29話 大公に……怒鳴られた……
◇◇◇◇
シャザール砦付近の天幕内で、フレイアはベッドに腰かけて、グラスに入った薬液を飲み干した。
「なにか甘いものをお持ちしましょうか? 近衛に尋ねたらなにかあるかも」
フレイアの顔がゆがんだのを見逃さなかったらしい。
自分と年の変わらない女性兵士が、そっと声をかけてくれる。
「いや、ありがとう。大丈夫だ」
礼を言うと、薬湯が入っていたグラスを受け取ってくれる。
「いろいろとすまない」
「なんてことはありません。私も女の端くれですから。フレイア様のお気持ち、わかります」
詫びると、にっこり笑っていたわってくれる。
彼女は、例の志願兵のひとり。
毎日騎乗訓練と武闘訓練を受けているが、今日はフレイアの体調不良のため、付き添いを申し出てくれたのだ。
「ラベンダーの香油を友達が持っていたので焚いてみました。どうですか?」
「ありがとう」
イライラしていたことにも気づいていたのかもしれない。
こんな細やかな気遣いなど、きっと近衛にはできない。
フレイアも数か月前までは王城内で、侍女やメイドにかしづかれて生活していた。
だけど彼らの微笑みとは種類の違う、素朴な笑みだ。それが身体にしみわたる。
はあ、と息を吐くと、途端に下腹部からしつこい痛みが這い上がってきた。
「お着換えもすみましたし。横になられては? さあ」
女性兵士が毛布を引き上げてくれるから、黙って身体を横たえる。その間も続く圧迫感と痛みに歯を食いしばった。下腹部が膨れ上がり、骨や内臓をすべて出そうとするような。そんな不快感と痛み。
「月のものは、いつもこのようにお辛いほうですか?」
フレイアが脱いだ軍服を洗い籠にいれながら、女性兵士が尋ねる。
「時々。……ここ数か月、こなかったから……。余計かもしれん」
ひょっとしたらこのところわけもなく気分が落ち込んでいたのは、その前兆だったのかも。
フレイアはそんなことを考え、そしてゆっくりと息を吐いた。
痛みはずっと、というわけではない。
断続的だ。
だからじっと耐えてやり過ごせば、楽になる時間がやってくる。
「気を張ってこられたからでしょう。もう少しでお薬が効くでしょうから」
そう慰めてくれる彼女の方が、何倍もつらい思いをしたのに。
フレイアは落ち込んだ。
「いろいろと迷惑をかけて申し訳ない」
「なにをおっしゃるんです」
女性兵士が目を丸くするが、フレイアは羽根枕に顔を半分うずめたまま、吐息をもらした。
「皆の範とならねばならないのに……。こんな調子で」
とんでもありません、と女性兵士は言った後、少しだけ笑った。
「その……フレイア様はたくさんの男の人に命令しますし、馬にも乗れて、作戦も立てられて……。やっぱり私たちとは生まれたときから違うんだ、と思ったりしていたんですが。私たちと変わらないところもあるんだな、ってホッとしてます」
「私なんて出来損ないだ。ただ、公家に生まれただけ」
あらあら、とやっぱり女性兵士は笑った。
「月のものになったらナイーブになるのも私たちと変わらない。大丈夫ですよ、フレイア様。フレイア様が、私たちのあこがれなのは間違いないんですから」
そんなわけないだろう。なんで私にあこがれるんだ、と。
言おうと思ったらまた波状的な痛みに襲われる。
「ああ。すみません、話過ぎましたね」
女性兵士は口早に言い、毛布をかけなおしてくれる。
うう、と呻いて痛みをやり過ごしていたら、いきなり布扉がまくり上げられた。
驚いた女性兵士は尻餅突いたが、それでも訓練の成果なのか、すぐに立ち上がって格闘態勢をとった。
「大公が倒れたというのは本当か⁉」
駆けこんできたのは、ウェイドだ。
「倒れてない。しゃがみこんだ」
「同じじゃないか! どうした!」
「貧血だ。気にするな」
「貧血⁉ 大丈夫か!」
「もう、うるさぁぁぁぁああああい!!!!」
フレイアは大声で怒鳴った。腹に力をいれたせいか、ずきりとさらに痛んだ。
羽根枕にうつぶせ、ううううううう、と呻く。痛くて不快でイライラする。
中には生理痛などなく、平気で日常をすごす女性もいるというのに、どうして自分はこうなのだ。
だいたいいままで来なかったじゃないか。
どうしてゴステアに向かおうとした矢先にこんなことになるのだ。
自分一人のせいで何百人という兵士が足止めになっている。
じわりと涙が浮かびそうになり、ごしごしと羽根枕に顔をこすりつける。
そしてふと気づく。
静かになったことに。
(……ん?)
