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精霊師の末裔が選んだ忘却  作者: 猪口 零都
第二章

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第四十話

「俺はどのくらい寝てたの?」


体を起こして、軽く首を回しながら聞いた。


「そんなに寝てないけど……」


アシャンは怒りが治まったようで、少し心配そうな顔をしている。

……本当に、表情がクルクルと変わって、見てて飽きない。


「……あの子たちが、あなたは記憶の追体験をしてるだけだからすぐに目を覚ますって言ってたから、そのまま寝かせていたんだけど……」

「追体験、というほど全てをはっきりと思い出したわけじゃないけどね」


困ったように笑う俺に、アシャンは眉を下げて視線を落としていた。


「……あなたは、失くした記憶に触れる時、いつもあんな風に倒れてしまうの?」


ああ、そうか、と気づいた。

また君は、自分を責めているのか。


「普段はここまでじゃないよ。今日は特別じゃないかな?」

「どうして?」

「そりゃあ、」


俺は自分と君を指差して、肩をすくめる。


「君が俺にキスしたのを思い出したから、かな」


その言葉を理解していくにつれ、アシャンの顔が赤みを帯びていく。


「……あっ、あれはだってっ、」

「あ、もしかしてまだ思い出せてないだけで、そういうこと何度かあったのかな?」

「ないわよっ!! あの時だけだわっ!!」


そこまで言うと、アシャンは両手で顔を覆った。


「あれは薬を飲ませようとしただけよ……どうしてそこを思い出しちゃうの……」

「君との思い出は一つ残らず思い出したいんだけどね」

「もうやめて……!」


顔と言わずに全身赤くしそうな勢いのアシャンを見て、さすがに可哀想になってしまった。——いや、可哀想というより、可愛くて仕方がないが、今はここまでにしておこう。


「けどまぁ、そんなわけだから、君は驚いただろうけど、今日は特別だよ。普段はあそこまで酷くないさ」


そう言った俺に、顔に覆っていた手を少しずつ下におろしていった。


「……でも、昼もそうだったけど……。倒れるほどじゃなくても、痛みはあるってことよね」

「まぁそれは精霊も言ってただろう? 記憶操作の代償だ。どうしようもないことだよ」

「そう、かも、しれないけど……」


眉をひそめて、ぽつりと呟く。

このまま放っておくと、また何か、考え出してしまうんだろう。


「ねぇ、それより君の話をしてくれる?」

「……私の、話?」

「ヴァルディアを出てから、どこに向かって、どうしてここに辿り着いたのかとか。そういう話」


目を何度か瞬かせて、アシャンは俺を見る。


「別に、何か大きなことがあったわけじゃないわ」

「小さなことでもいいよ。俺はまだ、君のことをよく知らないからね。君が何を見て、どう思ったのか。そういうことが知りたいんだ」


その言葉に、どこか困ったように笑いながら、ぽつりぽつりと話し始めた。


「ヴァルディアを出て、元々住んでいた森に帰ろうと思ったの」


大切な思い出を、一つ一つ紐解いていくような……。


「白狼団から馬をもらうわけにはいかなかったから、歩いて向かっていたんだけど……」


そんな表情でアシャンは話し始めた。


「街を出て5日目、……じじ様の墓標に花を添えていたら、バイルに見つかってしまって、そこからずっと一緒にいてくれてるの」


アシャンは一度顔を上げ、


「……きっと、心配したじじ様が、バイルに会わせてくれたのよ」


穏やかに微笑みながらそう言った。


「私は、自分が思っていた以上に、狭い世界で生きていたんだ、って。バイルがいろいろ教えてくれるたびに思ったわ」

「……例えば?」


俺の言葉に、アシャンは考えるように斜め上に目をやった。


「そう、ね……。一番驚いたのは、嘘じゃなくても人をあまり信じてはいけない、ってことかしら?」

「……嘘じゃなくても、って……、君は嘘がわかるの?」


アシャンは頷きながら答える。


「ええ。だってあの子たちが、嘘か本当か、教えてくれるもの」


……つまり彼女には嘘は通じないわけだ。

特に嘘をつくことはないが、念のため覚えておこう。


「嘘はついてなくとも人は……特に男の人には下心があるんだから、優しくされてもすぐに信じてはいけないって言われたの」


