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辺境伯爵家の剣神、神々に復讐するため旅に出る~月喰みの魔女と魔女の騎士~  作者: 嘉神かろ


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第3話 月喰みの魔女

 暗くかび臭い脱出用の隠し通路を急ぐ。狭いから、俺を先頭に一列だ。

 敵もまだ屋敷までは来てないだろうから、後ろは警戒しなくていい。仮にもうすぐそこまで来ていて、かつ、ここを見つけられたとしたら、反響音で分かるはずだ。


 まだコツコツと響く足音は三人分だけ。大丈夫だ。見つかってない。

 託された魔剣をぎゅっと握りしめて、ルークにバレないよう深呼吸をする。母様には、どうせ見抜かれる。


 気掛かりなのは使用人たちだけど、母様が準備をさせてたし、上手く逃げ出せていることを祈ろう。換金用に宝石類も持たせていたみたいだったから、生きて抜け出せたなら、どうにかなるはずだ。


「お母様、お父様は、この先にいるのですか……?」

「ごめんなさいね、ルーク。この先にはいないけど、後で追いついてきてくれるから、安心して」

「そうだぞ。父様は強いからね。敵を蹴散らしてから来てくれるんだ」


 ルークがほっと息を吐く気配がした。騙してるみたいで悪いけど、生きて逃げ延びるためだ。安全なところまで行けたら、母様と二人で、ちゃんと謝ろう。


 もうすぐ出口のはずだ。街の外にある山に繋がってるから、木々に紛れてしまえばそう簡単には見つからない。

 敵が街や屋敷に集中してる間に、反対側まで抜けて隣国に入る。そうしたら、もう簡単には追って来られない。


「行き止まり……。母様、ルーク、出口です」


 あの積み上げられた石のブロックは廃井戸に偽装した出口に繋がっている。開け方は以前に教わったし母様も知ってるはずだから大丈夫だ。


 追手は、後ろからは来ていない。あとは何かの偶然ですぐ外に敵兵が来ていなければ、逃げ切れる!


 逸る気持ちを抑えながら、昔父様に教わったとおりの順番でブロックに剣の柄を当てる。壁が動いて、足下へ静かに消えていく。

 顔だけ井戸の中に出して上を覗くが、暗くなりつつある空しか見えない。


「大丈夫」


 井戸の壁面に取り付けられた石の出っ張りに足をかけ、急いで上る。

 よかった、思ったより上りやすい。梯子代わりに取り付けられたものだから当然か。けっこう高いから不安だったけど、これなら、母様やルークでも問題なく上れる。


 一度井戸の縁ギリギリで止まって耳を澄ます。音は、しない。

 街での騒ぎは木々に吸われて届かないのだろうか。


 ともかく大丈夫そうだ。息を潜めて待ち伏せてる可能性もあるから、慎重にいこう。

 

 もう一段上り、そっと顔を出す。目の前に男の顔があった。

 敵!? どうして!?


 脳裏を過った疑問について考えるより早く足場を蹴り、反対側の縁へ向けて跳ぶ。しかし段が濡れていたのか、足を滑らせてしまった。


 予想外の浮遊感に包まれて、空が遠のく。掴むところは、ない。やばい、死んだ。


「あっ、アレク様!?」


 素っ頓狂な声がして、男が手を伸ばす。影になって顔は見えないが、その声には覚えがあった。


 伸ばされた手をどうにか掴む。浮遊感が消えて、代わりに腕を引きちぎられそうな痛みが走った。少し遅れて石の壁が迫ってくるのを、空いた手を挟んで防ぐ。


「ふぅ……」


 上下から聞こえてきた溜め息は、母様と、腕を伸ばしてくれた男のものだ。記憶に間違いがないなら、この男は、今朝教会で声をかけてくれた男だけど……。


 ああ、良かった。やっぱりそうだった。

 上りきって少し明るいところで見たら、間違いなく彼だった。


「ありがとう。助かりました」

「いや、こっちこそ驚かせちまったみたいで申し訳ねぇ。いるのは、アリシア様とルーク様か。伯爵様は……、やっぱりいねぇみたいだな」


 母様とルークに上がってくるように合図して、周囲を確認する。

 幹の太い木々に囲まれた森。すぐ先にはいくらか枯れ葉に覆われた斜面がある。追手の気配は、今のところない。


「やっぱり?」

「ああ、ええ。俺たち家族は伯爵様に逃がしてもらったんでさ。その後のどさくさで逸れちまったから、こうして待ち合わせ場所にしてた井戸のところに来たんだが……」


 まさか屋敷の隠し通路があるとは、と男は笑う。

 嘘は、たぶんついてないと思う。追手だったらさっき俺を助けた意味が分からないし、獣人みたいに感覚の鋭い種族でもないこの人が隠し通路を探し当てて待ち伏せていたとは思えない。


