30話 大公がなにもかも背負うことはない
「毎月こんな感じなのか?」
「毎月というわけじゃないが……。時々。でも、この数か月はなかったのに……」
また痛みがやってくるので、羽根枕に顔をうずめて耐える。
「だが来るということはよい兆候ではないか。少なくとも、ないよりは」
「こんなもんないほうがいい。おかげで進軍が止まってしまったではないか」
「別に今日出立せずとも」
「農繁期が来るのに!」
顔を起こして吠える。八つ当たりだとわかっていても、イライラして仕方ない。
「農民兵は返さねばならん! ぐずぐずしていたらセジェルは援軍を送って来るだろう! だいたいシャザール砦の敗残兵はいまもゴステアに集結している最中だ! 不意をついてこそのうちの勝機だというのに!」
思いつくままに怒鳴り尽くすと、目の前がチカチカする。
たぶん、貧血だ。
荒い息のまま、フレイアはウェイドが握る手を引き抜いた。
「もう私は置いていけ! 貴殿が総大将となって進軍すればいい!」
怒鳴りつける。
しばらくウェイドは黙ってフレイアを見つめる。
その目や。
無言でいることや。
自分がただ怒りたくて怒っていることに腹が立って。
フレイアの目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。
「うちが放っている斥候によると、セジェルから200~300人ほどの兵が進軍し、タレニウムに入ったそうだ」
ウェイドが静かに言う。
ぐ、と。
フレイアは嗚咽を漏らした。
ほらやっぱり。
自分がこんなことになったばっかりに、あちらに先手を取られた。
ただでさえゴステア城は落としにくい。
それなのに増員を送られれば……。
「ただ、その歩みは遅い」
「……遅い?」
嗚咽交じりの、ひっくという音が語尾となったが、フレイアは目をまたたかせた。
まつげに乗る涙が散る。
「どういうことだ?」
「わからん。なんでも幌をつけた荷車のようなものを引き連れているらしい」
「投石器か攻城櫓か? ……いやでも、そんなもの」
どうして必要なのだ、とフレイアは戸惑う。
自分たちは城を守る側なのだ。攻める側ではない。
「それでな、大公」
「なんだ」
「その約300の中に、どうやらハドリアヌス王もいるらしい」
「ハドリアヌスが⁉」
つい上半身を起こして、顔をゆがめる。
ウェイドが手を伸ばしてそっとベッドに身体を戻してくれる。
「どうする?」
毛布をかけなおし、ウェイドが尋ねる。
フレイアは目まぐるしく頭を動かした。
今日の午後……は無理だ。
どう考えても自分が動けるのは、明後日の朝。
さっきウェイドは、理由はわからないが、軍の進みは遅いといった。
その軍の中にハドリアヌスがいる。
あの好戦的な王がいながら、進軍が遅々としている。
ならばなにか考えがあってのことだ。
進軍の速度は、遅いままを保つ。……はずだ。
(で、あるならば……。こっちは)
フレイアは視線をウェイドに向けた。
「近衛の一団は貴殿の麾下にいれたが……。動かしてもかまわんか?」
「かまわんぞ、大公」
「なら、それに中隊をつけて……。国境に向かわせる」
「国境に?」
「ああ。それで、本隊は明後日出発する。……貴殿、斥候を飛ばしたと言ったな」
「ああ」
「シャザール砦の残党はどうなった?」
「さすがにルパート将軍の首は並ばなかったが、自死したという確たる証拠は得た。街道には、おびただしい数の首が並んでいる。自軍の制裁を逃れたとしても……」
ウェイドは肩を竦めた。
「あいつらはやりすぎた。タレニウムの公国民が自警団を作って、徹底的にセジェルの残党狩りを行っているそうだ」
「ならば、ゴステア城に合流する、シャザール砦の残党は……」
「少ないとみて大丈夫だろう」
「そうか。……なあ」
「なんだ」
「あの女性兵士の一団だが。どう思う? 戦わなくてもいい。乗馬技術だけはどうだ」
「いけるだろう。駆り出された農民兵とは意気込みが違うからな。物覚えもいい」
「そうか……なら、策がある。ゴステア攻略の」
「さすが大公だ」
ウェイドはいつもの陽気な笑みを浮かべ、フレイアの頭を撫でた。
「きっとこれは神が与えた休息なんだ。今日、このまま進軍していたら、いろんな情報を逃すところだったかもしれんぞ」
「……そう思いたいが」
フレイアはまた、重い息を吐いた。
「なあ、大公」
「なんだ」
「大公が優秀で、なんでもできてしまうのはわかるが」
「私はポンコツだ」
「だがな、もう少し俺や、近衛や。ほかのみんなを頼ってくれ」
言われて、言葉に詰まる。
それは、自分が頼りないからだろうか。
こうやって動けなくなったら、全体が止まってしまうからだろうか。
だから……。
「大公がなにもかも背負うことはない。せっかく夫婦になったのだ。俺も背負いたい」
ウェイドが顔を覗き込む。
「その痛みを代わってやりたいのは本心だ。いつも何かを考え、先を見越して悩む日々から解放してやりたいのも本心だ。フレイア」
ウェイドは静かに、だけど力強く告げた。
「お前はひとりじゃない。俺もいる。みんなもいる」
そう、なのだろうか。
自分がこんな状態になっても。
それでもいてくれるのだろうか。
「俺と違って、みんな空気を読むからな」
ウェイドは愉快気に笑った。
「いま、天幕のまわりには大公を気遣う兵でいっぱいだ。心配だが、俺と違って入ってこないらしい」
言うと、ウェイドは首をねじって、大声を張った。
「外にいるやつら! 大公が落ち込んでいる! 歌って励ませ!」
「ちょ……! なにを!」
フレイアは慌てたのに。
途端に聞こえてきたのは、たくさんの男たちが歌う、公国歌だった。
「な? みんな心配している。大丈夫だ、大公」
ウェイドも負けじと声を張った。
「一緒に行こう。戦おう」
言われて、フレイアは顎を引くようにして頷いた。
知らずにまた、目からぼろりと涙がこぼれる。
「ウェイド……」
ありがとう。
そう言おうとしたのに。
「なにやってんの、あんたたち!」「静かにしろってわかんないの⁉」「フレイア様が眠れないでしょうが!」
天幕の向うでいくつもの女たちの声が聞こえ、公国歌はしりすぼみとなる。
どうやら騒ぎを聞きつけた女性兵たちが注意をしに集まってきてくれたようだ。
「あ……」
焚きつけた側であるウェイドが、しまったと顔をゆがませる。フレイアはその顔を見て噴き出した。
「怒られに行ってくれば?」
フレイアが言うと、ウェイドは困ったように頭を掻いた。
「怖いな、あそこに行くのは」
フレイアが笑っていると、幕扉がぞんざいに開けられ、女性兵士が顔を出した。
「殿下、ちょっと」
そう言われてすごすごと立ち上がるウェイドを見、フレイアはさらに声を立てて笑った。
「また、様子を見に来る。ゆっくりおやすみ」
そんなフレイアの頬にひとつだけキスを落として、ウェイドは天幕を出て行った。




