第4話 復讐の旅へ
④
彼女が、月喰みの魔女。
血のように赤い瞳に、月光を跳ね返す、長く美しい銀色の髪。
おぞましさよりも、神々しさを強く感じてしまう。
これが、世界を滅ぼす災厄?
どうしても、そうは見えない。
呆気にとられていると、彼女は涼しげな目を細め微笑みかけてくる。
「ありがとう。約束通り、助けてあげる」
魔女はカーテンでも開けるように腕を振るった。
瞬間、背後に聞こえていた足音が、静かになった。さらには凍えるような冷気が背中に伝わって、ぶるりと震えてしまう。
恐る恐る振り返ると、そこには見上げるほどに巨大な氷塊があった。
中には、いくつもの人型がある。どれも見覚えのある格好をしていて、俺を追いかけていたときの恐ろしい形相や彼女に目を向けて驚く表情のまま、凍り付いていた。
きっと、自分が氷の中に閉じ込められたことにすら気がついていないんだろう。
数十人を一瞬のうちに凍てつかせる。
まさに、魔女の所業だ。
氷塊はそのまま音を立てて砕け、大地に返る。
月の光を反射する氷の欠片を、美しいとすら思った。
同時に、彼らが苦しまずに逝っただろうことを、残念に思ってしまった。
「これで約束は果たした。あなたは、自由よ。好きに生きるといい。それとも――」
私と一緒に、復讐でもする?
彼女はそう言って、妖艶に微笑む。
ああ、やっぱり、この人は魔女だ。
人を暗い道に誘うだなんて。
答えは決まっている。
「途中でやっぱり止めた、なんてのは、無しだから」
魔女は当然よ、と返して妖しい笑みを深める。
月を背負ったその姿は、美しく、そして悍ましかった。
◆◇◆
早朝の、まだ薄暗い中、目の前に剣を構えた父様を思い浮かべる。
シーリング伯爵領が滅ぼされてからもうずいぶんと経ったけど、ここはいつも父様と稽古をしていた場所だ。その動きを思い出すのにはちょうどいい。
父様はまず、牽制に小さく斜めに切り下ろしてくる。
これを右に躱すと、凄まじい早さで切り返して横に薙いできた。
対処するなら、剣で受けて、前へ。
肩を当てるように突進して体勢を崩し、そのまま父様の剣に沿わせながら切り上げ。
いや、父様なら躱すか。
大抵の騎士なら今ので終わるだろうけど……。
「精が出るわね。出発の日まで」
不意に聞こえた声に剣を下ろすと、屋敷の方から銀髪の女性が来るのが見えた。かつて月喰みの魔女と呼ばれ、山頂の湖に封印されていた存在、ルナだ。
「ようやくだからな。……いや、俺の都合に付き合わせたのに、この言い方はないな。五年も待たせて悪かったよ」
魔剣クレリプスを鞘に収めながら頭をかく。
俺自身がもっと強くなるために、しばらくここで修行させてもらっていた。
「たった五年よ。私がお兄様たちに封印されたのは一万年以上前よ? 今更それくらい、誤差でしょう」
「いやまあ、女神からしたらそうなんだろうけど、人間の五年はそれなりに長いぞ?」
なにせ、どんなに長く生きても百年くらいで寿命が尽きるんだから。
いや、そもそも呼ばれてから封印解除まで十三年も待たせたんだから今更なのか?
「どの道、必要な時間だったでしょう。私も女神としての力を封印されていて全力は出せない。あなたもその辺の正規騎士にすら勝てないひ弱な十三歳。お兄様たちに、神々に復讐するなら力不足もいいところよ」
それはそうだ。
あの頃のままだと、復讐以前に自分の身すら守れない。
神々と、俺の場合は王家にもだな。あいつらに復讐できるだけの力を得るために、五年を使った。
ルナが神々の目を誤魔化すための結界を張って、魔法も教えてくれた。
彼女との模擬戦もいい糧になった。
全力を出せない状態ですら凄まじく強いからな、こいつ。
さすがは女神と言うべきか。
ルナは、月喰みの魔女は、歴史から抹消された女神だった。
創造神の十三番目の子だ。
つまり、今信仰されている十二柱の神々の、末妹だ。
強くないはずがない。
この五年で神々について色々と裏切られる事実を知ったわけだけど、まぁ、これから復讐する分にはある意味気が楽だな。
「そっちの準備はいいのか?」
「ええ。朝食の用意もできてるから、さっさと汗を流してきて」
「了解」
水浴びを終えて旅装に着替え、キッチンに向かう。元々の食堂は破壊されてしまったから使えない。
ルナは空き部屋から運び込んだテーブルの上に朝食としては少し多い皿を並べて待っていた。
「余りもの、使い切っちゃったから」
「ああ。どうせここにはもう戻ってこない」
何十年かかるか分からない旅だからな。
「最初に向かうのはレフトアの王都、だったな」
「ええ。その前にこの近くの街で準備は整えるつもりだけど」
俺たちの共通の目的、つまりは、家族の仇である神を討つために、まずはルナの力を取り戻す必要がある。
彼女の力は世界中に分割されて封印されてるらしい。
「一番近い封印場所がレフトアの王都。そして、あなたの最初の復讐相手がいる場所でもある。都合がいいわね?」
「そう、だな」
俺だけの復讐相手。王族と、騎士団長。
神々に比べれば、ずっと容易い相手。だが、個人で相手取るには大きすぎる相手だ。
「不安なの?」
「少し緊張してるだけだ」
嘘ではない。
今の俺は父様以上に剣に長けていると思うし、実践的な魔法もかなり覚えた。
ルナに比べたら児戯みたいなものだけど、人間相手なら十分だ。
それに、もう一つ。
スプーンに映った自分の目を見る。
元々はシーリングの血を示すような、真っ黒な瞳だった。
それが今は、ルナと同じ血のような赤になっている。
ルナと契約したせいだ。
俺はルナと契約し、女神の騎士となった。いや、魔女の騎士、と言った方が復讐者にはそれらしいかもしれない。
その影響で以前より保有魔力、じゃなくてエーテルが上がったし、身体能力自体も人間の上限くらいまでは上がった。
ここに魔法での強化を加えたら、きっと剣技でなくてもそこらの騎士には勝てる。
だが、最終的な相手は神だ。
緊張するなという方が難しい。
何かを失うのは、もう嫌だから。
「……それじゃあ、行きましょうか」
「ああ」
何にせよやることは変わらないか。
必ず、父様の、母様の、ルークの、そして領民たちの仇を討つ。
改めて心に誓って、ただ二人、シーリングの屋敷を発った。




