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『みちくさ先生の魔法学園改革記』1年目1学期「いつも赤字続き」編  作者: 風待 行燈
第1章 『華麗ならぬ改革元年』

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第9話 千年の学園を守る者たち


  王立魔法学園の理事会室には、長い楕円形の机が置かれていた。


 窓の外には、初夏の光が差し込んでいる。


 遠くから聞こえてくる生徒たちの歓声は、厚い扉に遮られ、かすかな響きになっていた。


「それでは、始めよう」


 理事長にして大貴族のエドガー・フォン・リヒテンベルクが口を開いた。


 机の周囲には、王国宰相のロデリック・フォン・クラウゼン、教育長官イザベル・ローワン、


 商人評議会代表ヴィクトル・ヴァレンティーニ、エルフ王国代表セレスティア・ヴェルディス、


 ドワーフ王国の外交大使ショウ・コウセツ、


 そして学園長マッテオ・フォン・ツェーリンゲンが顔を揃えていた。


 財務担当のオルガ・ハルデンも、資料を手に席についている。


 エドガーは全員を見渡した。


「本日の議題は、学園の財政状況と、今後の運営方針についてだ」


 オルガが立ち上がった。


「まず、現在の収支についてご説明します」


 机の上に配られた資料には、細かな数字が並んでいた。


「今年度も、現状のままでは相当額の赤字が見込まれます。


 設備の維持費、教員の人件費、実習用の魔法素材、各種行事の運営費。


 いずれも必要な支出ですが、収入が追いついておりません」


 ヴィクトルが資料をめくった。


「必要な支出、という言葉は便利ですな」


 オルガは顔を上げた。


「何かご意見が?」


「商売をしていれば、必要な経費などいくらでも出てくる。


 問題は、それに見合う収入があるかどうかでしょう」


「その点は、わたしも同じ認識ですな」


 オルガは落ち着いて答えた。


「ただ、削減によって教育の質を落とせば、学園の価値そのものが損なわれる可能性があります」


「だから難しいのでしょうな」


 ヴィクトルは肩をすくめた。


 イザベルが資料を揃えた。


「教育のクオリティについては、私からも申し上げたいことがあります」


 落ち着いた声だった。


「この学園が千年にわたって高い評価を受けてきたのは、

 優秀な魔術師を数多く輩出したからだけではありません。

 優れたタレントを持つ者にも、

 まだ自分のタレントに気づいていない者にも、学ぶ機会を与えてきたからです」


 エドガーが頷いた。


「確かに、その理念は本学園の根幹だ」


「教育とは、すでに優秀な者を選び出すことではありません。


 生徒一人ひとりのポテンシャルを見出し、社会に貢献できる力へと育てることです」


 イザベルは一同を見渡した。


「そして、そのレスポンシビリティを個々の教師の献身だけに委ねてはなりません。


 どの教師から学ぶ生徒にも、一定以上の教育の質を保証する。


 そのためには、優れた指導法を共有し、学園全体の教育水準を高める仕組みが必要です」


「立派なお考えですな」


 ヴィクトルが言った。


「ですが、その制度を維持するための金が足りない。そこが今日の問題でしょう」


「ええ。ですから、私は支出の見直しに反対しているわけではありません」


 イザベルはすぐに答えた。


「ただし、何を残し、何を改めるかを決めるには、


 まず教育上の価値を正しく評価しなければなりません。


 短期的なコストだけで判断すれば、長期的に大きな損失を生むこともありますから」


 大商人は小さく頷いた。


「その点には異論ありません」


 セレスティアが静かに言った。


「千年いう歳月は、長いようで短いもんどす」


 一同の視線が集まる。


「この学園は、幾度も時代の移り変わりを見てきました。


 学ぶ人が変わり、教える人が変わっても、それでも大切に受け継いできたものがあります」


「伝統を守るべきだと?」


 ヴィクトルが尋ねた。


「守らなあかんもんは、建物や行事の形だけやおへん」


 セレスティアは穏やかに答えた。


「この学園で何を学び、何を次の世代へ渡していくんか。


 その問いだけは、忘れてしもうたらあきまへんなあ」


 コウセツが腕を組んだ。


「ええお話やと思います。せやけど、道具いうもんは、手入れせんかったら壊れます」


 落ち着いた、よく通る声だった。


「古いから残す、新しいから変える。


 それだけで判断するんは、ちょっと違いますな。使えるもんは直す。


 足りんもんは作る。まずは何が必要で、何がそうでないんか、きちんと確かめることですわ」


「具体的には?」


 エドガーが尋ねた。


「実習設備ですな。高価な魔法素材を使う授業もあれば、工夫次第で費用を抑えられる授業もあります。


 現場の教師と技術者に調べてもろたら、改善できるところはあると思います」


 オルガが頷いた。


「検討する価値はありますな」


「ただし、安もんに替えたらええ、いう話やありません」


 コウセツは静かに付け加えた。


「粗悪な道具で生徒に怪我でもさせたら、何のための教育か分かりませんからな」


 ロデリックは、ここまで黙って議論を聞いていた。


 やがて、机に置いた資料を閉じた。


「皆の意見は理解した」


 その声に、室内が静かになった。


「この学園は、王国が誇る教育機関だ。


 財政の健全化は必要だが、数字を整えることだけを目的にしてはならん」


 ヴィクトルが頷いた。


「もちろんです」


「同時に、伝統を理由にすべてを現状維持とすることもできない」


 ロデリックは一同を見渡した。


「我々が考えるべきは、この学園をどうすれば次の百年、さらにその先へ残せるかということだ」


 エドガーは深く頷いた。


「異論はない、な」


「ならば、議論を具体的なものに進めよう」


 ロデリックはマッテオへ視線を向けた。


「学園長。現場で始まった新しい取り組みについて、報告をお願いしたい」


     


