第22話 封じられた力
㉒
意識して押さえ込んでいた力を解放する。繋がりを閉じていた縛めを解く。
途端、溢れ出すのは膨大なエーテル。俺自身のそれが雀の涙にしか思えなくなるような、力の奔流。
抑え切れず体外に漏れ出したエーテルはルナと同じ銀光を放ち、冷気を漂わせながら謁見の間に吹き荒れる。
これは、ルナの持つ力の、ほんの一部。契約により生まれた魂の繋がりから流れ込んだもの。
俺の扱える程度に加減しているらしいけど、それでも城一つ吹き飛ばすに十分な力だ。
女神としての力を封印された状態でこれなのだから恐ろしい。
その迸り暴れださんとする力を、どうにか俺の意思のもとに置く。持ち主よろしくいくらか我儘なエーテルだけど、コツさえ掴めば案外素直だ。
「いくぞ」
一声かけたのは準備完了の合図。下手に手を出して暴走させることを懸念したのだろうダグラエルへ、もう案ずるなと暗に伝えるもの。
合図から一瞬の間を置いて、軽く床を蹴る。入れた力は常の半分。しかし彼我の距離は瞬く間にゼロとなる。
「くっ……!」
一太刀目は楯で受けられた。だけどそこにこれまでのような余裕は見えない。
歯を食い縛り踏ん張るダグラエル。続けざまに横へ薙げば、漆黒の鎧に一文字の傷が刻まれる。
そこらのAランククラスなら、今のふた太刀で終わっている。
辛うじてにでも対応できているのは、さすが剣聖と呼ばれるだけあると言うべきか。
さらに三太刀、四太刀と重ねるたびに楯の傷が増える。先ほどのような技の駆け引きではなくなったけど、形勢は確実にこちらに傾いた。
半ば無理矢理差し込まれた反撃を一歩引いて躱し、上段に剣を構える。そして強く踏み込み、斬り下ろし。楯が完全に遮るより早く振るえたクレリプスは、堅牢な黒鉄の角を斬り飛ばす。
欠けた先に見えるダグラエルはほんの一瞬、顔に驚愕の色を浮かべた。
しかし隙になるような動揺ではない。追い討ちは当然のように剣で受けられ、柔らかく受け流される。
対応が早い。十にも満たない剣撃でこの対応ができるか。この辺りは経験の差がありそうだ。
けど、それだけ。逆転できるほどではない。
受けられているのもあの宝剣の強度があってこそ。ルナの封印の鍵、つまりは俺のクレリプスと同格だからこそ砕けずに済んでいるに過ぎない。
いや、それも凄まじい絶技の上にあるものだ。賞賛に値する。
ただ、神の力には、人では抗えない。
一剣士として決着をつけられないのは少し残念ではあるけど、それ以上に彼の矜持に応えることと、復讐を成し遂げることが重要だ。
剣の擦れる音が響くたびに銀の軌跡はダグラエルへと近づく。休む暇を与えない連撃がその腕から力を削ぐ。ついに掠めた切先が赤い線を描き、青いカーペットを黒く染める。
心の臓へ届くのは時間の問題。ますます冷たさを増す銀の刃。その纏うエーテルを、少しばかり自由にしてやる。
刃を受け止めた楯の前面が、一瞬のうちに凍り付いた。剣撃を重ねるごとに氷の範囲は広がり、漆黒の楯を飲み込んでいく。
ダグラエルは、まだ気がついていない。手に伝わる冷気で違和感は覚えているかもしれないけど、死角の異変を知るには至っていない。
月の光は、万物を凍てつかせる。百戦錬磨の彼も、まさか垂れ流しているだけのエーテルで金属の楯が凍り付くとは思わないだろう。
「よくもまあ、それだけの、力を、扱えるものだ、な」
「動かず凌ぐお前も大概だよ」
バジリスクにも正面から押し勝てる程の膂力で切りつけてるんだけどな。
楯の扱いと体の使い方が凄まじく上手いと、これだけの膂力差も埋められるらしい。
しかし、それももうここまでだ。
「砕けるぞ」
反応を示さないダグラエルへ、強めに力を込めた剣を振り下ろす。当然楯で受けるも、彼の思った結果にはならない。
透き通った音と共に黒い金属塊が砕ける。欠片の一つ一つは透明な氷に覆われていて、照明にキラキラと輝く。
無数に舞ったそれらの内には、驚愕に目を見開いた偉丈夫の姿があった。
「楯の性能が仇になったな」
金属すら凍てつかせる冷気も十分には通さず、主を守るはずの断熱性能が、逆に彼から異変へ対処する機会を奪った。運がない、と言っても差し支えないだろうな。
僅かばかり覚えた憐憫を頭の片隅に追いやって、通した道を帰るように切り上げる。遮るはずの楯はもうほとんど原型を留めておらず、機動力を重視するラウンドシールドにも劣る程度の面積しかない。
当然防げるはずもなく腕を切り落とす、と思った剣はしかし、その僅かに残った楯で殴りつけられて軌道を変えた。
切り飛ばせたのは肩のパーツの端だけ。それだけでも甲冑術の制限には十分だけど、今のを対処されるとは思わなかった。舌を巻く他ない。
しかし大勢にはもう影響しない。あとはいつ、この剣がダグラエルの命に届くかだけの戦いだ。どれだけ上手く対処されても、姑息な手にしかなり得ない。
反撃を半身になって避け、切り返す。動体視力も俊敏性も上がっている今なら、技も駆け引きもなくただ見て躱すことすら造作もない。
それ故に対処されてしまっている部分もあるけど、残念ながら、これだけ身体能力に差があると力押しの方が有効だ。これまで通り戦っていたなら、もう少しつけいる隙を与えてしまっている。
刃が閃くたびにダグラエルの鎧が軽くなる。楯が軽くなる。
反撃を躱す際に感じる熱は、垂れ流したエーテルの冷気対策だろう。この期に及んでも、ダグラエルは諦めていない。
むしろ虎視眈々と俺の隙を狙い、剣を突き立てようとしてくる。
一手間違えたら即ゲームオーバーの状況でこの胆力。なるほど、これがレフトアの最後の砦たり得る所以か。
「ハァっ!」
「くっ……!」
鋭く息を吐いての一撃。ついに楯が完全に砕け散った。ダグラエルがたたらを踏む。
もう彼を守るものは無く、ボロボロの鎧の全てが晒される。
体勢を立て直す暇は与えない。さらに深く踏み込み、ダグラエルの胴へ向けて一文字を描く。
「ぐぅっ!」
剣が差し込まれ甲高い音が響く。受け流す余裕はないらしく、銀と銀は十字を作るばかり。しかしそれで今の俺の膂力を抑えきれるわけがない。ダグラエルの両足が床から離れ、後ろへ吹き飛ぶ。
いや、今のはわざと跳んだのか。距離をとってどうするつもりだ?
