22話《セジェル》ドミニク王室家政長1
王室家政長のドミニクは、重い足取りで白鳥宮内を歩いていた。
ここは王城内にある、セジェル王王妃が暮らす宮だ。
(王妃がお呼びになったのは、陛下のことだろうか……)
考えただけで胃がキリキリする。
先日も呼び出され、「なぜ陛下は、白鳥宮にお渡りにならないのか」とお叱りを受けたところだ。
叱られただけではない。ものをぶつけられ、苛烈な罵声を浴びた。
『あの死にぞこないに、引導を渡しなさい!』
そう命じられたが、当然そんなことできるわけがない。
軍務長官のブラッドリーも似たようなことを言っていたが、だったら彼が殺してほしい。
そうすれば陛下は夜になれば王妃のもとに行くだろうし、王城内のあの部屋を気味悪がる者は誰もいなくなる。
ドミニクに訪れるのは、以前のような平和だ。
「ドミニク王室家政長のお越しです」
一室の前で足を止めると、衛兵が訪いを告げた。
「入りなさい」
部屋の中から聞こえてきた声に、ドミニクは少し身体のこわばりが解けた。
機嫌の良い声音だったからだ。
「失礼いたします」
扉を開き、中に入る。
「忙しいところ、悪いわね」
セジェル王妃メサイアがねぎらいの言葉を口にした。
彼女は背もたれの大きな椅子に腰かけている。
服装は胸の下あたりをリボンでしばる、女神風のドレスだ。胸元も大きく開き、袖口にはたっぷりとしたレースがあしらわれている。
この王妃が現在上流階級に流行らせているドレスだった。
彼女が嫁いでくるまで、この国の女性はとかく重い衣服を着用していた。
ペチコートの上にコルセット。その上にクリノリンを付け、スカートやレース生地、フリルやリボンをたくさんつけられた衣装が正式なものだった。
上流階級であればあるほど、ひとりで着ることは困難。
そんな服装が主体だったのだが。
海を越えた国から嫁いできたこの王妃は、あっさりとそんな習慣を無視した。
動きやすさと着やすさを重視したシンプルなドレス。
当初、高齢の貴婦人からは大反発を食らい、ドミニクのところにも『王妃陛下の教育はどうなっているのだ』と苦情が殺到したぐらいだ。
だが、若い淑女には諸手をあげて歓迎された。
重く、暑く、硬くて不快。なにより苦しい。
そんな衣装から解放されたのだ。それも当然だろう。
身体のラインを衣服で自然にアピールするのも若い娘たちの心を刺激した。
男や親が好む服ではなく、自分がよいと思う服を着る。
そんな背景もあったのかもしれない。
海外から嫁いできた王妃は、あっという間にこの国の女性の心をとらえたのだ。
「とんでもございません。王妃陛下におかれましては、ご機嫌うるわしく」
衛兵が扉を閉める音がする。
頭を下げながらドミニクは素早く室内を観察した。
というのも。
王妃メサイアの侍女がいないからだ。
いつもなら数名の侍女が待機していて、王妃の話し相手をしたり、髪や爪を整えているはずなのに。
そして。
気づく。
かわりに、室内にひとり、見知らぬ男がいることに。
「お前にこの者を紹介しようと思ってね」
王妃メサイアが手招きをする。
壁際に待機していた男が一礼をして近づいてくる。
そして、メサイアの椅子の後ろに待機した。
年は、ドミニクより若いだろう。
20代半ばというところだろう。王妃メサイアと年が変わらないように見えた。
一重の切れ長の目が印象的な青年だ。
シンプルだが上等の上着を身に着け、手には楽器ケースらしきものを持っている。腰に剣がないところを見ると、騎士ではないらしい。
「彼は楽士なの」
メサイアは振り向きもせずに青年を紹介した。
足を組むと、ゆるやかに裾が揺れる。この衣服の特徴は足が長く見えることだ。女性たちはそれでもまだ足を長くみせようと、踵の長い靴を履いてよちよちと歩いているが、メサイアはそれをしない。彼女はあくまで動きやすさを重視していて、いまも編み上げサンダルをつけていた。
「あの人のところに行かせようと思って」
「……あの人」
この王城内で、「あの人」と言えば「あの人」だ。
だが、ドミニクはあえて問うた。
(どういうわけだ?)
それがわからないからだ。
王妃メサイアは、陛下が足しげく通うあの人が嫌いなはずだ。
憎悪しているといっても過言ではない。
海の向こうからきたこの王妃は、非常に感情の起伏が激しい。
王であり、夫であるハドリアヌスさえ手を焼くほどだ。
メサイアとて王家の出。王が複数の女性と関係をもつことぐらい理解はしているだろうが、それとこれとは別ということなのだろうか。
ことのほか、ハドリアヌスの女関係を嫌った。
なにもそれは自分たち夫婦だけではない。
上流階級のそういった関係も嫌い、もしも耳に入ろうものなら、社交界からの締め出しをはかるぐらいだ。
ある意味、潔癖な王妃が嫁に来たものだから、ドミニクは当初、王室運営がとてもやりやすかった。
というのも、ドミニクが就任してからというもの、問題ごとは王の色恋とそれにまつわる刃傷沙汰。
ドミニクが女性に対して嫌悪の情を抱くのは仕方ないと思えるほどに、王をめぐって女性たちは争っていた。
そこを一掃してくれたのが王妃メサイアだ。
一時は救世主にも見えたが、乱高下するメサイアの気分と感情に、次第にドミニクは胃が痛み始めた。
ハドリアヌス王も、請うて請うてメサイアを手に入れたものだから、決して邪険に扱うわけではない。
なにしろ憧れの大国から来た王妃だ。
大量の贈り物はするし、社交界や外交の場ではメサイアに敬意を払う。
だが、漁色が止むわけではない。
王妃の目を盗んでの情事がやめられず、発覚するたびにメサイアはドミニクを呼び出して叱責した。
『なぜ陛下を止めないの!』
『手がついた女は、すべからく国外追放になさい!』
そんな王妃をなだめ、それとなく陛下に王妃のことを伝え、王妃と陛下の仲が深まるイベントを企画する。
これが王室家政長のすることなのかと情けなくなってくる。
「その……陛下はご存じなのでしょうか?」
そっと、ドミニクは尋ねてみた。
たぶん、『王妃陛下が楽士を、とのことです』と伝えたら、ハドリアヌス王は顔をしかめて、『近づけるな。適当に仕事させて、適当なところで解雇しろ』と言うような気がするが。
「ええ、もちろん。医師を通じて紹介させてみたの。まあ、わたしが紹介したら、ほら。警戒するでしょう、陛下も。だから医師に『音楽を聴かせると効果があるやもしれません』って適当に言わせたのよ」
ころころと笑う。
が、ドミニクの背筋には冷たいものが走った。
(ということは、陛下は『王妃から紹介された楽士』ということを存じ上げないということか)




