1年目1学期 第2話 『魔力量十二の落第候補』
王立魔法学園には、入学して間もない生徒たちが、誰に教えられるでもなく覚える序列があった。
家柄。
学年。
成績。
そして、魔力量。
ノアの魔力量は、十二。
最下位のFランク。
学園に入って二年目になる少年だった。
入学してもう一年以上も経っているのに、ノアは自分の名前よりも、その数字の方が有名なのではないかと思い始めていた。
「では、今日の合同実習は、基礎光術から始めましょう」
教壇に立つのは、フェリクス・フォン・ローゼンベルク。
二十五歳。王国内でも屈指の名門貴族に生まれた嫡男である。
今年度から部活動の監督も任されるなど、若くして学園の信頼を集めていた。
本人は質素を心がけているようだが、立ち居振る舞いに染みついた気品までは隠せない。
それもまた、女生徒たちの人気を集める理由の一つだった。
フェリクスが優雅に指先を上げた。
小さな白い光が灯る。
揺らぎのない、美しい光だった。
「今日の目標は十秒間の維持です。光を大きくする必要はありません。
術式を安定させ、一定量の魔力を流し続けてください。
できた生徒は二十秒、三十秒と持続時間を延ばしていきましょう」
光は十秒、二十秒と変わらずに灯り続けた。
「では、始めましょう」
教室のあちこちに光が生まれた。
白い光。黄色がかった光。じゃっかん青みを帯びた光。
明るさも形もさまざまだったが、ほとんどの生徒が順調に時間を延ばしていた。
ノアも右手を上げた。
深く息を吸う。
術式を思い描く。
指先に、かすかな光が灯った。
一秒。
二秒。
三秒。
消えた。
「……はあ」
ノアは手を下ろした。
「ノア、何秒?」
隣の男子生徒が尋ねた。
「三秒」
「昨日と同じ?」
「うん」
「俺、今日は十二秒いけたよ」
「すごいね」
「まあ、慣れればできるって」
男子生徒は笑い、もう一度手を上げた。
今度はいくらか大きな光が灯る。
ノアは自分の指先を見た。
もう一度。
光は生まれたが、今度は二秒で消えた。
「ノア君」
顔を上げると、フェリクスが立っていた。
「少し見せてもらえますか?」
「……はい」
少年は手を上げた。
小さな光が灯り、三秒で消える。
フェリクスは、ノアの指先から目を離さなかった。
「術式の形成は、昨日より良くなっていますね」
「でも、三秒しか……」
「魔力の供給が不安定です。発動時に流す量を、もうちょい抑えてみましょう」
「はい」
「こうです」
教師として、ノアの隣にしゃがみ、同じ高さで手を伸ばした。
指先に、小さいが力強い光が灯る。
「大きくしようとせず、このくらいの出力で維持してください」
ノアはうなずいた。
もう一度試す。
光が灯った。
一秒。
二秒。
三秒。
消えた。
「……すみません」
「謝る必要はありませんよ。もう一度やってみましょう」
フェリクスは穏やかに言った。
ノアは再び手を上げた。
だが、今度は光が生まれなかった。
フェリクスは、その結果をどう評価すべきか考え、記録板に何かを書き込んだ。
「今日はここまでにしましょう。無理をしても、術式が乱れるだけですから」
「……はい」
フェリクスが次の生徒のところへ向かおうとしたとき、ノアがか細い声をかけた。
「あの、先生」
「はい?」
「十秒できなかったら……落第ですか?」
若い教師は足を止めた。
「基礎実技には、一定の評価基準があります」
「……はい」
「ですが、一度の授業で決まるわけではありません。補習もありますし、ほかの評価項目もあります」
「分かりました」
「焦らず、一つずつ取り組みましょう」
フェリクスは優しく微笑んだ。
ノアも、何とか笑顔を作った。
教室の後方では、レオンが授業を見学していた。
フェリクスの説明は明快だった。
実演も正確で、生徒の手元を一人ずつ確認している。
教室の端では、魔力の流し方が分からない生徒に、自分の手を添えて指導していた。
「さすがですね」
