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『みちくさ先生の魔法学園改革記』1年目1学期「いつも赤字続き」編  作者: 風待 行燈
第1章 『華麗ならぬ改革元年』

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1年目1学期 第2話 『魔力量十二の落第候補』


  王立魔法学園には、入学して間もない生徒たちが、誰に教えられるでもなく覚える序列があった。


 家柄。


 学年。


 成績。


 そして、魔力量。


 ノアの魔力量は、十二。


 最下位のFランク。


 学園に入って二年目になる少年だった。


 入学してもう一年以上も経っているのに、ノアは自分の名前よりも、その数字の方が有名なのではないかと思い始めていた。


「では、今日の合同実習は、基礎光術から始めましょう」


 教壇に立つのは、フェリクス・フォン・ローゼンベルク。


 二十五歳。王国内でも屈指の名門貴族に生まれた嫡男である。


 今年度から部活動の監督も任されるなど、若くして学園の信頼を集めていた。


 本人は質素を心がけているようだが、立ち居振る舞いに染みついた気品までは隠せない。


 それもまた、女生徒たちの人気を集める理由の一つだった。


 フェリクスが優雅に指先を上げた。


 小さな白い光が灯る。


 揺らぎのない、美しい光だった。


「今日の目標は十秒間の維持です。光を大きくする必要はありません。


 術式を安定させ、一定量の魔力を流し続けてください。


 できた生徒は二十秒、三十秒と持続時間を延ばしていきましょう」


 光は十秒、二十秒と変わらずに灯り続けた。


「では、始めましょう」


 教室のあちこちに光が生まれた。


 白い光。黄色がかった光。じゃっかん青みを帯びた光。


 明るさも形もさまざまだったが、ほとんどの生徒が順調に時間を延ばしていた。


 ノアも右手を上げた。


 深く息を吸う。


 術式を思い描く。


 指先に、かすかな光が灯った。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 消えた。


「……はあ」


 ノアは手を下ろした。


「ノア、何秒?」


 隣の男子生徒が尋ねた。


「三秒」


「昨日と同じ?」


「うん」


「俺、今日は十二秒いけたよ」


「すごいね」


「まあ、慣れればできるって」


 男子生徒は笑い、もう一度手を上げた。


 今度はいくらか大きな光が灯る。


 ノアは自分の指先を見た。


 もう一度。


 光は生まれたが、今度は二秒で消えた。


「ノア君」


 顔を上げると、フェリクスが立っていた。


「少し見せてもらえますか?」


「……はい」


 少年は手を上げた。


 小さな光が灯り、三秒で消える。


 フェリクスは、ノアの指先から目を離さなかった。


「術式の形成は、昨日より良くなっていますね」


「でも、三秒しか……」


「魔力の供給が不安定です。発動時に流す量を、もうちょい抑えてみましょう」


「はい」


「こうです」


 教師として、ノアの隣にしゃがみ、同じ高さで手を伸ばした。


 指先に、小さいが力強い光が灯る。


「大きくしようとせず、このくらいの出力で維持してください」


 ノアはうなずいた。


 もう一度試す。


 光が灯った。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 消えた。


「……すみません」


「謝る必要はありませんよ。もう一度やってみましょう」


 フェリクスは穏やかに言った。


 ノアは再び手を上げた。



 だが、今度は光が生まれなかった。


 フェリクスは、その結果をどう評価すべきか考え、記録板に何かを書き込んだ。



「今日はここまでにしましょう。無理をしても、術式が乱れるだけですから」


「……はい」


 フェリクスが次の生徒のところへ向かおうとしたとき、ノアがか細い声をかけた。


「あの、先生」


「はい?」


「十秒できなかったら……落第ですか?」


 若い教師は足を止めた。


「基礎実技には、一定の評価基準があります」


「……はい」


「ですが、一度の授業で決まるわけではありません。補習もありますし、ほかの評価項目もあります」


「分かりました」


「焦らず、一つずつ取り組みましょう」


 フェリクスは優しく微笑んだ。


 ノアも、何とか笑顔を作った。



 教室の後方では、レオンが授業を見学していた。


