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『みちくさ先生の魔法学園改革記』1年目1学期「いつも赤字続き」編  作者: 風待 行燈
第1章 『華麗ならぬ改革元年』

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第6話 炎と水のエルフ

 

  炎が、花のように開いた。


 青白い火が空中で五枚の花弁を形作り、ゆっくりと回転する。


 その中心に立つ少女は、静かに右手を掲げていた。


 長い髪が、魔力の流れに揺れる。


 整った顔立ちに、澄んだ瞳。すらりとした立ち姿には、どこか近寄りがたい気品があった。


 リシア・アウローラ・マリヌス。


 四年生のハーフエルフである。


「見事ですね」


 セレナ・ヴァレンティーニが微笑んだ。


 普段は歴史の授業を担当することが多いが、魔法実技でも教壇に立つ教師だった。


「陰火の制御は申し分ありません。では、次は陰水を」


「はい、セレナ先生」


 リシアが右手を下ろす。


 青白い炎は、音もなく消えた。


 今度は左手を上げる。


 空気中の水分が集まり、透明な水の帯となって宙を舞った。


 細い帯は幾重にも重なり、やがて美しい螺旋を描く。


 見学していた生徒たちから、感嘆の声が漏れた。


「すごい……」


「あれだけの量を、あんなに細かく……」


 リシアは表情を変えず、静かに水を消した。


「結構です。魔力の収束も安定していますね」


「ありがとうございます」


 丁寧に一礼する。


 その姿は、どこから見ても優秀な魔術師の卵だった。


     


 リュケイオン王立魔法学園の実技演習場は、校舎の東側にあった。


 厚い石壁に囲まれた広い空間には、魔力の暴走に備えた結界が幾重にも張られている。


 今日の授業は、複数の術式を扱う応用実技だった。


 単独の魔術を正確に発動させること。


 続いて、異なる術式を組み合わせること。


 そして最後に、それぞれの魔力の流れを安定させること。


 上級生にとっても、決して簡単な課題ではない。


「次の方」


 セレナに呼ばれ、一人の少女が前に出た。


 姿勢がよく、教科書を抱えた腕にも無駄な動きがない。


 少女は指定された位置に立ち、深く息を吸った。


「始めます」


 術式が展開する。


 魔力の流れは丁寧で、発動の手順にも乱れがない。


 課題は、きちんと成功した。


「よくできました」


「ありがとうございます」


 だが少女は、眉をわずかに寄せた。


「先生、最後の魔力の収束が、わずかに遅れたと思うのですが」


「よく気づきましたね。最後に魔力を戻す際、少し力が入りすぎていました」


「やはり、そうでしたか」


「ただ、術の形そのものは安定しています。次は収束の速さより、力を抜くことを意識してみてください」


「はい!」


 少女は真剣に頷き、席へ戻った。


 手元のノートには、すでに細かな反省点が書き込まれている。


 その次に呼ばれたのは、一人の男子生徒だった。


 銀髪銀眼の少年は静かに立ち上がり、演習場の中央へ歩いた。


「準備は?」


「できています」


「では、始めてください」


 側頭部を短く刈り上げた銀髪に軽く触れながら、少年が片手を上げる。


 術式が展開し、精緻な結界が瞬く間に形成された。


 魔力の流れに乱れはない。


 余計な動作もない。


 まるで、最初から完成した形を知っていたかのようだった。


「見事です」


「ありがとうございます」


「ではさらに難しい条件でも試してみますか?」


 あどけなく笑いながら少年はセレナを見た。


「それも今日の課題ですか?」


「いいえ。追加の練習ですが」


「では、結構です」


 そう言って、少年は席へ戻った。


 セレナは一瞬だけ目を瞬かせた。


 周囲の生徒たちも、怪訝そうに彼を見送った。


 少年自身は、まったく気にしていない様子だった。


     