隣に立つセレナが、小声で言った。
「ええ。見事です」
「フェリクス先生は、学生時代から実技が得意だったそうですよ」
「そうでしょうね」
改革担当者は教室を見渡した。
「授業の準備も、ずいぶん丁寧です」
セレナは思わず笑った。
「本人が聞いたら喜びますよ」
「では、あとで直接お伝えしましょう」
「そうしてください」
ちょうどそのとき、フェリクスが教室の後方へ歩いてきた。
「レオン先生、いかがでしたか?」
「大変勉強になりました。特に、術式の説明が分かりやすいですね」
「ありがとうございます」
フェリクスはゆっくり頭を下げた。
「レオン先生には少々退屈な内容だったかもしれませんが」
「とんでもない。基礎ほど教えるのが難しいものですから」
「そうですね。基礎ができていなければ、その先には進めません」
フェリクスは記録板を閉じた。
「もっとも、どうしても基準に届かない生徒もいますが」
レオンは教室の前方を見た。
小柄な少年が、まだ自分の指先を眺めていた。
「先ほどの生徒ですね」
「ええ。ノア君です。魔力量は十二」
「十二ですか」
「術式の理解は悪くありません。ただ、実技となると……」
フェリクスは丁寧に言葉を選んだ。
「本人も努力しているんですけどね」
「そうですか」
授業終了の鐘が鳴った。
生徒たちが一斉に立ち上がる。
フェリクスは教壇へ戻り、次回の課題を伝え始めた。
レオンは、最後まで席に残っていたノアを見ていた。
午後の屋外演習場は、朝とは違った賑わいを見せていた。
下級生は基礎術式。
上級生は対人戦を想定した応用訓練。
複数学年が同じ場所で実習を行うため、あちこちから魔法の発動音が響いている。
ノアは友人と並んで歩いていた。
「うわ、すごい……」
前方で巨大な土壁が立ち上がった。
その横を火球が通り抜け、空中で急角度に曲がる。
水の鞭が地面を叩き、石畳に水しぶきが散った。
「上級生って、やっぱり違うね」
「うん」
ノアが答えたとき、友人が急に足を止めた。
「あっ」
「どうしたの?」
「こっちから行こう」
「え?」
「いいから」
友人がノアの袖を引いた。
演習場の入口近くに、数人の上級生が集まっていた。
ノアは思わず足を止めた。
学園でも有名な不良グループだ。
下級生の間では、厳しい教授たちよりも恐れられている。
ノアも、できれば関わりたくなかった。
制服の上着を肩に掛けた男子生徒。
襟元を緩めた男子生徒。
短めの髪をした、目つきの鋭い女子生徒。
そして、妙に姿勢のいい男子生徒が一人。
その中心に、長椅子へ腰掛けた男子生徒がいた。
カイル・ロッソ。
五年生。周囲が騒いでいる中、
彼だけは退屈そうに演習場を眺めていた。
ノアでも名前を知っている。
「おい、そこの下級生」
上級生の一人が声をかけた。
「何見よるんじゃ」
「す、すみません!」
ノアの友人が慌てて頭を下げた。
「別に見てません!」
「見とったじゃろうが」
「まあまあ」
姿勢のいい男子生徒が、芝居がかった仕草で片手を上げた。
「怖がらせてはいけないよ。後輩というものは、我々上級生の背中を見て育つのだからね」
「アンタの背中、誰が見たいんだよ」
短髪の女子生徒が即座に言った。
「なっ……!」
「そもそも邪魔なんだよ。通してやんな」
「僕は別に、邪魔をしているわけでは――」
「してるって」
女子生徒が男子の肩を押した。
道が空く。
「ほら、行きな」
「あ、ありがとうございます!」
少年たちは慌てて通り抜けた。
そのとき。
「おい」
低い声がした。
カイルだった。
ノアは足を止めた。
カイルは、ノアの胸元にある二年生の徽章を見た。
「演習、始まるんじゃろ」
「……はい」
「ほいじゃ、遅れんようにはよ行かんかい」
「は、はい!」
ノアたちは小走りに去った。
背後から、さっきの女子生徒の声が聞こえた。
「アンタも、もうちょい優しく言えないわけ?」
「……おー」
カイルの返事は短かった。
「カイル君」