 フェリクスの説明は明快だった。


 実演も正確で、生徒の手元を一人ずつ確認している。


 教室の端では、魔力の流し方が分からない生徒に、自分の手を添えて指導していた。


「さすがですね」


 隣に立つセレナが、小声で言った。


「ええ。見事です」


「フェリクス先生は、学生時代から実技が得意だったそうですよ」


「そうでしょうね」


 改革担当者は教室を見渡した。


「授業の準備も、ずいぶん丁寧です」


 セレナは思わず笑った。


「本人が聞いたら喜びますよ」


「では、あとで直接お伝えしましょう」


「そうしてください」


 ちょうどそのとき、フェリクスが教室の後方へ歩いてきた。


「レオン先生、いかがでしたか?」


「大変勉強になりました。特に、術式の説明が分かりやすいですね」


「ありがとうございます」


 フェリクスはゆっくり頭を下げた。


「レオン先生には少々退屈な内容だったかもしれませんが」


「とんでもない。基礎ほど教えるのが難しいものですから」


「そうですね。基礎ができていなければ、その先には進めません」


 フェリクスは記録板を閉じた。


「もっとも、どうしても基準に届かない生徒もいますが」


 レオンは教室の前方を見た。


 小柄な少年が、まだ自分の指先を眺めていた。


「先ほどの生徒ですね」


「ええ。ノア君です。魔力量は十二」


「十二ですか」


「術式の理解は悪くありません。ただ、実技となると……」


 フェリクスは丁寧に言葉を選んだ。


「本人も努力しているんですけどね」


「そうですか」


 授業終了の鐘が鳴った。


 生徒たちが一斉に立ち上がる。


 フェリクスは教壇へ戻り、次回の課題を伝え始めた。


 レオンは、最後まで席に残っていたノアを見ていた。



 午後の屋外演習場は、朝とは違った賑わいを見せていた。


 下級生は基礎術式。


 上級生は対人戦を想定した応用訓練。


 複数学年が同じ場所で実習を行うため、あちこちから魔法の発動音が響いている。


 ノアは友人と並んで歩いていた。


「うわ、すごい……」


 前方で巨大な土壁が立ち上がった。


 その横を火球が通り抜け、空中で急角度に曲がる。


 水の鞭が地面を叩き、石畳に水しぶきが散った。


「上級生って、やっぱり違うね」


「うん」


 ノアが答えたとき、友人が急に足を止めた。


「あっ」


「どうしたの?」


「こっちから行こう」


「え?」


「いいから」


 友人がノアの袖を引いた。


 演習場の入口近くに、数人の上級生が集まっていた。


 ノアは思わず足を止めた。


 学園でも有名な不良グループだ。


 下級生の間では、厳しい教授たちよりも恐れられている。


 ノアも、できれば関わりたくなかった。


 制服の上着を肩に掛けた男子生徒。


 襟元を緩めた男子生徒。


 短めの髪をした、目つきの鋭い女子生徒。


 そして、妙に姿勢のいい男子生徒が一人。


 その中心に、長椅子へ腰掛けた男子生徒がいた。


 カイル・ロッソ。


 五年生。周囲が騒いでいる中、

 彼だけは退屈そうに演習場を眺めていた。


 ノアでも名前を知っている。


「おい、そこの下級生」


 上級生の一人が声をかけた。


「何見よるんじゃ」


「す、すみません!」


 ノアの友人が慌てて頭を下げた。


「別に見てません!」


「見とったじゃろうが」


「まあまあ」


 姿勢のいい男子生徒が、芝居がかった仕草で片手を上げた。


「怖がらせてはいけないよ。後輩というものは、我々上級生の背中を見て育つのだからね」


「アンタの背中、誰が見たいんだよ」


 短髪の女子生徒が即座に言った。


「なっ……!」


「そもそも邪魔なんだよ。通してやんな」


「僕は別に、邪魔をしているわけでは――」


「してるって」


 女子生徒が男子の肩を押した。


 道が空く。


「ほら、行きな」


「あ、ありがとうございます!」


 少年たちは慌てて通り抜けた。


 そのとき。


「おい」


 低い声がした。


 カイルだった。


 ノアは足を止めた。


 カイルは、ノアの胸元にある二年生の徽章を見た。


「演習、始まるんじゃろ」


「……はい」


「ほいじゃ、遅れんようにはよ行かんかい」


「は、はい!」


 ノアたちは小走りに去った。


 背後から、さっきの女子生徒の声が聞こえた。


「アンタも、もうちょい優しく言えないわけ?」


「……おー」


 カイルの返事は短かった。


     


