第三十六話
「……君は、何か知っているの?」
そう言う俺に、アシャンは開きかけていた口を、キツく結んだ。
「誤解しないでほしい。俺は君を責めたいわけじゃない」
その言葉に俺を見て、
「……あなたはいつも、そう言ってくれるのね」
本当に苦しそうに言った。
「当然だろう? 少なくとも俺は、好きな女性を責めたりしない」
懺悔するように組まれた手に触れる。
彼女の少し冷たくなった指先が、俺の熱にゆっくり馴染んでいく。
「……あなたが記憶を失くしたのは、私のせいだから」
意を決したように息を吸い込み、彼女は言った。
「……それは、君の精霊師としての力か何かで?」
「どうしてそれを……」
アシャンは驚いた顔をして、俺を見る。
「んー……、俺なりの推理、ってところかな。断片的に見ていた夢は、たぶん俺自身の記憶で……。夢だから全部を覚えてるわけじゃないけど、引っかかる言葉があったからさ。当たりみたいだね?」
俺の言葉に、彼女は一瞬躊躇いを見せたけど、小さく ──でも否定できないほど確かに頷いた。
「正確には、まだ契約していないから精霊師ではないけど……それでも、交流はできるの……」
祖母の故郷を探していた頃、精霊師について調べたことがあった。
確か契約をしてから精霊と交流するとあったと思ったが……。
……俺の読んだ本が、すべてじゃなかったのか?
「あの子たちは、悪気があってしたんじゃないの。……ただ、私の強い願いを叶えてくれただけ」
「……強い願い?」
彼女の顔を見ると、煌めく光を宿したその瞳が潤んでいた。
「……あなたがもう、怪我なんかせず、安心して生きていけるようにって言う願い」
「え?」
裏返った俺の声を聞いた彼女は、ひどく申し訳なさそうな顔で俯いた。
……俺が安心して生きていけるように?
でもなんでそれが……。
「どう記憶喪失と繋がるの?」
一瞬、視線を床に落とし唇を噛んだ彼女。
次の瞬間、大きく息を吸い込んだ。
「あなたが巻き込まれたのは、私のせい。私がいなければ、あなたは怪我をしない。……なら、あなたの中から私の存在そのものを消してしまえば、あなたは安心して暮らせる。……それが、あの子たちの考えだった」
その言葉は、想像していたよりもずっと深く、胸に突き刺さった。
「だからあなたは、」
「ごめん、ちょっと待って。少し整理させてくれ」
……俺が安心して生きられるように「願った」から、記憶を消された?
精霊師に ── しかも契約前の精霊師に、そんなことが可能なのか?
他人の記憶を操作できる。
それも、願っただけで。
……もしこの力が悪用されたら?
もし、誰かの手に渡ったら?
考えながら、俺はアシャンを見た。
彼女は今、自分を責めている。
この力を、誰よりも恐れているのは、彼女自身なんだ。
だからこそ ── 隠れて生きていた。
その瞬間、脳裏にいつかの記憶が蘇った。
── 透明な瞳ほど、精霊との親和が高い。……それが精霊師の常識だ。だが……ダイヤモンドのような瞳など、この子に会うまで、ワシは見たことがない ──
「っ……」
「レオ!」
肩を掴まれる感触で、現実に引き戻される。
──本来なら里の祭壇で儀式を経て、初めて精霊と契約が結ばれ交流が始まる。……にも関わらず、この子はすでに精霊と会話ができておる。契約すれば、どれほどの力を引き出すのか……考えるだけで背筋が寒くなる。……それこそが、今もこの子が狙われ続ける理由だろう ──
「レオ!」
頭の奥に、鈍い痛みが走る。
……あぁ、そうだ。
だから俺は ──
「……やっと名前を呼んでくれた」
「え?」
「……俺が来てから、一度も名前を呼んでくれなかっただろう? もう名前を忘れられているのかと思ったよ」
「わ、たし、は……」
アシャンの頬に手を添える。
その瞳を、逃がさないように真正面から捉えた。
「ダイヤモンドだ。……やっと思い出した。君の瞳が、何色なのか」
俺の言葉に、彼女は目を伏せた。
「……この子たちは、表層の記憶にしか触れられないの……。あなたのその記憶は、魂に刻まれたものだから消えなかった、って言ってるわ」
精霊たちは、俺の「思い出した」という言葉に反応したようだ。
「今も精霊たちと交流できるの?」
「ええ」
「じゃあ伝えてくれる? 君たちのお陰で、またアシャンを好きになれたって」
その言葉に、アシャンは一瞬目を見開いた。
そして赤い顔してグッと強く目を閉じた。
「何か言ってない?」
「……喜んでるみたい。すごく」
「なら良かった。……でも出来れば、記憶に触れるたびに起こる頭痛をどうにかしてもらえると嬉しいんだけどね」
アシャンは、何もない空間を見つめた。
「記憶操作の代償だから、どうにもできないって」
「そうか、それは残念だ」
「……ごめんなさい」
アシャンの声が震える。
「これは俺が選んだことだ。君を知ろうとする対価なら、安いものさ」
当面は、この頭痛と付き合って生きていくことになりそうで、思わず息を吐いたものの。
自身を責めるかのような表情のアシャンを安心させるべく、彼女に笑顔を向けた。
「……どうして、記憶を戻せるか聞かないの?」
どこか不安そうに聞いてくるアシャン。
「んー……、頼めば元に戻るのかもしれない。でも俺のことで、そんなことしてほしくないし、それに……記憶がないからこそ、わかったこともある」
「え……?」
「君がどれだけ大切な存在だったか。君を失うことが、どれほど辛いか。……記憶がなくても、心が教えてくれたんだ」
一度息を吸い、続ける。
「だから、もう一度、真っさらな気持ちで君を好きになることができるなら……それは、きっと幸せなことなんだと思う」
そう言った俺に、困ったように眉を寄せながらも、どこか嬉しそうに笑っているように見えた。