フェリクスの声が響いた。
「演習が始まります。指定された場所へ移動してください」
カイルは緩やかに顔を上げた。
「まだ始まっとらんでしょう」
「開始前に準備を終えることも授業の一部です」
「……へえ」
カイルは立ち上がった。
「分かりましたよ」
周囲の生徒が笑いをこらえた。
フェリクスは表情を変えなかった。
「それから、制服は規定どおりに着用してください」
「はいはい」
「返事は一度で結構です」
「はい」
カイルは上着を着直し、演習場へ向かった。
その後ろを仲間たちがついていく。
姿勢のいい男子生徒だけが、その場に残っていた。
「先生、僕の制服はいかがでしょう。規定に忠実でありながら、洗練された着こなしを――」
「君も早く移動してください」
「……はい」
短髪の女子生徒が吹き出した。
午後の演習が始まった。
上級生たちの模擬戦が続く。
その中で、ひときわ大きな土壁が立ち上がった。
「おらっ!」
黄色い魔力光が地面を走る。
土壁が相手の進路を塞ぎ、続けて三つの土礫が飛んだ。
「うわっ!」
対戦相手が体勢を崩す。
「そこまで!」
判定役の教師が手を上げた。
「勝者、ダリオ!」
ダリオ・ヴァイス。
四年生。
魔力量Bランク。
カイルとよく行動を共にしている男子生徒だった。
「もう終わりかいの」
「最後の土壁、ずるいだろ!」
対戦相手が抗議する。
「何がずるいんじゃ。ちゃんと範囲内じゃろうが」
「そういう意味じゃなくて!」
「実戦で相手が待ってくれるんか?」
ダリオは得意げに肩をすくめた。
観戦していた生徒たちが笑った。
ダリオは演習場の端に目を向けた。
そこにレオンが立っていた。
「……あれ?」
隣の男子生徒が答える。
「新しく来た先生じゃろ」
「ああ、Fランクの?」
「そうそう」
悪だくみするように、にやりと笑った。
「ちょっと聞いてくるわ」
「やめときなよ」
短髪の女子生徒が言った。
「別にええじゃろ」
「また面倒くさいことになるって」
「ならん、ならん」
ダリオは手を振って歩き出した。
女子生徒は呆れた顔をした。
「……知らないよ、もう」
「先生!」
大きな声だった。
レオンが振り返る。
「はい。何でしょう?」
「先生、魔力量Fランクなんですよね?」
「ええ。そうですよ」
ダリオはちょっと拍子抜けした。
「……じゃあ、わしより少ないんですよね?」
「そうですね」
「それで魔術を教えるんですか?」
「ええ」
「へえ……」
ダリオは周囲を見回した。
「すげえのう。Fランクでも教師になれるんじゃ」
ダリオは、レオンの穏やかな表情を見て、ますます調子づいた。取り巻きたちが笑った。
ノアは、少し離れた場所でその声を聞いていた。
「魔力量と、教える能力は必ずしも同じではありませんからね」
レオンは穏やかに答えた。
「でも、実戦じゃ魔力量がものを言うじゃろ?」
「重要な要素ですね」
「だったら、わしの方が強いかもしれんじゃないですか」
「その可能性はありますよ」
「……は?」
「私は、まだあなたの実力を詳しく知りませんから」
レオンは微笑んだ。
「それに、実戦にはいろいろな条件があります。魔力量だけで勝敗が決まるわけではありません」
「じゃあ、試してみませんか?」
周囲がざわついた。
「ダリオ君!」
フェリクスが歩み寄った。
「教師に対して、その態度は――」
「フェリクス先生」
レオンが声をかけた。
「せっかくですから、ちょっと見せてもらいましょうか」
「……レオン先生?」
「私も、皆さんの実力を知りたいと思っていたところです」
ダリオの笑みが止まった。
「……本気ですか?」
「ええ。ただし、授業ですからね」
レオンは演習場を見渡した。
「フェリクス先生、短い模擬戦形式でお願いできますか?」
フェリクスは慎重に答えた。
「……分かりました。ただし、安全規定に従っていただきます」
「もちろんです」
レオンはうなずいた。
演習場の端で、カイルが顔を上げた。