「カイル君」


 フェリクスの声が響いた。


「演習が始まります。指定された場所へ移動してください」


 カイルは緩やかに顔を上げた。


「まだ始まっとらんでしょう」


「開始前に準備を終えることも授業の一部です」


「……へえ」


 カイルは立ち上がった。


「分かりましたよ」


 周囲の生徒が笑いをこらえた。


 フェリクスは表情を変えなかった。


「それから、制服は規定どおりに着用してください」


「はいはい」


「返事は一度で結構です」


「はい」


 カイルは上着を着直し、演習場へ向かった。


 その後ろを仲間たちがついていく。


 姿勢のいい男子生徒だけが、その場に残っていた。


「先生、僕の制服はいかがでしょう。規定に忠実でありながら、洗練された着こなしを――」


「君も早く移動してください」


「……はい」


 短髪の女子生徒が吹き出した。


     


 午後の演習が始まった。


 上級生たちの模擬戦が続く。


 その中で、ひときわ大きな土壁が立ち上がった。


「おらっ!」


 黄色い魔力光が地面を走る。


 土壁が相手の進路を塞ぎ、続けて三つの土礫が飛んだ。


「うわっ!」


 対戦相手が体勢を崩す。


「そこまで!」


 判定役の教師が手を上げた。


「勝者、ダリオ!」


 ダリオ・ヴァイス。


 四年生。


 魔力量Bランク。


 カイルとよく行動を共にしている男子生徒だった。


「もう終わりかいの」


「最後の土壁、ずるいだろ!」


 対戦相手が抗議する。


「何がずるいんじゃ。ちゃんと範囲内じゃろうが」


「そういう意味じゃなくて!」


「実戦で相手が待ってくれるんか?」


 ダリオは得意げに肩をすくめた。


 観戦していた生徒たちが笑った。


 ダリオは演習場の端に目を向けた。


 そこにレオンが立っていた。


「……あれ?」


 隣の男子生徒が答える。


「新しく来た先生じゃろ」


「ああ、Fランクの?」


「そうそう」


 悪だくみするように、にやりと笑った。


「ちょっと聞いてくるわ」


「やめときなよ」


 短髪の女子生徒が言った。


「別にええじゃろ」


「また面倒くさいことになるって」


「ならん、ならん」


 ダリオは手を振って歩き出した。


 女子生徒は呆れた顔をした。


「……知らないよ、もう」


     


「先生!」


 大きな声だった。


 レオンが振り返る。


「はい。何でしょう?」


「先生、魔力量Fランクなんですよね?」


「ええ。そうですよ」


 ダリオはちょっと拍子抜けした。


「……じゃあ、わしより少ないんですよね?」


「そうですね」


「それで魔術を教えるんですか?」


「ええ」


「へえ……」


 ダリオは周囲を見回した。


「すげえのう。Fランクでも教師になれるんじゃ」


 ダリオは、レオンの穏やかな表情を見て、ますます調子づいた。取り巻きたちが笑った。


 ノアは、少し離れた場所でその声を聞いていた。


「魔力量と、教える能力は必ずしも同じではありませんからね」


 レオンは穏やかに答えた。


「でも、実戦じゃ魔力量がものを言うじゃろ?」


「重要な要素ですね」


「だったら、わしの方が強いかもしれんじゃないですか」


「その可能性はありますよ」


「……は?」


「私は、まだあなたの実力を詳しく知りませんから」


 レオンは微笑んだ。


「それに、実戦にはいろいろな条件があります。魔力量だけで勝敗が決まるわけではありません」


「じゃあ、試してみませんか?」


 周囲がざわついた。


「ダリオ君!」


 フェリクスが歩み寄った。


「教師に対して、その態度は――」


「フェリクス先生」


 レオンが声をかけた。


「せっかくですから、ちょっと見せてもらいましょうか」


「……レオン先生?」


「私も、皆さんの実力を知りたいと思っていたところです」


 ダリオの笑みが止まった。


「……本気ですか?」


「ええ。ただし、授業ですからね」


 レオンは演習場を見渡した。


「フェリクス先生、短い模擬戦形式でお願いできますか?」


 フェリクスは慎重に答えた。


「……分かりました。ただし、安全規定に従っていただきます」


「もちろんです」


 レオンはうなずいた。


 演習場の端で、カイルが顔を上げた。


     