もう手が残っているとは思えない。思えないけど、なんだか妙な予感がする。どちらかと言えば、悪い予感。
胸騒ぎに従って一気に距離を詰めようとすれば、爆裂魔法が飛んでくる。かなりの威力だ。ルナの結界を信頼しての判断だろうけど、まさか容易く謁見の間を吹き飛ばすような魔法を使ってくるとは。
まともに受けたらさすがにいくらかはダメージを受けそうだ。それ以上に、爆風でできる隙がよろしくない。ダグラエルなら、その一瞬で柔らかな喉を貫くくらいはしてきてもおかしくない。
まあ、まともにくらえばの話だ。正面からなんの工夫もなく撃たれた爆裂魔法なんて、防げないはずがない。
垂れ流していたエーテルを安定させ、魔法の核となっている術式を切り裂く。術式によって現象へ変換されようとしていたエーテルは、そのまま形となることなく、世界を満たす姿のままに霧散した。
足を止めたのは、ほんの一瞬。魔法の背後に彼の姿があるんじゃないかと備えた時間を含めても、瞬き二回分に過ぎない。
その一瞬で、ダグラエルは準備を整えていた。
「まさか、これを使うことになるとはな」
彼は白銀の剣を両手に持ち、刃を見つめるよう逆さ十字に構える。戦いの最中にとるような構えではない。祈るようなその姿は、むしろ、儀式のようだ。剣から漏れ出たエーテルが光を放っていることもあって、ますますそう見える。
何をしようとしているのかは知らないけど、隙だらけだ。今なら、確実にやれる。
「十二柱の神々よ、祖国がため、咎人の力を、我が身に」
祈りの言葉が紡がれきったのは、クレリプスがその首へ届く直前。大きく空けられた距離が、儀式の完了に間に合わせてしまった。
常人どころか超人すらも凌駕するエネルギーの一撃が、ダグラエルから噴き出したエーテルによって阻まれる。
「なっ!?」
体ごと弾かれて再び距離が空いた。それでも肌でたしかに感じられるほどの風がダグラエルを中心に渦を巻いている。
風は眩しいほどの銀光を放っており、感じる力も絶大。少なくとも、人の身で持ちうるものではない。
その事実を示すように、謁見の間の結界内を飾り付けている旗が激しく音を立てながら揺れ、金具ごと引き剥がされて床へ落ちた。
何をしたのかは分からない。どういった儀式だったのかも分からない。
ただ、そのエーテルの光に、見覚えがあった。その熱に、覚えがあった。
「気を付けなさい、アレク」
これまで静かに戦いを見守ってくれていたルナが、わざわざ忠告してきた。やはり、そういうことなのか。
「あれは、私の力、封印されているはずの権能よ」
やはり、そういうことだったのか。
ダグラエルから吹き出し続ける神の力。権能というからには、純粋なエネルギーばかりではないだろう。
そのエネルギー量だけでさえ、今俺が纏っているよりも多いように見える。
気がつけば、剣を握る手に余分な力が入っていた。エネルギーの多寡で勝敗の決まるようなものでは無いにせよ、剣の腕が超一流の域にあることも知っている。
下手をすれば、負ける。ルナの介入するよりも早く首を切りとばされる。
女神の契約者とはいえ、俺も人間なのは間違いない。そうなれば、確実に死ぬだろう。
久しく感じていなかった死の予感。戦いのひりつき。
ドクドクと心臓の鳴っているのは、恐怖からか、興奮からか。
分からない。
分からないけど、剣士としては、嬉しく思う。
名高い剣聖と、父様と張り合ったという頂と、同じ条件で剣を交わせるということを。
彼がエーテルを安定させる間に、深呼吸を一つ。無駄な力を抜いて、構え直す。
「いくぞ」
ダグラエルも剣を構え直した。エーテルは溢れ出したままだけど、用意が調ったらしい。
ならばあとは、どちらかが死ぬまで、切り結ぶだけ。
父様、母様、ルーク。どうか、見ていてください。今、みんなの仇を討ちます。