二人が向かい合った。
レオンの手には、演習用の木剣が一本。
ダリオは両手を軽く開いている。
周囲には、生徒たちが集まっていた。
「先生、大丈夫なんかな」
「Fランクじゃろ?」
「でも教師だぞ」
「教師でも、魔力は増えんじゃろ」
ノアも、その中にいた。
フェリクスが手を上げる。
「始め!」
「《土礫》!」
ダリオが先に動いた。
三つの土の塊が、レオンへ向かって飛ぶ。
レオンは半歩だけ横へ動いた。
一つ目が通り過ぎる。
二つ目を木剣で弾く。
三つ目は、身体を傾けて避けた。
「……へえ」
ダリオが笑った。
「なら、これはどうじゃ!」
ダリオが両手を広げた。
地面が盛り上がり、レオンの前方に土壁が立ち上がる。
同時に、足元の石畳が震えた。
「《土縛》!」
土の拘束が、レオンの足を捕らえようとする。
だが、そこにはすでに誰もいなかった。
「……は?」
ダリオが振り返る。
レオンは土壁の横に立っていた。
「いい位置ですね」
「……何がです?」
「今の土壁です。相手の視界を塞ぐには、ちょうどいい」
「褒めとる場合じゃないじゃろ!」
ダリオの表情が変わった。
今度は、ただ攻撃するつもりではないらしい。
両手を大きく広げる。
黄色い魔力光が地面を走った。
「《土牢陣》!」
複数の土壁が、一斉に立ち上がる。
逃げ道を塞ぐように。
レオンは迫る土壁を見渡した。
強固な術式だった。
魔力の流れにも無駄がない。
ただ、一か所だけ。
魔力の循環に、わずかな綻びがあった。
レオンの指先に、鋭い白い光が灯る。
その光が、土壁の根元へ吸い込まれるように消えた。
次の瞬間、土壁の一枚がわずかに揺らいだ。
崩れたわけではない。
ただ、術式を流れる魔力が、ほんの一瞬だけ乱れた。
生まれた隙間へ、レオンは迷わず身体を滑り込ませた。
「――っ!」
ダリオが目を見開いた。
土壁は、まだ立っている。
魔法を破られたわけではない。
それなのに、レオンはもう目の前にいた。
ダリオが後退しようとした。
だが、遅い。
伸ばされた腕を難なくいなし、重心を崩す。
どさり。
ダリオが地面に倒れた。
木剣の切っ先が、無造作に胸元へ向けられる。
「……そこまで、ですね」
演習場が静まり返った。
「……マジかよ」
誰かが呟いた。
「ダリオが負けた?」
「今、何したんだ?」
ノアも、目を離せずにいた。
あれほど巨大な土壁を、レオンは破壊していない。
使った魔法も、ほんの小さな光だけだった。
それなのに、勝った。
「勝者、レオン先生!」
フェリクスの声が響いた。
生徒たちが一斉にざわめいた。
レオンは木剣を下ろし、ダリオに手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
ダリオは、その手を見た。
やや迷ってから、つかんだ。
「……大丈夫っす」
立ち上がる。
「先生」
「はい」
「……何で、分かったんですか」
「何がです?」
「わしの攻撃。全部、先に避けとったじゃろ」
「全部ではありませんよ」
レオンは笑った。
「あなたは、相手の動きをよく見ていますね」
「……は?」
「逃げ道も、地形も。土壁の位置も、土礫の角度も、よく考えられていました」
「だったら、何で負けたんですか」
レオンは顎をさすりながら答えた。
「君は周りをよく見ているのに、自分のことがあまり見えていないんですよ」
「……わし自身?」
「ええ。術式を発動する直前、右肩がくいっと上がります。
それから、狙う場所に一瞬だけ目を向ける癖がありますね」
ダリオは自分の肩を見た。
「……マジで?」
「最初の土礫も、次の土縛もそうでした」
「……」
「相手を見るのと同じくらい、自分の動きにも目を向けてみてください」
ダリオは、しばらく黙っていた。
「……覚えときます。次は、そう簡単にいかんけえの」
そう言って仲間の方へ戻っていった。
短髪の女子生徒が、口元を押さえていた。
「何じゃ」