 二人が向かい合った。


 レオンの手には、演習用の木剣が一本。


 ダリオは両手を軽く開いている。


 周囲には、生徒たちが集まっていた。


「先生、大丈夫なんかな」


「Fランクじゃろ?」


「でも教師だぞ」


「教師でも、魔力は増えんじゃろ」


 ノアも、その中にいた。


 フェリクスが手を上げる。


「始め!」


「《土礫》!」


 ダリオが先に動いた。


 三つの土の塊が、レオンへ向かって飛ぶ。


 レオンは半歩だけ横へ動いた。


 一つ目が通り過ぎる。


 二つ目を木剣で弾く。


 三つ目は、身体を傾けて避けた。


「……へえ」


 ダリオが笑った。



「なら、これはどうじゃ!」


 ダリオが両手を広げた。


 地面が盛り上がり、レオンの前方に土壁が立ち上がる。


 同時に、足元の石畳が震えた。


「《土縛》!」


 土の拘束が、レオンの足を捕らえようとする。


 だが、そこにはすでに誰もいなかった。


「……は?」


 ダリオが振り返る。


 レオンは土壁の横に立っていた。


「いい位置ですね」


「……何がです?」


「今の土壁です。相手の視界を塞ぐには、ちょうどいい」


「褒めとる場合じゃないじゃろ!」


 ダリオの表情が変わった。


 今度は、ただ攻撃するつもりではないらしい。


 両手を大きく広げる。


 黄色い魔力光が地面を走った。




「《土牢陣》!」


 複数の土壁が、一斉に立ち上がる。


 逃げ道を塞ぐように。


 レオンは迫る土壁を見渡した。


 強固な術式だった。


 魔力の流れにも無駄がない。


 ただ、一か所だけ。


 魔力の循環に、わずかな綻びがあった。




 レオンの指先に、鋭い白い光が灯る。


 その光が、土壁の根元へ吸い込まれるように消えた。


 次の瞬間、土壁の一枚がわずかに揺らいだ。


 崩れたわけではない。


 ただ、術式を流れる魔力が、ほんの一瞬だけ乱れた。


 生まれた隙間へ、レオンは迷わず身体を滑り込ませた。


「――っ!」


 ダリオが目を見開いた。


 土壁は、まだ立っている。


 魔法を破られたわけではない。


 それなのに、レオンはもう目の前にいた。


 ダリオが後退しようとした。


 だが、遅い。


 伸ばされた腕を難なくいなし、重心を崩す。


 どさり。


 ダリオが地面に倒れた。


 木剣の切っ先が、無造作に胸元へ向けられる。


「……そこまで、ですね」


 演習場が静まり返った。


「……マジかよ」


 誰かが呟いた。


「ダリオが負けた?」


「今、何したんだ?」


 ノアも、目を離せずにいた。


 あれほど巨大な土壁を、レオンは破壊していない。


 使った魔法も、ほんの小さな光だけだった。


 それなのに、勝った。


「勝者、レオン先生!」


 フェリクスの声が響いた。


 生徒たちが一斉にざわめいた。


 レオンは木剣を下ろし、ダリオに手を差し伸べた。


「大丈夫ですか?」


 ダリオは、その手を見た。


 やや迷ってから、つかんだ。


「……大丈夫っす」


 立ち上がる。


「先生」


「はい」


「……何で、分かったんですか」


「何がです?」


「わしの攻撃。全部、先に避けとったじゃろ」


「全部ではありませんよ」


 レオンは笑った。


「あなたは、相手の動きをよく見ていますね」


「……は?」


「逃げ道も、地形も。土壁の位置も、土礫の角度も、よく考えられていました」


