3話 「交渉成立だ。兵を動かせ」「もちろんだ、俺の大公」
「すでに待機している。さっき攻撃が止んだろう? あいつら様子を見ていたようだが……」
ドンっと腹に響く重低音が鳴る。
だが城が揺れない。
罵声や怒声も違う方向に向けられていた。
「おー、おー、元気な威嚇」
ウェイドが笑う。
近くで待機させているウェイドが率いて来た500の兵。
それを敵兵が挑発しているのだと気づく。
「私と殿下が結婚した場合、公位の継承はふたりの間に生まれた男児に移動する。貴殿ではない。それは問題ないな?」
フレイアはウェイドに一歩近づいた。
「問題ない。俺の子がこの国の大公になる」
腕を組み、人懐っこく笑うウェイドに、フレイアはさらに詰めた。
「メンフィス王はこの縁組を認めておられるのだな?」
「ロクラン、例のもの」
「縁組許可の書状です」
ロクランが腰ベルトに挿していた筒缶を差し出す。
こちらも宰相が受け取り、中を改めた。
第四王子ウェイドとフレイアの婚姻を認める旨と、ウェイドの爵位、紋章、持参金が記されていた。
「いまはとりあえず500率いているが、足らぬなら兄に……おっと国王陛下にお願いして10000までなら送ってくれることは内々に許可貰った」
ウェイドは国王陛下というところをやけに慇懃に言ったが、それよりもフレイアにとっては10000の増兵のほうに目がくらんだ。だが、しっかりしろ、と自分を叱りつけ、実際に力いっぱい自分で自分の頬を張った。
「姫⁉」「大公代理!」
宰相と近衛がおののくのをよそに、フレイアはさらにウェイドに一歩踏み込んだ。
これで彼と自分の距離はほぼない。
フレイアはじんじんと痛む頬のまま、彼を見上げた。
「この国の自治権は認めるのだな? 殿下の母国、メンフィス王国からの干渉はよもやあるまいな?」
「ない。これは通常の結婚だ」
ウェイドは笑った。
「国の王族同士が友好の証として結婚するだろう? それと同じ」
「結婚と同時に侵攻するなど……」
「ないない。もしあれば俺の首を刎ねろ」
ウェイドは笑みを深め、少しだけ腰をかがめた。
「君と俺が結婚する。そしてふたりの間に生まれた子が、この国の大公になる。それまでは君が大公だ」
「……大公代理、な」
ため息交じりに言うと、ふふ、とウェイドが笑う。その呼気がふわりとフレイアの鼻先をくすぐる。わずかにミントと茶の香りがした。
「あと、これは重要なことだが」
「ほほう。聞こうじゃないか」
「相手は私だぞ?」
真面目に伝えたのに、ウェイドははじかれたように笑った。
「ほかに誰がいるんだ」
「姉ではないと言っている」
「姉? ああ、絶世の美女であらせられるグレイス姫か」
笑いの余韻を残しながらウェイドは言う。フレイアは大きくしっかりとうなずいた。
「姉はおそらく生きていまい。なので公位継承権を持つのは私の子のみ。そこは変わらぬ」
「グレイス姫に興味ない。それに文書を見たろ? 俺の結婚相手は君だ。大公、俺は君と結婚したい」
「変わったやつだな」
フレイアはあきれた。
「そなた、趣味が悪いのか?」
「自分で言うか」
ウェイドが腹を抱えて笑うのと同時に、ドンっと室内の空気ごと揺らぐ。
思わずフレイアが身体を揺らすと、素早くウェイドが支えてくれた。
「メンフィス兵より先に、セシル城を落とすことにしたんですかね」
ロクランが目を細めて、がれきまみれの壁から外を見る。
「ほらほら、時間がないぞ。どうする、決断しろ」
ははは、とウェイドは笑い、埃避けのつもりなのか、自分のマントを外してフレイアの頭にかぶせた。
「このまま落城するか? それとも俺と結婚して勝鬨をあげるのか?」
ウェイドは、フレイアの両肩に手を置いて顔を覗き込んでくる。
青い瞳。
黒髪、黒瞳がほとんどのこの国では珍しい虹彩。
濃い、夜が明ける前のような群青色。
「宰相!」
「はい」
宰相ががれきまみれの床に片膝をついた。
「殿下と結婚する! 500の兵が欲しい!」
「承知仕った! 近衛、誰ぞ書記をせよ!」
明言すると、宰相は機械仕掛けのように飛び起き、近衛に命じる。
数人の近衛が机にとりつき、がれきを払ったり紙とペンを用意したりした。
「ロクラン、従軍魔術師をここに。宣誓だ」
ウェイドが言うと、ロクランが数歩下がる。
代わりに進み出てきたのは、黒衣の男だった。鈴のついた長い杖を持っているところを見ると、従軍魔術師なのだろう。
「ウェイド・ペリー・メンフィス。汝は生涯この娘……。えっとなんとおっしゃるかな」
「フレイア。フレイア・ローズ・タレニウムだ」
応じたとき、さらにまた破壊音が響き、地面が傾いだ。
わわ、と滑り出そうとする机を近衛が必死に抑え、転倒しかけたフレイアはウェイドの腕を掴む。
「早くしろ、魔術師!」
ウェイドが愉快気に笑った。
「宣誓する前に死んじまう!」
「幸先の悪いことを言うな!」
ついフレイアは怒鳴りつけるが、ウェイドは楽しそうに笑った。そしてフレイアの鼻を撫でるから目を丸くしたが、どうやら埃や汚れをとってくれたらしい。
「えー、いろいろ省略」
魔術師が咳ばらいをした。どごん、とすぐ近くで重低音が響き、床の傾斜度がさらに加速する。
「ふたりは結婚。離婚するなよ」
「もちろん」
「わかった」
足場を確認しながらウェイドとフレイアはおざなりにうなずく。
「誓いのキスを」
魔術師が命じて、初めてフレイアは「ん?」と目をすがめた。
いるか、それ。
そう言おうとしたのに。
ぱん、と。
頭からかぶせられていたマントを払われた。
日の光を感じたのは一瞬だ。
すぐに視界がかげる。
反射的に腰を後ろに引こうとしたが、がっしりと肩をつかまれていて動けない。
そのまま、強引に唇を重ねられた。
身体を硬直させていたら、ぎこちない拍手がいくつか上がる。近衛たちが「おめでとうございます?」と語尾を上げていた。
どん、とフレイアはウェイドを突き飛ばし、服の袖で唇を拭う。
「交渉成立だ。兵を動かせ」
「もちろん、俺の大公」
にっこり笑うと、ウェイドは大声で命じた。
「旗を掲げろ! 弓兵、鏑矢を!」
ロクラン指示のもと、組み立て式の旗竿がいくつも組み立てられ、一斉に立ち上がる。
青地に白で抜かれた紋章。
盾を蛇に似た竜が支えるその旗は、壊れた天井から威風堂々と立ち上る。
その様子は外からも十分見えたのだろう。
困惑したような声を敵兵が上げるのを聞いた。
そこに、弓兵が数射、鏑矢を放つ。
矢につけた蟇目が笛音をたてた。
甲高いその音はモズの鳴き声に似ていたが。
手勢のないフレイアにとってはなによりの福音に聞こえた。
「ものども、かかれぇい!」
ウェイドの一喝に、彼の兵たちは速やかに行動に移った。