「では、リシアさん。次の課題に進みましょう」


「はい」


 リシアは再び中央に立った。


「陰火と陰水。二つの術式を同時に維持してみてください」


「承知しました」


 右手に炎。


 左手に水。


 それぞれを発動させることなら、難しくはない。


 エルフの少女は右手を上げた。


 青白い炎が灯る。


 続いて左手を上げる。


 水が集まり始めた。


 その瞬間だった。


 炎が揺れた。


 水の帯が形を崩す。


 リシアの眉が、わずかに動いた。


 魔力の流れを整え直す。


 炎が強くなる。


 水が薄くなる。


 水を保とうとすると、今度は炎が消えかける。


「……っ」


 次の瞬間、両方の術式が崩れた。


 水が床に落ち、炎は霧散した。


 演習場が静かになった。


「いったん、そこまでにしましょう」


 セレナが言った。


「……はい」


 リシアは一礼した。


 声は落ち着いていた。


 表情も変わらない。


「陰火を維持している間に、陰水へ魔力を流そうとしましたね」


「はい」


「そのとき、最初の術式に必要な制御が緩んでいます。魔力量の不足ではありません」


「……承知しております」


「分かっていることと、実際に制御できることは別です。まずは流れを切り替える練習から――」


「先生」


「はい?」


「もう一度、お願いします」


 セレナはエルフの少女を見つめ直した。


「分かりました。では、今度は発動の順番を変えてみましょう」


「ありがとうございます」


 リシアは再び両手を上げた。


 先に水を作り、そこへ炎を重ねる。


 しかし、結果は同じだった。


 術式が崩れ、魔力が霧のように散る。


「……もう一度」


 リシアが言った。


「リシアさん」


「今のは、流れを合わせる位置が違っていました」


「それは分かりますが――」


「次は修正できます」


 セレナは首を横に振った。


「今日はここまでにしましょう」


 リシアは微笑んだ。


「お気遣いありがとうございます」


「ええ」


「ですが、まだ疲れておりませんので」


「疲労だけの問題ではありません」


「では、続けてもよろしいのでしょうか?」


「……そういう意味ではありませんよ」


 近くにいた生徒が、小さく吹き出した。


 リシアはそちらを見た。


 生徒は慌てて顔を伏せた。


 セレナは声を荒げなかった。


「今の二回で、確認できたことがあります。発動の順番を変えても、同じところで制御が崩れましたね」


「……はい」


「それなら、次は何を変えるべきか考えましょう。同じことを繰り返すより、その方が役に立つはずです」


 リシアはかすかに眉にしわを寄せていた。


「……承知しました」


 そして、一礼して席へ戻った。


 歩き方も、姿勢も、普段と変わらない。


 ただ、膝の上に置いた手が、ぎゅっと握られていた。


     