「だったら、何で負けたんですか」


 レオンは顎をさすりながら答えた。


「君は周りをよく見ているのに、自分のことがあまり見えていないんですよ」


「……わし自身?」


「ええ。術式を発動する直前、右肩がくいっと上がります。

それから、狙う場所に一瞬だけ目を向ける癖がありますね」


 ダリオは自分の肩を見た。


「……マジで?」


「最初の土礫も、次の土縛もそうでした」


「……」


「相手を見るのと同じくらい、自分の動きにも目を向けてみてください」


 ダリオは、しばらく黙っていた。


「……覚えときます。次は、そう簡単にいかんけえの」


 そう言って仲間の方へ戻っていった。


 短髪の女子生徒が、口元を押さえていた。


「何じゃ」


「いや、アンタ、すごい顔してたから」


「うるさいわ」


「でも、最後のは見事に転んだね」


「うるさい言うとるじゃろ!」


 その横で、姿勢のいい男子生徒が腕を組んでいた。


「僕なら、あのような不覚は取らなかっただろうね」


「アンタはまず、土壁を出せるようになってから言いなよ」


「……ぐっ」


 カイルだけは、まだ離れた場所からレオンを見ていた。


「カイル、どう思う?」


 女子生徒が尋ねた。


「……別に」


「別に、って」


 カイルは返事をせず、演習場へ視線を戻した。


     


 演習が終わったあと、フェリクスがレオンに声をかけた。


「先ほどは、ありがとうございました」


「いえ。こちらこそ」


「見事な体捌きでした。魔力をほとんど使わずに、あれほど正確に間合いを詰めるとは」


「昔から、魔力には余裕がありませんでしたから」


 レオンは苦笑した。


「それにしても、ダリオ君への対応は意外でした」


「意外?」


「彼の挑発を、あのように受け入れられるとは」


「大勢の前で叱ると、引っ込みがつかなくなる子もいますから」


「……なるほど」


「もちろん、態度については後で話しますよ」


「それなら安心しました」


 フェリクスが記録板を閉じたところへ、セレナがやってきた。


「お疲れさまです」


「ああ、セレナ先生」


 フェリクスが顔を上げた。


「午後の授業は、もう終わられたんですか?」


「ええ。少し早く片づいたので」


「そうでしたか」


「先ほどの模擬戦、ずいぶん賑やかでしたね」


「ご覧になっていたんですか?」


「途中からですけど」


 セレナはレオンに目を向けた。


「見事でしたね、レオン先生」


「いえ。ダリオ君もいい動きをしていました」


「そうですね」


 フェリクスが記録板を持ち直した。


「セレナ先生、明日の職員会議の資料は、もうご覧になりましたか?」


「ええ。先ほど確認しました」


「でしたら、あとで一つお伺いしたいことがあるのですが」


「……会議の資料について、ですか?」


「はい」


「それなら、事務員に確認した方が確実だと思いますよ」


「……そうですね」


 フェリクスはうなずいた。


「では、私は実習の評価をまとめてまいります」


「お疲れさまです」


 セレナが答えた。


 フェリクスが去ったあと、レオンは手元の記録板を見た。


「私も、明日の資料を確認しないといけませんね」


「ええ。かなりの量がありますから」


「今日中に終わるでしょうか」


「……頑張ってください」


 セレナは微笑を浮かべながら、職員室へ戻っていった。


     