「いや、アンタ、すごい顔してたから」
「うるさいわ」
「でも、最後のは見事に転んだね」
「うるさい言うとるじゃろ!」
その横で、姿勢のいい男子生徒が腕を組んでいた。
「僕なら、あのような不覚は取らなかっただろうね」
「アンタはまず、土壁を出せるようになってから言いなよ」
「……ぐっ」
カイルだけは、まだ離れた場所からレオンを見ていた。
「カイル、どう思う?」
女子生徒が尋ねた。
「……別に」
「別に、って」
カイルは返事をせず、演習場へ視線を戻した。
演習が終わったあと、フェリクスがレオンに声をかけた。
「先ほどは、ありがとうございました」
「いえ。こちらこそ」
「見事な体捌きでした。魔力をほとんど使わずに、あれほど正確に間合いを詰めるとは」
「昔から、魔力には余裕がありませんでしたから」
レオンは苦笑した。
「それにしても、ダリオ君への対応は意外でした」
「意外?」
「彼の挑発を、あのように受け入れられるとは」
「大勢の前で叱ると、引っ込みがつかなくなる子もいますから」
「……なるほど」
「もちろん、態度については後で話しますよ」
「それなら安心しました」
フェリクスが記録板を閉じたところへ、セレナがやってきた。
「お疲れさまです」
「ああ、セレナ先生」
フェリクスが顔を上げた。
「午後の授業は、もう終わられたんですか?」
「ええ。少し早く片づいたので」
「そうでしたか」
「先ほどの模擬戦、ずいぶん賑やかでしたね」
「ご覧になっていたんですか?」
「途中からですけど」
セレナはレオンに目を向けた。
「見事でしたね、レオン先生」
「いえ。ダリオ君もいい動きをしていました」
「そうですね」
フェリクスが記録板を持ち直した。
「セレナ先生、明日の職員会議の資料は、もうご覧になりましたか?」
「ええ。先ほど確認しました」
「でしたら、あとで一つお伺いしたいことがあるのですが」
「……会議の資料について、ですか?」
「はい」
「それなら、事務員に確認した方が確実だと思いますよ」
「……そうですね」
フェリクスはうなずいた。
「では、私は実習の評価をまとめてまいります」
「お疲れさまです」
セレナが答えた。
フェリクスが去ったあと、レオンは手元の記録板を見た。
「私も、明日の資料を確認しないといけませんね」
「ええ。かなりの量がありますから」
「今日中に終わるでしょうか」
「……頑張ってください」
セレナは微笑を浮かべながら、職員室へ戻っていった。
夕方。
屋外演習場には、まだ数人の生徒が残っていた。
ノアも、その一人だった。
右手を上げる。
小さな光が灯る。
一秒。
二秒。
三秒。
消えた。
「……やっぱり、三秒か」
ノアは手を下ろした。
もう一度、試そうとする。
だが、なかなか光が生まれない。
「ずいぶん熱心ですね」
背後から声がした。
振り返ると、レオンが立っていた。
「あっ……先生!」
「こんにちは」
「こ、こんにちは!」
少年は慌てて頭を下げた。
「先ほどの授業にいましたね」
「……はい」
「お名前を聞いても?」
「ノアです。二年生の」
「ノア君ですね。私はレオン・ハーグリーヴスです」
「知ってます!」
ノアは思わず声を上げた。
「さっきの試合、見てました!」
「ああ……」
レオンは困ったように顔をしかめた。
「恥ずかしいところを見られましたね」
「そんなことないです! すごかったです!」
「ありがとうございます」
ノアはおずおずとしながら、尋ねた。
「あの……先生もFランクなんですよね?」
「ええ。魔力量は四十二です」
「四十二……」
「ノア君は?」
「……十二です」
「そうですか」
レオンは、ノアをまっすぐ見つめた。
「さっきの光、もう一度見せてもらえますか?」
「はい」
ノアは手を上げた。
小さな光が灯る。
一秒。
二秒。
三秒。
消えた。
「……すみません」
「どうして謝るんです?」
「三秒しか続かないので……」
