26話 まだ迷っている。不安になっている
その日の晩。
ウェイドがフレイアのテントにやってきたのは、グラスに満たしたワインを一気に飲み切ったときだった。
「なんだ、大公。飲める口なのか? だったらよい蒸留酒があったのに」
どこかうれしそうにウェイドは言い、椅子をひとつ持ち上げて、フレイアの側に置いた。
「もらっても?」
別のグラスを指さし、ウェイドは椅子に座る。
「ああ」
返事をしたら、自分の口からアルコールの匂いがした。フレイアは、「うえ」と眉をしかめる。
しかめているつもりだが、酔いが回っていせいで、自分の表情が実際どんなだかよくわからない。
「開けたところか?」
ワインボトルを持ち上げ、手酌でウェイドはグラスに満たす。
色を確かめ、グラスを近づけて香りを嗅ぐと、嬉しそうに目を細めるからフレイアは信じられない。
「それ、良い匂いか?」
「まだ若いな。フローラルな匂いがする」
「フローラル? これが?」
どこがと言い、グラスに残る残滓を忌々し気に見る。
「嫌いなのに、飲んだのか?」
からかうように言われて、フレイアは黙り込む。
嫌いだが、飲んだ。
それが正しい。
フレイアも社交の場や勧められれば酒は飲むが、自分から飲もうとは思わない。
酔った感じが気持ち悪いし、思考が鈍化する感じが好きじゃない。
だけど。
「なにか考えたくないことでも?」
ワイングラスを傾けながら、ウェイドが視線を向けてくる。
別に。
いつもなら。
酔っていなかったらきっと「別に」とだけ答えただろう。
だけど、薄くもやがかかったような思考と、ぬるま湯にひたったような感情の中にいたフレイアは、ぽつりとこぼした。
「彼女たち、全員戻ってきた」
「彼女たち? ああ、志願兵か。そういえば全員、婚家から80ルターもらって戻ってきたな」
ウェイドは言い、椅子の背に上半身を預けた。
ぎしり、と椅子が軋む。ウェイドは足を組んだ。乗馬ブーツにカンテラの光が滑り、飴色に輝いている。
「近衛が戦闘部隊に入ってくれるから助かる。機動力が違うからな」
「それで……よかったんだろうか」
「それで、とは?」
フレイアはずるずると上半身を崩して机に顎を乗せた。
腕を伸ばし、握ったままの空のグラスを見つめる。
「彼女たちを戦場に連れて行っていいんだろうか」
自分の声なのにぼやりと遠くに聞こえる。
まるで水の中にいるようだ。
「当初、近衛は彼女たちを軍に入れるのは反対みたいだった。それが正しいことなんじゃないだろうか」
つらいことがあった。
ひどい目にあった。
復讐したい。
一矢報いたい。
だから戦場に連れて行ってくれ。
彼女たちはそう言った。
フレイアは彼女たちの意見を飲んだ。
この国において、女性の意見が通ることはそうない。
娘の頃は父親に従い、結婚しては夫に従う。老いたら息子に従うのが女だ。
そんな中において、彼女たちは選んだ。
戦場で復讐することを。
フレイア自身も大公代理という肩書をひっさげ、勝つために戦場に出て来た。
彼女たちの気持ちがわかる。
だから許可をした。
癒すはずの家族が、彼女たちを放逐するから、それ相応のカネも権力でふんだくってやった。
だけど。
「……危険だと知りつつ、彼女たちを戦場に出してもよかったのだろうか」
近衛たちの言う通り、一時保護すればよかったのではないか。
そして教会や修道院にいれるべきではなかったのか。
まだ迷っている。
結論を出したのに、不安になっている。
「大公代理になってから、迷ってばかりだ」
発布する。
公印を押す。
外交文書をしたためる。
軍を動かす。
作戦を立てる。
実行する。
ひとつひとつを選択し、岐路を見極めながら進んできたが。
いつもしこりのように不安がつきまとう。
これでよかったのか。
別の方法があったのではないのか。
隊長の、大臣の、宰相の言ったことのほうが正しかったのではないか。
いや。
そもそも。
自分じゃなければ。
大公代理になどならなければ。
誰もが違う、もっと安全な道を歩いていけたのではないのか。
「迷って当然だ。誰にもできないことを大公はしているのだから」
ウェイドの声が鼓膜を撫でた。
顔を傾け、机に片頬をつけてウェイドを見た。
「大公になど、ならなければよかった」
しんどいばっかりだ。
ぼそりとつぶやく。
「そうか」
ウェイドは言い、グラスのワインを一口飲んだ。
そして、笑いかける。
「俺は妻が大好きだからな。大公がしんどいなら、代わってやりたいと思う」
言われて、ムッとした。
「お前になど渡さん」
途端に愉快気に笑い声をたてられた。
「大公なら言うと思った」
そうなのだ。
ふう、と酒くさい息を吐いてフレイアは思う。
あっさりと「大公代理などせぬ」と言いきれればこんなに悩まない。
大公代理が嫌なのに。
それを手放すのも嫌なのだ。