「まぁなんだ。アレク様たちはちゃんと生き延び――」

「いたぞ! 犬獣人の女だ! 子供もいる!」


 今のは、敵兵の声か? あの言い方だと伯爵家以外の人間も積極的に殺してるのか。

 クソ、どうしてそんな酷いこと……。


「おじさんも一緒に逃げましょう。この山を越えたら国境だから、追手も諦めます」


 せめて一人でも、領民を……。

 そう思ったのに、おじさんは苦い顔をして動かない。それから一つ頷いて、別の感情を瞳に見せた。


 これは、今日何度も見た目だ。父様と同じ、覚悟した目だ。


「あー、すまねぇ。追っかけられてるの、嫁と息子だわ。ちょっくら助けてくる。ついでに時間もかせぐからよ、上手く逃げてくれよ?」


 こちらが何か言う前におじさんは木々の隙間に飛び込んだ。少し遅れて咆哮のような声も聞こえる。

 また、助けられてしまった。追いかけて加勢したい。でも、それじゃあおじさんの勇気を無駄にしてしまう。


 クソ、本当に、情けない……!


「アレク……」

「ええ、分かってます。行きましょう」


 おじさんの消えた方向とは別、山を登る方向に急ぐ。後ろから聞こえてきた悲鳴は、聞こえないフリをした。


 どれだけ進んだか。開けた場所に出ると、月明かりが俺たちを照らした。

 斜面方向を見れば、樹上を越えて街が見下ろせる。あちこちから火の手が上がっており、魔法に巻き込まれたのか倒壊した建物も多い。


 もうあの綺麗な赤とオレンジの屋根の絨毯は見られそうにない。


「あ、お父様……」


 ルークが指さしたのは、屋敷の前の広場辺りだ。父様が両手剣を構えて屋敷までの道を塞いでいた。相対しているのは、黒い鎧に大きな盾と剣を持った背の高い男。


 種族は分からないけど、たぶん、俺と同じ普人(ふじん)族……。

 ああ、だから、父様は覚悟を決めたんだ。


 月や炎の灯りの中、何度か二人の影が重なる。敵兵たちが見ているだけなのは、どうしてなのか。あの男の、レフトア王国騎士団長の指示なのか。

 

 領民を庇いながら戦って疲弊した父様と、ただでさえ王国最強と言われている騎士団長。この後どうなるかは、もう分かりきってる。

 その光景は、ルークには見せられない。


「お兄様……?」

「少し、寒くてさ。温まるまで、抱きしめていていいかい?」

「うん、いいですけど……。変なお兄様」


 直後、また影が交差して、片方が倒れた。立っているのは、騎士団長だ。


 母様が俯いた。声を殺して泣いてる。俺も、頬が濡れてる。


「いたぞ! 黒髪、神敵の一族だ!」


 くそっ、もう少し悲しみに浸らせてくれよ!


「母様、ルーク、走って!」


 無数の灯りの魔法が木々の隙間を縫ってくる。あと三十分も歩けば山を越えられたのに、神々はどうやら俺たちの敵らしい。


 比喩的な話じゃなくて、というのが意味分からない。

 

 この世界は神々がたしかに存在して、教会を通して時折意思を伝えてくるらしい。

 そんな世界で、あいつらは、神敵って言ってた。つまり、これは神の意思だ。俺たちは、神々に命を狙われている。


 ああ、クソ、本当に、意味が分からない。信じたくない。

 シーリング伯爵家はずっと、神々との取り決めでこの山の頂上にある封印を守ってきたっていうのに、どうして!


 風を切る音がして、反射的に剣を抜く。ほとんど勘で切り捨てたのは追手が射ってきた矢だ。

 更にすぐ横を火の玉が通過した。当たらなかったことを安堵する間もなく、それは斜面に当たって爆発する。


「うわぁっ!」

「ルークっ!?」


 その爆風に、体の軽いルークが煽られた。吹き飛んで、地面を転がる。

 狙い澄ましたかのようにそこへ矢が飛んできて、その小さな体に当たる。


「けほっけほ……」


 よ、良かった。帷子のおかげで刺さりはしなかったらしい。でも、未熟なルークの体じゃ、骨くらい折れていても仕方ない。


「ルーク、今行くからな!」


 また飛んできた矢を切り捨てて、ルークの方に走る。母様が先に辿り着いて、怪我を確認していた。

 その母様の表情が、苦々しげに歪む。


「アレク! ルークは私が抱えて行きます! あなたは先へ!」

「でも!」


 母様は多少動ける方だけど、それでもルークを抱えて追手から逃げ切れるほどじゃない。俺の方がずっと力が強いし、俺が抱えるべきだ。


「どちらかだけでも生き延びねばなりません! 早く!」

「っ! 分かりました……!」


 シーリングの血を、絶やさないため……。そんなに、この血が大事なのか。

 どうせ敵とした契約だろうに!


