に言ってきた。……らしい。
そして医師がハドリアヌスに進言をした。だから、ハドリアヌスは楽士と会った。
(楽士を紹介したメイド……)
そのメイドはいちど、ハドリアヌスが手をつけた娘でもあった。
『公国の音楽を奏でる楽士を知っています。グレイス内親王殿下のお身体によいのでは?』
そして。
医師と、ハドリアヌスも同席してグレイスに聞かせたところ、驚いたことに、彼女が目を覚ましたのだ。
意識が戻った、というより、ただ目を開けただけなのだが。
それでもそんなことは一度もなかった。
ハドリアヌスが何度抱こうが、医師がどれほど苦痛を伴う治療をしようが、声をあげたことも泣いたこともない。ただいつも、目を閉じて眠る人形だったのに。
それでハドリアヌスはあの楽士に「いつもそばで音楽を奏でるように」と命じたのだ。
(あの楽士……。そもそも誰の手引きで来た?)
王室家政長のドミニクが正式に雇ったはずだ。では彼が?
いや、ドミニクがなにかを企めるほど胆が据わっているとは思えない。
あのメイド。
そういえばあれから姿を見ない。彼女は素性隠しのために使われただけだろう。
グレイス姫死の側にいたという、自死した楽士。
あれは……誰の差し金だったのだ?
「内親王殿下がなんらかの手段で殺されたようには見えませんが……。お疑いなのでしょうか」
兵が言う。ハドリアヌスは一瞥しただけで答えない。
(グレイスが死んで得をする者)
当然、タレニウム公国だろう。
だが、彼女たちは本当にグレイスが生きていることを知らなかった。
あの動揺ぶりを見ればわかる。
それに、しつこく斥候を放って馬車の様子を探っていたメンフィス。
彼らも、「荷台に乗っているもの」を探ろうとしていたが、最後までそれが病人の女だとは知らなかったようだ。
ふと、ハドリアヌスの脳裏にひとつの名前が浮かぶ。
(王妃メサイアか……!)
背筋に寒いものが走る。
第一子がグレイスとの子だった場合。
王妃メサイアが産んだ子は当然第二子。
正妃の産んだ子は、優遇はされるだろうが……。
それでも、グレイスの産んだ子は、公国を手に入れ、かつセジェル王国を手にするかもしれない。そんな可能性を秘めた子。
『まあ、それはおめでとうございます。ですが、わたしの子として育てさせてくださいませね』
グレイスが妊娠した可能性があると告げたとき、王妃メサイアはそう言った。
苛烈な性格の彼女にしてはやけにあっさりしていると、そのとき不審に思ったことを覚えている。
だが、ドミニク王室家政長や、ほかの重臣たちが、
『やはり王室の姫君は違う。王の子は多様な女から生まれることをご存じだ』
そうほめそやしたから、そういうものかと思った。
ハドリアヌスとて、異母弟がいる。実母はそれを認めている。
実母である正妃はいつも心に余裕を持っていた。
それは、第一子を産んだという自覚があったからだ。
逆を返せば。
第一子が産めなかった自分が悪い。
メサイアはそう思っているのだと思った。
『産めなかったが、養育はわたしが。あの女には無理でしょう?』
そうやって実母から実子を取り上げ、心を慰めているのだ、と。
だが。
そうではなかったら?
(メサイアがグレイスの暗殺を計画した?)
それだけではない。
まさか。
王であり、夫である自分まで謀殺する気ではなかろうな。
(あり得ることだ)
いま、自分はある意味、袋の鼠だ。
国に帰る道はふさがれ、手札となるべきグレイスは死んだ。
もしここでタレニウム兵に捕縛され、殺されたら?
いや、殺されずとも。
フレイアがハドリアヌスを人質にすれば?
セジェル王国は、王妃メサイアのものだ。
(あの女……!!!)
海を越えた向こうにある大国の姫君。
セジェルとは、けた違いに裕福で、多くの領土を所有する大国の姫君。
そんな国と縁づけることが、ハドリアヌスは誇らしかった。
そんな国の女を抱けることが、ハドリアヌスは嬉しかった。
(あの女……!!!!)
ハドリアヌスがしようとしたこと。
それは、公国を合併しようとしたこと。
それを。
どうして他国もしようとしていると考えなかったのだろう。
どうして。
あの女も、自分と同じく虎視眈々とセジェルを狙っていたと気づけなかったのだろう。
「ウォルター准将‼」
「は、はい!」
急に名前を呼ばれ、ウォルターは姿勢を正した。その隣でカレネンも同じ姿勢をとる。
「交渉等、あとは任せる。リットン少将、兵をすべてまとめよ! 本国に戻る!」
「え? は⁉ あ、あの……! グレイス内親王殿下はいかがすれば⁉」
さっさと部屋を立ち去ろうとするハドリアヌスに、連絡兵が悲鳴を上げた。
「タレニウムの小娘が欲しいというのなら、死体をくれてやれ!」
そうしてハドリアヌスは慌ただしく出て行った。