そっと顔を上げると。
目をパンパンに見開いたまま、変な姿勢で停止しているウェイドが目に入った。
まるで怪物に魅入られ、石になった男のようだ。
「……あの、殿下?」
不審に思ったのは女性兵士も同じらしい。そっと声をかけると、ようやく口だけぱかりと動かした。
「……大公に、怒鳴られた……」
どうやらそれがショックだったらしい。
「殿下、ちょっとこちらへ」
「大公に……大公に怒鳴ら……。大公」
「殿下、あの、ちょっと」
「大公が俺に……」
「殿下、だからちょっとこっち向いて」
女性兵士に腕を引っ張られ、ウェイドが天幕の端っこに連れて行かれる。
そこでなにやら小声で諭されているようだ。
しばらくすると、怒鳴られた衝撃からなんとか立ち直った様子でフレイアに近づいてきた。
「大公、まだ痛いか?」
しょぼんと耳を伏せた大型犬のような風情でウェイドが言う。
「痛い」
反射で答えると、ウェイドは泣きそうな顔をする。
「代わってやりたい」
「代わってほしい!」
女性兵士も笑った。
「せめて一生の半分は男性にも味わってほしいですよね」
「まったくだ」
じくじくと痛む腹を抱えていると、手を突っ込んで臓器を取り出し、放り捨てたくなる。じゃぶじゃぶ水洗いして、再収納できるのならやってみたい。
「でもフレイア様はよい旦那さんをお迎えですねぇ」
「よい旦那ぁ?」
ウェイドを一瞥し、それからため息をつく。ナットを指にはめた男だぞ。
「だって生理痛の話や陣痛の話をしたら、『ああ、男に生まれてよかった』っていうやつが大半ですよ? それに比べて殿下は、『代わってやりたい』ですから」
そんなの知らん、とフレイアはまた痛みにうめく。
「大公。なにかしてほしいことはないか」
「出て行ってくれ」
またもや凍り付くウェイドに、女性兵士が苦笑した。
「今日はおひとりにしてさしあげてはいかがですか?」
「いや、だが……。こんなにつらそうなのに」
おろおろとするウェイドに、女性兵士は困ったようにフレイアを見る。
だがフレイアは羽根枕に顔をこすりつけるように、横に首を振った。
「うーん……。では、私が洗濯ものを片付けて、近衛から湯たんぽをもらって帰って来るまでおそばにいる、というのはいかがですか?」
女性兵士が折衷案を出してくれた。
フレイアは「すぐ出て行ってほしい」し、ウェイドは「ずっといたい」だろうから、折衷案ではある。
「それなら……」
しぶしぶ頷くと、すぐさまウェイドがベッドに駆け寄ろうとするから、女性兵士が止めた。
「もうすぐ薬が効いて眠くなりますから! なにもしない! わかりました⁉」
「わかったわかったわかった!」
絶対わかってない、とフレイアだけでなく女性兵士も思った。
「天幕の外にも護衛がいますから。フレイア様、なにかあれば大声で」
「ありがとう。ついでにその剣をベッドに近づけておいてくれ」
「わかりました」
女性兵士はさりげなくフレイアの愛刀をベッドにたてかけ、そして洗い籠を持って天幕を出て行った。
「大公」
「なんだ」
うっとうしい、という声はかろうじて飲み込んだ。
「手をつなぎたい」
「は⁉ ってかあんまり近づいてほしくないんだが⁉」
ガウッと噛みつかんばかりに吠え立てたのだが。
しょぼーんと肩を落とし、ぽつんと立つウェイドを見たら「マジで出て行け」という言葉は差し控えた。
「……手だけな」
なんで私が譲歩するんだ。
イライラしながらも、毛布から手を突きだす。
途端に顔を輝かせたウェイドが椅子を引っ張ってきて座り、フレイアの手を握った。
(いつもは大人な態度を見せるくせに)
フレイアの片手を両手で大事に包むウェイドを見、ため息をつく。
こういう時こそ、なんかこう、大人な余裕をみせてほしい。