少し肩を竦めながら、アシャンは言うが……。


「でも嘘をついてないなら、その優しさは本物でしょう? 下心って何? ってなったけど、よくわからなくて……」


少し考えてから、慎重に言葉を選んだ。


「下心っていうのは、優しくする『目的』のことだよ」

「目的?」

「例えば……君を助けたい、という純粋な気持ちじゃなくて。君に好かれたいから、君に近づきたいから優しくする。そういうこと」


アシャンは少し考えてから、


「でも、それも優しさの一つじゃないの?」


その言葉に、思わず苦笑いが出た。


「俺は、バイルが正論を言ったんだと思うけど?」

「あなたまでそんなこと言うの!?」


俺の言葉に、アシャンは驚いた顔をした。

だが驚きたいのは俺の方だ。

下心って何、だって?

君の見た目でそんなこと口にした日には、どうなるか少し考えたらわかるだろう。

……と、言いたい気持ちをグッと飲み込んだ。


「優しさが本物なら、隠してる心だって優しいと思うんだけど」

「優しさのない心を隠せる奴なんて、いくらでもいるさ」

「……バイルと同じことを言うのね。やっぱり人の気持ちは難しいわ……」


アシャンは困った顔をして、ため息を吐いた。

……人間なんて、下心がない奴の方が少ない。

なのに上辺が優しいから、本心も優しいだと?

無自覚でいるには危なすぎる。

アシャンの言葉を反芻しながら、眉を顰めた。


「話が逸れちゃったけど……。バイルと二人で森の家に向かったの」


家の話をした途端、表情を暗くした。


「……聞いてはいたけど、本当に、家は荒らされていて……血の痕もあったわ」


……そうか、だからヴァルディアに連れてきたのか。


「バイルは、白狼団で襲撃相手を……いるなら黒幕も含めて、詳しく調べてるって言うの。それでもここは危ないから、ここから離れよう、って」


俺の怪我が、彼女のせいだと言うなら、仕掛けてきたのはその襲撃者たちだろう。

だがガルドからは何も聞かされていないところをみると、恐らくケリは着いたんだろうな。


「バイルは私が行きたいところに連れて行くと言ってくれたわ。でも行く宛もなくて……」


少しだけ遠い目をしながら、アシャンは言う。


「……ヴァルディアを離れる前、たまたま、ばば様が西部出身かもしれないってわかったから、なんとなく、西部に行ってみたいって言ったの」


……この腕輪も、西部のお守りだと言ってたな。

これを購入したのは、そういう理由もあったのかもしれない。


「それで家を片づけて、……ばば様の墓標にも花を添えて、森を出た」


彼女の口からは「じじ様」と「ばば様」しか出て来ない。

……なら他の家族は恐らく……。


「ここに向かう途中でね。ほら、私とバイルって同じ髪色でしょう? だから姉弟と間違われて。バイルったら、そこから他の人に関係性がすぐにわかるからって、私を姉さんて呼ぶようになったのよ」


思い出して、クスクスと笑いながら言う彼女。

……それを聞いたガルドが、「手のかかる姉」と言ったわけか。


「ここに辿り着けたのは本当に偶然なの。ここから2日くらいかかる、街道沿いの大きな街があるんだけど。そこで困っていた人を助けたら、その人が自分は街で娘夫婦と暮らすからここを買わないか、って言ってくれて。そんなにたくさんお金ないって言ったら、ゆっくりでいいから返してくれれば良い、って言われてここに住むことにしたの」


街道沿いの街というのは、俺が通ってきたあの街のことだろう。


「そんな良い条件を出してくれるなんて、何したの?」

「大袈裟なことなんて、何もしてないわ。膝が痛くて辛そうにして座っていたから、声をかけて膝の痛みを緩和する薬を塗ってあげたの。その後で、バイルが娘さんの家までおんぶしていったのよ」


普通のことでしょ? とでも言いたげに彼女は言う。

……その普通が、世の中できない人が多いということに、気づく日は来るんだろうか?


「それで庭つき一軒家に住めたわけだ」

「そうよ。ばば様から困ってる人には親切にしなさい、って言われてただけあるわ。こんなに良くしてくれるんだもの」


どこか誇らしげに、彼女は微笑む。

それはその人がたまたま良い人だったからだろう?

ここまでの話を聞いて、彼女にバイルをつけていたことは大正解だったと言える。

何よりも、バイルがずっと彼女の側にいてくれたことを心底感謝した。

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