 授業が終わると、生徒たちは次々に演習場を出ていった。


 先ほどの真面目そうな少女は、セレナに質問をしている。


 展開した結界を操作する術式について詳しく聞いていた。


 あの男子生徒は、もう姿が見えない。


 リシアは、まだ席に座っていた。


 開いたノートには、二つの術式の構造が描かれている。


 陰火。


 陰水。


 どちらも理解している。


 どちらも使える。


 なのに、同時に使おうとすると崩れてしまう。


「……どうして」


 小さく呟いた。


 ふと、幼い頃の光景が浮かんだ。


 母の手のひらに灯る、柔らかな炎。


 父が指先で描いてみせた、透き通る水の輪。


 人間族の母は火行の魔術を得意とし、エルフ族の父は水行の魔術を得意としていた。


 幼いリシアにとって、どちらも美しく、どちらも憧れだった。


 初めて陰火を発動できた日、母は喜んでくれた。


 陰水を使えるようになった日には、父が何度も褒めてくれた。


 だからこそ、思ったのだ。


 二人の魔術を、自分はどちらも使えるのだと。


 けれど、二つを同時に使おうとした途端、何もかもうまくいかなくなった。


 母も父も、無理をする必要はないと言ってくれた。


 それでも、リシアは納得できなかった。


 両方とも、自分の中にあるのに。


「リシアさん?」


 顔を上げると、レオンが立っていた。


「レオン先生」


「授業は終わったと聞きましたが、まだ残っていたんですね」


「気になるのでつい、復習をしておりました」


「そうですか」


 レオンはノートに目を落とした。


 丁寧に描かれた術式。


 何度も書き直された線。


 余白には、小さな文字で計算式が並んでいる。


「ずいぶん熱心ですね」


「できないことがございますので」


「先ほどの課題ですか?」


「ご存じなのですか?」


「セレナ先生から、ちょっと伺いました」


 リシアはノートを閉じた。


「お恥ずかしいところをお見せしました」


「恥ずかしいことではありませんよ」


「……そうでしょうか」


「少なくとも、私はそう思います」


 リシアは静かにレオンを見た。


「先生は、魔力の量と魔術の技量は、必ずしも一致しないとお考えですか?」


「ええ。そうですね」


「私も、そう教わりました」


 リシアは膝の上で指を組んだ。


「ですが、納得できないのです」


「何にですか?」


「私には、十分な魔力があります。術式も理解しております。練習も重ねてきました」


 声は穏やかだった。


「それでも、できない」


「……」


「努力が足りないのでしょうか。それとも、私には最初から不可能なのでしょうか」


 レオンはすぐには答えなかった。


「それは、私にも分かりません」


 リシアの眉が、わずかに上がった。


「……分からないのですか?」


「はい」


「先生でも?」


「私は特殊なので、あまり当てにならないのですよ」


 レオンは苦笑いした。


 リシアは、意外そうな顔をした。


「では、私に何かご助言をくださるわけでは……」


「リシアさんの素質は特殊ですから、助言はもう少し待ってくださいね」


「……そうですか」


 リシアは視線を落とした。


 その様子を見て、レオンが尋ねた。


「一つ、聞いてもいいですか?」


「何でしょう」


「リシアさんは、どうして二つの魔術を同時に使いたいんですか?」


「……え?」


「何か、使いたい場面があるのでしょうか」


 リシアは口を開きかけた。


 しかし、言葉が出てこなかった。


「母は、火行の魔術を得意としています」


 言葉を探すように、リシアは言った。


「父は、水行の魔術を」


「そうなんですね」


「私は、二人の魔術が大好きでした。幼い頃から、ずっと見て育ちました」


 リシアは自分の両手を見つめた。


「その両方を使えると分かったとき、とても嬉しかったのです」


 レオンは黙って聞いていた。


「ですから、二つとも使いこなしたい。それでは、理由になりませんでしょうか」


「いいえ。大切な理由だと思います」


「……ありがとうございます」


「ただ、同時に使うことと、両方を大切にすることは、同じなのでしょうか」


 リシアは顔を上げた。


「……どういうことでしょう」


「いえ。私も、まだうまく説明できません」


 レオンはとぼけた感じで、にこりとした。


「でも、リシアさんが何を目指しているのか、もう少し聞いてみたくなったんです」


 リシアは黙った。


 レオンも、それ以上は尋ねなかった。


     