レオンは表情を緩めた。
「では、もう一度。今度は、光が消えるときに何が起きるか、教えてもらえますか?」
「……消えるとき?」
「ええ。何か感じることはありませんか?」
ノアは首をかしげた。
もう一度、右手を上げる。
光が灯った。
小さな光。
やがて揺らぎ、消える。
「……何となくですけど」
「はい」
「魔力が通る道みたいなのがあって……途中で細くなる感じがするんです」
「道、ですか」
「はい。でも、うまく説明できなくて」
「そうですか」
レオンは手を顎に当てた。
「その細くなる場所は、いつも同じですか?」
「……たぶん」
「では、次はそこを意識してみましょう」
「はい」
ノアは目を閉じた。
魔力を流す。
光が灯る。
一秒。
二秒。
三秒。
光が揺れた。
消えそうになる。
ノアは、ほんの少しだけ指先の力を緩めた。
光が細くなる。
そして。
四秒。
消えた。
「……あ」
ノアは、自分の手を見つめた。
「四秒……」
レオンが微笑んだ。
「一秒、延びましたね」
「……はい!」
ノアは、もう一度手を上げようとした。
「今日は、ここまでにしましょう」
「えっ?」
「ずいぶん練習したでしょう?」
「でも、もう一回くらいなら……」
「明日も授業がありますからね」
ノアは残念そうに、ゆっくり手を下ろした。
レオンは隣の長椅子に腰を下ろした。
「ノア君」
「はい」
「魔力量が少ないことで、困ることはありますか?」
「……あります」
「例えば?」
「みんなと同じことが、できません」
「そうですか」
「十秒の光もできないし、ほかの魔法も……」
ノアはうつむいた。
「僕、魔術師になれないかもしれません」
レオンは、ふと目を閉じ黙った。
「……私も、学生時代は似たようなものでしたよ」
「先生も?」
「ええ。ここで学んでいた頃は、実技がさっぱりで」
ノアが顔を上げる。
「先生、この学園の卒業生なんですか?」
「そうですよ」
「でも、さっきはあんなに強かったのに……」
「四十二歳ですからね」
レオンはおどけた顔をした。
「二十年以上も練習すれば、多少は上達します」
ノアも、つられて笑った。
「……僕も、上達できますか?」
「どうでしょうね」
ノアの笑顔が弱々しく曇った。
レオンは続けた。
「ただ、今日の四秒は、さっきまでの三秒より長かったでしょう?」
「……はい」
「では、明日はどうなるか、試してみましょう」
ノアは、自分の手を見た。
魔力量十二。
Fランク。
明日になっても、その数字は変わらない。
それでも。
「……はい!」
ノアは、今度ははっきりとうなずいた。
職員室に戻ると、レオンの机には資料が積み上げられていた。
明日の職員会議。
授業計画。
実技評価の記録。
そして、財務長官のオルガ・ハルデンから渡された予算書。
「……さて」
レオンは椅子に腰を下ろした。
まず、一番上の資料を開く。
赤い文字で記された数字が、ずらりと並んでいた。
「……こちらも、なかなか手強いですね」
誰にともなく呟いたとき、机の横から声がした。
「レオン先生」
顔を上げると、セレナが立っていた。
「明日の会議ですが、開始時刻が三十分早まりました」
「ああ、そうなんですか」
「ええ。先ほど連絡がありましたので」
「ありがとうございます。助かります」
「では、失礼します」
セレナは微笑みながら会釈し、自分の席へ戻っていった。
レオンは時計を確認した。
それから、もう一度予算書に目を落とす。
窓の外では、生徒たちの笑い声が聞こえていた。
カイルたちだった。
ダリオが何かを言い返し、短髪の女子生徒が笑っている。
姿勢のいい男子生徒は、大げさに胸を張っていた。
カイルはやや離れたところを歩いている。
やがて、彼らの姿は校舎の向こうへ消えた。
レオンは予算書のページをめくった。
数字は、相変わらず赤かった。
「……さて、どこから手をつけましょうか」
そう呟いて、ペンを取った。
――第2話・完――




