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精霊師の末裔が選んだ忘却  作者: 猪口 零都
第三章

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第五十九話

ヴェルシアスの両手から光が溢れた。

次の瞬間、それは波のように広がり、俺たちの体を静かに通り抜ける。


──お前は、記憶操作をされたことがあるのか? ──


ヴェルシアスが俺を見据えて言う。

俺は黙って頷いた。


──契約者よ。望みの変更を求める ──


世界が光に包まれたような状況の中で、ヴェルシアスがアシャンに言った。


「……どういうこと?」


──この人間は、契約者にとって必要な存在ではないのか? ──


「そうよ」


──過去に記憶操作をされた人間に、再び記憶操作をすると、稀に壊れることがある──


ヴェルシアスのその言葉に、アシャンが息を飲んだのがわかった。


「そんなのだめよ! 待って……レオを傷つけちゃだめ」


アシャンが戸惑いながら、俯いた。

……「俺を」傷つけては駄目、か。


「……わかったわ。じゃあ、私とレオを、」

「アシャン」


アシャンが言葉を言い終わる前に、声をかけた。

何かを恐れるような表情で、アシャンは俺に振り返った。


「君の望みはなに?」

「……私は、」

「平凡に、平穏に、暮らすことだろう? その力を覚えている限り、君はきっと怯えたり不安になることがある。そんな心配をしながら、君にこれからを生きてほしくない」


そこまで言って、ヴェルシアスの方を向いた。


「俺は壊れるわけにはいかない。だから俺以外の人間で、彼女の望みを叶えてほしい」

「レオ!」


悲鳴に近い声で、アシャンが俺の名を呼ぶ。


「……俺が君を忘れても、君は覚えていた。今度は俺の番だ。……君のすべてを、俺が覚えている」


しばらく、アシャンは動かなかった。

俺の胸に額を押しつけたまま、何も言わない。

ただ、俺の服を握る手が、少しずつきつくなっていくのがわかった。

震えているのか、堪えているのか。

……どちらでもいい。

アシャンはここにいる。

それだけで十分だ。


「あなたは、ばかよ……」

「今さら? 君が絡むと、俺はどうしようもなく愚かになる」


俺の胸に額を押しつけ、項垂れるアシャンの背を、しっかりと支える。


「ほら、君の精霊が困ってるんじゃないか?君の願いを、もう一度伝えないと」


そう言ってヴェルシアスを見ると、呆れたような表情で俺を見ていた。


──愚かだ。……だが、我の契約者を想う心は好ましい。契約者よ。この人間の言葉が最善であろう ──


その言葉に、アシャンは俺の服をキツく握りしめた。

アシャンは顔を上げ、俺を見てくる。


「大丈夫。君すら知らない君を知っているなんて、悪くない役目だ」


おどけるように言った俺に、アシャンはようやく小さく笑った。

そしてゆっくりと一度目を閉じ、小さく息を吐いた。

再び開いたダイヤモンドの瞳には、もう迷いはなかった。


「ヴェルシアス。私の願いを変えるわ。……レオ以外の全ての人間から、精霊師の記憶を消してちょうだい」


──承知した ──


その言葉と同時に、先ほどよりも強い光の奔流となって俺たちを貫いた。

直後、力を失ったアシャンの体が崩れ落ち、俺は咄嗟に抱きとめた。

徐々に光が収まり、元々の鉱石の光だけが空間に残った。


「……妙だな」


──妙とは何がだ? ──


雰囲気的には記憶操作は行われたはずだ。


「精霊師の記憶を消したなら、俺たちがここにいるのは不自然だ。……てっきり、里に戻されるものだと思っていた」


俺の言葉に、ヴェルシアスはわずかに目を細めた。


──王といえど万能ではない。物質を移すことまでは出来ぬ ──


「なら、この状況を彼女にどう説明する?」


精霊師であるということを忘れたのなら、アシャンにはもう、ヴェルシアスは見えないかもしれない。

そうなると、俺がこの状況を説明しなければいけない。

……滝の裏の奥にあるこの空間を、どう説明しろという。


「記憶操作は消すだけなのか?」


俺の言葉に、ヴェルシアスは顎を少し上げた。


──消すことも、植えつけることも出来る。もっとも、全く存在し得ぬ記憶は与えられぬ。可能性のある事象であれば、形に出来る ──


ヴェルシアスの言葉に、口の端を持ち上げた。


「なら提案だ。この不手際を帳消にしよう。その代わり、アシャンに一つだけ記憶を与えてくれ」


俺の言葉に、ヴェルシアスはピクリと眉を動かした。


──我に過ちなどない ──


「なら過ちではない。……これはアシャンのための提案だ」


ヴェルシアスは一瞬ムッとした顔をしたが、先を促すように顎を上げた。


「俺とアシャンは精霊契約のためにここに来た。でもその目的自体がなくなった、ってことだろう? それで一つ提案がある」


──勿体つけるな。早く言え ──


「ここへ来た理由は消えた。なら……結婚前に、焼けた故郷へ墓参りに来たことにしてくれ」


そう言った俺を、ヴェルシアスはじっと見つめてきた。


──結婚というのは、人間の契約ではないのか? ──


「契約というより、誓いだな」


──どう違う? ──


「契約は条件を交わすものだ。だが誓いは、相手に約束するものだ」


ヴェルシアスは、小さく唸るように呟いた。


──お前が契約者にとって、そこまでの存在かは判断しかねる ──


契約関係にあるからだろう。

ヴェルシアスはアシャンを第一に考えてくれる。


「これは証にならないか?彼女からもらったものだ。そして彼女の腕には、俺が贈ったものがある」


この台座にも、同じ系譜と思われる模様が刻まれている。

だからもしかしたらと思い、ヴェルシアスに腕輪を見せた。

ヴェルシアスがその腕輪を見つめる。

少しの沈黙の後。


──懐かしい紋様だ…… ──


目を細めそう言った。


──互いにつけ合い、契約したのか ──


「……契約? 互いの腕に着けたのは違いないが、そういうこともわかるのか?」


ヴェルシアスが静かに手をかざす。

直後、俺の腕輪から細い光が伸び、眠るアシャンの腕輪へと結ばれた。


──古代契約に用いられた紋様だ。互いに身につけることで成立する。人間の目には見えぬが、確かに繋がっている ──


つまり、この腕輪は本来そういうためのものだったのか。


──良かろう。お前の提案を受けてやる ──


腕輪の繋がりが、何よりの証となったらしい。

再びヴェルシアスが手をかざすと、アシャンの頭部に小さな光が表れ、程なくして消えた。


──これで契約者の願いは叶えられた ──


「……彼女の契約相手が境王で良かった」


俺の言葉に、ヴェルシアスの体が小さく反応した。


──人間にそう呼ばれるのも、悪くない──


「……契約者以外が名前で呼ぶのは畏れ多いだろう?」


──我の瞳を纏い生まれる人間は稀だ。故に、我を認識できる人間も数えるほどしかいなかった。お前に資格はない。だが、その在り方は嫌いではない ──


そう言ってヴェルシアスは、アシャンと同じ、ダイヤモンドの瞳を細めた。


「その目はどうなる? 宝石眼は消えるわけじゃないだろう?」


ふと疑問に思った。

今後精霊師が狙われることはなくとも、宝石眼は狙われるんじゃないのか?


──宝石眼は精霊師の証。その記憶が消えれば、象徴もまた記憶から消え去る ──


それはつまり、宝石眼は少し珍しいだけの瞳になるということ。


「……なら、安心だ」


そこで初めて、張りつめていた息を吐いた。

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