「先生」


 決意したように、リシアが口を開いた。


「私は、諦めるつもりはありません」


「そうですか」


「たとえ、今はできなくても」


「はい」


「できないままで終わるのは、嫌なのです」


 その声には、先ほどまでの柔らかさとは違う響きがあった。


 レオンは真正面からリシアの瞳を見た。


「よく分かりました」


「……本当ですか?」


「少なくとも、リシアさんがとても頑固だということは」


 リシアは目を見開いた。


「まあ」


 そして、にっこりと微笑んだ。


「先生。私は、頑固なのではありません」


「そうなんですか?」


「自分が正しいと思うことを、簡単に曲げたくないだけです」


「……なるほど」


「それを頑固と呼ぶのは、少々乱暴ではございませんか?」


 レオンは困ったように笑った。


「失礼しました」


「いえ。お分かりいただければ結構です」


 リシアは立ち上がり、ノートを胸に抱えた。


「では、失礼いたします」


「はい。気をつけて」


 出口へ向かいかけて、リシアは足を止めた。


「先生」


「何でしょう」


「先ほどのお話ですが」


「はい」


「二つの魔術を使って、何をしたいのか」


 リシアは束の間、思考を巡らせた。


「……まだ、分かりません」


「そうですか」


「ですが、考えてみます」


 レオンは頷いた。


「ええ。それでいいと思います」


 リシアは一礼し、演習場を出ていった。


     



 夕方。


 レオンが職員室へ戻ると、セレナとグラディウスが話をしていた。


「リシアさんは、今日も最後まで諦めませんでした」


 セレナが言った。


「相変わらずだな」


 グラディウスは苦笑した。


「レオン先生」


 セレナが振り返る。


「リシアさんとお話しされたそうですね」


「ええ。三十分ほど」


「何か、助言を?」


「いえ、まずは本人の話を聞いただけですよ」


「そんなことはないでしょう」


 セレナは微笑んだ。


「技術的な指導だけが、教師の仕事ではありませんもの」


 レオンはじゃっかん照れたように笑った。


「ありがとうございます」


「で、何を話したんだ?」


 グラディウスが尋ねた。


「どうして二つの魔術を同時に使いたいのか、聞いてみました」


「それで?」


「ご両親のことを話してくれました。お母様が火行、お父様が水行の魔術を得意としているそうですね」


「ああ。そう聞いている」


 老エルフが静かに答えた。


「二人の魔術が好きだから、両方を使いこなしたいそうです」


 セレナは静かに頷いた。


「リシアさんらしいですね」


「だが、気持ちだけで術式が安定するわけじゃない」


 グラディウスは書類を机に置いた。


「本人は優秀だ。努力もしている。それでも、できないことはある」


「ええ」


「それをいつ、どう受け入れるかだな」


 レオンは窓の外を見た。


 夕日が、演習場の石壁を照らしている。


「……難しいですね」


「難しいさ」


 グラディウスは短く答えた。


「だが、だからといって教師が目を逸らしていい問題でもない」


「そうですね」


 セレナが口を開いた。


「私は、色々と別の練習方法を考えてみます。今日の失敗で、分かったこともありますから」


「お願いします」


 レオンが言った。


「ただ、本人にも考えてもらおうと思います。どうして同時に使いたいのか、と」


「なるほどな」


 グラディウスは腕を組んだ。


「答えが出るといいが」


「ええ」


 レオンは頷いた。


 その答えが、必ずしも魔術の成功につながるとは限らない。


 それでも、考えることには意味があるのかもしれなかった。


     



 その夜。


 女子寮の一室で、リシアは机に向かっていた。


 開いたノートには、陰火と陰水の術式が並んでいる。


 その下に、新しい一行が書き加えられていた。


『二つの魔術を同時に使う理由』


 リシアは、しばらくその文字を見つめた。


 そして、ペンを取った。


『お母様とお父様の魔術を、どちらも使いこなしたいから』


 そこまで書いて、手が止まった。


「……それだけでは、ありませんわね」


 小さく呟く。


 リシアは、その一行を消さなかった。


 代わりに、下へもう一本、線を引いた。


 窓の外では、学園の灯りが一つ、また一つと点り始めていた。


 リシアはペンを置き、両手を見つめた。


 右手に、小さな炎を灯す。


 左手には、何も生まれない。


「……もう一度」


 誰に聞かせるでもなく、呟いた。


 炎が消える。


 リシアはノートを開き直した。


 今度は、術式の図ではなく、先ほどの問いを見つめていた。


 夜は、まだ長かった。



 ---第6話完---


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