 そんなものより家族を守りたい。でも、口論してる暇はない。


 前を向き、国境を目指す。しかしやっぱり母様の足が鈍っていて、ルークの息も荒い。


「追いついたぞ!」


 慌てて振り向くと、母様が敵兵に押し倒されているところだった。その他の兵たちは十、二十の光の群れになって、俺を追いかけてきてる。


「母様! ルーク!」

「行って! 行きなさい!」


 ああっ、クソ! クソクソクソっ!

 どうして、俺はこんなに弱いんだ!


 止まりそうになる足に鞭を打ち、とにかく走る。

 暗くてよく見えないが、灯りを点ければただの目印だ。


 どうしてだ。どうして、神々は俺たちを裏切った! どうして、俺には力がない!

 また俺は、大事な家族が殺されるのを、どうにもできないのか!


 嘆くことしかできない自分を呪い殺してやりたい!


 どれだけそうやって走っただろうか。

 罵る語彙もつき、足ももう上がらない。今にも躓いて転んでしまいそうだ。


「あっ……」


 そんなことを考えたのがいけなかったんだろう。本当に木の根に躓いて、足が空気を蹴る。


「今だ! 殺せ!」


 痛みに呻くこともできないまま、迫る火の玉が視界を埋める。


 これは、死んだ。でも、良かった、これで、みんなの所に行ける。

 そう思ってぎゅっと目を瞑ったのに、予期した時は来ない。


 代わりに爆音だけが耳に届いた。恐る恐る目を開くと、眼前にあったのは揺らぐ透明な壁。結界だ。


「くそっ、なんだこれは!」


 ああ、そうだ。封印の地の結界だ。

 知らない間に山頂まで来てたのか。


 この結界は伯爵家の人間しか通さない。でも、人間が張ったものだ。いつかは壊される。その前に、遠くへ逃げないといけない。


 逃げて、逃げて……それで?


 生き延びて、どうする?

 もう父様も、母様も、ルークも、守るべき領民もいない。


 独りだ。

 独りで、生きる意味があるのか?


 そんなことを考えながら、ぼうっと歩く。辿り着いたのは、災厄を、世界を滅ぼすと言われている月喰みの魔女を封印した湖だ。

 

 さっきまでの喧噪がなんだったんだというくらいに静かに揺らめく湖には、空の月や星々が映り込んでいる。空と大地に二つの月が浮かぶ光景は場違いなほどに幻想的で、この場所に家族で来られていたなら、どれほど良い思い出になったんだろうかと、そう考えてしまう。


 そういえば、この世界にも月はあるんだな。日本で見てたのと同じような、青白くて丸い月だ。十三年この世界で生きていて、不思議と一度も疑問に思わなかった。

 こうして月を眺めるのは、日本人だったころの数少ない楽しみだったのに。


「――やっと、来てくれた」

「っ!?」


 柔らかな、女の人の声だ。

 結界が壊されたわけじゃない。じゃあ、どこから? 誰が?

 ……いや、今の声、俺は、知っている。


 その問いを口にする前に、ガラスを割ったような音が響いた。

 怒鳴り声も聞こえる。もうすぐ、あいつらが追いついてくるだろう。


「――もう一度、助けてあげる。だから、私を助けて」


 またそれか。あの時と同じだ。

 いや、あの時は本当に助けてくれた。だから、嘘は言っていない、はずだ。


 でも、助かる意味があるのか? もう俺は、終わってしまいたいとすら思ってるのに。

 そもそも助けるって、何をどうして。


「――封印を解いて」


 ……ああ、そういうことか。この声の主は、俺たちがずっと守ってきた封印の中の存在、月喰みの魔女なのか。


「なあ」


 気がつけば、問いかけていた。


「自由になって、何をするんだ?」


 どうしてそんな気になったのかは分からない。

 死ぬ前に昔からの疑問を解消したかったのかもしれない。


「――自由になって?」

 

 直感が働いたのかもしれない。


「――そんなの、決まってるじゃない」


 自暴自棄になっていただけかもしれない。


「――復讐するの。お父様を殺した、十二柱の神々に」


 なるほど、復讐か。家族の仇討ちか。

 問いかけようと思った理由は分からないけど、目標ができた。生きる意味ができた。


 いいな、それ。

 もし、騙されていて殺されるんだとしても、かまわない。それで世界が滅ぶなら、それはそれで有りだ。


「いたぞ! 湖の畔だ!」


 敵兵たちが迫ってくる。このままなら、俺はまず間違いなく殺される。

 でもそれじゃあ、みんなの仇は討てない。


 父様から預かった魔剣クレリプスを抜き、指先に傷を付ける。

 封印を解く鍵は、この魔剣と、そしてシーリングの血。


 銀の刃を真っ赤な血が流れ伝い、落ちていく。

 それを、湖に向けて、振り下ろす。


 瞬間、世界は銀色の光に包まれた。銀は星々を喰らい、そして夜が戻る。

 気がつけば、そこには、女神がいた。



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