 夕方。


 屋外演習場には、まだ数人の生徒が残っていた。


 ノアも、その一人だった。


 右手を上げる。


 小さな光が灯る。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 消えた。


「……やっぱり、三秒か」


 ノアは手を下ろした。


 もう一度、試そうとする。


 だが、なかなか光が生まれない。


「ずいぶん熱心ですね」


 背後から声がした。


 振り返ると、レオンが立っていた。


「あっ……先生!」


「こんにちは」


「こ、こんにちは!」


 少年は慌てて頭を下げた。


「先ほどの授業にいましたね」


「……はい」


「お名前を聞いても?」


「ノアです。二年生の」


「ノア君ですね。私はレオン・ハーグリーヴスです」


「知ってます!」


 ノアは思わず声を上げた。


「さっきの試合、見てました!」


「ああ……」


 レオンは困ったように顔をしかめた。


「恥ずかしいところを見られましたね」


「そんなことないです! すごかったです!」


「ありがとうございます」


 ノアはおずおずとしながら、尋ねた。


「あの……先生もFランクなんですよね?」


「ええ。魔力量は四十二です」


「四十二……」


「ノア君は?」


「……十二です」


「そうですか」


 レオンは、ノアをまっすぐ見つめた。


「さっきの光、もう一度見せてもらえますか?」


「はい」


 ノアは手を上げた。


 小さな光が灯る。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 消えた。


「……すみません」


「どうして謝るんです?」


「三秒しか続かないので……」


 レオンは表情を緩めた。


「では、もう一度。今度は、光が消えるときに何が起きるか、教えてもらえますか?」


「……消えるとき?」


「ええ。何か感じることはありませんか?」


 ノアは首をかしげた。


 もう一度、右手を上げる。


 光が灯った。


 小さな光。


 やがて揺らぎ、消える。


「……何となくですけど」


「はい」


「魔力が通る道みたいなのがあって……途中で細くなる感じがするんです」


「道、ですか」


「はい。でも、うまく説明できなくて」


「そうですか」


 レオンは手を顎に当てた。


「その細くなる場所は、いつも同じですか?」


「……たぶん」


「では、次はそこを意識してみましょう」


「はい」


 ノアは目を閉じた。


 魔力を流す。


 光が灯る。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 光が揺れた。


 消えそうになる。


 ノアは、ほんの少しだけ指先の力を緩めた。


 光が細くなる。


 そして。


 四秒。


 消えた。


「……あ」


 ノアは、自分の手を見つめた。


「四秒……」


 レオンが微笑んだ。


「一秒、延びましたね」


「……はい!」


 ノアは、もう一度手を上げようとした。


「今日は、ここまでにしましょう」


「えっ?」


「ずいぶん練習したでしょう?」


「でも、もう一回くらいなら……」


「明日も授業がありますからね」


 ノアは残念そうに、ゆっくり手を下ろした。


 レオンは隣の長椅子に腰を下ろした。


「ノア君」


「はい」


「魔力量が少ないことで、困ることはありますか?」


「……あります」


「例えば?」


「みんなと同じことが、できません」


「そうですか」


「十秒の光もできないし、ほかの魔法も……」


 ノアはうつむいた。


「僕、魔術師になれないかもしれません」


 レオンは、ふと目を閉じ黙った。


「……私も、学生時代は似たようなものでしたよ」


「先生も?」


「ええ。ここで学んでいた頃は、実技がさっぱりで」


 ノアが顔を上げる。


「先生、この学園の卒業生なんですか?」


「そうですよ」


「でも、さっきはあんなに強かったのに……」


「四十二歳ですからね」


 レオンはおどけた顔をした。


「二十年以上も練習すれば、多少は上達します」


 ノアも、つられて笑った。


「……僕も、上達できますか?」


「どうでしょうね」


 ノアの笑顔が弱々しく曇った。


 レオンは続けた。


「ただ、今日の四秒は、さっきまでの三秒より長かったでしょう?」


「……はい」


「では、明日はどうなるか、試してみましょう」


 ノアは、自分の手を見た。


 魔力量十二。


 Fランク。


 明日になっても、その数字は変わらない。


 それでも。


「……はい!」


 ノアは、今度ははっきりとうなずいた。


     


 職員室に戻ると、レオンの机には資料が積み上げられていた。


 明日の職員会議。


 授業計画。


 実技評価の記録。


 そして、財務長官のオルガ・ハルデンから渡された予算書。


「……さて」


 レオンは椅子に腰を下ろした。


 まず、一番上の資料を開く。


 赤い文字で記された数字が、ずらりと並んでいた。


「……こちらも、なかなか手強いですね」


 誰にともなく呟いたとき、机の横から声がした。


「レオン先生」


 顔を上げると、セレナが立っていた。


「明日の会議ですが、開始時刻が三十分早まりました」


「ああ、そうなんですか」


「ええ。先ほど連絡がありましたので」


「ありがとうございます。助かります」


「では、失礼します」


 セレナは微笑みながら会釈し、自分の席へ戻っていった。


 レオンは時計を確認した。


 それから、もう一度予算書に目を落とす。


 窓の外では、生徒たちの笑い声が聞こえていた。


 カイルたちだった。


 ダリオが何かを言い返し、短髪の女子生徒が笑っている。


 姿勢のいい男子生徒は、大げさに胸を張っていた。


 カイルはやや離れたところを歩いている。


 やがて、彼らの姿は校舎の向こうへ消えた。


 レオンは予算書のページをめくった。


 数字は、相変わらず赤かった。


「……さて、どこから手をつけましょうか」


 そう呟いて、ペンを取った。


――第2話・完――

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