 マッテオは、レオンが提案した少人数指導について説明した。


 生徒それぞれの得意分野と課題を見極め、


 従来の授業だけでは十分に伸ばしきれない能力を育てようという試みだった。


「現在は、限られた人数を対象に進めております」


「それは興味深い試みですね」


 イザベルが言った。


「これまでの教育課程を否定するのではなく、その上に個別の指導を加える。


 生徒の可能性を広げる方法として、十分に検討するヴァリューがあります」


「ありがとうございます」


 マッテオが答えた。


「ただ、一つ確認させてください」


「何でしょう」


「今回の試みで得られた成果は、どのように学園全体へ還元するお考えですか」


 マッテオはとぼけた笑みを浮かべた。


「まずは指導内容と生徒の変化を記録し、教員間で共有する予定です」


「よい方針だと思います」


 イザベルは頷いた。


「優れた指導法は、一人の教師だけのものにしておくべきではありません。


 別の教師が担当しても、同じように生徒の成長を支えられる。


 そのような形に発展させられれば、学園全体の財産になります」


 彼女は矢継ぎ早に言葉を継いだ。


「今回の試みは、いわば小規模なトライアルです。


 成果が確認できれば、その経験をベストプラクティスとして共有し、


 ほかの授業にも応用できるでしょう」


「しかし、費用はすぐに発生する」


 ヴィクトルが言った。


「教員の時間も、設備も、すべて費用です。成果が不確かな取り組みに、どこまで資源を使うのか」


 マッテオは穏やかに答えた。


「その判断のためにも、まずは小規模に試しているのです」


「失敗した場合は?」


「原因を調べ、必要なら方法を改めます」


「では、その間に使った費用は?」


「戻りません」


 あまりにあっさりした答えに、ヴィクトルは思わず目を見開いた。


 マッテオは続けた。


「だからこそ、何も考えずに規模を広げるつもりはありません」


 コウセツが小さく笑った。


「試作品と同じですな。最初から何もかもうまいこといくんやったら、職人は苦労しませんわ」


「ええ。ただし、教育には試作品と異なる点があります」


 イザベルが言った。


「相手が生徒であることです」


 コウセツは、興味深そうに彼女を見た。


「失敗を恐れて新しいことを試さなければ、エデュケイションは進歩しません。


 ですが、生徒の成長に関わる以上、失敗から何を学び、


 次の指導にどう生かすかまで責任を持つ必要があります」


 イザベルはマッテオへ向き直った。


「私は、この取り組みを支持したいと思います」


 エドガーが顔を上げた。


「教育長官としても、ですかな」


「もちろんです」


 イザベルは迷わず答えた。


「現場の教師が生徒の可能性を信じ、新しいメソッドを模索する。


 その努力を、制度が妨げるようなことがあってはなりません」


 マッテオが深く頷いた。


「心強いお言葉です」


「ただし、成果が出た場合には、ぜひ他の生徒たちにも恩恵が及ぶ形を考えていただきたいのです。


 教育への投資は、王国の未来を担う人材への投資でもあるのですから」


「承知しております」


 ロデリックが口を開いた。


「では、現段階では試行を継続し、一定期間ごとに成果と課題を報告する。それでよいな」


 エドガーが頷いた。


「妥当だろうな」


「費用についても、既存の予算の範囲で管理を徹底していただきたい」


 オルガが言った。


「承知しております」


 マッテオが答えた。


 ロデリックは学園長へ視線を向けた。


「君の務めを果たしてくれ」


 ロデリックは周りを見渡した。


「新しい教育を試みる者には、挑戦する機会が必要だ。王国としても、その姿勢は支持する」


「ありがとうございます」


「ただし、挑戦すること自体を成果と取り違えてはならん」


「肝に銘じます」


 エドガーは議事録に目を落とした。


「では、次の議題へ移ろう」


「その前に、一つよろしいでしょうか」


 ヴィクトルが手を上げた。


「レオン先生の指導法については理解しました。しかし、その成果をどのように判断するのでしょう」


「指導記録と生徒の成長を確認します」


 マッテオが答えた。


「それだけでは、評価する側の主観が入りませんかな」


 ヴィクトルは資料を閉じた。


「生徒が成長したと言うのは簡単です。


 しかし、ほかの教師の指導と比べて、どれほどの効果があったのか。


 それを判断する材料が必要でしょう」


「もっともな意見ですな」


 エドガーが頷いた。


「実は、その件について、事前に一つ提案が出ております」


 ロデリックが顔を上げた。


 エドガーは、手元の書類を一枚取り出した。


「朱雀祭の神舞戦についてです」


「神舞戦?」


 ヴィクトルが聞き返した。


「ええ。レオン先生に新しいチームを編成していただき、


 今年の朱雀祭でベスト4を目指してもらう、というものです」


 ヴィクトルは眉を上げた。


「ベスト4とは、随分と高い目標ですな」


「しかも、条件があります」


 エドガーは続けた。


「過去に入賞経験のある生徒は、チームに加えてはならない」


「なるほど」


 ヴィクトルは腕を組んだ。


「既に実績のある生徒に頼らず、指導の成果を示すわけですな」


「そのとおりです」


 イザベルが口を開いた。


「この件については、赴任前にハーグリーヴス先生とも協議しております」


「ご本人は、何と?」


 セレスティアが尋ねた。


「引き受ける、と」


 エドガーが答えた。


 ヴィクトルは目を丸くした。


「それはまた、思い切った先生ですな」


「ええ。実に」


 エドガーは穏やかに答えた。


 そして、宰相へ視線を向けた。


「ロデリック殿も、あの場におられましたな」


「もちろんだ」


 ロデリックは静かに頷いた。


「レオン先生は、実に前向きだった」


「左様でしたな」


 二人は短く微笑み合った。


「ただし、一点、確認しておきたいことがあります」


 イザベルが言った。


「神舞戦の成績は、教育改革の成果を評価するための指標の一つです。


 それだけで指導法の価値を決めることは、適切ではありません」


「それには同意します」


 セレスティアが頷いた。


「勝つことだけが、生徒さんの成長やおへんからなあ」


「とはいえ、明確な目標があることにも意味があります」


 ヴィクトルが言った。


「達成できれば、学園にとっても大きな成果でしょう」


 コウセツが腕を組んだ。


「条件としては厳しいですな。


 けど、本人が引き受けたいうなら、挑戦させてみる価値はあると思いますわ」


 マッテオが頷いた。


「私も、レオン先生の指導を見ております。試みを続ける機会は与えたいと思いますな」


 エドガーは一同を見渡した。


「では、議案を採決に付します」


 室内が静かになった。


「レオン・ハーグリーヴス先生には、今年の朱雀祭において、


 過去に入賞経験のない生徒のみでチームを編成し、


 神舞戦ベスト4進出を目標としていただく。


 この提案に賛成の方は、挙手をお願いします」


 イザベルが手を上げた。


 続いて、ヴィクトル、セレスティア、コウセツ、マッテオ。


 ロデリックも、静かに右手を上げた。


 最後にエドガーが手を上げた。


「賛成七名。全会一致ですな」


 エドガーは手を下ろした。


「本議案は可決されました」


 イザベルが資料に目を落とした。


「では、評価に必要な記録と報告の方法についても、早急に整理する必要がありますね」


「その件は、学園長と協議していただきたい」


 エドガーが答えた。


「承知しました」


 ロデリックは黙って議事録を眺めていた。


 エドガーも、それ以上は何も言わなかった。


     


 理事会が終わったあと、ロデリックは学園長室に立ち寄った。


「随分と思い切った条件を、正式に決めましたな」


 マッテオが言った。


「そう思うか」


「ええ。朱雀祭のベスト4は、簡単な目標ではありません」


「分かっておる」


 ロデリックは椅子に腰を下ろした。


「……あの男、本当にやるつもりなのだろうな」


「レオン先生ですか?」


「ほかに誰がおる」


 マッテオは小さく笑った。


「赴任前のあの場でも、随分と楽しそうでしたな」


「そうだったな」


「宰相閣下も、実に落ち着いておられました」


 ロデリックはマッテオを見た。


「……何が言いたい」


「いえ、別に」


 マッテオはとぼけた笑みを浮かべた。


「ただ、面白い先生をお招きになったものだと思いましてな」


「妙なところで頑固な男だ」


 ロデリックは小さく息を吐いた。


「周りを振り回すしな」


「それは、確かに」


 二人は顔を見合わせ、笑った。


「正式決定については、本人に伝えておいてくれ」


「承知しました」


 扉に向かいかけたロデリックが、ふと思い出したように振り返った。


「そういえば、レオンは故郷の話をすることがあるか?」


「いいえ。少なくとも、私の前では」


「そうか……」


 それだけ言って、ロデリックは部屋を出ていった。


 マッテオはしばらく扉を眺めていたが、やがて机の上の書類へ視線を戻した。


     


 その日の放課後。


 レオンは、空いている実習室でアルタンと向かい合っていた。


「今日は、ちょっと難しいことを試してみましょう」


「難しいこと?」


「幻術を使って、相手の注意を別の場所へ向ける練習です」


 アルタンは興味深そうに顔を上げた。


「ほう。そりゃ面白そうじゃの」


「ただ姿を変えて見せるだけでなく、相手が何を見ているか、何を見ようとしているかを考えるんです」


 レオンは机の上に三つの小さな木箱を並べた。


「このうち一つに、銀貨を入れます」


「銀貨?」


「ええ。アルタン君がどの箱に入れたか、私に分からなくしてみてください」


 アルタンはにやりと笑った。


「それなら任せちょき」


 彼は木箱に手をかざした。


 三つの箱の輪郭が揺らぎ、やがて同じ形の箱がもう一つ現れた。


「ほう」


 レオンは感心した。


「見事ですね」


「まだまだじゃ」


 アルタンは得意げに笑った。


 レオンは四つの箱を眺めた。


「では、今度はもうちょい条件を増やしましょう」


「条件?」


「箱を増やすだけでなく、私の視線を誘導してみてください。


 どこに注意が向くか、どうすれば判断を誤らせられるか。その順序も考えてみましょう」


 アルタンは頷いた。


「分かった」


 再び幻術を使う。


 箱が揺らぎ、机の上に淡い光が走った。


 しかし、今度はうまくいかなかった。


 増えた箱の輪郭が崩れ、すぐに消えてしまった。


「あれ?」


「もう一度やってみましょう」


 アルタンは唇を尖らせた。


 再び試す。


 また失敗した。


「……おかしいのう」


「一度に全部を考える必要はありません。まず、私がどこを見ているかを観察してください」


「うん」


「そのうえで、どのように視線を動かすか考えましょう」


 アルタンはもう一度、木箱に手をかざした。


 今度は箱が増えなかった。


 実習室に、短い沈黙が落ちた。


「今日はここまでにしましょうか」


 レオンが言った。


「……そうじゃの」


 アルタンは机の上の木箱を見つめた。


「さっきまでは、うまくできちょったんじゃが」


「ええ。最初の幻術は素晴らしかったですよ」


「そうかの」


「次は、もう少し簡単なところから始めましょう」


 アルタンは頷いた。


 木箱を片づけるレオンの横で、アルタンは黙って鞄を持ち上げた。


「ほいじゃ、先生。またの」


「はい。お疲れさまでした」


 アルタンは実習室を出ていった。


 廊下を歩きながら、彼は自分の手を見下ろした。


 指先を軽く動かす。


 小さな銀貨の幻が現れ、すぐに消えた。


 いつもなら、こんなことを考えずにできた。


 アルタンは手を握り、足を速めた。


     


 その日の宵。


 レオンは実習室に残り、今日の指導内容を記録していた。


 最初の幻術は成功。


 条件を増やした段階で失敗。


 集中力の低下。


 視線誘導の理解が不十分。


 そこまで書いて、ペンを止めた。


「……やや急ぎすぎましたかね」


 独り言だった。


 机の上には、アルタンが使った三つの木箱が並んでいる。


 レオンはその一つを手に取った。


 最初にアルタンが見せた幻術を思い出す。


 あのとき、彼は本当に楽しそうだった。


 レオンはゆっくりと木箱を眺めてから、記録の最後に一行を書き加えた。


『次回、課題の難易度を再検討する』


 窓の外では、朱雀祭に向けた練習が続いていた。


 熱気を帯びた声が上がる。


 誰かが笑う。


 レオンは記録を閉じ、静かに立ち上がった。



---第9話完---

 

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